お別れ・・・・
そのニュースを 新聞で 知った。
ドキドキして 自分が 今日 どのような行動を とるべきか しばらく 混乱してしまった。
新聞の訃報欄 そして インターネットニュースの訃報欄に 載っているのは 間違いなく 私のお客様。
しかも 現在 ご自宅の庭を 工事している 真っ最中。
私のお客様 石橋博良さんが 亡くなられた。世界最大の気象情報会社「ウェザーニューズ」の代表取締役会長さんだ。
石橋さんは 「気象情報」という それまで ラジオやテレビをみれば 無料で 手に入ると思われていたものを ビジネス化し いまや 世界最大級の会社にした類まれなる企業家だ。
僕の携帯電話には この会社から ピンポイントの雨情報が 送られてきて コンクリート工事の時などに 大変助かっている。およそ 天気と無縁な人は いないから 素晴らしいビジネスだ。
でも それは 石橋さんが 単なるアイデアマンだったからではない。
石橋さんは 若いころ 大手商社に勤務されており その時 自分が手配した船が 爆弾低気圧により 沈没し 15名の乗組員の命を失った。石橋さんは それに責任を感じ 会社をやめ 「的確な気象情報を 船乗りに提供し 船乗りの命を守りたい」との思いから アメリカの気象会社で 勉強をし その後 ウエザーニューズを起業した。ウエザーニューズの本社には 石橋さんが会社を興した想いを スタッフに伝えるため 今でも その事故を掲載した新聞記事が 貼ってあるとのことだ。
今 工事しているのは 庭のスプリンクラー設置工事だった。
「広い芝生の庭に お水を撒くのが 大変だから」との依頼だった。
今 考えてみると 花好きな奥様は 広いから大変だったのではなく ご主人の看病をされていて これからの夏に向かって 水をゆっくりと撒く時間が なかったのだ。
ご主人が 入院したことは 知っていた でも 検査の為と 聞かされていた。
リピーターということもあり ご信頼を頂き 留守中も 工事させて頂いていた。
「若い店長さんが 頑張っているからって ぼく 宣伝しとくからさあ! よろしくな!」ゲラゲラ
「だんなさん 人を 乗せるのが うまいなー そんなこと 言われたら がんばっちゃうしか ないじゃないですかー アハハ・・・・」
なんて 会話を していたことを 思い出しながら 弔電を打ち 黒いズボンと白いワイシャツに着替え お客様のところに 向かった。
取り込んでいる真っ最中なのは 分かっていた。
でも 工事途中の三角コーンなどを 片づけに いかねば・・・・・ ご弔問の方も いらっしゃることだろうから・・・。 これが 今日の僕に できる 精一杯。
奥様が 僕の申し出を 受け入れてくれた。僕は 工事途中のシートや材料を きれいに片づけた。
最期の御顔を拝ませていただき 手をあわせてくることができた。
願わくば もう一度 僕の作ったガーデンルームに戻ってきてほしかった。
有難うございました。安らかにお眠りください。
合掌
おかげさまで 今日は 何の日
本日 5月24日は 私にとり 大切な日
当店 エクステリアマートの 開店記念日です。
今年で 14年目
当日は よく晴れていたなあ
本日は 大雨ですが 初心を振り返るには 良い日です。
そして もうひとつの記念日は 「婚約した日」です。
今は あまり 「結納式」を やらないということですが 僕は 一応 このような段階も 経験したかったので やりました。
「結納セット」というものを 買ってきて とりあえず 決まり通りやったと思うけれど くわしいことは 忘れてしまいました。
はじめて飲んだ「さくら茶」が 塩辛かったことだけは よく覚えています。
あまり意識しなかったのに 偶然 重なった このふたつの日
「この5月24日には 不思議な縁が あるのかな?」と 思いながら 「ゲゲゲの女房」を見ていたら ドラマの中でも 「結婚記念日」の話。
「むむむ これは なにか やっぱり ありそうだ」
と思っていたら 家のリフォームを頼んでいた大工さんが 急にきて 残っていた最後の仕事を やりにきてくれました。
「と いうことは これで リフォーム工事完成だな」
こじつけかもしれませんが 「リフォーム完成記念日」が 5月24日に加わりました。
公私ともに 多忙な数日間でした
この数日間 公私ともに 大変忙しい日々だったので ブログも 少し間が空いてしまった。
土曜日 TOEXの千葉ショールームを間借りして エクステリア相談会を 実施した。
しばらくぶりにやったのですが われわれ販売工事店に来るお客さんと少し違う感じがしました。
販売工事店にくるお客さんは 「工事の相談」そのものにきます
それに対し
メーカーのショールームにくるお客さんは 「商品の確認」にくる場合が 多いようです。
車のショールーム(ディーラー)と町の販売店では ほぼ 同じ目的で お客さんは来るように思えるのですが エクステリアの場合 「工事」が 介在するという特徴から このように 違いがでるのでしょう。
今回 相談件数そのものは 少なかったのですが ショールームにくるお客さんが どこを 見たり 触ったりしているかを 見ることができて 勉強になりました。
昨日 16日は 剣道の級位審査会でした。
今年も 事務局を 仰せつかっている僕は この準備に 2日間の徹夜を してしまいました。
家族や地元の少年剣道クラブの父母達にも手伝ってもらって なんとか ぎりぎり 準備を間に合わせました。
今回から 改正点が 多く 昨年の秋ごろから その改正点について 受験者および審査員 そして 各団体の指導者達と準備を進めていたのですが やはり 本番当日になると 進行の仕方や 評価の仕方などに いろいろな課題が 出てきました。
次の秋の審査会には また さらに 1点 改正が あるので 問題山積みです。
この秋は 千葉で 国体が あり 審査員の先生方も いろいろと 忙しくなる予定。
事務局が しっかりせねば と 思いなおす一日でした。
2日間の徹夜もむなしく いくつかの失敗が あり 少し凹みましたが うれしいこともありました。
自分が 指導している子供達の 合格率が 少しあがったことと 今回初めて受験した長男が 無事 受かったことです。事務局として 慌ただしくしていたので 朝も みんなに声を かけてあげることが できなかったのですが みんな 頼もしく 頑張ってくれました。
帰ってきて 久しぶりに 昼寝を してしまいました。
やり終えた後の 昼寝は また 格別です。
恐怖! 屋根 修理
友達のお父さんから 電話がきた。
この友達は 高校からの友人だが 僕が 店を作った時に 一番に会員になってくれた奴だ。
「屋根の瓦が ずれているようにみえるんだけど・・・・ちょっと きてくれる」
友人は とっても 目が 悪い
お父さんも 同じく 目が 悪い
そのお父さんが 二階の瓦が ほんの少し ずれているという
ということは
たぶん すっごい ずれているのかもしれない
ずれていると思われる瓦の ほぼ真下は 国道で 子供たちの通学路になっている
落ちたら ヤバイ
横に落ちても 隣りにあるトヨタのディーラーの試乗車の上に 落っこちる
これも 危険だ
昨日の月曜日は ディーラーが 休み
そこで 直しにいった。
改めて 告白すると 僕は 高いところが とっても 嫌い
悪いことばかり 想像してしまうのだ。
僕は 瓦屋じゃないのにーと 思いながらも 友人の家だ なんとかしなくちゃ と ハシゴを 昇っていく。
とりあえず ヘルメットを かぶっておく
実際 この高さから落ちたら こんなの関係ないと 思いつつ ヘルメット一つで 保険金も違ってくるだろう。
ヘルメットかぶるのを 横着して 家族に わびしい思いをさせても まずい
て ゆーか もう こういう想像が ガンガン 頭の中を かけめぐっちゃうんですけど・・・・
「あーこれかー」
棟の瓦が ほんの少し 動いている
その隙間は わずかなのに よく目の悪いおじさんが 気付いたなー と 屋根の上で 関心してしまった。
幸い 瓦を止めている針金は 大丈夫だったので すぐに 落ちてしまう危険な状態ではなかったが 改めて モルタルで 固定することにした
昔の瓦の固定には 土が つかってある
今は モルタルが 使われていることがあるが ほとんどの場合 あまり 良くくっついていない
瓦とモルタルは あまり なじまないのだ
今回 補修した瓦に ほんの少し付着していたモルタルも ぽろぽろと すぐ取れてしまった。
この状況を 予想していた用意周到な僕は 接着剤の入った速乾性の樹脂モルタルで 補修してみた。
「よし よし いい感じ さすが ちょこっと高い材料だけあるな」
「はやく 終わらせて 地上に もどりたいー」
と 思っていると ドドドドドー 屋根が 揺れる
「 」
目の前の国道を 大型トレーラーが 走っていく
「うっ」
今 やったばかりのモルタルと瓦が 分離している
なるほど 今回の瓦のズレは ①最初にやった瓦屋のモルタル接着強度不足と②この国道からの振動だな
原因は わかったとしても 前にやった職人と同じことを繰り返すわけにはいかない
僕の使っているモルタルは 前よりいいのだ しかも 速乾性だ
あの振動に 負けないように してやる
かくして 僕は きらいな高いところに さらに しばらく いることになってしまった
まあ 真夏でなくて よかったけどね
渋谷の天狗に集合せよ
「もう 今日は 東京に行かないの?」 と 女房が ぽつりと 言ってきた。
「えっ」
「母の日には 昔 よく 東京いってたよね」
「もう いい加減 いかないよー」
母の日 5月の第2日曜日
僕は 20代のある時期まで この日は 東京 渋谷に行くと 決めていた。
僕は 大学に通いながら 検事になることを夢見て 司法試験の受験予備校に行くという いわゆるダブルスクールをしていた。
その予備校は 渋谷駅の近くにあり そこで 知り合ったいろんな大学の人たちと 仲間になり 講義が終わると 渋谷駅近くの居酒屋「天狗」で 議論したり 夢を話し合ったりすることを 楽しみにしていた。
毎年5月の第2日曜日は 司法試験の短答式試験が 行われた。(今でも たぶん そうだと思うけれど)
各受験会場から 夕方5時くらいになると それぞれ 自然に 渋谷の「天狗」に集まってきて この日だけは みんなで 労をねぎらい 緊張感を解き放ち 倒れるまで 飲んだ。
そーいえば 渋谷駅前の花屋には カーネーションが いっぱい あった気がする。
当時の司法試験合格平均年齢は 確か 29歳だった。僕達のメンバーには そんな歳の人は いなかったが みんな 少なからず親のすねをかじり 申し訳なさを 感じていた。
それでも この日の解放感は 特別だった。
僕は 23歳で 早々にリタイヤしたが 受験生でなくなっても 毎年「この日の この時間 この場所に」行った。
連絡なんて 誰もしない。当時は 携帯電話も 持っていない。
それでも 行くと みんな 集まってきた。自然発生した暗黙の了解ルールなのだ。
先に 合格した奴や 僕のように 一足先に社会人になったものが 受験生より 多くお金を払うのも 僕達の中から 自然発生的に生まれたルールだった。
毎年 毎年 少しづつ 合格者が 生まれ メンバーの過半数が 合格した年ごろから この集まりは なくなった。正確にいうと 最初のメンバー以外の人が 多くなってきてしまったのだ。
仲の良かった11名のうち 8名が 今 弁護士として活躍している
ひとりだけ 今では 連絡がつかないが 僕達の仲間は 基本的に 真面目で 明るいから 大丈夫だろう。
たぶん 今でも 我々とは 全く違うメンバーが 「この日のこの時間この場所で」 解放感と共に酔いつぶれているだろう。
今年の僕は 朝から 一日 剣道の講習会に出ていた。 そして 夕方から 母を連れて お客さんから教わった うまいと評判の中華料理屋にいった。丸一日剣道をやっていた為か 生ビール一杯と樽ハイ一杯で 酔ってしまい 帰った途端に 居間のソファーで 倒れるように寝てしまった。
十数年経っても 僕の「この日」の眠り方は 基本的に 変わっていない