HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~宮城県亘理郡山元町の「復幸」のために
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/08/24 05:31
これが今回、武内さんが立ち上げ、わたしが賛同して参加することになった企てです。
詳細は彼女のホームページを参照されて下さい。
後ほどちゃんとしたリンクも貼りたいと思っています。
みどりのネットワーク
繰り返しになりますが、3月11日の東日本大震災以来、ほんとうに日本人のほとんどが、そして世界中のみなさんが、いま自分に何が出来るだろう、いま自分は何をすれば良いのだろうと、自問自答を重ねてきました。
それがさまざまな成果を生んで、被災された皆さんの救済と被災地の復旧(そして武内さんの言う「復幸」)を少しずつ進めていますが、しかしあまりに被害の規模が大きく範囲が広く、その自問自答はこの先何年もの間ずっと繰り返していかなければならないのだと思います。
(日本PTAは宮城県女川町の教育長さんの言葉として「復旧に3年。復興はそれからだ」というとても重い見通しを伝えています)
当然義援金を送ってそれだけで救済と復旧が実現出来るわけではなく、義援金自体がなかなか必要とされているところに届いていない現実もあり、これから最も必要とされるのはさまざまな分野での人的支援でしょう。結局それぞれの専門家が持てる力を発揮する中で善意の義援金も有効に活用されるのだと思います。
それでは、どこに自分は出掛けていこう?
むやみに出掛けて行ってもかえって迷惑を掛けるだけではないか?
そんな悶々とした悩みに明確な回答を与えてくれたのが武内さんでした。
わたしの悩みはまた、武内さんの悩みでもあったようでした。
ホームページの文中にもある通り、新潟中越と宮城栗駒地震の際、彼女は各方面からの支援を集め、花苗を自分のクルマに積み込んで、一軒一軒の仮設住宅を回りながらその花を手渡しで被災者のみなさんに配りました。
わたしも微力ながらお手伝いをしましたが、その彼女の思いが分かるだけに、今回のこの震災にその方法が通用しない事がよく分かります。あの時はなかなか大きな支援の手が届きにくい場所を選んで彼女は回ったようですが、今回の場合、それこそどこから手を付けていけばよいか途方に暮れるばかりです。
そんな中、彼女に支援を要請されたのが宮城県亘理郡山元町の山下中学校だったといいます。
震災の当初は温かい支援の手や同じ地区の方たち同士の助け合いが気持ちを支えてきたのでしょうが、真の意味の癒し、そして再生には何かをして貰うという受け身の姿勢ではなく、誰かのために何かをするという前向きな姿勢が必要なのだと思います。
これは阪神淡路の震災の時、被災した方たちがわれわれ災害復旧に携わる者に食事や飲物を振る舞ってくれた時に感じた事でした。そのようにして人は誇りと生活者としての自信を取り戻していくのでしょう。
今回のプロジェクトも、われわれが中学校の生徒さんに何かをしてあげるのではなく、何かをしてあげたいと願う生徒さんたちの、そのお手伝いをする事だとわたしは認識しています。
それが武内さんの一番望んでいたことであり、こうした絶妙のマッチングがこのプロジェクトを生み出しました。園芸療法を学び、植物による癒しを大切に考える武内さんにぴったりの仕事だと思います。
寄せ植えを作って被災地に配りたいと願う山下中学校の生徒さんたちの為に、資材を運び寄せ植えを指導し、それを各仮設住宅に配るお手伝いをするところからこのプロジェクトは始まります。寄せ植えの次には被災地の方たちと一緒に種を蒔き、球根を植え、そのための花壇や温室も作りたいと武内さんは熱く語ります。
最低でも半年、場合によっては数年越しのプロジェクトになるだろう、と。
すべて、山元町を起点として。
気持ちがどれほど被災地全体に及ぼうとも人間に出来ることには限りがあるし、力を分散させては生み出すものも小さくなります。だから、今はそこに力を結集する…
「すぺいん市場」の社長、村田さんもそこで大量のパエリアを被災地のみなさんに振る舞ってくれるそうです。(きっとこんな感じ)
ワイズティーネットワークの根本さんは美味しい自家製の紅茶(わたしも頂きました。花の香りのとても豊かなお茶でした)を現地で淹れて下さるそうです。
アロマエステサロンの山本さんはアロマによる癒しを現地の生徒さんたちに伝え、彼らがまた別の方たちにそれを施せるよう指導して下さるとのこと。
俳優の山口良一さんも現地の方たちに喜んでもらって自分もまた楽しみたいとおっしゃいます。
わたしは…
当面は肉体労働でしょうか?
9月第2週からの始動に向け、武内さんは昨日現地に向かったようです。
みなさまからの支援をお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
詳細は彼女のホームページを参照されて下さい。
後ほどちゃんとしたリンクも貼りたいと思っています。
みどりのネットワーク
繰り返しになりますが、3月11日の東日本大震災以来、ほんとうに日本人のほとんどが、そして世界中のみなさんが、いま自分に何が出来るだろう、いま自分は何をすれば良いのだろうと、自問自答を重ねてきました。
それがさまざまな成果を生んで、被災された皆さんの救済と被災地の復旧(そして武内さんの言う「復幸」)を少しずつ進めていますが、しかしあまりに被害の規模が大きく範囲が広く、その自問自答はこの先何年もの間ずっと繰り返していかなければならないのだと思います。
(日本PTAは宮城県女川町の教育長さんの言葉として「復旧に3年。復興はそれからだ」というとても重い見通しを伝えています)
当然義援金を送ってそれだけで救済と復旧が実現出来るわけではなく、義援金自体がなかなか必要とされているところに届いていない現実もあり、これから最も必要とされるのはさまざまな分野での人的支援でしょう。結局それぞれの専門家が持てる力を発揮する中で善意の義援金も有効に活用されるのだと思います。
それでは、どこに自分は出掛けていこう?
むやみに出掛けて行ってもかえって迷惑を掛けるだけではないか?
そんな悶々とした悩みに明確な回答を与えてくれたのが武内さんでした。
わたしの悩みはまた、武内さんの悩みでもあったようでした。
ホームページの文中にもある通り、新潟中越と宮城栗駒地震の際、彼女は各方面からの支援を集め、花苗を自分のクルマに積み込んで、一軒一軒の仮設住宅を回りながらその花を手渡しで被災者のみなさんに配りました。
わたしも微力ながらお手伝いをしましたが、その彼女の思いが分かるだけに、今回のこの震災にその方法が通用しない事がよく分かります。あの時はなかなか大きな支援の手が届きにくい場所を選んで彼女は回ったようですが、今回の場合、それこそどこから手を付けていけばよいか途方に暮れるばかりです。
そんな中、彼女に支援を要請されたのが宮城県亘理郡山元町の山下中学校だったといいます。
震災の当初は温かい支援の手や同じ地区の方たち同士の助け合いが気持ちを支えてきたのでしょうが、真の意味の癒し、そして再生には何かをして貰うという受け身の姿勢ではなく、誰かのために何かをするという前向きな姿勢が必要なのだと思います。
これは阪神淡路の震災の時、被災した方たちがわれわれ災害復旧に携わる者に食事や飲物を振る舞ってくれた時に感じた事でした。そのようにして人は誇りと生活者としての自信を取り戻していくのでしょう。
今回のプロジェクトも、われわれが中学校の生徒さんに何かをしてあげるのではなく、何かをしてあげたいと願う生徒さんたちの、そのお手伝いをする事だとわたしは認識しています。
それが武内さんの一番望んでいたことであり、こうした絶妙のマッチングがこのプロジェクトを生み出しました。園芸療法を学び、植物による癒しを大切に考える武内さんにぴったりの仕事だと思います。
寄せ植えを作って被災地に配りたいと願う山下中学校の生徒さんたちの為に、資材を運び寄せ植えを指導し、それを各仮設住宅に配るお手伝いをするところからこのプロジェクトは始まります。寄せ植えの次には被災地の方たちと一緒に種を蒔き、球根を植え、そのための花壇や温室も作りたいと武内さんは熱く語ります。
最低でも半年、場合によっては数年越しのプロジェクトになるだろう、と。
すべて、山元町を起点として。
気持ちがどれほど被災地全体に及ぼうとも人間に出来ることには限りがあるし、力を分散させては生み出すものも小さくなります。だから、今はそこに力を結集する…
「すぺいん市場」の社長、村田さんもそこで大量のパエリアを被災地のみなさんに振る舞ってくれるそうです。(きっとこんな感じ)
ワイズティーネットワークの根本さんは美味しい自家製の紅茶(わたしも頂きました。花の香りのとても豊かなお茶でした)を現地で淹れて下さるそうです。
アロマエステサロンの山本さんはアロマによる癒しを現地の生徒さんたちに伝え、彼らがまた別の方たちにそれを施せるよう指導して下さるとのこと。
俳優の山口良一さんも現地の方たちに喜んでもらって自分もまた楽しみたいとおっしゃいます。
わたしは…
当面は肉体労働でしょうか?
9月第2週からの始動に向け、武内さんは昨日現地に向かったようです。
みなさまからの支援をお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
白岡に武内比登美さんを訪問する
テーマ:ひと
2011/08/23 05:47
毎年、暮れになると、
「ムカイさ~ん、時間空いてない?」
武内さんから電話が掛かってきます。
年末のただでさえ急がしい時に、さらに忙しく飛び回る武内さんと時間調整をするのは至難の業で、結局いつも暮れも押し詰まった28日あたりから30日まで、どうかすると大みそかまで武内さんの現場で過ごすのが毎年恒例となりました。
彼女のホームグラウンドは鴻巣ですが、毎年年末になるとその鴻巣周辺から友人たちが秩父に泊まりに来てくれるので、その秩父にいる彼らの元にわたしが夜遅く鴻巣あたりから駆けつけるというのも、ここしばらく続く年末の恒例となっています。
さて、武内比登美さん。
わたしが鴻巣のNPO法人フラワーピースのご依頼でポケットパークのお仕事をした際、当時その理事をしていた武内さんを紹介して頂いたのが最初でした。
埼玉まごころ国体の年で、その時彼女は会場に展示するコバトンのモニュメントの製作に余念がありませんでしたから、2004年のことです。
わたしも別のフラワーボランティアグループでリーダーの一人として国体会場でフラワーカーペットやモニュメントの製作に当たっておりましたので、会場でもご一緒し、その後2006年の国際バスケットボール選手権会場近辺を飾る花のボランティアでも一緒になりました。
2007年にわたしがガーデンを手がけた「ザウスロンジャビティ熊谷」のオープニングイベントで寄せ植え教室をお願いしたのをきっかけに、それから今日に至るまで様々なガーデンの仕事をお手伝いさせて頂いてきた次第です。
その寄せ植え教室の時の写真ですが、こんな写真しか残っておらず、恐縮です。
「もぉ~ムカイさん! もっといい写真を使ってよぉ」
叱られるといけませんので、彼女のHPから拝借します。
様々なメディアに登場し、様々なイベントに駆り出され、鴻巣では立ち上げ当初からオープンガーデンの世話役をやり、イギリスに単身乗り込んで日本女性では初めてエデン・プロジェクトに参加しと、八面六臂の活躍の彼女はたぐいまれな行動力と発想力、そして何よりも男性顔負けの気っぷの良さと心意気の人です。
頼まれた仕事は断れず、頼まれなくても大切な仕事は率先して引き受け、個人邸の仕事でもついついサービスしてしまい、ビジネスよりもボランティアに時間を割くことか多くていつも会計士さんから、「どうしてこういつも利益率の低い仕事ばかりしてるのですか」と叱られ続けている、そんな人です。
その彼女からの昨年末の依頼は、白岡に新設する新しいオフィスの庭づくり。
今回は年末ギリギリまでやっても間に合わず、正月3日から仕事を始めるハメになったのですが、その「花の家 Garden Chmbre dhote~ガーデンシャンブルドット」を昨日は訪ねてきました。
わたしの担当はまずこのエントランスの石張り、ゲートの建て込み。
大谷石の平板の搬入。
木製フェンスとガスボンベの囲い。
そしてこの敷きレンガでした。
このレンガ水栓は、川越の「すぺいん亭」というパエリアの美味しいスペイン料理のお店のオーナーさんが、旧店舗の古いレンガを分けて下さるというので、二人で剥がしにいくところから始めたものです。
寒風吹きすさぶ中でハンマドリルを使って、結局それがわたしの五十肩の引き金になったという曰く付きの水栓です。
さて、この日の訪問の目的は、武内さんが先頃立ち上げた「HANA sakaso プロジェクト」の打ち合わせでした。
それについてはまた長くなりそうなので、次回です。
すっかり忘れていましたが、よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
「ムカイさ~ん、時間空いてない?」
武内さんから電話が掛かってきます。
年末のただでさえ急がしい時に、さらに忙しく飛び回る武内さんと時間調整をするのは至難の業で、結局いつも暮れも押し詰まった28日あたりから30日まで、どうかすると大みそかまで武内さんの現場で過ごすのが毎年恒例となりました。
彼女のホームグラウンドは鴻巣ですが、毎年年末になるとその鴻巣周辺から友人たちが秩父に泊まりに来てくれるので、その秩父にいる彼らの元にわたしが夜遅く鴻巣あたりから駆けつけるというのも、ここしばらく続く年末の恒例となっています。
さて、武内比登美さん。
わたしが鴻巣のNPO法人フラワーピースのご依頼でポケットパークのお仕事をした際、当時その理事をしていた武内さんを紹介して頂いたのが最初でした。
埼玉まごころ国体の年で、その時彼女は会場に展示するコバトンのモニュメントの製作に余念がありませんでしたから、2004年のことです。
わたしも別のフラワーボランティアグループでリーダーの一人として国体会場でフラワーカーペットやモニュメントの製作に当たっておりましたので、会場でもご一緒し、その後2006年の国際バスケットボール選手権会場近辺を飾る花のボランティアでも一緒になりました。
2007年にわたしがガーデンを手がけた「ザウスロンジャビティ熊谷」のオープニングイベントで寄せ植え教室をお願いしたのをきっかけに、それから今日に至るまで様々なガーデンの仕事をお手伝いさせて頂いてきた次第です。
その寄せ植え教室の時の写真ですが、こんな写真しか残っておらず、恐縮です。
「もぉ~ムカイさん! もっといい写真を使ってよぉ」
叱られるといけませんので、彼女のHPから拝借します。
様々なメディアに登場し、様々なイベントに駆り出され、鴻巣では立ち上げ当初からオープンガーデンの世話役をやり、イギリスに単身乗り込んで日本女性では初めてエデン・プロジェクトに参加しと、八面六臂の活躍の彼女はたぐいまれな行動力と発想力、そして何よりも男性顔負けの気っぷの良さと心意気の人です。
頼まれた仕事は断れず、頼まれなくても大切な仕事は率先して引き受け、個人邸の仕事でもついついサービスしてしまい、ビジネスよりもボランティアに時間を割くことか多くていつも会計士さんから、「どうしてこういつも利益率の低い仕事ばかりしてるのですか」と叱られ続けている、そんな人です。
その彼女からの昨年末の依頼は、白岡に新設する新しいオフィスの庭づくり。
今回は年末ギリギリまでやっても間に合わず、正月3日から仕事を始めるハメになったのですが、その「花の家 Garden Chmbre dhote~ガーデンシャンブルドット」を昨日は訪ねてきました。
わたしの担当はまずこのエントランスの石張り、ゲートの建て込み。
大谷石の平板の搬入。
木製フェンスとガスボンベの囲い。
そしてこの敷きレンガでした。
このレンガ水栓は、川越の「すぺいん亭」というパエリアの美味しいスペイン料理のお店のオーナーさんが、旧店舗の古いレンガを分けて下さるというので、二人で剥がしにいくところから始めたものです。
寒風吹きすさぶ中でハンマドリルを使って、結局それがわたしの五十肩の引き金になったという曰く付きの水栓です。
さて、この日の訪問の目的は、武内さんが先頃立ち上げた「HANA sakaso プロジェクト」の打ち合わせでした。
それについてはまた長くなりそうなので、次回です。
すっかり忘れていましたが、よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
パーマカルチャーのガーデン・デザイン
テーマ:本
2011/08/22 06:01
昨年、1冊の本と出会いました。
「パーマカルチャー菜園入門~自然のしくみをいかす家庭菜園」(監修:設楽清和、家の光協会発行)
初版発行が8月1日で、わたしが購入したのが4日でしたからそれこそ「飛びつくように」買い求めた様子がよく分かるというもの。
これもまた、待ちに待った本でした。
わたしが最初にパーマカルチャーに触れたのは今から17年前のこと。
ビル・モリソンらがその著作 “Introduction to Permaculture” でパーマカルチャーを広く伝えたのが1991年。
その2年後に日本語版が発行され、翌1994年に購入したわたしはそこで初めてその事を知って衝撃を受けたものでした。
これがその時に買った「パーマカルチャー~農的暮らしのデザイン」(ビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ著、田中恒夫/小祝慶子訳、農山漁村文化協会発行)です。
パーマカルチャーはパーマネント・アグリカルチャーの略から生まれた造語で「永続的で完全な農業、そして文化」を意味します。
その基本的な考え方は自然農法を経験し、小川町在住の金子美登さんらの循環式農業に惹かれてきたわたしにはすでに馴染みの深いものでしたが、それがしっかりとシステム化され様々な方法論を展開した本著はさらに「農業と暮らしをデザインする」というとても画期的なもので、ともすれば観念と手法ばかりが取り沙汰されてきた当時の自然農法に深い奥行きを与えてくれたのでした。
詳しくその内容に触れ始めるときりがなく、今日一日わたしは仕事を棒に振らなくてはなりませんので割愛!
興味のある方はぜひ、これらの書物に触れられるか、パーマカルチャーセンター・ジャパンのHPをご覧になって下さい。(特に設楽さんのブログは一読の価値有り!)
とにかく、細々とした理論よりもそこに掲載された絵や図面にわたしは心を奪われ、ワクワクと、ただワクワクと読みふけったのでした。
そこに登場する例えば Edge Effects -接縁効果という言葉があって、その後わたしは常にその事を意識しつつづけることになります。
森と里、浜辺など二つの異なった環境が接する境界では、それぞれの環境が持つ資源を共に利用出来るため、生命がとても豊かに育まれるのだといいます。
であればそのような空間を意識的に生み出せば良いというのが、パーマカルチャーによるひとつの空間デザインです。
平坦な土地に茂みを作り、土手を作り、丘を作り、せせらぎを作る。そのことで空間にメリハリが生まれてそれぞれ環境に適した植物や動物が暮らしていけるようになる…環境の多様性が生物の多様性を生んで、小さいながらも生物たちが互いに補完し合う生態系が誕生し、そのことが空間に安定性をもたらす…これはまさにガーデン・デザインの基本ですものね。
アブラムシが大量に発生してそれが困るなら、あえてアブラムシが好む植物(カラスノエンドウとかヨモギとか)を植えておいて、というか生えるに任せておいてそちらに集めてしまったり、そのことで天敵のテントウムシたちをおびき寄せて作物を守るというような大胆な手法も興味深いものでした。
また、「わら一本の革命」の福岡正信さんの無除草不耕起農法に対する深い理解と理論的なバックアップも心強くありましたし、当時はまだようやく紹介され始めたばかりのハーブ類がたくさん登場するのも魅力的でした。
その他、家畜や生垣や池や温室等のひとつのものに幾つかの役割を与えていく多機能性、その役割を補い合うバックアップの考え、自然エネルギーの利用と循環系の構築、何一つ無駄にせず全てを自然のサイクルの中で廻していく理論と手法など、どれもが古くて新しい、馴染みがあるけど再発見と言った内容です。
当時、住宅メーカーによる大量生産的な外構工事の仕事に日々身をすり減らしつつあったわたしにとって、それを未来の希望として受け取るゆとりは残念ながらあまり無く、理想からあまりに隔たった現実をさらに突きつけられるばかりでしたが、思えばインドで出会ったガンディー・アシュラムに見た自分の夢の農園、つまるところ自分にとってのガーデンの原風景に至る最も近い道のりを記した地図が、そこにはあったのだと思います。
そのようにこの本を携えながら、わたしはずいぶんと遠回りをしてきました。
ただ、欲を言えばこの書物がビル・モリソンさんというオーストラリアをホームグラウンドにした方の手によるものであったため、その規模があまりに大きく、なかなか日本の現実や自分の身の回りに置き換えるには、かなりの想像力と応用力を要したという難点がありました。
その点で今回発刊された「パーマカルチャー菜園入門」は日本の現状に照らしたうえでなおかつ、その名の通り規模を家庭菜園にまで一気に縮めた点が画期的でした。
例えば前掲の郊外型住宅のデザインもこんな感じになります。
思えばわたしが試行錯誤してきたその歴史を、また別の方たちが同じように、けれどより賢く過ごしてこられたという事なのでしょうね。
ありがたいことです。
そして、ここに昨年夏にお会いした若いご夫婦がありまして、それは新居の設計段階からガーデンの相談をしていただくというとても貴重な出会いでした。
奥様がアカシアを種から育てられている点からして分かるとおり、とてもナチュラルなガーデンを望んでおられ、気持ちの疎通もとてもスムースでわたしが紹介したパーマカルチャーをとても気に入って頂けたようでした。
当初予定していた唯一コンクリートを使用したガレージすらついに中止されることとなり、どうも80坪を越える土地が土と水と、天然の石と木と、わずかなレンガだけで構成されるガーデンに生まれ変わりそうです。
ここに至ってわたしは技術指導と空間構成のプロデュース、そして肉体労働以外の役割を失い、ビジネスとしてのおつき合いはほとんど断念するよりなくなりました。
うん、それはそれで得難い出会いであったと思います。
この先はどうやら個人的興味によるわたし自身のパーマカルチャー体験と勉強の場とさせて頂くことになりそうですが、それはそれでありがたいことだと思っています。
どんなガーデンが出来上がるか…今からとても楽しみです。
「パーマカルチャー菜園入門~自然のしくみをいかす家庭菜園」(監修:設楽清和、家の光協会発行)
初版発行が8月1日で、わたしが購入したのが4日でしたからそれこそ「飛びつくように」買い求めた様子がよく分かるというもの。
これもまた、待ちに待った本でした。
わたしが最初にパーマカルチャーに触れたのは今から17年前のこと。
ビル・モリソンらがその著作 “Introduction to Permaculture” でパーマカルチャーを広く伝えたのが1991年。
その2年後に日本語版が発行され、翌1994年に購入したわたしはそこで初めてその事を知って衝撃を受けたものでした。
これがその時に買った「パーマカルチャー~農的暮らしのデザイン」(ビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ著、田中恒夫/小祝慶子訳、農山漁村文化協会発行)です。
パーマカルチャーはパーマネント・アグリカルチャーの略から生まれた造語で「永続的で完全な農業、そして文化」を意味します。
その基本的な考え方は自然農法を経験し、小川町在住の金子美登さんらの循環式農業に惹かれてきたわたしにはすでに馴染みの深いものでしたが、それがしっかりとシステム化され様々な方法論を展開した本著はさらに「農業と暮らしをデザインする」というとても画期的なもので、ともすれば観念と手法ばかりが取り沙汰されてきた当時の自然農法に深い奥行きを与えてくれたのでした。
詳しくその内容に触れ始めるときりがなく、今日一日わたしは仕事を棒に振らなくてはなりませんので割愛!
興味のある方はぜひ、これらの書物に触れられるか、パーマカルチャーセンター・ジャパンのHPをご覧になって下さい。(特に設楽さんのブログは一読の価値有り!)
とにかく、細々とした理論よりもそこに掲載された絵や図面にわたしは心を奪われ、ワクワクと、ただワクワクと読みふけったのでした。
そこに登場する例えば Edge Effects -接縁効果という言葉があって、その後わたしは常にその事を意識しつつづけることになります。
森と里、浜辺など二つの異なった環境が接する境界では、それぞれの環境が持つ資源を共に利用出来るため、生命がとても豊かに育まれるのだといいます。
であればそのような空間を意識的に生み出せば良いというのが、パーマカルチャーによるひとつの空間デザインです。
平坦な土地に茂みを作り、土手を作り、丘を作り、せせらぎを作る。そのことで空間にメリハリが生まれてそれぞれ環境に適した植物や動物が暮らしていけるようになる…環境の多様性が生物の多様性を生んで、小さいながらも生物たちが互いに補完し合う生態系が誕生し、そのことが空間に安定性をもたらす…これはまさにガーデン・デザインの基本ですものね。
アブラムシが大量に発生してそれが困るなら、あえてアブラムシが好む植物(カラスノエンドウとかヨモギとか)を植えておいて、というか生えるに任せておいてそちらに集めてしまったり、そのことで天敵のテントウムシたちをおびき寄せて作物を守るというような大胆な手法も興味深いものでした。
また、「わら一本の革命」の福岡正信さんの無除草不耕起農法に対する深い理解と理論的なバックアップも心強くありましたし、当時はまだようやく紹介され始めたばかりのハーブ類がたくさん登場するのも魅力的でした。
その他、家畜や生垣や池や温室等のひとつのものに幾つかの役割を与えていく多機能性、その役割を補い合うバックアップの考え、自然エネルギーの利用と循環系の構築、何一つ無駄にせず全てを自然のサイクルの中で廻していく理論と手法など、どれもが古くて新しい、馴染みがあるけど再発見と言った内容です。
当時、住宅メーカーによる大量生産的な外構工事の仕事に日々身をすり減らしつつあったわたしにとって、それを未来の希望として受け取るゆとりは残念ながらあまり無く、理想からあまりに隔たった現実をさらに突きつけられるばかりでしたが、思えばインドで出会ったガンディー・アシュラムに見た自分の夢の農園、つまるところ自分にとってのガーデンの原風景に至る最も近い道のりを記した地図が、そこにはあったのだと思います。
そのようにこの本を携えながら、わたしはずいぶんと遠回りをしてきました。
ただ、欲を言えばこの書物がビル・モリソンさんというオーストラリアをホームグラウンドにした方の手によるものであったため、その規模があまりに大きく、なかなか日本の現実や自分の身の回りに置き換えるには、かなりの想像力と応用力を要したという難点がありました。
その点で今回発刊された「パーマカルチャー菜園入門」は日本の現状に照らしたうえでなおかつ、その名の通り規模を家庭菜園にまで一気に縮めた点が画期的でした。
例えば前掲の郊外型住宅のデザインもこんな感じになります。
思えばわたしが試行錯誤してきたその歴史を、また別の方たちが同じように、けれどより賢く過ごしてこられたという事なのでしょうね。
ありがたいことです。
そして、ここに昨年夏にお会いした若いご夫婦がありまして、それは新居の設計段階からガーデンの相談をしていただくというとても貴重な出会いでした。
奥様がアカシアを種から育てられている点からして分かるとおり、とてもナチュラルなガーデンを望んでおられ、気持ちの疎通もとてもスムースでわたしが紹介したパーマカルチャーをとても気に入って頂けたようでした。
当初予定していた唯一コンクリートを使用したガレージすらついに中止されることとなり、どうも80坪を越える土地が土と水と、天然の石と木と、わずかなレンガだけで構成されるガーデンに生まれ変わりそうです。
ここに至ってわたしは技術指導と空間構成のプロデュース、そして肉体労働以外の役割を失い、ビジネスとしてのおつき合いはほとんど断念するよりなくなりました。
うん、それはそれで得難い出会いであったと思います。
この先はどうやら個人的興味によるわたし自身のパーマカルチャー体験と勉強の場とさせて頂くことになりそうですが、それはそれでありがたいことだと思っています。
どんなガーデンが出来上がるか…今からとても楽しみです。