たまには 施工例紹介!
たまには 施工現場の事を 書かないと 何屋さんだか わからなくなるぞ! と 友達に言われたので 僭越ながら ご紹介いたしましょう。
成田市内の新築の外構です。昨年末から プランを 練り始め 今年になってから 着工しました。
お客さんの要望を 大まかに まとめると
①車が2台 楽に入ること そして カーポートをつけてほしい
②門扉は 取付けたい
③自転車を 3台は収納したい
④カラーは 明るいものが良い でも 汚れやすい素材は だめ
それほど 特殊な要望はない・・・・・・と 思われる方も いらっしゃると思いますが これを 形にして 金額に評価して 承認を受けて 引っ越しの期限までに 仕上げるということは なかなか 大変なんですよ。
さて どうしたものか
担当させていただく以上 良い作品にしたい。それを お客様も期待しているから 当店に頼んでくれたのだ と プライドと責任感のテンションを ひとりで 勝手に高めていく
例によって 例のごとく
現場を ながめる
現場を見る
現場を診る
現場を観る
現場を視る
現場を看る
その結果 このような作品が できました。
成田 N邸 施工後1
成田 N邸 施工後 2
「2台の車が楽に」という要望に対しては 柱の位置が 自由になるカーポートを取りつけました。
大きいですね!でも 柱が ないので さっぱりしていて 気持ちいいじゃないですか
柱も 玄関ドアと同じ色(バロックチーク)に合せたアクセントを使用しました。下手に 門袖に小細工しているより
この方が 5年 10年経っても 飽きが こないと 思いますよ 僕は。
土留めにつかったアイボリーの化粧ブロックも 汚れ止めの特殊加工がされています。建物の外壁と色があって よかった。積みやすくて 好きになりそうだな このブロック
僕は お客さんに 「これだけは やりたいのです」といって OKをもらった点が あります。
それは この駐車場 兼 アプローチを 全部 化粧仕上げ つまり コンクリート以外の仕上げでやりたかったのです。
この家の格を あげるには ここに予算を配分するしかない と 思っていましたので 承認を頂けたときは 本当にうれしかったです。その分 他の予算の配分調整 大変でしたが・・・・
今回は インターロッキングを 全面に敷きました。今回 使用した商品は これです。
建物のベランダ部分に 似たようなパターンが 使われているので それとマッチングさせました。
この冬は 天候に悩まされましたが インターロッキングは 気温が低くても また 夜に雨が降りそうな時でも 施工可能ですし コンクリートのように 施工後の 養生期間が ないので 納期との関係でも この選択は とても 大当たりでした。
それと 自転車の件は どうしたか? というと このようにしました。
敷地の高低差は スロープで 解消し 自転車は 建物脇に収納することにしました。
生協の荷物も ここにおけて 安心ですね。
もうすぐ 暖かな春です。庭仕事 がんばってくださいね 植木と表札の追加注文を頂き ありがとうございました
ラジオデビュー
現場に行く途中 ラジオを聴いていると 本日 3月3日は 耳の日であると共に 「民放ラジオの日」だということだ。
DJが ラジオの中から 問いかける
「あなたのラジオデビューは いつですか?」
つまり 自ら 能動的に ラジオを聴きだしたのは いつですか?との質問。
いろいろな回答が ラジオ局に送られてくるし ゲストも いろいろな思い出話を 語っていた。
僕が 能動的に ラジオを聴きだした時期 いわゆる「ラジオデビュー」は 中学2年生だ。
ニッポン放送 「三宅裕司のヤングパラダイス」が はじめだ。
この中の人気お笑いコーナーに「恐怖のヤッチャン」というものがあり これが 当時の中学生の休み時間のネタになっていたからだ。
この「恐怖のヤッチャン」は その人気から ラジオの一つのコーナーなのに 単行本が出版され 映画化もされました。 僕も 当時 その単行本を わざわざ 隣り町の本屋まで 自転車に乗って買いにいき みんなで バカ笑いしていました。
もうひとつ 学生時代で 思い出深いラジオ番組は 「ラジオ 高校講座」 いわゆる 「ラ講」です。
眠くて まともに 聴くことができなかったので ラジオにタイマーをセットしておき カセットテープに録音していました。
高校までは 自転車で 12キロくらいでしたので それを ウオークマンで 聴きながら 通いました。
今は 何かと 勉強イコール「塾通い」や「予備校通い」になりがちですが 部活ばかりで 行く時間もなかったし そもそも ウチの周りには 大学受験の為の塾など なかったので 「ラジオ講座」は たぶん 役にたっていたと思います。
当時のラジオは 今ほど 音がクリヤーでなく しかも 千葉の杉に囲まれた家では なかなか 音を拾うことが むずかしかったです。 わかる人は わかると思うのですが アンテナを あちらこちらに 動かしてみたり あるいは 手で 触っていると (人間の体自体が アンテナになるのか)音が よくなったり アルミホイルをアンテナに巻いてみたりしました。
「真空管ラジオ」の時代ではないにせよ ラジオには いろいろ思い出があるので iPodで 育った若い奴が 徳永英明の「壊れかけのラジオ」を カラオケで 歌っていると なぜか ムカつく
うれしープレゼント3
このネタで ブログ書くのも もう3日目ですが・・・・・・。
冷たい雨が 降る中 千葉市まで お客さんとの打合せに行く。この雨の中 東京の街中で フルマラソンをやっている人がいるなんて これは もう「修行」に近いものがあるな。
消防団の車庫が あちらこちらで 開いている。
もしかして 九十九里浜に近いので チリ地震の津波に 警戒して 待機しているのかな。消防団の現役を一応は 退いたが 気になってしまう。
よこ道にそれてしまったが また 戻しましょう。
千葉市で お客さんとの打合せ。お茶をいただきながら 約2時間。
帰り際 奥さんが お皿に載っていたお菓子を ガバッと 全て とり 「車の中で 食べていって!」と 差し出した。
「いやー もう お昼ご飯の時間ですし・・・ 全部は 結構ですよ」
せんべいを 一枚だけ いただこうとしたら
「もう つつんじゃったから 全部 もってって!」
二度は 断れないので
「それでは 遠慮なく いただきます」と言って 頂いてきた。
「あれ? この言い方 誰かに 似てるなー?」
「」
「うちの嫁さんに 似てるや」
そういえば ウチの嫁と同じ町(千葉県旭市)の出身だったんだ!
この町に (あるいは この周辺) いくと いつも その日 皿に盛り付けてあるお菓子などは すべて 包んでお土産に 持たされる。
一度 出したものは 引っ込められない 性質なのか? 町の気風というか 慣習というのは 不思議なものだ。
「こんなにもらっても 食べきれないし また 明日も 工事に来るから・・・・」と遠慮しても
「明日は 明日だからさ」
とか
「じゃあ お子さんに あげてね」
とか
「日持ちするから すぐ食べなくても大丈夫!」
などなど
意固地になるほど お土産を 持たせるのだ。
これは 病気見舞いにいっても そうだ。
入院しているベットの脇には ビニール袋に入ったお菓子やジュースが いっぱい用意されており どちらが 見舞いされているのか わからないほど
そういえば 結納の時も 人が 乗れなくなるほど お土産がついてきた。 布団一式が 僕と両親分 計3組も お土産についていたっけ。(その他 古来より めでたい数字 七.五.三に ちなみ その数のお土産が ついてきた)
銚子の方は さらに すごいとの話も 聞いたことがある。
漁師の文化なのだろうか?
「食べられませんよー こんなにー」と 遠慮したくせに 結局 車の中で それなりに 食べてしまう僕は やっぱり やせられないのでしょうか
うれしープレゼント 2
昨日 ブログで太宰府からのプレゼントについて 書いた。
先日 工事を終了したお客様のプレゼントについても 書かねばなるまい。
僕は ありがたいことに 工事が終わると よくお客様から プレゼントをもらう。
一番 多いのは 「お酒」
いつも 赤い顔をしているわけではないのですが 「お酒」好きにみえるのでしょうか?
次は 「あまーいお菓子」
「甘いもの 特にチョコ」好きを 公言しているせいか めづらしいチョコを 良くいただく。
その他 腰痛の妙薬をいただいたり 勝浦産のカツオを まるごと一匹いただいたりすることもあります。
この前のお客さんからは 御集金させていただいた帰り際に さらに プレゼントをいただきました
コーヒーの詰め合わせですが 「自家焙煎」された こだわりのコーヒーです。
写真の撮り方が 悪いですが パッケージも かわいいです。
甘いもの好きの私ですが コーヒーは ブラックで 飲みます。
少し 大き目のマグカップで ゆっくり いただくつもりです。
ありがとうございました。また 近々 コーヒーの感想と共に お伺いします。
うれしー!プレゼント
僕あてに いつもと 雰囲気の違う宅急便が 届いた
「おっ 航空貨物? 福岡県太宰府から・・・・?」
太宰府天満宮のおひざもとのお店から 来ている
「あれ?受験シーズンだけど 学問の神である天神様に 何かお願いしてたっけ?」
開けてみる
「おっ 手紙が 入っている」
宛名をみる
「・・・・・・・・・ ああ あの人か!」
若い女の人らしい 少し丸みを帯びた字で お礼の言葉が 記されていた。
この女性とは 一度も 会ったことがない。
顔も 知らない
声も 聞いたことがない
でも 彼女の家のこと そして 家族のこと 今まで どんなことを不安に思っていて そして これから こんな生活をしてみたいということ みんな 知っています。
なぜって?
彼女は やりたい工事が あった。
その工事は 僕の得意分野の仕事。
でも 彼女の家は 福岡県太宰府。
僕は 工事にいくことは できない。たとえ 旅費などの経費を いただいて 作りに行くことはできても 後々のメンテナンスやフォローに たびたび いくことはできない。
したがって 工事や 設計は お断りした。
しかし メールで 何度も 何度も アドバイスを続けてきた。
きちんと 「このように進んでいます」との報告も 返してくれた。
だから 声もしらず 顔も知らないけれど 結構 知っているのです。
通常 ものぐさな僕は 明らかに お金にならない質問に対しては 正直 それなりの対応しかしていない。
メールというものが 流行って以来 全ての質問に対し 身分のわからない人に対し 必要以上に 付き合っていられないというのが 本音だ。
しかし 彼女の場合 情熱と礼儀正しさが 違った。
言葉使いが ただ 丁寧だ というのとは 違うのだ。
真剣さが 行間に 漂っていた。
メールのやりとりが しばらく 途切れた。自分も 忘れかけていたところに このようなお礼と自筆の手紙をいただいた。
太宰府の 有名なお菓子だ。早速 ごちそうになった。
天神様で 売っているだけあって ウメーわけだ。
ありがとうございました。お元気で