お手軽キャンプ2
お手軽キャンプの続きです。
キャンプで なにが 面倒かっていうと テントを畳むことですよね。
建てるときは 勢いで やるけれど しまうときは なんとなく 夜露で ぬれていて
「家にもどったら 干さなきゃな! だから 適当に畳んでおけば いいかっ!」
結局 次使う時まで そのままになってしまうことが 多いのですが・・・・
今回は それすら やらなくて 良いのです。とりあえず 中の掃除をして 忘れ物の確認をして
ハイ 終わり。
昨日も書いたように 今回のテーマは 「どこまでも お手軽に」です。
ですから この日の行動予定も あまり 考えません。お決まりのお手軽コースを 観光です。
福島 猪苗代と 言えば お決まりは
野口英世です。
「志を得ざれば 再び 此の地を 踏まず」 英世が 医者になる為 家を出る時 決意を柱に刻んだものだそうです。おおっ お決まりコースにも 感動が ありました。
そして またまた 定番の 裏磐梯 五色沼 です。
中学の修学旅行の時は くもりだったかな?今日は 晴天なので より青色が 良く見えます。
まさに 奇跡の色ですね
この五色沼「毘沙門沼」から ハイキングコース3.6キロを 歩き 檜原湖に 出ました。
車は 五色沼の駐車場に置いてあるので また ハイキングコースを戻るなんて 無謀なことはせず その駐車場まで バスに乗り 戻ります。
いまでは めずらしい ボンネットバスです。
ハンドルが パワステではないので 重そうです。運転手さん 腕に 血管浮いてました。
結論として 旅行は 天気が すべて ということが 改めて わかりました。
キャンプにいってきました
家族で キャンプにいってきました。
キャンプといっても テントや寝袋 飯盒 バーベキューコンロ 蚊取り線香まで 貸してくれる「お手軽キャンプ」です。ものぐさな僕ら家族には ぴったりです。
こんな感じで テントも すでに 建ててあります。
アウトドア好きな人には 「そんなんで 楽しいか~」って怒られそうですが 僕らは 充分 アウトドアっぽいと 満足しています。
同じ 田舎でも やっぱり 千葉と 違うなあ。
川の音が いいねえ。
ご飯を 飯盒で 作らなければなりません。
火が つかなかったので インチキして となりの人から 火のついたマキを もらいました。
(どこまでも お手軽が 今回のテーマですから・・・)
息子に うちわで 仰がせましたが 風下 風上を あまり 考えません。
その為 この調子です。となりの子も 同じです。 はあ~ 日本の未来は 大丈夫かなぁ
そんなでも とっても おいしく 炊けました。
寝袋で 寝るのは 16年ぶりくらいです。確か 上高地の川沿いだったかな あるいは 茨城のどっかの池だったかな いずれにしても 酒を飲まずに 寝袋で寝るのは 初めてです。
子供たちは マクラ持参です。(とっても アウトドアに不向きな家族です)
夏休みの宿題 「作文」編
いよいよ 夏休みが 少なくなってきた。
子供たちと ママ
とのバトルが 毎日のように 繰り返される
子供たちを見ていると スローペースな自分の姿を 見ているようで つらいが 子供たちが あまりにも ひどいので 僕も 爆発
やっと 長男が 作文の宿題に 手をつけた。
何を書くかと おもいきや 「獅子舞」について 書くという。
そーいえば 夏休みのはじめのころに そんなこともあったっけ
彼にとっては 獅子舞を 教わり始めて 初めての舞台だったので 日にちが 経ってはいるが 印象深いことだったのだろう。
この舞台は 他地区の神社の夏祭りに ゲスト出演ということで 実現した。
前にも 書いたように 僕も 子供のころから教わり 「天才少年???」と呼ばれていたが 結局 なかなか 出番がなく 18年も 経って やっと 正式な舞台を 踏んだのである。
どんな形でも 披露する舞台に 恵まれたことは 良いことである。
今回のことは 僕自身も ブログに残しておこう。
現在 我々の地区では 体育館などを 借りて 舞台を 作るが この地区では 神社の境内に このような舞台を 作っている。祭り本来の姿であり また 盛り上がりもある。
(舞台の柱は 僕の家より 太くて立派なもので できていました)
我々の芸は どちらかというと お笑い的要素が強いのですが この地区は 正式な「神楽」がメインです。厳粛な雰囲気の演目が続きます。
子供たちの初舞台です。
指の先まで ちゃんと 伸びていて なかなか いいじゃないですか。
「緊張したか?」と尋ねると 「ライトがまぶしくて お客の顔が 見えなかったから 全然平気」と なかなか 頼もしい答え。
きびしい師匠も 心配で 舞台の袖から 覗き込んでいます。しっかり 写っちゃってますよ
ちなみに 僕は幕の後ろで 笛を吹いています。
師匠達の舞です。やっぱり 迫力があります。兄弟で 30年以上やっていますので 息もぴったりです。本当の動物みたいです。
もっと 見たいなあ と 思いましたが もう 歳なので ひとつの演技で いっぱい いっぱいだそうです。
この地区でも 僕らの地区でも これらの芸の後継者が いません。
子供が やりたがらないのではなく 親が ブレーキになっている例が ほとんどです。
「受験で 急がしいから・・・」「次男坊で いずれ よそにいっちゃうから・・・」「途中でやめると かえって迷惑だから・・・」「子供が出ると 自分も行かなくちゃいけないから・・・」「おれも昔ちょっと教わったけれど ものにならなかったから 子供も だめだろう・・・」などなど
長男が 今回の事を どんな風に書いてくれるか ちょっと ドキドキです
師匠 おひさしぶり
8.9年前に デッキとガーデンルーム「エクシオール自然浴家族」を取り付けたお客様から デッキなどのメンテナンスの仕事を 頂いた。
このお客様のところには 体の不自由な方が居て 車イス(ストレッチャー)での出入りが しやすいように と 介護室に取り付けたエクシオールやデッキに いくつかの工夫を 凝らしている。
その工夫のほかに 建物(母屋)との納まりが とても悪く 取り付けに 苦労した。
僕には 「職人として」多くのことを学んだ師匠が 二人いるのだが この現場は その二人が 関わった数少ない現場の一つだったことを 思い出した。 二人は ともに 数年前に 亡くなった。
一人は 大工
一人は アルミ職人だった
二人の師匠が 同時に 仕事をすることは なかった。僕は それぞれの人にくっついて 一方で 店長として お客の意向を伝えたり 寸法の指示を出しながら 一方で 仕事の仕方を 教わった。
この日 僕は デッキの腐った部分を 取り除きながら
「ここの納まりは こうだっぺさあ。 わからねえ奴だなあ」
「コンピューターで 計算しているなら 原寸を ベニヤ板の裏でいいから 描けよ!絶対 その方がきれいに納まるから」
などなど その部分 部分で 言われたことが 蘇ってきてしまった。
壊れた部分を取り除かなくちゃいけないのに 思い出まで 取り除いてしまうような気がして 「この部分 苦労して師匠が取り付けたところだから 残しておきたいなあ」 なんて 思うのであった。
おかげさまで 今回のメンテナンスは うまくいった。
少なくとも また 同じ年月 使ってもらえるだろう。なぜなら 師匠と同じ技で あの部分も あの部分も 直しておいたから。
職人自身の思い出のつまった現場のメンテナンスは 職人本人にとっても もちろんお客様にとっても 絶対 お得だ
長く 永く 仕事を つづけなければ と 今日も 思う。
小学校 校庭芝生化計画
僕は 子供たちの小学校で 「おやじの会」というサークルに入っています。
奉仕作業をしたり 運動会などの行事の時 手伝ったり 釣り大会などのレクリエーションをやったりしています。
先日 「校庭を芝生にしたーい」という校長先生の熱ーい希望を叶えるため 集まりました。
芝生は サッカーの公式審判員でもある校長先生が どこかのサッカーグランドから 余ったものを タダで もらってきました。「サッカーの日本代表が 踏んだかも・・しれない」という あやしいものでしたが 僕の目から見ても なかなか良い芝生に見えました。
「おやじの会」には ガテン系が 多い
土木工事屋さんが 重機で掘削し 水道屋さんが 水まき用の配管をし 造園屋さんが 指示を出し あっという間に 用意してあった芝生が 敷き終わりました。
「あれ 」
「全然 足りないじゃん せーんせい」
校長 「なにしろ タダだからね」
「・・・・・」
「よし じゃあ ひろげちゃえ、 すぐ 芝生なんて 伸びるよ やっちゃえ やっちゃえ
」
えっ マジですか?そんなに広げてしまったら ぼくの予想では 芝生が 埋まるまで 3年くらい かかりそうなのですが・・・
校長 「おお りっぱ りっぱ よし 記念写真を 撮ろう 」
「秋の運動会の時は この場所は 今日頑張った人だけの特等席にしよう」
「おお いいね いいね ふかふかで サイコーだね」
いったい いつの 運動会でしょうか はあ~ あんたら 子供 そつぎょうしちゃうぜ・・・