渋谷の天狗に集合せよ
「もう 今日は 東京に行かないの?」 と 女房が ぽつりと 言ってきた。
「えっ」
「母の日には 昔 よく 東京いってたよね」
「もう いい加減 いかないよー」
母の日 5月の第2日曜日
僕は 20代のある時期まで この日は 東京 渋谷に行くと 決めていた。
僕は 大学に通いながら 検事になることを夢見て 司法試験の受験予備校に行くという いわゆるダブルスクールをしていた。
その予備校は 渋谷駅の近くにあり そこで 知り合ったいろんな大学の人たちと 仲間になり 講義が終わると 渋谷駅近くの居酒屋「天狗」で 議論したり 夢を話し合ったりすることを 楽しみにしていた。
毎年5月の第2日曜日は 司法試験の短答式試験が 行われた。(今でも たぶん そうだと思うけれど)
各受験会場から 夕方5時くらいになると それぞれ 自然に 渋谷の「天狗」に集まってきて この日だけは みんなで 労をねぎらい 緊張感を解き放ち 倒れるまで 飲んだ。
そーいえば 渋谷駅前の花屋には カーネーションが いっぱい あった気がする。
当時の司法試験合格平均年齢は 確か 29歳だった。僕達のメンバーには そんな歳の人は いなかったが みんな 少なからず親のすねをかじり 申し訳なさを 感じていた。
それでも この日の解放感は 特別だった。
僕は 23歳で 早々にリタイヤしたが 受験生でなくなっても 毎年「この日の この時間 この場所に」行った。
連絡なんて 誰もしない。当時は 携帯電話も 持っていない。
それでも 行くと みんな 集まってきた。自然発生した暗黙の了解ルールなのだ。
先に 合格した奴や 僕のように 一足先に社会人になったものが 受験生より 多くお金を払うのも 僕達の中から 自然発生的に生まれたルールだった。
毎年 毎年 少しづつ 合格者が 生まれ メンバーの過半数が 合格した年ごろから この集まりは なくなった。正確にいうと 最初のメンバー以外の人が 多くなってきてしまったのだ。
仲の良かった11名のうち 8名が 今 弁護士として活躍している
ひとりだけ 今では 連絡がつかないが 僕達の仲間は 基本的に 真面目で 明るいから 大丈夫だろう。
たぶん 今でも 我々とは 全く違うメンバーが 「この日のこの時間この場所で」 解放感と共に酔いつぶれているだろう。
今年の僕は 朝から 一日 剣道の講習会に出ていた。 そして 夕方から 母を連れて お客さんから教わった うまいと評判の中華料理屋にいった。丸一日剣道をやっていた為か 生ビール一杯と樽ハイ一杯で 酔ってしまい 帰った途端に 居間のソファーで 倒れるように寝てしまった。
十数年経っても 僕の「この日」の眠り方は 基本的に 変わっていない
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