HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~撤収、そして次なる活動に向けて
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/09/13 06:21
宮城県亘理郡山元町7日目、最終日の朝。
快晴です。
朝からとても暑くなって、昨日のイベント当日がこんな天気でなくてよかったと思いました。
会場はパエリア始め、火を使って調理するものが多かったですし、われわれの花のお届けもあのペースで動き回っていたらまず人間が保たなかったでしょう。花たちも絶えず水やりをしなくてはいけなかった筈。
時間も取られてさらに配り終える時間が遅くなり、留守宅に置かせてもらった鉢の心配までしなくてはなりませんでした。
本当に1週間過ごした山元町で唯一の曇り空が11日になったことを感謝しました。
これは各地で開催された震災から半年の鎮魂イベントに参加された方たちにとっても、何よりのことだったと思います。
通いなれた山下中学校に到着すると、いつの間にか正面玄関に植えた植物の花が咲いていました。
ハギ、そしてフジバカマ、シュウメイギク…トラノオも。
暑いながらも、季節はすでに秋を迎えているのですね。
山下花いっぱいボランティアの面々も駆け付けてくれて、撤収作業です。
みなさんには本当に最初から最後までお世話になりっぱなしでした。
今回使ったのとは別の種類の鉢が残っていたので、花苗の一部とともに持って行っていただきました。
それらもまた、彼らによって山元町を彩ってくれるはずです。
この方たち自身が被災者でもあるのに、これまですべて自前で種から花を育て、バザーで得た収入を土やプランターの購入に充て、そのようにして震災の町を花で埋め尽くそうと努力なさっている姿にはただただ脱帽するしかありません。
いい活動をさせてもらった、ありがとうと、お礼の言葉はそっくりそのままこのみなさんにお返ししなくてはなりません。
彼らの支えなしでは、われわれの活動はここまでスムースにいかなかったでしょう。
本当に何度感謝してもし足りることはありません。
そして、地元の男性スタッフのみなさん。
この週末がそうであったように休暇はすべて返上して、その代り平日休むという訳にもいかず、震災からこのかた駆け通しのみなさんです。ひょうひょうとして疲れた表情を見せずに細部まで気を配って下さり、この日もそこまでしてもらっては申し訳ないと(それは逆です)、率先して掃除に、資材の積み込みに汗を流してくださいました。
本当にみなさんこそお身体を大切になさってください。
数が中途半端になってわずかに残った花鉢たちは最後に役場と中学校にプレゼントして、
スタッフのみなさんやボランティアのみなさん、そして学校の先生方にお別れと再会のお約束をし、1週間通い続けた山下中学校を後にしました。
昨日最後に回った仮設住宅を訪ねて武内さんと次回の配布先の確認をし、ここで解散となりました。
何度も何度も花苗を満載にして走り回った麻生原の風景。
この素朴で何度見ても見飽きることのない景色を、大切に守っていければ良いですね。
さて、武内さんと分かれたわたしは今回数の関係で配布できなかった坂元地区のふたつの仮設住宅を訪ねて、その位置を確認し、その足で初めて国道の海岸側を訪ねました。
子供たちが祭りを復活させ新しい町づくりを始めたいという、そのために塩害で茶枯れたり雑草に覆われた土地に花を咲かせてほしいと頼まれた坂元地区の現状を、まずは目に焼き付けておきたいと思いました。
町の西側のアップルラインに対して東側海岸線を走るストロベリーライン…
その現状がこれでした。
道路は至る所で陥没したり寸断されたりしていますが、災害復旧の為にクルマがかろうじて通行できるようにされています。壊れた橋や学校も見ることができましたが、それはまたこの報告の趣旨ではないので、あまりに悲惨な写真のアップはいたしません。
言えることは本当に被害の大きかった地区ほどすでに瓦礫の撤去も終わって、ただ茫漠と草むらが続くばかりなのですね。よく見れば道や建物のあった痕跡を見つけられても、一見すればそれは草原にしか見えない…災害から半年で雑草たちはすでに新しいテリトリーを作り上げてしまっているのでした。
ここがいずれ、われわれの活動の場所になるのだと思うと慄然とした気持ちを抑えることができなくなりました。
おそらく、この場所に立った多くの方たちが、同じ思いに打ちのめされ、それでも力強く歩き始めたことなのでしょう。
道路の傍らに残った1本の樹です。
下枝のほとんどが津波で枯れてしまっていても、上のほうにはまだ緑を残して力強く立っています。
なんだかまさにこの土地に残った人々の姿をそこに見たような気がしました。
ストロベリーラインを北へ。
山下地区に戻ると被災地の様子は一変します。
比較的被害が小さかったというこちらは、つまり建物が瓦礫とならず、半壊状態の建物として壊すに壊せない生殺しの状態が続いていました。
延々とつづくそうした住宅を見ると、不思議なことに被害の大きかった坂元地区よりさらに大きな悲壮感があり、痛々しい現実を突き付けられます。
しかし、この町もまた復活させなくてはならない。
この景色を先に見ていたら、わたしの花のお届けはまた違っていたものになっていたことでしょう。
あの仮設住宅で出会った一人一人の方がこうした現実を抱えていらっしゃって、一人一人の背景にこの景色があることを実感してしまったら、わたしははたしてあの笑顔を持続させることができたのでしょうか?
仮設住宅のみなさんの笑顔はすでにそうした時間を越えた力強いものだったのだと、改めて思い知りました。
もちろん、役場のみなさん、学校の先生方、あの明るく元気な子供たちや花ボランティアのみなさん…
その多くがまたこの現実を直視してこられたのですね。
ここにもまた潮で茶色く枯れた田畑が広がっていて、その先の国道へとつながっていました。
最後に山元町を見下ろす四方山の展望台に登りました。
ここから見下ろすと被害の状況がよく分かります。
ここに押し寄せた巨大な津波の映像を被せると、人の営みの小ささ脆さを感じないではいられませんが、でもわたしはすでにこの町の至る所で力強く復興に立ち上がった大勢の人たちを、その名前から表情まで知っています。
不思議ですね。
そういう思いでこの景色を眺めるとこの津波と地震でボロボロにされた町が何とも言えず生きる力に満ち溢れているように感じてきます。
そして数年後にはこの景色が一変していて、住宅の数も、緑の量も、いっぱいに増えている情景が信じられるのでした。
最後に…走りながら食べるパンを買おうと立ち寄った隣町のコンビニの近くに、素敵なガーデンを見つけました。
秋色に上手にまとめられたコテージガーデンといった趣きですね。
山ひとつ隔てた海沿いの町にも、どうかこうした景色がいっぱい生まれますように!
さらにわたしたちも力を尽くしたいと思います。
いけない。
ひとつ忘れ物です。
昨日、帰路について東北道を走行中のわたしの携帯に、武内さんからメールが届きました。
花鉢をお届けしたお宅のうち、ご不在だった方からお礼のメールをいただいたので、ぜひみんなにも届けたい、と。
戸口に立派な鉢に綺麗なお花。
どうもありがとうございました。
地震前まで野良仕事に励んでいたのに
今はねてばっかりのばあちゃんもよろこんでいます。
笑顔が、またひとつ生まれました。
活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
快晴です。
朝からとても暑くなって、昨日のイベント当日がこんな天気でなくてよかったと思いました。
会場はパエリア始め、火を使って調理するものが多かったですし、われわれの花のお届けもあのペースで動き回っていたらまず人間が保たなかったでしょう。花たちも絶えず水やりをしなくてはいけなかった筈。
時間も取られてさらに配り終える時間が遅くなり、留守宅に置かせてもらった鉢の心配までしなくてはなりませんでした。
本当に1週間過ごした山元町で唯一の曇り空が11日になったことを感謝しました。
これは各地で開催された震災から半年の鎮魂イベントに参加された方たちにとっても、何よりのことだったと思います。
通いなれた山下中学校に到着すると、いつの間にか正面玄関に植えた植物の花が咲いていました。
ハギ、そしてフジバカマ、シュウメイギク…トラノオも。
暑いながらも、季節はすでに秋を迎えているのですね。
山下花いっぱいボランティアの面々も駆け付けてくれて、撤収作業です。
みなさんには本当に最初から最後までお世話になりっぱなしでした。
今回使ったのとは別の種類の鉢が残っていたので、花苗の一部とともに持って行っていただきました。
それらもまた、彼らによって山元町を彩ってくれるはずです。
この方たち自身が被災者でもあるのに、これまですべて自前で種から花を育て、バザーで得た収入を土やプランターの購入に充て、そのようにして震災の町を花で埋め尽くそうと努力なさっている姿にはただただ脱帽するしかありません。
いい活動をさせてもらった、ありがとうと、お礼の言葉はそっくりそのままこのみなさんにお返ししなくてはなりません。
彼らの支えなしでは、われわれの活動はここまでスムースにいかなかったでしょう。
本当に何度感謝してもし足りることはありません。
そして、地元の男性スタッフのみなさん。
この週末がそうであったように休暇はすべて返上して、その代り平日休むという訳にもいかず、震災からこのかた駆け通しのみなさんです。ひょうひょうとして疲れた表情を見せずに細部まで気を配って下さり、この日もそこまでしてもらっては申し訳ないと(それは逆です)、率先して掃除に、資材の積み込みに汗を流してくださいました。
本当にみなさんこそお身体を大切になさってください。
数が中途半端になってわずかに残った花鉢たちは最後に役場と中学校にプレゼントして、
スタッフのみなさんやボランティアのみなさん、そして学校の先生方にお別れと再会のお約束をし、1週間通い続けた山下中学校を後にしました。
昨日最後に回った仮設住宅を訪ねて武内さんと次回の配布先の確認をし、ここで解散となりました。
何度も何度も花苗を満載にして走り回った麻生原の風景。
この素朴で何度見ても見飽きることのない景色を、大切に守っていければ良いですね。
さて、武内さんと分かれたわたしは今回数の関係で配布できなかった坂元地区のふたつの仮設住宅を訪ねて、その位置を確認し、その足で初めて国道の海岸側を訪ねました。
子供たちが祭りを復活させ新しい町づくりを始めたいという、そのために塩害で茶枯れたり雑草に覆われた土地に花を咲かせてほしいと頼まれた坂元地区の現状を、まずは目に焼き付けておきたいと思いました。
町の西側のアップルラインに対して東側海岸線を走るストロベリーライン…
その現状がこれでした。
道路は至る所で陥没したり寸断されたりしていますが、災害復旧の為にクルマがかろうじて通行できるようにされています。壊れた橋や学校も見ることができましたが、それはまたこの報告の趣旨ではないので、あまりに悲惨な写真のアップはいたしません。
言えることは本当に被害の大きかった地区ほどすでに瓦礫の撤去も終わって、ただ茫漠と草むらが続くばかりなのですね。よく見れば道や建物のあった痕跡を見つけられても、一見すればそれは草原にしか見えない…災害から半年で雑草たちはすでに新しいテリトリーを作り上げてしまっているのでした。
ここがいずれ、われわれの活動の場所になるのだと思うと慄然とした気持ちを抑えることができなくなりました。
おそらく、この場所に立った多くの方たちが、同じ思いに打ちのめされ、それでも力強く歩き始めたことなのでしょう。
道路の傍らに残った1本の樹です。
下枝のほとんどが津波で枯れてしまっていても、上のほうにはまだ緑を残して力強く立っています。
なんだかまさにこの土地に残った人々の姿をそこに見たような気がしました。
ストロベリーラインを北へ。
山下地区に戻ると被災地の様子は一変します。
比較的被害が小さかったというこちらは、つまり建物が瓦礫とならず、半壊状態の建物として壊すに壊せない生殺しの状態が続いていました。
延々とつづくそうした住宅を見ると、不思議なことに被害の大きかった坂元地区よりさらに大きな悲壮感があり、痛々しい現実を突き付けられます。
しかし、この町もまた復活させなくてはならない。
この景色を先に見ていたら、わたしの花のお届けはまた違っていたものになっていたことでしょう。
あの仮設住宅で出会った一人一人の方がこうした現実を抱えていらっしゃって、一人一人の背景にこの景色があることを実感してしまったら、わたしははたしてあの笑顔を持続させることができたのでしょうか?
仮設住宅のみなさんの笑顔はすでにそうした時間を越えた力強いものだったのだと、改めて思い知りました。
もちろん、役場のみなさん、学校の先生方、あの明るく元気な子供たちや花ボランティアのみなさん…
その多くがまたこの現実を直視してこられたのですね。
ここにもまた潮で茶色く枯れた田畑が広がっていて、その先の国道へとつながっていました。
最後に山元町を見下ろす四方山の展望台に登りました。
ここから見下ろすと被害の状況がよく分かります。
ここに押し寄せた巨大な津波の映像を被せると、人の営みの小ささ脆さを感じないではいられませんが、でもわたしはすでにこの町の至る所で力強く復興に立ち上がった大勢の人たちを、その名前から表情まで知っています。
不思議ですね。
そういう思いでこの景色を眺めるとこの津波と地震でボロボロにされた町が何とも言えず生きる力に満ち溢れているように感じてきます。
そして数年後にはこの景色が一変していて、住宅の数も、緑の量も、いっぱいに増えている情景が信じられるのでした。
最後に…走りながら食べるパンを買おうと立ち寄った隣町のコンビニの近くに、素敵なガーデンを見つけました。
秋色に上手にまとめられたコテージガーデンといった趣きですね。
山ひとつ隔てた海沿いの町にも、どうかこうした景色がいっぱい生まれますように!
さらにわたしたちも力を尽くしたいと思います。
いけない。
ひとつ忘れ物です。
昨日、帰路について東北道を走行中のわたしの携帯に、武内さんからメールが届きました。
花鉢をお届けしたお宅のうち、ご不在だった方からお礼のメールをいただいたので、ぜひみんなにも届けたい、と。
戸口に立派な鉢に綺麗なお花。
どうもありがとうございました。
地震前まで野良仕事に励んでいたのに
今はねてばっかりのばあちゃんもよろこんでいます。
笑顔が、またひとつ生まれました。
活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~鎮魂・復幸・支援感謝の集いと花のお届け
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/09/12 07:48
HANA sakaso プロジェクト with mother Love、山元町6日目。
9月11日、「がんばっぺやまもと鎮魂・復幸・支援感謝の集い」当日です。
昨夜の営業終了後に資材を積み込み、そのまま夜中走ったという「すぺいん亭」スタッフが早朝に会場入りしました。
一同揃ったHANA sakaso プロジェクトメンバーの最初の仕事は、その会場設営から。
その準備が終えたところでそれぞれが持ち場に分かれて支度を始めます。
屋内ではアロマテラピーと手作り雑貨のスタッフがスタンバイ。
われわれ花のお届けスタッフもミーティングを終えて積み込みを開始。
この日は朝から雨が降り、小雨の中の積み込みとなりましたが、いざ出陣となったとたんにぴたりとそれも止み、心地よい風の吹く中スタートすることができました。
最初から揃いのTシャツを濡らすことにはなったものの、朝一番に予定していた寄せ植えへの水やりの手間が省略できたことは大きく、終日曇ったやや涼しい気候がスタッフの体力消耗を防いでくれたうえに、花たちの傷みも防いでくれるという絶妙のコンディションを生んでくれました。
いよいよ巨大パエリアの調理が始まったのを見届け、出発は10時半でした。
準備した寄せ植えの数は、この日のイベント会場で地元の方に作っていただくものまで含めて637鉢。
それぞれに12種類ある花のうち3ポットを植え込んでいて、重さは数キロあるでしょうか。そのひと鉢を抱えて6名のスタッフが大きく5か所に分かれた8つの仮設住宅に配りました。
もちろん、留守宅を除いて一戸一戸手渡しです。
ちゃんと受け取ってもらえるだろうか、うまくメッセージが届けられるだろうか、漏れなく配れるだろうか…
不安を抱えていたのはメンバーだけでなく、準備してきたわたしも同様で、そのわたしの心配は特に時間にありました。
今日の少なくとも暗くなる前には届け終わりたい。でも、だからと言って時間に追われて機械的に配るような真似はしたくない…
やがてそれは杞憂に終わるのですが、わたしの心配が伝染していたか最初低かったメンバーのモチベーションは、最初のひと鉢をお届けした時点で一気に高まることになりました。
受け取ってくださる住民のみなさんの笑顔の明るいこと!
「ありがとう」
「遠いところからよく来てくれたねぇ」
「うわぁ~、お花は大好きなのよぉ」
「本当にごくろうさまぁ。大変だったねぇ」
そうした温かい言葉の数々。
わたし自身もそうでしたが、メンバーの表情が一気に変わったのが分かりました。
最初に武内さんの言った言葉のとおり。
「大丈夫! 絶対にうまくいくから… お届けしたこちらが素敵なプレゼントを頂くんだから!」
メンバーのうち唯一、笑顔と幸せを届けるこうした仕事を得意とされているのがタレントの山口良一さんでしたが、この日はいつもと違ってあくまで一般参加。ボランティアスタッフの一員として特別扱いなしでしたが、山口さんにとってもそれを新鮮に受け止めてもらった様子でした。(まあ実際は住民の皆さんの中にはそれと気がつく方もいて、たびたび本業にも戻っていただきはしましたが…)
3台分の鉢を届け終わったところで、いったん拠点である山下中学校に戻りました。
ごっそりパエリアが届いていたのでしばし休憩。
最初の一回でまだ一か所目を終えていないというのに、早くも足はパンパン。
あと最低でも3往復はしなければなりませんが、ここで少しだけ休憩時間を取りました。
せっかくのイベントをみんなに見てもらわないまま終わるのも残念なことですし…
昨夜の前夜祭の人出が少なかったのと今朝の雨もあって心配でしたが、何のことはない会場は大盛況でした。
後で聞くとアロマや雑貨のスタッフは昼を食べる間もなかったとのこと。(最終的には1000人近い人出となったようです)
武内さんはそれぞれの持ち場をフォローしながらパエリアを作ったり配ったり、寄せ植えを量産したりといつもながらの獅子奮迅だった様子。
われわれも気合いを入れて仮設住宅に戻りました。
そのうちに花のお届けの情報は他の仮設住宅にも伝わっていて、それぞれで歓迎を受けるようになり、「待ってたんだよぉ」との言葉もいっぱい頂くようになりました。
その頃になるとさすがに山口さんも大忙し。
山口さんの笑顔もまた、われわれの大切なプレゼントですからね。
それでもひとしきりの談笑とサイン会を終えた山口さんはクルマまで走って戻ってはすぐに花のお届けを再開します。
そうした山口さんのムードメイクに、われわれもどれだけ気持ちを高めてもらったことか!
花のお届けは途中からイベントを終えた女性スタッフも加わって、最後は11人がかりになりました。
そのようにしてようやく届け終えたのが18時頃だったでしょうか。
仮設住宅の中にそろそろ暖かい灯りの灯り始める時分でした。
メンバーはみんな疲労困憊のはずですが、その表情は笑顔でいっぱいでした。
本当にたくさんの温かい言葉と明るい笑顔を頂いて、おそらく住民の皆さん以上の幸せな気持ちになって、われわれは山下中学校に戻りました。
今回のメンバーはみな、武内さんを中心にして集まった大半が初対面のメンバーでした。
でも、この日の活動で生まれた友情と信頼関係はきっとこの先も続いて行く強いものになったと思います。
そして、「やまもと子どもも大人もみかなで遊び隊」を中心にした、現地スタッフのみなさん…
山下中学校の渡辺校長先生、鈴木教頭先生、高橋教務主任の先生をはじめ多くの先生方、用務の山川さん。
そして、教育委員会生涯学習課のみなさん、社会福祉協議会のみなさん。
山下花いっぱいボランティアのおばちゃんとおじちゃんたち。
山下中の元気で明るい中学生たち。
高校生ボランティアのみなさん。
こうしたみなさんの応援や協力、あたたかい言葉なしで今回のプロジェクト第一弾の成功はなかったと思います。
そして第二弾、第三弾…
まだすべての仮設住宅を回り終えた訳ではないので、近いうちにこの続きをしなくてはなりません。
また、今回使った一年草の多くは次の冬で見ごろを終えてしまいますので、今回お届けした鉢に春の花や球根を植え替えて回りたいという思いもあります。
そして今回の活動の中で特に被害が大きかった坂元地区の話を伺い、その塩害でボロボロになった田畑に花を植えて新しい祭りの場を彩ろうという計画も持ち上がりました。子供たちがそこで花火を打ち上げ、神楽を舞いたいと言っているのだそうです。
花苗を育てるためにハウスを建設したり、球根を各地に植えて回るという計画もすでに動き始めています。
だから今回生まれた人の結びつきを、これからさらにひと回りもふた回りも大きくして、そうした活動の基盤にしていかなくてはならないのでしょうね。
今回はそういったプロジェクトの、最初の一歩であったと思っています。
最後に今回はじめてお目にかかった山口さん。
明るくて気立てが良く、とても気さくな素敵な方でした。
お終いの方はもう、タレントさんという扱いではなくて昔から知っている少し年上の友達くらいの感覚で、あれこれ相談したり手分けして動き回ったりしてもらいましたが、本当にいつも気持ちよく応じてくださいました。
チーム全体のムードメーカーになってみんなの気持ちを持続させてくれたのも大きく、仮設住宅のみなさんにもとても温かい空気を届けていただいて、彼の存在はとても大きかったと思います。
あとで武内さんに聞くと、彼自身もとても貴重な体験をしたと喜んでくださったということで、それが何よりのことでした。
また他のメンバー同様、次の活動でご一緒したいと思いました。
も一つ最後に…
メンバーのみなさん、山元町のみなさん、本当にありがとうございました。
楽しく幸せな6日間でした。
プロジェクトの活動はまだまだ続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
9月11日、「がんばっぺやまもと鎮魂・復幸・支援感謝の集い」当日です。
昨夜の営業終了後に資材を積み込み、そのまま夜中走ったという「すぺいん亭」スタッフが早朝に会場入りしました。
一同揃ったHANA sakaso プロジェクトメンバーの最初の仕事は、その会場設営から。
その準備が終えたところでそれぞれが持ち場に分かれて支度を始めます。
屋内ではアロマテラピーと手作り雑貨のスタッフがスタンバイ。
われわれ花のお届けスタッフもミーティングを終えて積み込みを開始。
この日は朝から雨が降り、小雨の中の積み込みとなりましたが、いざ出陣となったとたんにぴたりとそれも止み、心地よい風の吹く中スタートすることができました。
最初から揃いのTシャツを濡らすことにはなったものの、朝一番に予定していた寄せ植えへの水やりの手間が省略できたことは大きく、終日曇ったやや涼しい気候がスタッフの体力消耗を防いでくれたうえに、花たちの傷みも防いでくれるという絶妙のコンディションを生んでくれました。
いよいよ巨大パエリアの調理が始まったのを見届け、出発は10時半でした。
準備した寄せ植えの数は、この日のイベント会場で地元の方に作っていただくものまで含めて637鉢。
それぞれに12種類ある花のうち3ポットを植え込んでいて、重さは数キロあるでしょうか。そのひと鉢を抱えて6名のスタッフが大きく5か所に分かれた8つの仮設住宅に配りました。
もちろん、留守宅を除いて一戸一戸手渡しです。
ちゃんと受け取ってもらえるだろうか、うまくメッセージが届けられるだろうか、漏れなく配れるだろうか…
不安を抱えていたのはメンバーだけでなく、準備してきたわたしも同様で、そのわたしの心配は特に時間にありました。
今日の少なくとも暗くなる前には届け終わりたい。でも、だからと言って時間に追われて機械的に配るような真似はしたくない…
やがてそれは杞憂に終わるのですが、わたしの心配が伝染していたか最初低かったメンバーのモチベーションは、最初のひと鉢をお届けした時点で一気に高まることになりました。
受け取ってくださる住民のみなさんの笑顔の明るいこと!
「ありがとう」
「遠いところからよく来てくれたねぇ」
「うわぁ~、お花は大好きなのよぉ」
「本当にごくろうさまぁ。大変だったねぇ」
そうした温かい言葉の数々。
わたし自身もそうでしたが、メンバーの表情が一気に変わったのが分かりました。
最初に武内さんの言った言葉のとおり。
「大丈夫! 絶対にうまくいくから… お届けしたこちらが素敵なプレゼントを頂くんだから!」
メンバーのうち唯一、笑顔と幸せを届けるこうした仕事を得意とされているのがタレントの山口良一さんでしたが、この日はいつもと違ってあくまで一般参加。ボランティアスタッフの一員として特別扱いなしでしたが、山口さんにとってもそれを新鮮に受け止めてもらった様子でした。(まあ実際は住民の皆さんの中にはそれと気がつく方もいて、たびたび本業にも戻っていただきはしましたが…)
3台分の鉢を届け終わったところで、いったん拠点である山下中学校に戻りました。
ごっそりパエリアが届いていたのでしばし休憩。
最初の一回でまだ一か所目を終えていないというのに、早くも足はパンパン。
あと最低でも3往復はしなければなりませんが、ここで少しだけ休憩時間を取りました。
せっかくのイベントをみんなに見てもらわないまま終わるのも残念なことですし…
昨夜の前夜祭の人出が少なかったのと今朝の雨もあって心配でしたが、何のことはない会場は大盛況でした。
後で聞くとアロマや雑貨のスタッフは昼を食べる間もなかったとのこと。(最終的には1000人近い人出となったようです)
武内さんはそれぞれの持ち場をフォローしながらパエリアを作ったり配ったり、寄せ植えを量産したりといつもながらの獅子奮迅だった様子。
われわれも気合いを入れて仮設住宅に戻りました。
そのうちに花のお届けの情報は他の仮設住宅にも伝わっていて、それぞれで歓迎を受けるようになり、「待ってたんだよぉ」との言葉もいっぱい頂くようになりました。
その頃になるとさすがに山口さんも大忙し。
山口さんの笑顔もまた、われわれの大切なプレゼントですからね。
それでもひとしきりの談笑とサイン会を終えた山口さんはクルマまで走って戻ってはすぐに花のお届けを再開します。
そうした山口さんのムードメイクに、われわれもどれだけ気持ちを高めてもらったことか!
花のお届けは途中からイベントを終えた女性スタッフも加わって、最後は11人がかりになりました。
そのようにしてようやく届け終えたのが18時頃だったでしょうか。
仮設住宅の中にそろそろ暖かい灯りの灯り始める時分でした。
メンバーはみんな疲労困憊のはずですが、その表情は笑顔でいっぱいでした。
本当にたくさんの温かい言葉と明るい笑顔を頂いて、おそらく住民の皆さん以上の幸せな気持ちになって、われわれは山下中学校に戻りました。
今回のメンバーはみな、武内さんを中心にして集まった大半が初対面のメンバーでした。
でも、この日の活動で生まれた友情と信頼関係はきっとこの先も続いて行く強いものになったと思います。
そして、「やまもと子どもも大人もみかなで遊び隊」を中心にした、現地スタッフのみなさん…
山下中学校の渡辺校長先生、鈴木教頭先生、高橋教務主任の先生をはじめ多くの先生方、用務の山川さん。
そして、教育委員会生涯学習課のみなさん、社会福祉協議会のみなさん。
山下花いっぱいボランティアのおばちゃんとおじちゃんたち。
山下中の元気で明るい中学生たち。
高校生ボランティアのみなさん。
こうしたみなさんの応援や協力、あたたかい言葉なしで今回のプロジェクト第一弾の成功はなかったと思います。
そして第二弾、第三弾…
まだすべての仮設住宅を回り終えた訳ではないので、近いうちにこの続きをしなくてはなりません。
また、今回使った一年草の多くは次の冬で見ごろを終えてしまいますので、今回お届けした鉢に春の花や球根を植え替えて回りたいという思いもあります。
そして今回の活動の中で特に被害が大きかった坂元地区の話を伺い、その塩害でボロボロになった田畑に花を植えて新しい祭りの場を彩ろうという計画も持ち上がりました。子供たちがそこで花火を打ち上げ、神楽を舞いたいと言っているのだそうです。
花苗を育てるためにハウスを建設したり、球根を各地に植えて回るという計画もすでに動き始めています。
だから今回生まれた人の結びつきを、これからさらにひと回りもふた回りも大きくして、そうした活動の基盤にしていかなくてはならないのでしょうね。
今回はそういったプロジェクトの、最初の一歩であったと思っています。
最後に今回はじめてお目にかかった山口さん。
明るくて気立てが良く、とても気さくな素敵な方でした。
お終いの方はもう、タレントさんという扱いではなくて昔から知っている少し年上の友達くらいの感覚で、あれこれ相談したり手分けして動き回ったりしてもらいましたが、本当にいつも気持ちよく応じてくださいました。
チーム全体のムードメーカーになってみんなの気持ちを持続させてくれたのも大きく、仮設住宅のみなさんにもとても温かい空気を届けていただいて、彼の存在はとても大きかったと思います。
あとで武内さんに聞くと、彼自身もとても貴重な体験をしたと喜んでくださったということで、それが何よりのことでした。
また他のメンバー同様、次の活動でご一緒したいと思いました。
も一つ最後に…
メンバーのみなさん、山元町のみなさん、本当にありがとうございました。
楽しく幸せな6日間でした。
プロジェクトの活動はまだまだ続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~メンバー集結、寄せ植え完成そして前夜祭
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/09/11 06:16
山元町5日目。
この日は残りの寄せ植えを一気に仕上げ、余力で前夜祭で使うろうそく作りの高校生ボランティアのお手伝いをさせてもらいました。
花いっぱいメンバーのみなさんも、終わらないと困るだっぺ? と午前中から来て下さり、昼を挟んで午後までも…
本当におかげさまでイベント当日に製作する50鉢ほどを残してすべてを完成させることができました。
途中からはわれわれのメンバーも加わりましたが、それにしてもこの花いっぱいのメンバーの力無しでは、とてもここまで来れなかったと思います。
感謝!
そしてメンバーも三々五々中学校に終結。
寄せ植えの製作班とは別にそれを配るチームで仮設住宅の下見をしながら、段取りの打ち合わせを済ませました。
そして、16:00。
山下中学の一部を使った前夜祭が始まりました。
ろうそくに火を灯して参加者全員で鎮魂の祈りを捧げます。
進行は「やまもと子どもも大人もみんなで遊び隊」の面々と高校生を中心としたボランティア諸君。
LINK of SONGと題されたゴスペルの野外コンサートが行われました。
素晴らしい歌声に酔いしれながら東北出身メンバーの言葉に胸を熱くし、参加者全員でゴスペルのコーラスも行って、最後はぐだぐだになるまでフォークダンス。
本当にこの場所ににいると人の心がいつもの数倍は大きく開かれ、誰ともすぐに親しくなれてしまいます。
思えば震災直後の神戸がそうであって、神戸に何年も暮らしてきたなかであの時が一番多くの人と触れ合えた気がしましたが、それと同じものがここにもあって、いや、おそらくそれ以上の時間が震災から半年を経過しようとする今も、この場所には流れ続けているのでしょう。
主催者のみなさん、ボランティアの生徒諸君、町のみなさん…
お疲れ様でした!
明日はさらに頑張って素敵なイベントにしましょう!
会場を後にして宿への帰還。
今夜はいつもの二人に10名の新しいメンバーが加わり、にぎやかで楽しい夜になりました。
明日は深夜のうちに出発するパエリア班が合流し、さらに大所帯でイベント本番に臨みます。
この日の詳細は武内さんの日記や、山口さんのブログでもご覧になってください。
それぞれの視点が面白いです。
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この日は残りの寄せ植えを一気に仕上げ、余力で前夜祭で使うろうそく作りの高校生ボランティアのお手伝いをさせてもらいました。
花いっぱいメンバーのみなさんも、終わらないと困るだっぺ? と午前中から来て下さり、昼を挟んで午後までも…
本当におかげさまでイベント当日に製作する50鉢ほどを残してすべてを完成させることができました。
途中からはわれわれのメンバーも加わりましたが、それにしてもこの花いっぱいのメンバーの力無しでは、とてもここまで来れなかったと思います。
感謝!
そしてメンバーも三々五々中学校に終結。
寄せ植えの製作班とは別にそれを配るチームで仮設住宅の下見をしながら、段取りの打ち合わせを済ませました。
そして、16:00。
山下中学の一部を使った前夜祭が始まりました。
ろうそくに火を灯して参加者全員で鎮魂の祈りを捧げます。
進行は「やまもと子どもも大人もみんなで遊び隊」の面々と高校生を中心としたボランティア諸君。
LINK of SONGと題されたゴスペルの野外コンサートが行われました。
素晴らしい歌声に酔いしれながら東北出身メンバーの言葉に胸を熱くし、参加者全員でゴスペルのコーラスも行って、最後はぐだぐだになるまでフォークダンス。
本当にこの場所ににいると人の心がいつもの数倍は大きく開かれ、誰ともすぐに親しくなれてしまいます。
思えば震災直後の神戸がそうであって、神戸に何年も暮らしてきたなかであの時が一番多くの人と触れ合えた気がしましたが、それと同じものがここにもあって、いや、おそらくそれ以上の時間が震災から半年を経過しようとする今も、この場所には流れ続けているのでしょう。
主催者のみなさん、ボランティアの生徒諸君、町のみなさん…
お疲れ様でした!
明日はさらに頑張って素敵なイベントにしましょう!
会場を後にして宿への帰還。
今夜はいつもの二人に10名の新しいメンバーが加わり、にぎやかで楽しい夜になりました。
明日は深夜のうちに出発するパエリア班が合流し、さらに大所帯でイベント本番に臨みます。
この日の詳細は武内さんの日記や、山口さんのブログでもご覧になってください。
それぞれの視点が面白いです。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love