リスペクト ジャパン
テーマ:ブログ
2011/11/05 19:23
ヨーロッパでは ギリシャの破たん問題で 連日 右往左往の大騒ぎだ。
グローバルな社会ですから 対岸の火事というわけには いかない。
世界史の定番文句である「ヨーロッパの火薬庫」といえば バルカン半島を指すものだったが これからの教科書には 「21世紀ではギリシャの事をいう」 と付け加わらないようお願いしたい。
われわれ日本人の持つギリシャのイメージは 決して 悪くないだろう。
オリンポス パルテノン神殿が 頭に浮かび そして 古代から 哲学を愛した思慮深き人々・・・・・
その思慮深き人々の子孫が いま 世界を怯えさせている。
哲学を愛しすぎ 経済学を バカにしていたわけでもあるまい。ギリシャという由緒正しき国のプライドは どこに行ったのか・・・・
さてさて それでは 日本人は どうか?
「日本人のプライド 日本の良いところは?」 という御題を 挙げられると 僕は いつも あるマンガを思い出す。
「美味しんぼ」だ。
いわずと知れた料理マンガだが この「美味しんぼ」では いままで 日本で あまり取りあげられなかった郷土料理などがよく登場する。食を通して 日本の文化を再考しようじゃないかというテーマが このマンガのバックボーンなので これだけの長寿マンガになっているのだろう。
この第57巻には 我が山武町が 登場する。
メインの食材は 「こんにゃく」だ。
こんにゃくというと マンナンライフで有名な群馬県が連想されるが この話の中では 千葉で良く食べられる「こんにゃくの刺身」が登場する。
あらすじ
主人公 山岡と同期の木沢は ニューヨーク支局勤めのせいもあり アメリカが気にいり 「日本は 欧米の真似ばかりで 住むに値しない国だ」と豪語する。
日本とアメリカのハーフである さちこと結婚し アメリカで暮らしたいと願う。
さちこは 日本人である父親が 絶賛していた「こんにゃくの刺身」をぜひ 食べたいというが 「こんにゃくなんて 日本でも 最低の食べ物だ」と思っている木沢は 食通である山岡から さちこに 「こんにゃくの刺身は うまくない」と言ってくれと頼む。
山岡は まず 普通のこんにゃくの刺身を食べさせ さちこがその味に失望した後に 山武町の「こんにゃくの刺身」を食べさせた。そのおいしさに さちこは 日本の事を 良く知らないで 失望するのは 間違いだと悟り 日本で暮らしていくことを決めた
ここでも作者は 山武の「こんにゃくの刺身」を使いながら 日本再発見 日本文化への尊敬を テーマにしている。
最初のギリシャの話と 少し離れてしまったかもしれないが 要は 我々も もっと 国を愛し 郷土の文化を愛さなければ 経済も文化も破たんさせてしまうことになるのではないかということである。
今 我が山武では 「こんにゃく」の収穫時期だ。
こんにゃくは 単年度では できない。数年をかけて 育てていく 大変手間のかかる野菜らしい。
時間と手間がかかるところは 今回のタイトル「リスペクト ジャパン」と 同じだな。
では 最後に 山武杉の林の前に広がるこんにゃく畑の写真を どうぞ ご鑑賞ください
グローバルな社会ですから 対岸の火事というわけには いかない。
世界史の定番文句である「ヨーロッパの火薬庫」といえば バルカン半島を指すものだったが これからの教科書には 「21世紀ではギリシャの事をいう」 と付け加わらないようお願いしたい。
われわれ日本人の持つギリシャのイメージは 決して 悪くないだろう。
オリンポス パルテノン神殿が 頭に浮かび そして 古代から 哲学を愛した思慮深き人々・・・・・
その思慮深き人々の子孫が いま 世界を怯えさせている。
哲学を愛しすぎ 経済学を バカにしていたわけでもあるまい。ギリシャという由緒正しき国のプライドは どこに行ったのか・・・・
さてさて それでは 日本人は どうか?
「日本人のプライド 日本の良いところは?」 という御題を 挙げられると 僕は いつも あるマンガを思い出す。
「美味しんぼ」だ。
いわずと知れた料理マンガだが この「美味しんぼ」では いままで 日本で あまり取りあげられなかった郷土料理などがよく登場する。食を通して 日本の文化を再考しようじゃないかというテーマが このマンガのバックボーンなので これだけの長寿マンガになっているのだろう。
この第57巻には 我が山武町が 登場する。
メインの食材は 「こんにゃく」だ。
こんにゃくというと マンナンライフで有名な群馬県が連想されるが この話の中では 千葉で良く食べられる「こんにゃくの刺身」が登場する。
あらすじ
主人公 山岡と同期の木沢は ニューヨーク支局勤めのせいもあり アメリカが気にいり 「日本は 欧米の真似ばかりで 住むに値しない国だ」と豪語する。
日本とアメリカのハーフである さちこと結婚し アメリカで暮らしたいと願う。
さちこは 日本人である父親が 絶賛していた「こんにゃくの刺身」をぜひ 食べたいというが 「こんにゃくなんて 日本でも 最低の食べ物だ」と思っている木沢は 食通である山岡から さちこに 「こんにゃくの刺身は うまくない」と言ってくれと頼む。
山岡は まず 普通のこんにゃくの刺身を食べさせ さちこがその味に失望した後に 山武町の「こんにゃくの刺身」を食べさせた。そのおいしさに さちこは 日本の事を 良く知らないで 失望するのは 間違いだと悟り 日本で暮らしていくことを決めた
ここでも作者は 山武の「こんにゃくの刺身」を使いながら 日本再発見 日本文化への尊敬を テーマにしている。
最初のギリシャの話と 少し離れてしまったかもしれないが 要は 我々も もっと 国を愛し 郷土の文化を愛さなければ 経済も文化も破たんさせてしまうことになるのではないかということである。
今 我が山武では 「こんにゃく」の収穫時期だ。
こんにゃくは 単年度では できない。数年をかけて 育てていく 大変手間のかかる野菜らしい。
時間と手間がかかるところは 今回のタイトル「リスペクト ジャパン」と 同じだな。
では 最後に 山武杉の林の前に広がるこんにゃく畑の写真を どうぞ ご鑑賞ください
朽ちたるは なお 及ばざるがごとし
テーマ:ブログ
2011/11/02 19:23
今日は 明日 引っ越し予定のお客様のところへ 朝早くから行き 明日の引っ越しが スムーズに進むように 重機で掘削をしてきました。昼ごはんも食べずに 夢中でやっていたので 肩が カチカチです。
明日は 天気がよさそうですね。暦も大安 引っ越し日和
さてさて ここ 最近 木製デッキの修繕が 増えてきています。そーいえば 去年も 秋になってから 多くなってきたなあ
自分でつくったデッキもあり 他の人がつくったデッキもあります。
腐ってしまったところをみると「うわー ひでぇー」と思いますが それでも みなさん デッキはもうこりごり と絶対言いません。
デッキは やはり 便利なものですから これが ない生活は もう考えられないようですね。
さて 木製の修繕といえば こんな物も 治しました。
玄関ポーチの手摺りです。なかなか 凝っているデザインですが いかんせん 使っている素材が 悪い。
こりゃ 外で使う木じゃないよ。この住宅地には 同じ手摺りが 何軒もありますが もう ほとんどの家が だめです。取ってしまった家もたくさんあります。全部を完璧に とまでは言いませんが もう少し 長持ちするもの使わないと 会社も長持ちしませんよ
お客さんは 手摺りを撤去してしまい 新しくアルミ製の手摺りを作ることも考えたのですが タイルに跡が残ってしまうことや 木部だけを作り直した方が (わが社の考えでは)安いということで アルミ手摺り案は なくなりました
このような木製手摺り しかも 溝加工などが多少されている製品を直す場合 誰に頼めばよいのか ちょっと迷いますよね。大工さん?造園屋さん?エクステリア屋さん?なんでも屋さん?
迷った時は 僕に頼んでください。 近くならば 行きますよ
明日は 天気がよさそうですね。暦も大安 引っ越し日和
さてさて ここ 最近 木製デッキの修繕が 増えてきています。そーいえば 去年も 秋になってから 多くなってきたなあ
自分でつくったデッキもあり 他の人がつくったデッキもあります。
腐ってしまったところをみると「うわー ひでぇー」と思いますが それでも みなさん デッキはもうこりごり と絶対言いません。
デッキは やはり 便利なものですから これが ない生活は もう考えられないようですね。
さて 木製の修繕といえば こんな物も 治しました。
玄関ポーチの手摺りです。なかなか 凝っているデザインですが いかんせん 使っている素材が 悪い。
こりゃ 外で使う木じゃないよ。この住宅地には 同じ手摺りが 何軒もありますが もう ほとんどの家が だめです。取ってしまった家もたくさんあります。全部を完璧に とまでは言いませんが もう少し 長持ちするもの使わないと 会社も長持ちしませんよ
お客さんは 手摺りを撤去してしまい 新しくアルミ製の手摺りを作ることも考えたのですが タイルに跡が残ってしまうことや 木部だけを作り直した方が (わが社の考えでは)安いということで アルミ手摺り案は なくなりました
このような木製手摺り しかも 溝加工などが多少されている製品を直す場合 誰に頼めばよいのか ちょっと迷いますよね。大工さん?造園屋さん?エクステリア屋さん?なんでも屋さん?
迷った時は 僕に頼んでください。 近くならば 行きますよ
みんなのゴミ集積所
テーマ:ブログ
2011/11/01 17:41
数年前 かの有名な「ビバリーヒルズ」に行った時の話。
「ヒバリーヒルズ」や「チバリーヒルズ」では ありませんから くれぐれもお間違いのないようお願いいたします。
ビバリーヒルズへは エクステリアの研究の為 行きました。
この視察研究によって 僕は エクステリアの考え方が ガラッと変わりました。
やっぱり いいものを見ることは 良いことですね。
世界でも有数のセレブの住む街ですから 全てが驚きなのですが 特に驚いたのは ビバリーヒルズの居住区には ゴミ集積所がないことでした。
アメリカといえば 大量消費社会ですから ゴミの量も半端ないだろうと思っていました。
これ自体は 間違いではなかったようなのですが では ゴミは どこにあるのでしょうか?
ゴミ集積所は 裏通りにあるのです。
ゴミを出し 集めるためだけに 通りがあるのです。街の景観を守るために・・・・・
わざわざ 車をまわし この裏通りも見ましたが いやはや 立派な道路です。
このあたりが ビバリーヒルズ=セレブと呼ばれる所以なのですね。
かたや 日本では こんなに贅沢なことは とてもできません。
したがって 日本でできるのは ゴミ集積所を きれいにすることですかね。
マンションや分譲地では 最初からきれいなゴミ集積所がつくられるようになってきましたが それ以外は なかなかできませんね。道路にポンが 多いですね。
これは ある地区の数軒分のゴミを集める集積所です。
住人の中の器用な人が 10数年前に 作ったものです。掃除当番もしっかりしていて 清潔です。
しかし 大きさが 小さく 入りきらない日もありました。
そこで 相談して新しく作ることになったのですが ここは 斜面 かつ 土地が 台形の為 作りづらい。
もう 作る人もいないので 当社が担当することになりました。
敷地をギリギリまで活用し かつ 台形対応なんて 既製品にあるわけないので オリジナルでつくることにしました。
「屋根は絶対必要!」とのことだったので 屋根勾配も考えつつ 作るのって 案外 大変なんですよ。
なんとか できあがったのが これです
このゴミ集積所をつくってから 数か月経ちますが その後も きれいに使ってくれています。
立派な物ではないですが 箱ものだけきれいで 中は 汚い集積所より よっぽど 作った甲斐があります。ビバリーヒルズとは 同列には 語れませんが 自分たちの住む場所をきれいに見せたいという想いは 一緒なんですね。結局のところ
「ゴミ集積所は 使う人達の意識次第」なんですね。
「ヒバリーヒルズ」や「チバリーヒルズ」では ありませんから くれぐれもお間違いのないようお願いいたします。
ビバリーヒルズへは エクステリアの研究の為 行きました。
この視察研究によって 僕は エクステリアの考え方が ガラッと変わりました。
やっぱり いいものを見ることは 良いことですね。
世界でも有数のセレブの住む街ですから 全てが驚きなのですが 特に驚いたのは ビバリーヒルズの居住区には ゴミ集積所がないことでした。
アメリカといえば 大量消費社会ですから ゴミの量も半端ないだろうと思っていました。
これ自体は 間違いではなかったようなのですが では ゴミは どこにあるのでしょうか?
ゴミ集積所は 裏通りにあるのです。
ゴミを出し 集めるためだけに 通りがあるのです。街の景観を守るために・・・・・
わざわざ 車をまわし この裏通りも見ましたが いやはや 立派な道路です。
このあたりが ビバリーヒルズ=セレブと呼ばれる所以なのですね。
かたや 日本では こんなに贅沢なことは とてもできません。
したがって 日本でできるのは ゴミ集積所を きれいにすることですかね。
マンションや分譲地では 最初からきれいなゴミ集積所がつくられるようになってきましたが それ以外は なかなかできませんね。道路にポンが 多いですね。
これは ある地区の数軒分のゴミを集める集積所です。
住人の中の器用な人が 10数年前に 作ったものです。掃除当番もしっかりしていて 清潔です。
しかし 大きさが 小さく 入りきらない日もありました。
そこで 相談して新しく作ることになったのですが ここは 斜面 かつ 土地が 台形の為 作りづらい。
もう 作る人もいないので 当社が担当することになりました。
敷地をギリギリまで活用し かつ 台形対応なんて 既製品にあるわけないので オリジナルでつくることにしました。
「屋根は絶対必要!」とのことだったので 屋根勾配も考えつつ 作るのって 案外 大変なんですよ。
なんとか できあがったのが これです
このゴミ集積所をつくってから 数か月経ちますが その後も きれいに使ってくれています。
立派な物ではないですが 箱ものだけきれいで 中は 汚い集積所より よっぽど 作った甲斐があります。ビバリーヒルズとは 同列には 語れませんが 自分たちの住む場所をきれいに見せたいという想いは 一緒なんですね。結局のところ
「ゴミ集積所は 使う人達の意識次第」なんですね。