にわしゅう日和 ~震災って、もう16年前か・・・~
テーマ:庭衆代表の色々『昔話』
2011/01/17 22:08
こんばんは、代表です。
今日は新聞やテレビ・ラジオでも阪神大震災の話題で持ち切りですね。
もう16年も前になるのか・・・と・・・
この季節になると昔を思い出してしまいました・・・
私は当時“京都で瓦職人”をしていたのですが、震災が起きた朝はちょうど大阪の実家に帰っておりまして、朝から“どっかんどっかん”揺れに揺れて・・・飛び起きました。
余震が何度もあり、少し静まった後に外に出たら・・・
少し呆然と立ち竦みましたね・・・
実家の地域は兵庫県に比べれば全然被害の少ないエリアでしたが、近所の家の屋根瓦が落ちてたり、そこらじゅうの物が壊れていて、何だかいつもと違う世界を見たような変な気持ちになったのを記憶しています。
その後、家族も近所の人達も出て来て大騒ぎになってました。。。
私はちょうど瓦職人だったので、近所の家の屋根に登って落ちかけの瓦を落としたり、建材屋にブルーシートを買いに行き、数件の馴染みのご近所さん宅の屋根に張ったのを記憶しています。
その数ヶ月後、前に勤めていたエクステリア会社へ就職したのがこの世界に入ったキッカケです。
当時の関西では建築関係は全国から応援などでたくさんの人々が震災復興に従事していましたが、人不足でぜんぜん追いつかない状態でした、私は建築は工事監督をしていたので建築の事は少し理解してましたがエクステリアの事は右も左も判らない状態・・・
会社に入って辺りを見回すと、忙しさに逃げてしまった先輩社員が大量に退職しているような状態で、入社したての者ばかりが大勢揃い、残っていた先輩達は忙しすぎて何も教えてくれないような状態・・・
入って1週間で現場に放り出されてしまいました・・・
配属された兵庫県東部エリアの住宅:営業さんや設計さんにその都度聞きながら仕事を覚えて行きました、
外構現場の事は全て仲良くなった職人さんに教えてもらいました。
何度も身内の方を亡くされたり、ご不幸に会われた方々のお話を聞きながら、仮設住宅や被害の出たお宅で打合せをしていました。。。
そして、200件近い震災復興のお手伝いをさせて頂きました。。。
まだ人間的にも若かったので至らずの所はたくさん有ったとは思いますが、出合わせて頂いた方々には少しでも喜んで頂けていたのだと思っています。
よくは判らないですが“使命感のようなもの”が皆と私を支えていたのかも知れません、
当時は営業・設計・工事・インテリア・エクステリア全ての関連部署の人達が、真夜中のam2:00頃にでも会社に居て活気がありましたし、私や同僚達は連日の徹夜や朝日を見ながら帰宅していました・・・3時間ほどの仮眠をとってまた会社に向かうような生活をまる1年ほど経験し、短期間に恐ろしいほどの情報を吸収する事が出来ました。
よく運転中に眠くなり道路で止まって寝てしまってました・・・
(転職当初は母親が毎日朝帰りをするので、夜中に遊んでいると勘違いをしていた程です、半年ほど経過した時にやっと仕事で朝返りしてるのが理解してもらえたようでした)
やってもやっても終わらない仕事に眠くて辛かったのですが達成感がありました。
その後もその経験が悪かったのか?良かったのか?、そんな生活に慣れてしまいず~っと真夜中(平均am2:00)に帰宅するようになってしました。
(今もなんですが・・・少し早く帰れるようにはなってます)
家庭を返り見なかったので余りお薦めは出来ませんが、何よりも自分の仕事に誇りを持て、形を創り残す事が大好きでした。
(前の会社を退職するまでず~っとですから、14年もだ・・・)
だから、今の仕事でどれだけ辛い事や、しんどい事があったとしてもその当時に比べたら全然問題なく感じられてしまします、ただ人間は面白いもので、辛くて死にそうになってた時の事も良い思い出に変えてしまうんですね。。。
いっぱいいっぱい色んな事を忘れてしまいましたが、その当時からお世話になった方々とも会えばそんな苦労話で盛り上がる事が出来るし、とても良い経験を積んだんだと感じています。
いつ今住んで居る関東圏でも起きるか判らないので、記憶が薄れないように毎年ちゃんと思い出さないといけないなぁと感じています。
そして明後日は、うちの会社の2周年です。
明日も元気に頑張ります!!!
それでは、また。
≪これはお気に入りの写真≫
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今日は新聞やテレビ・ラジオでも阪神大震災の話題で持ち切りですね。
もう16年も前になるのか・・・と・・・
この季節になると昔を思い出してしまいました・・・
私は当時“京都で瓦職人”をしていたのですが、震災が起きた朝はちょうど大阪の実家に帰っておりまして、朝から“どっかんどっかん”揺れに揺れて・・・飛び起きました。
余震が何度もあり、少し静まった後に外に出たら・・・
少し呆然と立ち竦みましたね・・・
実家の地域は兵庫県に比べれば全然被害の少ないエリアでしたが、近所の家の屋根瓦が落ちてたり、そこらじゅうの物が壊れていて、何だかいつもと違う世界を見たような変な気持ちになったのを記憶しています。
その後、家族も近所の人達も出て来て大騒ぎになってました。。。
私はちょうど瓦職人だったので、近所の家の屋根に登って落ちかけの瓦を落としたり、建材屋にブルーシートを買いに行き、数件の馴染みのご近所さん宅の屋根に張ったのを記憶しています。
その数ヶ月後、前に勤めていたエクステリア会社へ就職したのがこの世界に入ったキッカケです。
当時の関西では建築関係は全国から応援などでたくさんの人々が震災復興に従事していましたが、人不足でぜんぜん追いつかない状態でした、私は建築は工事監督をしていたので建築の事は少し理解してましたがエクステリアの事は右も左も判らない状態・・・
会社に入って辺りを見回すと、忙しさに逃げてしまった先輩社員が大量に退職しているような状態で、入社したての者ばかりが大勢揃い、残っていた先輩達は忙しすぎて何も教えてくれないような状態・・・
入って1週間で現場に放り出されてしまいました・・・
配属された兵庫県東部エリアの住宅:営業さんや設計さんにその都度聞きながら仕事を覚えて行きました、
外構現場の事は全て仲良くなった職人さんに教えてもらいました。
何度も身内の方を亡くされたり、ご不幸に会われた方々のお話を聞きながら、仮設住宅や被害の出たお宅で打合せをしていました。。。
そして、200件近い震災復興のお手伝いをさせて頂きました。。。
まだ人間的にも若かったので至らずの所はたくさん有ったとは思いますが、出合わせて頂いた方々には少しでも喜んで頂けていたのだと思っています。
よくは判らないですが“使命感のようなもの”が皆と私を支えていたのかも知れません、
当時は営業・設計・工事・インテリア・エクステリア全ての関連部署の人達が、真夜中のam2:00頃にでも会社に居て活気がありましたし、私や同僚達は連日の徹夜や朝日を見ながら帰宅していました・・・3時間ほどの仮眠をとってまた会社に向かうような生活をまる1年ほど経験し、短期間に恐ろしいほどの情報を吸収する事が出来ました。
よく運転中に眠くなり道路で止まって寝てしまってました・・・
(転職当初は母親が毎日朝帰りをするので、夜中に遊んでいると勘違いをしていた程です、半年ほど経過した時にやっと仕事で朝返りしてるのが理解してもらえたようでした)
やってもやっても終わらない仕事に眠くて辛かったのですが達成感がありました。
その後もその経験が悪かったのか?良かったのか?、そんな生活に慣れてしまいず~っと真夜中(平均am2:00)に帰宅するようになってしました。
(今もなんですが・・・少し早く帰れるようにはなってます)
家庭を返り見なかったので余りお薦めは出来ませんが、何よりも自分の仕事に誇りを持て、形を創り残す事が大好きでした。
(前の会社を退職するまでず~っとですから、14年もだ・・・)
だから、今の仕事でどれだけ辛い事や、しんどい事があったとしてもその当時に比べたら全然問題なく感じられてしまします、ただ人間は面白いもので、辛くて死にそうになってた時の事も良い思い出に変えてしまうんですね。。。
いっぱいいっぱい色んな事を忘れてしまいましたが、その当時からお世話になった方々とも会えばそんな苦労話で盛り上がる事が出来るし、とても良い経験を積んだんだと感じています。
いつ今住んで居る関東圏でも起きるか判らないので、記憶が薄れないように毎年ちゃんと思い出さないといけないなぁと感じています。
そして明後日は、うちの会社の2周年です。
明日も元気に頑張ります!!!
それでは、また。
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