これからのチャリティ (石巻市雄勝町 復興の庭)
自分の生まれ育った場所が ある日一瞬にしてなくなってしまったら・・・
愛する家族がいなくなってしまったら・・・
耐え切れそうもないこんな体験をされた方々がみやぎには沢山います。
雄勝町のプレハブ商店街
でもそんな中で、皆さん踏ん張っている。
私たちがどこまでお手伝いできるかはわからないけれど・・・
どこまで立ち入っていいのかわからないけれど・・・
自分たちにできる範囲の応援をしていきたい。
みんなそういった思いを持っています。
宮城県石巻市雄勝町
私たちが今年の早春に石巻市雄勝町に出かけた時、町はまだコンクリート瓦礫の処理ができていない状態でした。言葉もない風景が未だにあるのです。
ここはオープンガーデンみやぎの会員でもある徳水さんが生まれ育った場所でした。
あの日、徳水さんは実家とお母様を失いました。震災後、雄勝町はどんどん人口が減り、徳水さんは何も復興しないままの瓦礫と土しかない故郷を見ることとなりました。
この土だけになった故郷にせめて花を咲かせたい・・・この土地から離れた方も 地域に住む方も 皆が立ち寄ることのできる 集える場所を作りたい・・・
徳水さんはそう思って花を植え始め、その姿に賛同した人たちが仲間となって庭作りは始まりました。
ローズファクトリーガーデン 2013年4月16日撮影
今年、オープンガーデンみやぎでも宮城県石巻市雄勝町の庭「ローズファクトリーガーデン」を応援しています。仙台からはかなり遠いので直接の支援はなかなかできないのですが、庭に募金箱を置いてチャリティとして一部を協力しています。
我が家の庭で株分けした植物たちも雄勝町の庭にお嫁にいきました。
雄勝町のお庭は広いから きっと日あたりの良い場所でゆったり葉を広げて咲くことができるよ。のびのび育ってね。
早春に庭に伺った時は白いフェンスだけだったお庭ですが、全国のボランティアや地域の人たちの力で庭はだんだん出来上がっていき、そういった支援がやっと形になって、10月13日はローズファクトリーガーデンのオープンとなりました。
4月にはこのような風景でしたが・・
沢山の支援によって 今回のお庭のオープンでは違った風景のお庭に進化していました。
ガーデンの前には地元のボランティアの交通誘導の方々が。駐車場は車で埋め尽くされていました。
そして人々が庭で憩いのひと時を過ごされていました。
音楽を聴き、お庭で過ごす皆さんはとても楽しそうで、穏やかな時間が流れました。
今まで経験したことのない空間がそこにはありました。地域の人が集いボランティアが一緒に生き生きと活動する様子に驚き、地元の思いや 人と人との繋がりに胸が熱くなってしまいました。
そして一つの団体の一度限りの支援ではなく、沢山の支援団体の輪によってできていることもこのチャリティの特徴でした。徳水さんの「思い」に心揺り動かされた人たちが沢山いたのですね。その一部をご紹介します。
千葉大園芸学部の皆さんと花と緑のプロジェクトの皆さん。
とんかつの和幸さんと花プロのクッキーやドーナツの差し入れの様子。
ガーデン誌BISESの八木編集長。 カメラマンの桜野さんの撮影風景。
脚立を支えてくださっているのはオープンガーデン北海道の内倉さんです。
東京駅に見立てたガーデンハウスの屋根材は、東京駅と同じ硯の材料である天然スレートが使われました。左から 徳水ご夫妻、地元の屋根材を作り提供してくださった佐々木氏、庭をデザインされ、復興プロジェクトを作られた泉緑化の鎌田氏。
コンサートのトリに登場したのは地元のユニットのイケメンズ。
張りのある素敵な声がガーデンを包みました。
今回の庭では、ボランティアの方々は一度だけではなく継続して来てくださるグループが沢山ありました。何回もかかわっているからこそ地元の思いを肌で感じることができ、愛着も生まれてきます。
そして参加する方々の目線がしっかりしたものとなり、タイムリーに地元の声が反映されたコミュニケーションの取れた活動になっていったのです。
これからも続けられる地域活動になっていくことを皆が願って。
日本の風土はボランティアやチャリティにまだ慣れていないけれど、それらはあきらかに今 現在進行形で進化していることを体感しました。
そして今回の出来事は「チャリティとは何か」を改めて考える機会となりました。
苦しみ模索しながらも 日本のチャリティの流れが作られていく時が いよいよ来たのかもしれません。