カリスマ
少し暗い話が 続いてしまい すみませんが 個人的に 重要なことが 立て続けにおきているので 日記代わりのブログに書いておきます。
小さい時から お世話になってきた近所の町医者「鈴木医院」の鈴木祥司先生が 亡くなられた。
96才の大往生だったので 葬儀では 先生の功績を讃える雰囲気も 強かった。
今では すっかり健康な僕ですが 小さい頃は 兄弟姉妹の中では 一番体が弱く 扁桃腺の治療や 半年近くも入院した腎盂炎 そして 風呂のマキ割りで 頭を切ってしまったとき等など 虫歯の治療以外は ほとんどを 診てもらった恩がある。60歳以上の人でも 小さいころから 面倒見てもらったという人が たくさんいた。
また 先生は 長年 当地区の日吉神社 氏子総代として 祭礼の取り仕切り 地元獅子舞保存会の保護に尽力して頂いた。
このように 地元の名士・カリスマであることを 皆が 認めていた。
皆が認めているカリスマなので 先生が 「白」といえば 黒が 「白」になっても 文句はでない。
いざこざの仲裁なども 先生の決定(落とし所)には 双方 従うしかなかった。
逆にいえば 先生が仲裁しなければならないほどの喧嘩を この狭い地区内で 起こしてはいけない という暗黙の了解が あるような気がしていた。
僕は 先生が 亡くなられたことを 聞かされた時 失礼ながら 「この地区が バラバラになってしまう」ような危惧感を 抱いた。
今後 この地区で 様々な問題が生じた場合 地区の伝統や 近隣状況 あるいは 先祖達の想いにまで遡っての大局的な判断を 誰が 下すか。
行政も無理だろう。法律家も無理だろう。政治家も無理だろう。
近年 近隣関係の希薄さという現実が どこでもあるが その希薄さを 生み出している原因の一つに このような「カリスマ」を認めない雰囲気が あるのかもしれない。
今回の地元の名士の逝去を 機会に 「コミュニティとカリスマ」の関係について 地区のみんなで考えなくてはならないかもしれない。
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