尾道千光寺♪
16日(月)
無事、今回の目的だった法要も済ますことができ、故郷を去ります。(上の兄の車で)
因島大橋を渡るところ。
八重子島と反対側の本土方面側には、大浜灯台が見えます。--拡大ーー
向島(むかいしま)の町中を通って、「尾道大橋」を渡って、尾道市役所の駐車場に車を停めて、、
尾道千光寺ロープウェー乗り場へ、
千光寺は〇△年ぶり!結婚後初めてです。超懐かし~~い。
春に、Ruiさんファrミリーも乗った「ロープウェー乗り場へ」
Ruiさんのブログを見てみたら、
私が「もう千光寺に行くことはないだろう」とコメントしてました。
Ruiさん~~~行けたよ~。
3分間の空中観覧!
尾道はお寺と坂が多いです。
三重塔
これが千光寺 外観を見るためにはロープウェーでしか見れないかも。
千光寺を見下ろしてます。遠くの川のような海が「尾道水道」です。
尾道水道は、川でも湖でも沼でもなく、、海なんですよ~!
ロープウェー降り口 到着
正面の展望台へ
展望台から
尾道水道の景色 向かいの島は向島です。(単純に名前をつけたもんですよね~)
遠くに因島が見えます、、といっても、どれが、、どの島か、、 よくわかりません、、。
左側の景色 遠くに「尾道大橋」が見えてます。
この写真の真ん中の建物、、これ、美観を損ねますね~~!
Ruiさんファミリーも訪れた、「文学のこみち」を下って、町に下りて行きます。
小道の途中、いろんな石碑が置かれています。
こういう大きな石、岩?がいっぱい、、。
志賀直哉 暗夜行路の石碑
これが、「林芙美子」の「放浪記の石碑」です。
林芙美子は生まれは北九州?、それから小学~高校まで?尾道に住んでたため?
尾道=林芙美子なんですよ。? ?が多い、、、、 享年47歳で亡くなったそうです。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」 林芙美子の名句ですよね。
昔、、読んだ本の内容、、忘れますね~。読んだか読まなかったかも忘れてます?オヨヨ
学が無いのがばれるので、、文学の話しは、、やめときます、、。 ガクッ
千光寺から見る景色。ロープウェーの線が見えてます。
「千光寺」でお参りをして、、、千光寺のお守りを買う。こんな小さいのが700円!
ひょうたんの中に小さいひょうたんが5個と観音様が入ってて、
小さいひょうたん5個と入れ物の大きいひょうたんで6ひょうたん=>
六びょうたん=>むびょう=>無病息災、、のお守りだとか、、。オヤジギャグかっ
mmmmm、全く人の弱みにつけこんで~、、
これで、元気でいられたら、、と
、、買ってしまう私には、意志が強くなるお守りが必要ですね。オヨヨ
坂を下りて行く途中に、三重塔、、1388年建立 古いです!
尾道の小道。瀬戸内海はこういう小道と坂が多いです。
懐かしい尾道のアーケードも、、シャッターを閉めたお店が結構ありました。静かです、、。
離れた場所に新幹線の新尾道駅ができたり、橋等、の影響?で、活気がなくなってます。
因島も尾道も、、、私も、、、とにかく、、とにかく、、変わりましたね~!
お好み焼き屋さんに入って、、広島お好み焼きの昼食!
大きな牡蛎がいっぱい入ってて、、すごいボリュームで、食べきれない量!
写真を撮るのをすっかり忘れてました。
3分の1は甥にあげました。
駐車場まで戻ってきて、ちょっと桟橋に行ってみると、、屋形船?この船は昼間走らないそうです。
泊まったままで、揺れと潮風を楽しみながら食事をする、とのこと。
穴子丼(1500円)、海鮮丼(1000円)、多分メニューはこの2品だけなんでしょうね。
尾道駅前でから下りて、
上の兄、甥ファミリーは、そのまま広島、山口方面へ、、 バイバ~イ~!
下の兄と私は、福山までローカル 福山から新幹線で帰りました。
天気に恵まれ、無事姉の3回忌を済ませることができ、最後にミニツアーも楽しめて、いい旅でした。
翌日は、、時差、、地差? 環境差? いろいろな思い? で、ボケ~~ッとしてました。
ブログを書く気力も全く失ってる感じでした。
私は、切り替えに弱いんですよね~~、、、、。
庭ブロに復帰できるんだろうか?と、、真剣に考えたのですが、、、、、、
復帰しすぎてますね、、はいはい、、。すみません。
そして、、翌朝、、、な・ん・と ビッグニュースが
~~~~ お ま け ~~~~
18日(水)
横浜に住んでる次男に次男が誕生 3100g
予定日より2週間早くて,急で、、びっくり!
主人も丁度休みの日だったので、二人で駆けつけました。
丁度1週間前には、主人の母の91歳の誕生日で東京へお祝いに行ったのですが、
その間に 帰郷があったわけで、、、忙しい一週間でした。
6月18日(水) 生後約4時間 6月11日(水) 91歳
4時間 VS 91年間
義母にとっては二人目の曾孫です。
この義母がいなければ、この赤ちゃんも生まれなかったんですよね。
赤ちゃん、、頬杖ついてます。何年も生きてた顔してませんか?
私の指のでかいこと!!!
次男の最初の子の出産の時は、丁度姉が入院したばかりで、私は因島に駆けつけてた時でした。
しかも、姉の死の宣告を受けた直後の初孫誕生!で、待望の初孫だというのに、有頂天にはなれませんでした、、。
しかし!!!今回は、、生まれたてを見るだけじゃなく、
ず~~っと抱っこできて、(疲れた嫁ちゃんの迷惑もかえりみず)
病室に長いこと、居座ってました。 ゴメンネ、、
生まれたての赤ちゃん、、ま~~~かわいすぎヨ~~生命の誕生すごいですね~~。
主人はいつものように先に家に帰り(一緒に出かけても帰りは別々です。)
私は息子の家にちょっとお邪魔して、、
2歳4ヶ月の孫ちゃんに、ビールを注いでもらいました。、
最後のおまけが、長くなってしまいましたが、、。
「最後の帰郷ブログ」をどうにか終えることができて、、ホッとしてます。
キキョウブログが完成したと思ったら、、な・ん・と、、
うちのキキョウ、、お祝いに バンバン咲いてくれてましたよ~~。
きょう の ききょう です、、、。
うちのキキョウって、何か空気読める賢いキキョウですね~! エライッ!
ラスト帰郷!?
このところ、いろいろなことで忙しくて、、ちょっと庭ブロ離れしてました。
先週末は2泊3日で帰郷したのですが、
キキョウから帰ったら、キキョウが咲いてましたヨ。 うちの花はノリがいいネ~!!
今まで何度か帰郷報告ブログ書きましたが、これが、おそらく私の「最後の帰郷」です。
最後の記録として残したいので、、
又、少々、、?長いですので、お急ぎの方はスルーしてください~!
以前と同じ事を言うかもしれませんが、、、、大目にみてくださ~い。
今回は、行きも帰りも、すぐ上の兄と一緒だったため、
新幹線の車窓からセンチメンタルに景色を眺めることも、退屈することもなく福山駅へ到着。
福山駅からバスで因島へ。
バスの中から、「因島大橋」が見えて来ました。
橋を渡っています。
島といっても、大きいんですよ。ここに見えてるのはすべて因島です。
橋を渡った所(下の図の現在地の場所)で下車!
この因島、以前は因島市だったんですよ。今は尾道市因島。変化するのイヤですね~。
Ruiさんも通ったという「しまなみ海道」の地図です。
橋のすぐそばの大浜町(私が生まれて、2~3歳まで住んだ町)へ
町と言うより、「村」です、、。お店はたった1軒! 民宿は2軒!!
そして、島の南側(地図の下の方)の、去年解体した実家の跡地!へ
上の兄の車で、行ってみることに!
私が高校3年の時にこの場所に引越ししてきて、1年後に私は出家したので
住んだという感じじゃないのですが、何度も帰省した時の思い出がぎっしり重いです。
なにしろ、ウン十年間?おお~~っと、、危ない危ない、、
柑橘系の樹が植えられてました。(地主さんが植えたのでしょう。)
(この土地、借地だったため、更地にして返したのです。)
ここは道路に面してなく、狭い所(右側の写真)を通っての出入りで大変不便な場所でした。
想像はしてたけど、実際に、この光景を見て、、ちょっと、、、、、。
震災で家を失った人達とは違うのでしょうが、、でも、共通する所はあるかも、、、。
因島に両親も姉もいない!誰も家族がいない!
今回、姉の3回忌と母の13回忌を一緒にした法要のための帰郷でしたが、、
その後は、、もう帰ることもないと思います。
帰ってみようと思えば、帰れるけど、誰も家族がいない故郷に帰る気にならないですね。
ちょっと買い物をして、大浜に戻って、お墓の草取りへ、、。
去年も従姉妹が草を取ってくれてましたが、、今年も(ヤッター) きれいにしてくれてました。
本当に、、優しい従姉妹、従兄弟達に恵まれて感謝しています。
墓に上ったついでに、夕方の海の景色を
この時、海は干潮で、、八重子島(やえごじま)も、歩いて渡ってる人がいました。
今、八重子島では、貝も魚もとれなくなったそうです、、。
鳥の糞で松もボソボソになってます。
干潮だと、こんな感じですが、、翌日の法要の時には
(上下の写真の八重子島を見比べてください!)
お墓は、因島大橋が見えるいい場所なんですが、、、大変な傾斜です。
墓参りできなくなったら、墓に入る時に近づいてる、、、のです、、、、、。
日本VSコートジボアール戦の途中から、法要へ、、
従兄弟の家で観てた時は、勝ってたのに、、、
法要の始まる前。甥の娘(3歳9ヶ月)が、、ナムナムしています。
今年になって、全員が椅子に座るようになってました。
老人も多いというか、ほとんど老人の町?なので椅子がいいっすね。
甥ファミリーがナムナムしてます。
従兄弟が庭の百合をいっぱいくれたので、華やかになりました。
去年も同じことを書いたと思うのですが、、、
このお寺の駐車場の紫陽花には、、感動して、真似をしたい!、、と思ったのに、、。
この場所は、昔は、蓮池でした。
ちょっと~うちのアジサイと大違いじゃないですかぁ~~!なんでやね~ん。
うちのアジサ~イ、ゴメンナサ~イ。ちょっと努力しなきゃね、!
法要の後は、みんなで会食
法事の時はいつも利用してる民宿の「布刈(めかり)」にて
今回は泊まる家もなくなったので、この民宿に予約して泊まりました。
(この民宿「布刈」は、3人のいとこの家やお寺に5分以内で行ける場所で便利なんです。)
オコゼの唐揚げ、、おいしかったです!ーーーーー
法要にはこの大浜町に住んでる4人のいとこ達が出席してくれました。
去年も書きましたが、母方のいとこは36人いて、私が一番若いのですよ。
最近、最年長者のいとこが亡くなったそうです。9?歳だったとか、。
1人の従兄弟曰く、「(その最年長のいとこは)うちのオフクロより年上だった。」
姉が6番目に亡くなったのですが、現在8人亡くなったことに、、。まだ28人が生きてます!
年齢順でいくと、私が28番目? だといいのですが、、。
前日は夜遅くまで、、そして、この日はお昼から深夜まで、、、
ダラダラ2日間飲んで、ご迷惑?おかけした分?この「布刈」を宣伝してみます。
この因島大浜の民宿「布刈」===食事が大変おいしいのです。
コリッコリッの刺身!値段も安~~い!
1日目夕食 2日目夕食
2日目朝食 3日目朝食
私が泊まった部屋
窓からの景色もバッチリです。
八重子(やえご)島がバッチリ見えてます。これは満潮の頃かも?
下の写真は、干潮の時! 浣腸でも、かんちゃんでもありませんよ~!
たまたま、ちょっと起きたら、、朝日が!
(こちらは、島の東側なので、朝日は見えますが、夕陽は見えません。)
して、又、寝ました。
「布刈」 二階の右側が私が泊まった部屋です。
沖から、、青い屋根の右が「布刈」です。めかりがめっかりましたでしょうか?
右の白い建物は農協。
(余談=昔、カミキリムシを大浜の農協に持って行くと、?円かもらえたんですよ。
私は子供だったので、カミキリムシが貴重な存在(今のカブトムシみたいに)なんだと、思ってました。笑 )
この大浜町の小学校は、他の町の小学校と違ってしばらく統合されず、少人数でやってたのですが、
やはり閉校になったそうで、、たまたま、窓を開けたら、この光景が、、、、で、
小学生達がスクールバスに乗るところでした。、、変わるよね~~!びっくり~~!
小学校も中学校も高校も、、すべて、統合されました。
因島で、お米を作ってる人は誰もいなくなったそうです、、。
昔の田園地帯は、大型店がずらりと並んでます。
橋ができて、人口は減るのに道路はどんどん立派になって、、、
いっぱいコンビ二もできて、(この大浜ではコンビ二は不可能だけど)便利になったのだけど、
、、、昔がよかったと思うのは、、、何なんでしょうかね~。
3日目は、尾道見学して、(次回投稿予定)西と東へ別れて帰りました。
みんなと喋ったりするのが忙しくて、、センチメンタルになるのは、帰ってからでした、、。
まあ、 いっか~~~
帰郷・後編・八重子島
帰郷、後編で~す。
なんだか、またロンブロです、。自己中心自己満足記録用日記です。
文章、読まなくていいです。えっ?いつも読んでなかったって? アヘ、、
の、覗いてくれるだけでも嬉しいです。;; あ、ありがとうございまっす。;;
2日間 同じような撮ってましたが、、
潮が引いてる時と満ちてる時の違い、、面白いので、紹介します。
これが「因島八景」の一つ「八重子島(やえごじま)」、
前編にも載せましたが、大浜町の沖にあり、大浜町のシンボルでもあります。
この時は引き潮で、二つの島が繋がってて陸にも繋がろうとしてます。
大潮の干潮の時は、完全に陸につながって、歩いて島まで行けます。
昔はここで潮干狩り(地元では、「貝堀り」と呼んでます)してました。
今は貝はほとんどとれなくなって魚もあまり釣れなくなったとか、。
前編で書いたように、初日に草取りのため墓に上がって行ったのですが、
従姉妹が草取りしてくれてたため、、花を立てるだけで、ゆったりしてました。
そして翌日、法要の日。お寺でお経を唱えた後、お墓に上がって行く途中
前日の夕方の写真との違いがおわかりでしょうか?
おわかりでない方のために、、
満ち潮
引き潮
ミカン畑から八重子島を望む。
このアングルの写真、去年の夏のブログでも載せましたが、今回も載せます。
ありがとう~
すごい傾斜でしょ。島にはもっと傾斜の激しい墓地があるそうです。
緑の木はみかんの木です。上のみかんを ズームイン
因島大橋&
両親と姉のお墓から、、因島大橋を望む。
この後、おいしい海の幸たっぷりの会食、、ゆったり、ぺちゃくちゃ、わいわい、、
気づいたらなんと4時間以上、居座ってました。(カラオケまで)、
場所をかえて、、従兄弟の家で、またべちゃくちゃ、昔話にが咲きました。
いとこって、、いいですね。
去年の2月から姉が住んでない実家
庭は草ぼうぼうでしたが、姉が石垣の間に植えたベゴニアや
石垣の上の狭いスペースに植えた花達が、今年も咲いてました。
ここは私が高校三年生の時に引っ越して来て、
1年も経たない内に私は島を離れたので、私としては長いこと住んでなかった家なのです。
それでも、何度も帰省してた時の思い出がい~っぱいあるので寂しいです。
島に家族がいない!家も消える!、もう、すべてが、おしまい!
「は~い。、」
「これこれ~~「ししまい」じゃない!「おしまい!」なんですヨ!。」
仕方ないですね。 、、、、、
今回、家の中の物をすべて、、処分することに、。すでに業者も入ってました。
今までもかなり分別してきましたが、まだまだまだまだ、ありました。
姉が描いた絵も、大きなスケッチブック等も、大量処分することに、。
記念に、、と、 その辺にあった姉の絵を
もっと姉の絵をすればよかったかも、、、、。、、
業者さんたちが、家の中の物の持ち出し作業してて、、大変慌しくて、
ゆったり、を撮るような状態じゃなかったです、、。
姉は花も好きで、押し花の作品をいっぱい作ってました。色はあせてるけど、
去年もブログに一枚載せましたが、、、別の額もあったので、、記念に
他にもまだあったのですが、すべてがゴミ集積所へ~、、。 悲しいですね、、。
姉が「ちょっとでも読んでほしい」と言って箱の中に入れてしまっておいてた
「寝たきりになった母を介護した日記(4年分)」
「最後の一年だけのちょっとだけでいいから読んでみて」と言われてたのに、、、
1ページも見ることもなく業者さんが持ち運んでました、。
そんなの読んでたら、きりがないですよね、。 ごめんね、、、。
父ゃ母や姉のアルバムも、い~っぱいど~んと捨てました。ごめんね、。
私が送った、大量の手紙、ハガキも、、ど~~んと捨てました、、。
姉の、うん十年間の日記等、全く見もせず捨ててしまったけど、
病院で書いてたメモ書きのような日記(約5ヶ月分)は姉の要望で去年持って帰ってました、。
大事な物いっぱい捨てたお詫び?に、ちょっとここに載せてあげることに、、。
似たような文、、いっぱい書いてました。
姉には、本当に感謝感謝なんです。
あるナースが姉に、「癌の最後はみんなすごく苦しみながら死んでいく。」、、、
姉は大ショックでした。全くなんちゅうナース!ハートが無ースだ!
病院は3ヶ月経つと退院させたがる傾向があって、
その心配、不安を書いてるページがたくさんありました、。不安だったでしょう。
私は、、何もしてあげられなかった、、、。
もうすぐ入院3ヶ月がくることで、、不安だらけの時書いたもの。
幸いにも、というか、姉はそんなに苦しむことなく、
意識が無くなって眠るように逝ってよかったです。
あちゃ~超めちゃめちゃ、私生活丸出し個人的ブログになってしまってる~。
業者さん達がまだ物を出してる中、兄達と一緒に最後の家を離れました、、。
さようなら~、おんぼろぼろ家ちゃん、。おんぼろでも消えるのは寂しいよ~!
隣のおばさんが、「ほんなら、もう、みんなとは会えんのん?寂しいなるが~
ずっと会わんかったら、うちゃあ、もう、妹さん(私のことをいつも妹さんと呼んでました。)の顔も忘れてしまうが~、そりゃ寂しいわ~、。」、、
素朴な言葉の中に、、、、じわ~~ん。ほんま、、そうじゃねぇ、、。
田舎の人は暖かいですね、、、。
物が無くなることも寂しいけど、、忘れることも寂しいですね。
帰りのバスの中から、、。因島大橋の入り口。
橋から、、、左側の景色。
白いのは大浜灯台。バスの窓が汚れてるので?、ぼやけてます。
遠くの山並みは本土です。「ほんと」に「ほんど」ですよ~
(だめだ~これゃ~~~、誰かレベルだははは~、、)
右側の景色。ここに写ってるのは、すべて因島です。右は大浜町。
八重子島が左側に見えてます。
八重子島が右側に見えてます。(潮が引いていってるとこです、、)
遠~くの小さい島は無人島の百貫島。
(百貫デブじゃないよ~、、あちゃ、これも、誰かレベルだった、、。だはは、)
大昔、マイおじさん(おばさんの夫)がここで燈台守をやってて、夏休みには
親戚がいっぱい遊び?泊まり?に行ってました。懐かし~~い思い出です。
「燈台守、、って、年がばれますよ~」
「あわわわ、わ 私は行ってませんよ。、も、もちろん、聞いた話しですよ」
最近、島にイノシシが出るようになったそうで、昔は、いなかったイノシシが何故?
ブヒー =333 =333
この橋を渡ってきたのではと言われてますが、
海の景色を眺めながら走ってきたのでしょうか?
単身で来てたら増えないでしょうけど夫婦で来てるのでしょうか?恋人猪通し?
そんなことは、、どうでも、いーのしし? ブヒー
新幹線の発車時刻まで約1時間あり、福山駅ビル内をうろうろ。
カープ赤ちゃん写真展をやってて、ブログネタに、 思わず。
さすが、広島じゃの~~。
やはり、思い出は重いです、。 まだトーンダウン状態です~
やはり、誰かのブログへ行って、バカ書いてると、明るくなれる?
試してがってん、、やってみるべっき~?
「、、、あの~、、、ダウンしてるように見えにくいのですけど、、、、」
「うそ~~~やだ~~~~、、、こういう時は、逃げよっと、、」
酢だこらさっさ~~ =3 こら~、墨吐くな~
今回もコメント欄 閉じておきます。次回はパカーッと開けま~す。
帰郷・前編・磯の匂い♪
一週間ぶりの更新で~す。故郷に帰って来ました。
(約1ヶ月ほど早いのですが、去年7月に亡くなった姉の一周忌法要のため)
ちょっと、また 記録用プライベートひとり言ブログになります。
まず、新幹線で、東京駅~~広島県の福山駅(3時間42分)
新幹線(他の乗り物もですが、)の窓から、景色を眺めるの好きなんです。
新幹線=帰省=思い出がいっぱい、その時々で景色の見方が違います。
楽しい時、悲しい時、、この景色も一緒に気持ちを共有しあってきました。
この時期(6月上旬)に新幹線に乗ったことがないため、、初めての発見!
緑の田んぼもいっぱいあったけど、、この茶色の畑が麦畑なんですね。
「あ、これがすずらんさんのブログで見た麦畑だ!珍しい!」と、、
広島県、福山駅到着! 去年の6月の帰郷の時もブログに載せましたが、
福山は「ばらの町」だそうです。
駅前の看板。(お昼だけど、「かんばんは~」)、、、 「100万本のばらの町」
バスの発車時刻まで、30分以上あるので「天満屋デパート」で時間つぶし、、。
町のいろんな所にバラを植えてます。
尾道水道。尾道大橋を渡ってるところ。 福山~~因島 約1時間
この後、因島大橋を渡って、、
この世で一番 ”暖かくて”、”懐かしくて”、”切ない” 郷里に到着。
しまなみ街道(尾道~今治)
因島大橋を渡った所で下車。(実家は島の南にあるのですが、墓の草取りのため大浜町で降りました。)
ここは母親の出身地。親戚がたくさん住んでます。
父親は本土出身なのですが、仕事が因島だったということもあり、
因島の人になって?しまいました。お墓は島の中でも、のどかな大浜町にあります。
私は何故か母の実家の祖母の家に、よく行ってて、
夏休みや冬休み、ホームステイ状態で、いとこ達と遊んでました。
祖母の部屋で一緒に寝てました。
夏は毎夕毎朝蚊帳の取り付け取り外しの手伝い、冬は湯たんぽの準備の手伝いをしてました。
「蚊帳とか、湯たんぽとか、、何時代ですかっ?」
「はっ、、いやいや、、レトロ好きな祖母だったなぁ~、、、、、、;;;」
ここで、ちょっと、祖母の話しをします。
私達の祖母は、人間だったのですが、名前は「クマ」でした。
私達はみんな「クマ婆さん」と呼んでいます。
94歳で亡くなりましたが、人に世話になったのは亡くなる前の1週間だけでした。
このクマ婆さんには、8人の子がいて、孫は総勢で36人います。
8人の子(おじさん、おばさん、+マイ母)は、全員亡くなってます。
孫36人の内、一番若いのが私なんですヨ。やった~いつまでも一番若い!
36人中、今7人亡くなってます。 姉が6番目でした。
クマ婆さんの話しで、、、
先日の法要の会食の時も、みんなで大笑いしてたのですが、
なんと、母親(クマ婆さん)と娘(おばさん)が同時期に妊娠してたそうです。
クマ婆さんは自分が身重なのに、娘の出産をいろいろ手伝ってたとか、、。
姉はよく、気持ち悪いと言ってましたが、、
これって、、気持ち悪いとか恥を超えて、もう、笑い話でしょ。
、、やっぱ、、 かな?
大浜の海岸から因島大橋を望む。干潮のため桟橋が下がってます。
橋ができる前は、この桟橋から船に乗って本土へ行ってました。
私の実家も最初はこの大浜町に住んでたのですが、
私が3歳頃に、引っ越して、大浜を去り、島の中を何度か引越しました。
姉や兄達はいっぱいこの土地に思い出(記憶)があるのだけど、
私は住んでた当時のことはさっぱり覚えてません。
しかし、私はクマ婆さんとこで夏休みを過ごし毎日この海で泳いでました。
泳ぐのが好きで行ってたのか、母親が自分が楽するために行かせたのか???
とにかく大浜はとても懐かしい場所なのです。
夕方の瀬戸の海。(島の東側なので夕陽は見えないです。)
あまりにも、懐かしくて、石段を降りて砂浜を歩いてみました。
昔の匂いが プワ~~~ン
磯の匂い!海苔の匂い!これこれ、、この匂い!
大昔がよみがえる~~~ 思い出がプレイバック~
のどかな大浜の海岸沿い! 夕方の風が心地よい
右上に因島大橋が見えてます。左の堤防のコンクリート塀は昔はありませんでした。橋ができた頃、海を埋め立て道路を広げて、この堤防ができました。
遠くに八重子島が見えてます。(後編には、またこの島の写真載せます。
お墓に、草取りに行った時の写真。
ここは、お寺の駐車場。アジサイがいっぱいキレイに咲いてたので
いろんな種類のアジサイ、すべてのアジサイに名札を立ててました。
丈を低くして、いろんなアジサイを植えてるのを見て、目からウロコがポロッ、、。
なにも、大きくするのがえらくないんですね~。お見それしました~~。
酸性、アルカリ性、、関係ないかのように、いろんな色が咲いてました。
お寺の境内のアジサイもきれいでした。(この写真には写ってませんが、、。)
お墓に行ったら、既に草取りされた後でした。従姉妹がきれいにしてくれたとのこと。
なんと優しい~~!嬉しい~。 ありがとうございました。
長くなりそうなので、今回はここでカットして、更新しま~す。
((((( ゴ~~ン)))))))))
たった4日間だったけど、生活のリズムが大違い、
めちゃ、スロ~~~なのに、、いろいろ忙しかったり、懐かしかったり、
又、いろんな思い出とか考えることとかがい~~っぱいあふれて、
、、元の生活に戻るのに時間かかりました、、。切り替えに弱いカモネギ~、、。
これから後編を作るために、、今回はコメント欄を閉じておきます。
みなさまのブログ、覗きに行かさせていただきますが、、、
コメントするのは少しの間だけお休みしますので、。 ちゃい。
~~~~ つ づ く ~~~~~
瀬戸内海!暑いでないかい!
今回、9年ぶりに「殺人的お盆帰省ラッシュ」を体験しての故郷帰り~
東京駅新幹線ホームにて
一応始発なので、一台見送って、待って座れました。
ガタンガタン ビュー
先月姉の葬儀に帰ったばかりだったので、(7月14日瀬戸の夕日)一ヶ月ぶりの帰郷でした。
暑さとラッシュとで想像通り大変でしたが、昔々の夏を思い出す、人生最後の故郷の夏を味わってきました。(もう真夏に帰ることはないでしょうから、、。)
こう暑くては、(まだ実感がしっかりわかないこともありますが、、、、)姉がいなくなったという悲しみの「センチメンタルジャーニー」というより、、、、、「セメントタイルじゃーね~」って感じでした。
「それって、なんじゃい。意味不明だすよ~。」
「、、、、ごめんね、ごめんね~」
墓参りから帰り途中
因島大橋と桟橋
<-八重子島
(橋から見た八重子島/2月撮影)
ーーーー=333 市役所へ移動ーーーー
市役所の二階から
(墓地がある場所とは全く別の場所です。)
ぼ~っと、ボートを追跡!
瀬戸内科医 瀬戸内海の海は、波がないんです。穏やか~、、えっ?私みたいだって??はい、、、そ、その通りなんですよ~~。イェイ~
日立造船
昔は大変好景気で、島も賑やかだったんです。今と昔大違いです。
対岸の島は愛媛県です。
(この愛媛県の島から、(フェリーで)いっぱい老人が因島の病院へ通ってます。朝、老人だらけのバスに乗ると、自分が若くなった気がしました、、、。)
本当はもっといい瀬戸内海の景色をしたかったんですけど、、なにしろ今回も大忙しで、毎日汗だくで働いておりました。
帰る前、最後に玄関の姉のドライフラワーを記念に
私が部屋の中にあったのをここに移動させたのですが、色のあせたドライフラワーはいっぱい捨てました。大判草とほおずき、スターチスは結構(色が)長持ちしますね。
エアコンもない家なので滝のような汗、(扇風機2台でも汗だく)
「もう~~~日本の夏は嫌いじゃ~~」
「へぇ~、外国の夏知ってるだすか??」
「、、、、し、し、知らないよ~~。知りた~~い~」
「ドテッ、、脱線しないで、サッサ、進みなさ~~い」
家に帰ってからも、いろいろ宅配便で送った荷物の片付けで、、汗だく!
昨日届いた物6パック
今回は合計11パック。7月、6月、2月もそれぞれ10パック以上持ち帰りました。
今回の大物は、
この大きな置物!絶対これは持って帰らないつもりでした。
姉が亡くなる約10日前、病室で、
姉「あの女の子二人の置物、毛布に包んで持って帰り~」
私「嫌じゃ~あんな重たい大きい物、持って帰れん、絶対持って帰らん、」
姉「重たいゆうても、小錦かかえる訳じゃないんじゃけぇ、、」
(何で、小錦が出てきたか??そう言われると軽く思えて、、)
毛布や薄い布団等でくるんでダンボールで覆って、宅配便で我が家へ、、。
これで姉も喜んでるかも???お姉さん見においで~~。
これも持ち帰りました。前の二つには何か花を入れるようになってます。
これも、後ろに電池がついてるけど、、。どこか外に置かなきゃ、、家の中が物だらけになる~。
生き延びたミニ花瓶達
やめようと思いながらも、ミニ花瓶も持ち帰りました。
これ以外の花瓶い~っぱいあったけど、、それ等はみなゴミ収積場行きになることでしょう。
行き場のない写真立て達
ほとんどが私が姉に贈った写真立て。兄達はシンプルなのをいっぱい持って帰ったのですが、、これ等は人気なく残ってしまい、私が持ち帰りました。我が家も飾る所ないし、、こういうの好きな人いたら、差し上げますのでお知らせ下さ~い。
なんだか、姉には置物、写真立て、写真を送り過ぎました、、。特に写真はすごい数(姉は写真大好きだったもので、)自分の写真がゴミ収積場へ行くのも嫌なので持って帰ったのですが、もう~びっくりする量でした!なにしろ、私の結婚後うん十年間、送り続けたからね、、。おおお~~っと、バケツを墓穴を掘るとこだった。うん十年じゃない、十うん年でした。計算ミスユニバース。
まだ片付けきれてない物を、、どこに収納しようか?消費していく物はよかったけど、、(食品や洗剤等、、。)
家に帰ってからも忙しさと疲れとで、花をゆっくり見る暇もなかったけど、少しずつ又復活できそうです。、え?もっと静かにしてろって?、
、、、、ー>ー>、、、、、
つくづく園芸は暇な時間、ゆったりした気持ちが無いとできないと確信しました。ブログもそうですね。
私の留守中、主人がちゃんと水遣りをしてくれたので、花達は元気でした。
主人も花が好きになったのか 私が怖いからか 両方か
今朝の物干しの上の朝顔
スカーレットオハラが咲き出してました。
窓てすりのサフィニアも元気です。
暑いから、すっきり、簡単に短めブログにしようと思ったのに、、
また長~~~くなってしもた。
長~~~~い目でみてちょうだいませ~。