国体に 出場しました! パート2
地元で開催される「オリエンテーリング」という種目に はがきで応募しただけで 国体出場選手になった我が家族。
結果は 散々でしたが 楽しい一日を過ごすことが できました。(昨日のブログ参照!)
千葉で 前回 行われた時のネーミングは 「若潮国体」
そして 今度は 「ゆめ半島 ちば国体」
もちろん 森田建作知事も はりきってます。
はりきっているのは 知事だけではありません
この国体のマスコット 「チーバくん」です。
千葉の県の形をモチーフにして 生まれた いわゆる ゆるキャラです。ちなみに 耳の先が 銚子です。鼻の先は 野田市になりますね。
ゆるキャラが登場すると 会場が やはり 盛り上がります。
こども達から 大人気
写真を撮ったり 抱きついたり なでたり パンチしたり キックしたり 中をのぞかれたり・・・・・
ゆるキャラの宿命です。
チーバくんは もう1年以上前から 国体のアピールの為に いろいろな行事を 回っていました
昨日は 比較的 涼しかったので 良かったですが 国体直前のこの夏 一体 どれだけ つらかっただろうと思うと 「暑い 暑い」と騒いでいた自分の事が 急に 恥ずかしくなってきてしまいます。
もう 足も ボロボロです。
大会終了まで もうちょっと がんばれ チーバくん
国体 出場しました!パート1
昨日 現在 千葉で 行われている「ゆめ半島 千葉国体」に 選手として 出場しました。
種目は 我が山武市を会場とする「オリエンテーリング」です。
もっとも これは 正式種目ではなく デモンストレーション競技として 行われました。
僕は 「ファミリー部門」の登録なので 家族と一緒に出場しました
オリエンテーリングは 山野の中に隠されたポイントを 地図やコンパスを見ながら 制限時間内に 数多く見つけてくるという競技です。このような競技の会場になるということは それだけ 我が山武市が自然豊かということです。
会場は 僕の家から 数百メートルのところ。子供のころから 知っている野山です。
「楽勝!」
と思っていましたが さすが オリエンテーリング協会のみなさんです。
「こんな秘境が 自分の家の近くにあったのかー」
と思うようなコース設定でした。
子供たちは スタートをしてからも 「なんで 山の中 走らなくちゃいけないのー」 と 未だに ゲームの内容が 分かっていない・・・・
おまけに 「ファミリー部門」なのに 子供3人も引き連れているのは 我が家だけ。
みんな ダッシュで 山の中に 入っていきました
こりゃ 勝てるわけ ないや・・・・・・
でも おかげさまで 腰の調子も 少しずつよくなってきたみたいで 無事 家族一同 怪我なく ゴールするることが できました。
27年ぶりに その辺の山の中を 歩けたし 「えーこんなところに 池が あったんだー」など 新しい発見もあり 楽しかったです。
ゲーム終了後 表彰式までの間 県内から集まった「よさこいソーラン」のチームが 大会を盛り上げてくれました
大会スタッフの方々も 競技の性質上 さびしい 山の中まで 入って 怪我やトラブルが起きないように監視してくれました。
お疲れさまでした。思い出になりました。
おっぺす
「おっぺす」とは 千葉の方言で 「押す・押し出す」の意味である。
僕らは これは 標準語だと 思っていたが 千葉弁 特に 浜言葉であることを 4~5年前に知った。
仕事柄 「そこの柱 おっぺしてよー そこの植木 もう少し 右におっぺせよー」と よく言っていたので 知らない人は 「」と 思ったことでしょう。
先日 腰の検査の為 MRI検査をやった。MRIは レントゲンやCTでは 撮れない角度で 人体の中を 見ることができる。
今回で MRIの検査機械の中に入るのは 4回目くらいだが 狭い筒状の機械の中に入るのは 結構 気味が悪い
MRIの検査写真を見ながら 先生の説明を受ける
「間違いなく 椎間板ヘルニアだな。ここが ほら この神経を おっぺしているでしょ。少し右側に傾いて おっぺしているから 君の足も 右側が しびれる訳だ。」
説明を しっかりと聞きながらも 「やっぱり 医者の先生も おっぺすって 多用するんだなー」 と 変なところが 気になって 仕方なかった。
僕も 負けじと 千葉弁で聞き返す
「先生 このおっぺしているヘルニアは 自然に ひっこむんですか?」
先生の説明あり・・・・・・・
「あーそれから あんた 子供のころから 腰痛かっただろ? 覚えてねーか。 あのねー ここに 「シュモール結節」というのが あるんだよ。シュモールって人が 発見したから そういうのだけれど・・・・・これが ある人は 若年期から 腰痛の人が多いんだよね。 簡単にいうと 今回のは 横におっぺされたヘルニアで シュモール結節は 縦におっぺされたヘルニアって感じかな。」
さらに 先生の説明あり・・・・・
「もう 痛みが それほどでなければ 安静じゃなく 動かすほうが いいよ。でも 動かすの意味を 間違えるなよ!リハビリ的に動かすのと 仕事で無理して動かすのは 全然 違うからな。
ほら これ よーく 見てけよ MRIで 輪切りになっていると よーくわかるだろ あんた 筋肉も結構あるけど 脂肪も 結構あるからな 俺の言っている意味わかるよな じゃあ がんばれよ」
その後 リハビリ室に案内された。
スタッフの人が ストレッチの方法を 教えてくれた
「はい 壁にむかって 手を ついて そのまま 下を 向かずに ゆっくり おっぺしてください」
思わず 笑ってしまった。
スイッチ 入ってしまいました(泣)
先週18日は 子供たちの運動会だった。
数年間 続いていた早朝からの場所取り合戦は 学校側の工夫により なくなり 天気も快晴 さわやかな風が 吹き 最高の運動会だ。
僕も 職人達と 朝の打合せが 終わると 休みを頂き 運動会見物をした。
グランドの涼しいところに シートを 敷き 子供たちの競技を見物する。
自分の子供が 1.3.5年生に いると 出場種目が とても多く さらに 少年剣道や獅子舞の子供たちも 応援すると ほとんど 目が 離せない 忙しい運動会だ。
声を出して 応援したり 写真を撮っていたりしながら お昼のお弁当を 楽しみに待っていた。
ただ それだけ だったのに・・・・・・・
「腰痛スイッチ on」
爆弾のスイッチが 入ってしまった。
「なんか やっちゃん 変な格好じゃねーか」
周囲は ほとんど 知り合い。みんなが 声をかけてくる
流れる冷や汗 あふれる 苦笑い・・・・・・
子供たちには 悪いが とても 固い地面に座っていることができず 運動会の途中で リタイアした。
今日の痛みは もう 針や整体では 治りそうにない と判断し 整形外科に すぐ 行く。
連休前ということもあり 混んでいる。待合室での時間が 途方もなく 長く感じる
「今日 これじゃー 帰れないだろ 間違いなく 椎間板ヘルニアだよ 」
即 硬膜外神経ブロック注射を やることになった。これは 神経根ブロック注射(以前 痛さのあまり 失神してしまったことがある)より 痛くはないのだが やはり 痛い注射だ。
脊髄の近くに麻酔を打つので 注射後 血圧を 2~3分置きに 計りながら 1時間程度 様子をみる。
お尻を 半分出しながら(もちろん バスタオルは かけてもらっているが) これからの予定について 考えを めぐらす。
「こんな腰になってしまったから あの現場どうしようかな・・・・ あの仕事もどうしようかな・・・・ 事務仕事で 座っていても 痛いしな・・・・・・」
注射は バッチリ効いた
治っているわけではなく ただ 痛みをだましているだけなのだが・・・・・
「薬が 切れてくると また 痛み出すかも?」ということで 痛みどめの座薬(お尻から入れる薬)を もらう。
座薬は 飲み薬より よく効く。すぐ効く。胃が荒れる心配も 少し少ない。
「おー これこそ THE 薬 」
なんて バカなダジャレを 言えるほど とりあえず 痛みは なくなった。
本日 午後より MRIを とり ヘルニアの正確な状況と 今後の治療方針を 考える。
元気のスイッチも onにしなくちゃ
背筋が ゾクッと・・・
昨日 僕が 担当している剣道の級審査の会場打合せの為 ある中学校に行ってきた。
今年は 千葉で 国体があるので どこの体育館も 予定が 入っており 「このまま どこの会場も押さえられないと やばいなー」と思っていたところだったので 今回 体育館を 借りることができ 感謝感激だ。
この中学校には 25年ぶりにいった。 僕の町は 山の方だが この中学校は 海の方にあり 距離も遠いし 山と海では 多少 言葉も違う為 同じ郡内なのに あまり 身近な感じは しない。
また 身近な感じが しない理由が もうひとつあった。
ぼくが中学生だった当時 この中学校は 郡内でも 荒れている方に入り(ちなみに ぼくらは スクールウオーズ世代ですから・・・) もちろん 剣道部も怖く 僕らは 郡大会で ここと当たってしまうと 試合をやる前から 戦意喪失してしまっていた。
だから いまだに この学校にくると その当時の事を思い出し 緊張する
教頭先生に 会場の体育館を案内してもらった。トイレの位置などを確認していると 思わず 声に出してしまった。
「あっ 体育館のトイレに ちゃんと ドアが ついてるー」
「おー そうなんですよ! 半年前に 私が 金具買ってきて 直したんですよ。」
25年経っても いまだに この学校の生徒は 怖いらしい・・・・
会議室に場所を移し 机や放送設備など 借りる備品の打合せをする
そして 体育館の使用許可願いの書類や 照明利用料などを減額あるいは免除してもらう為の書類の説明を受ける。
「 」
学校長に対する書類に 見知った名前が 書かれていた。
僕が 中学校の時に 社会を習った先生だった。そして 剣道部の顧問も していただいた先生だった。
この先生は とても 熱血漢だった。
熱血すぎたのか・・・・・・・・ 僕が入部した一年生の1学期が終わる頃には P先輩以外の先輩は 全員やめてしまった というくらい 熱い先生だった。
中学校くらいになると 少し生意気になり 先生のことを 友達との会話の中では 敬称をつけず あだ名や「○○」と呼び捨てにすることが 多いが 恐怖のあまり 友達との会話の中でも 「○○先生」と呼んでいた数少ない先生だ。
この先生に鍛えられたおかげで (剣道は 全くうまくならなかったが・・・) 社会は とても 得意になり 高校を卒業するまで 「社会だけなら」 東大生レベルだった。
もう 自分も 40歳近いのに いつ この会議室に その先生が 入ってくるかと思うと 背筋が ゾクッとした。
校長への許可願いの次は 町の教育委員会への書類だった。
「」
教育委員長の名前を見て すかさず 教頭先生に 聞いてしまった。
「この教育長って 昔 高校の体育の先生してませんでしたか?」
「そうですよ 習ってました?高校の先生から 教育長になる人って 少ないのですが 町長から請われて なったそうですよ。」
「やっぱり 同姓同名じゃなかったか」
運動部の生徒は 先輩と体育科の先生が 前から来るのが見えたら 道を譲り 直立不動で 「チワーっす」とあいさつせよ!
という古き良き時代を過ごした僕は やはり この名前を 見ただけで 背筋が ゾクッと きた。
やっぱり 他人に厳しい先生は 自分にも さらに厳しいのだろう
だから 偉くなるのだろう。
アラフォーになり いまだに 背筋を正してくれる先生が いるというのは 考えてみると 幸せなことだ。
ありがとうございます。
いろいろな思いを 抱えながら 打合せが 終わり 職員室に 残っている先生にあいさつした。
校長先生は いなかった。 ホッとしたと思ったら 先生の中に 同じ中学 高校の後輩だった奴がいた。
またまた 背筋が ゾクッときた
「なんて 身近な学校なんだ」