久々にうれしかったこと
先日の羽田空港からの戻り道 電車に乗っていると 駅で 剣道の防具をかついだ高校生たちに出会った。
剣道の防具は 大きいし 竹刀袋もあるので サッカーやバスケの選手に比べて 見て すぐ 分かる。
その中の一人と 目が合った 。
向こうが ペコリ。 僕も 二コリ。
小学生の時に 剣道を教えていた生徒に 会ったのだ。
「おう! お前も いたか! 今日は なんだよ 練習試合だったか?」
消え入りそうな小さな声で
「・・・・今日は 昇段審査だったんです・・・・・・」
「ああ そうか!お前達の学校は こっちだから 俺たちのブロックと審査時期が 違うんだな・・・・・・・・・・で どうだった?」
このか細い声の大きさから 結果を聞いていいものかどうか 迷った。
「・・・・・・2段に受かりました・・・・・・・・」
「 おおおおおお そうか そうか 2段に 受かったか おめでとう おめでとう そうか そうか やったなぁ よかったなー」
「はい おかげさまで・・・・」
今 こいつの頭の中には 「」マークが ぐるぐる回っているに違いない。
「おかげさまで」っていう言葉も つかえるようになったかぁ 成長したなぁ
数年前 道場にきて 泣きそうな顔を しながら やっぱり 消え入りそうな声で「先生・・・・・ 僕 家庭の事情で 今度 名字が 変わるんです。僕 初段を 受けたいのですが 名前が 変わった場合 前回の登録と変わってしまうから どこに 言いにいけばいいのか わからなくて・・・・・」と 聞きにきたことを 僕は 思いだしていた。
「お母さんにも おめでとうございますって 伝えてくれな!また 武道館で 稽古やろうな! ぶっとばされちゃうかな 俺の方が・・・」
「ハハ それは ないですよ まだ ・・・・・はい それでは 失礼します」
「今 あいつ 「まだ」って いったような? まあ 多分 そうなるかもな・・・・」
同じ学校の仲間と その場を離れたが その仲間たちと比べても 身体も細く 頼りない感じだが 背も 伸びて 少しずつ それらしくなってきた。 このまま 進めば 立派な青年になっていく気配だ。
そんなに たくさん 指導した訳ではないが やっぱり うれしい瞬間だ。
剣道を続けていてくれて ありがとう
これからも がんばれ
羽田より
本日 春休みを利用して 長男と長女を 広島に住む実姉夫婦のところへ 旅にいかせるため 羽田空港まで 送りにいった。
成田空港の近くに住んでいるので 飛行機には なじみがあるように思っていたが 僕は 羽田空港へ行くのは はじめてだった。
交通事情が 地震の影響で不確定の為 自家用車・電車・高速バスなど いくつかの方法を 検討したが やはり 電車が 一番確実だろう という判断になり 朝5時49分の電車にのった。
土曜日のこの朝早い時間でも 結構 人が 乗っている
電車の時は 子供たちも まだ 大丈夫だったが 浜松町を着き 羽田空港行きのモノレールに乗る頃になると 旅行カバンをもった人達が多くなり いよいよ はじめての飛行機への緊張が 高まってきた様子だった。
羽田空港の国際便が 多くなり 地元 成田空港も 必死になり頑張っているが やはり 羽田は 東京から 圧倒的に近い。成田空港の隣り町にすむ我々でさえ 電車から降りて 「もう 空港?」と びっくりしてしまう気軽さだ。
羽田第二ターミナルビルは 国内便がメインなので 搭乗者も ほとんど 日本人が多く それも 気軽な雰囲気を 醸し出している。
しかし 保安検査のゲートに行くころには 電車に乗る時にはない「手荷物検査」があり 子供たちの顔が こわばっていた。まあ はじめてのフライトだ。しかも ここからは 子供たちだけだから 無理もない。
広島までは 約1時間半の予定だ。少し風は 強いみたいだが それほど 揺れたりしないだろう。
ゲートで見送り その後 飛び立つ飛行機達を 見ながら 食事をしていると もう 1時間半経ってしまった。
「もう 着いたかな?」と思っていると 姉から 「着いた」とのメール。
はじめての飛行機の事を 本人達が どんな風に話すか たのしみです!
濃い時間 2
本日 ブログ公開 2周年になります。
思えば 2年前の3月25日の前日は WBC(ワールドベースボールクラシック)で サムライジャパンが 熱線の末 優勝し 日本は お祝いムード一色でした。
今年は この度の大震災の影響で どうにも シュンとしてしまう3月25日になってしまいました。
しかし
ホントに このブログを 書いていて よかった。
一日一日 「こんなこと 書いておこうかな?」「こんなこと 書いたら みんなは どんな風に思うかな?」「今日の想いを 書いておかないと また 同じ失敗をするな」などなど パソコンの前に座り キーボードをたたいている この時間は 自分にとって とっても「濃い時間」となっています。
ブログ2年目で 自分なりに 少し考えた変化を 書いておきます。
この一年間 ブログの為というわけではないのですが 少し本を読むようになりました。
人に対して 自分の意見(バカっぽい日常も含めて)を 発信するということは 少なからず 技術です。あまり 意識しすぎると かえって 書けなくなってしまうものですが 「いいことが 書いてあったら 誰かに教えてやろう」って 意識してから あきらかに 僕の本の読み方は 変わりました。いい読書の仕方になったなと 自分では思っています。
あてもなく他人のブログを 見て歩くことが 少なくなりました。
1年目の時は 「すごい人が いるもんだなー」とか 「地域が違うと 随分 庭への考え方も違うんだなー」とか 暇があると だらだらと 見ていました。確かに たまには 勉強になったり 感動することもあるのですが やはり 能動的でない為 時間の浪費の方が 圧倒的に多い。
知り合いの近況を知る目的ならば ブログはいいのだが 情報を集めようとすると なかなか 大変だ。
ブログというデジタルな日記を付けていながら 情報は やはりアナログ的に入手した方が 頭に入るなということを 改めて 確認した一年だった。
剣道ネタが 一年目より減った(と 自分では 思っている)
これは 稽古がつまらなくなってしまった訳でも 稽古が減った訳でもない。
むしろ その逆なのだ。
稽古すればするほど いろんな事を 教わり いろんな事で 悩む。
これらのことが 一昨年より 多くなり 断片的な あいまいな想いでは ブログに まとめられない。
そこで 普通A4のノートに「剣道日記」を 新たに付け始めている。
ノートに書きなぐった想いが やがて 一つの線になって つながってくれば 自分の剣道も強くなるのではないかと 思っている。
「交建知愛」
当初 固いブログタイトルだと 思っていたが なかなか どうして 今は 自分でも いいタイトルをつけたもんだと 気にいっている。
お客さんと向き合い 家族・友達・地域と向き合い 自分と向き合い・・・・・・また 一年間 続けていきましょう。
どうぞ よろしく お願いいたします。
地震で 保険は?
円高が 急激に 進んでいる
復興の為に 「円」が必要とされるとの見通しなどから 投機の対象にも なっているのだろう。
外貨預金をしている女房は 「・・・・・・・・・・泣」 へそくりを作ろうとの思惑だったのだろうか
確かに 今回の復興には 多大なお金が 必要だろう
各損害保険会社も どこから手をつけていいのか分からないくらい 過去最高の支払い額になりそうなことを 言っていた。
当社も 地震で 店舗などに 様々な被害が 発生したので 保険で なんとかなるかと思い 地震直後の写真を 証拠として とっておいた
3月15日から 意気揚々と スタートするはずだった「ガーデンルームキャンペーン」
大橋のぞみちゃんとエクス・テリアくんは 倒れませんでした さすがです。
売り物だけど お気に入りなので 売りたくなかった鉢も かなり 壊れました。 がれきになってしまうならば もっと 安値で 売っておけば 良かったなあ はあー
資材置き場のブロックや レンガのパレットも 倒壊
従業員の車 2台が 犠牲に なりました。
事務所の中です。
自分では 「これは ひどい・・・・」と 思ったのですが 女房いわく 「あまり いつもと 変わらない」との事。
コンピューターも一台 落ちました。電源が 復帰するまで 不安でしたが 大丈夫でした。
ちなみに 椅子の座面が 壊れて 中身が 飛び出ていますが これは 今回の地震が 原因ではなく 毎日 僕が 遅くまで よく働くので 擦り切れてしまった「情熱の椅子」です。
まだ まだ 保険屋さんも 混乱していますが どうも この程度では 保険の適用は ないようだと 言われています。保険って ほんと よくわからん????
とりあえず 一所懸命 片づけます
今の 気持ち
昨日から 少々 身体の調子が 悪い。
鼻のつまりは どうやら 花粉症の為だろうが 気管支が 少し痛いのは どうも 風邪でも ひいたのだろうか?
薬を 飲む。
食後と就寝前に 飲む。
水で 飲む。
布団で あたたかくして寝る。
こんな行為さえ ありがたく 思わずにはいられない。
本日 地元の小学校で 卒業式が 行われる。
顔なじみの6年生達が 本日 卒業する。
はじめて袖を通すブカブカの学生服を着て あらたな決意で 中学校に進学するであろう。
田舎では 私立にいく子供は まれなので ほとんど 同じ顔ぶれで 来月には 中学校の入学式を 迎えるはずだ。
それが 田舎では 普通。 それが あたりまえ。・・・・・・のはず
「生き残った者だけの卒業式・入学式」「黙とうからはじまる卒業式・入学式」 たくさん あるに 違いない。
テレビで 繰り返し 繰り返し 放映されていた津波に流された壊滅的な町の映像が 少し減り 避難所にいる人達の顔を 映す時間が 増えてきた。安否の情報が 圧倒的に少ないなか 自分や知り合いの安否を テレビを通じて訴える人達を 見ていると 胸が つまってくる。
どこかに 自分の知り合いが 映っていないか 食い入るように 画面を見ている人も多いことだろう。
知ったかぶりの学者や評論家の説明より これらの映像を もっと 流してほしい。
このような日々の中でも 我々の仕事は 進んでいく。
今日も パワーシャベルを 運転する。いつも以上に 残りの燃料を気にしながら 運転する。
あちらでは がれきの山を そして 遺体に注意しながら 運転しているはずだ。
同じレバー操作のはずなのに・・・・ ありがたい 僕は 今 「創るために」 レバーを操作している。
早く あちらでも 「創るために」 重機が 動き出すことを 願っています。