パーマカルチャーのガーデン・デザイン
テーマ:本
2011/08/22 06:01
昨年、1冊の本と出会いました。
「パーマカルチャー菜園入門~自然のしくみをいかす家庭菜園」(監修:設楽清和、家の光協会発行)
初版発行が8月1日で、わたしが購入したのが4日でしたからそれこそ「飛びつくように」買い求めた様子がよく分かるというもの。
これもまた、待ちに待った本でした。
わたしが最初にパーマカルチャーに触れたのは今から17年前のこと。
ビル・モリソンらがその著作 “Introduction to Permaculture” でパーマカルチャーを広く伝えたのが1991年。
その2年後に日本語版が発行され、翌1994年に購入したわたしはそこで初めてその事を知って衝撃を受けたものでした。
これがその時に買った「パーマカルチャー~農的暮らしのデザイン」(ビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ著、田中恒夫/小祝慶子訳、農山漁村文化協会発行)です。
パーマカルチャーはパーマネント・アグリカルチャーの略から生まれた造語で「永続的で完全な農業、そして文化」を意味します。
その基本的な考え方は自然農法を経験し、小川町在住の金子美登さんらの循環式農業に惹かれてきたわたしにはすでに馴染みの深いものでしたが、それがしっかりとシステム化され様々な方法論を展開した本著はさらに「農業と暮らしをデザインする」というとても画期的なもので、ともすれば観念と手法ばかりが取り沙汰されてきた当時の自然農法に深い奥行きを与えてくれたのでした。
詳しくその内容に触れ始めるときりがなく、今日一日わたしは仕事を棒に振らなくてはなりませんので割愛!
興味のある方はぜひ、これらの書物に触れられるか、パーマカルチャーセンター・ジャパンのHPをご覧になって下さい。(特に設楽さんのブログは一読の価値有り!)
とにかく、細々とした理論よりもそこに掲載された絵や図面にわたしは心を奪われ、ワクワクと、ただワクワクと読みふけったのでした。
そこに登場する例えば Edge Effects -接縁効果という言葉があって、その後わたしは常にその事を意識しつつづけることになります。
森と里、浜辺など二つの異なった環境が接する境界では、それぞれの環境が持つ資源を共に利用出来るため、生命がとても豊かに育まれるのだといいます。
であればそのような空間を意識的に生み出せば良いというのが、パーマカルチャーによるひとつの空間デザインです。
平坦な土地に茂みを作り、土手を作り、丘を作り、せせらぎを作る。そのことで空間にメリハリが生まれてそれぞれ環境に適した植物や動物が暮らしていけるようになる…環境の多様性が生物の多様性を生んで、小さいながらも生物たちが互いに補完し合う生態系が誕生し、そのことが空間に安定性をもたらす…これはまさにガーデン・デザインの基本ですものね。
アブラムシが大量に発生してそれが困るなら、あえてアブラムシが好む植物(カラスノエンドウとかヨモギとか)を植えておいて、というか生えるに任せておいてそちらに集めてしまったり、そのことで天敵のテントウムシたちをおびき寄せて作物を守るというような大胆な手法も興味深いものでした。
また、「わら一本の革命」の福岡正信さんの無除草不耕起農法に対する深い理解と理論的なバックアップも心強くありましたし、当時はまだようやく紹介され始めたばかりのハーブ類がたくさん登場するのも魅力的でした。
その他、家畜や生垣や池や温室等のひとつのものに幾つかの役割を与えていく多機能性、その役割を補い合うバックアップの考え、自然エネルギーの利用と循環系の構築、何一つ無駄にせず全てを自然のサイクルの中で廻していく理論と手法など、どれもが古くて新しい、馴染みがあるけど再発見と言った内容です。
当時、住宅メーカーによる大量生産的な外構工事の仕事に日々身をすり減らしつつあったわたしにとって、それを未来の希望として受け取るゆとりは残念ながらあまり無く、理想からあまりに隔たった現実をさらに突きつけられるばかりでしたが、思えばインドで出会ったガンディー・アシュラムに見た自分の夢の農園、つまるところ自分にとってのガーデンの原風景に至る最も近い道のりを記した地図が、そこにはあったのだと思います。
そのようにこの本を携えながら、わたしはずいぶんと遠回りをしてきました。
ただ、欲を言えばこの書物がビル・モリソンさんというオーストラリアをホームグラウンドにした方の手によるものであったため、その規模があまりに大きく、なかなか日本の現実や自分の身の回りに置き換えるには、かなりの想像力と応用力を要したという難点がありました。
その点で今回発刊された「パーマカルチャー菜園入門」は日本の現状に照らしたうえでなおかつ、その名の通り規模を家庭菜園にまで一気に縮めた点が画期的でした。
例えば前掲の郊外型住宅のデザインもこんな感じになります。
思えばわたしが試行錯誤してきたその歴史を、また別の方たちが同じように、けれどより賢く過ごしてこられたという事なのでしょうね。
ありがたいことです。
そして、ここに昨年夏にお会いした若いご夫婦がありまして、それは新居の設計段階からガーデンの相談をしていただくというとても貴重な出会いでした。
奥様がアカシアを種から育てられている点からして分かるとおり、とてもナチュラルなガーデンを望んでおられ、気持ちの疎通もとてもスムースでわたしが紹介したパーマカルチャーをとても気に入って頂けたようでした。
当初予定していた唯一コンクリートを使用したガレージすらついに中止されることとなり、どうも80坪を越える土地が土と水と、天然の石と木と、わずかなレンガだけで構成されるガーデンに生まれ変わりそうです。
ここに至ってわたしは技術指導と空間構成のプロデュース、そして肉体労働以外の役割を失い、ビジネスとしてのおつき合いはほとんど断念するよりなくなりました。
うん、それはそれで得難い出会いであったと思います。
この先はどうやら個人的興味によるわたし自身のパーマカルチャー体験と勉強の場とさせて頂くことになりそうですが、それはそれでありがたいことだと思っています。
どんなガーデンが出来上がるか…今からとても楽しみです。
「パーマカルチャー菜園入門~自然のしくみをいかす家庭菜園」(監修:設楽清和、家の光協会発行)
初版発行が8月1日で、わたしが購入したのが4日でしたからそれこそ「飛びつくように」買い求めた様子がよく分かるというもの。
これもまた、待ちに待った本でした。
わたしが最初にパーマカルチャーに触れたのは今から17年前のこと。
ビル・モリソンらがその著作 “Introduction to Permaculture” でパーマカルチャーを広く伝えたのが1991年。
その2年後に日本語版が発行され、翌1994年に購入したわたしはそこで初めてその事を知って衝撃を受けたものでした。
これがその時に買った「パーマカルチャー~農的暮らしのデザイン」(ビル・モリソン/レニー・ミア・スレイ著、田中恒夫/小祝慶子訳、農山漁村文化協会発行)です。
パーマカルチャーはパーマネント・アグリカルチャーの略から生まれた造語で「永続的で完全な農業、そして文化」を意味します。
その基本的な考え方は自然農法を経験し、小川町在住の金子美登さんらの循環式農業に惹かれてきたわたしにはすでに馴染みの深いものでしたが、それがしっかりとシステム化され様々な方法論を展開した本著はさらに「農業と暮らしをデザインする」というとても画期的なもので、ともすれば観念と手法ばかりが取り沙汰されてきた当時の自然農法に深い奥行きを与えてくれたのでした。
詳しくその内容に触れ始めるときりがなく、今日一日わたしは仕事を棒に振らなくてはなりませんので割愛!
興味のある方はぜひ、これらの書物に触れられるか、パーマカルチャーセンター・ジャパンのHPをご覧になって下さい。(特に設楽さんのブログは一読の価値有り!)
とにかく、細々とした理論よりもそこに掲載された絵や図面にわたしは心を奪われ、ワクワクと、ただワクワクと読みふけったのでした。
そこに登場する例えば Edge Effects -接縁効果という言葉があって、その後わたしは常にその事を意識しつつづけることになります。
森と里、浜辺など二つの異なった環境が接する境界では、それぞれの環境が持つ資源を共に利用出来るため、生命がとても豊かに育まれるのだといいます。
であればそのような空間を意識的に生み出せば良いというのが、パーマカルチャーによるひとつの空間デザインです。
平坦な土地に茂みを作り、土手を作り、丘を作り、せせらぎを作る。そのことで空間にメリハリが生まれてそれぞれ環境に適した植物や動物が暮らしていけるようになる…環境の多様性が生物の多様性を生んで、小さいながらも生物たちが互いに補完し合う生態系が誕生し、そのことが空間に安定性をもたらす…これはまさにガーデン・デザインの基本ですものね。
アブラムシが大量に発生してそれが困るなら、あえてアブラムシが好む植物(カラスノエンドウとかヨモギとか)を植えておいて、というか生えるに任せておいてそちらに集めてしまったり、そのことで天敵のテントウムシたちをおびき寄せて作物を守るというような大胆な手法も興味深いものでした。
また、「わら一本の革命」の福岡正信さんの無除草不耕起農法に対する深い理解と理論的なバックアップも心強くありましたし、当時はまだようやく紹介され始めたばかりのハーブ類がたくさん登場するのも魅力的でした。
その他、家畜や生垣や池や温室等のひとつのものに幾つかの役割を与えていく多機能性、その役割を補い合うバックアップの考え、自然エネルギーの利用と循環系の構築、何一つ無駄にせず全てを自然のサイクルの中で廻していく理論と手法など、どれもが古くて新しい、馴染みがあるけど再発見と言った内容です。
当時、住宅メーカーによる大量生産的な外構工事の仕事に日々身をすり減らしつつあったわたしにとって、それを未来の希望として受け取るゆとりは残念ながらあまり無く、理想からあまりに隔たった現実をさらに突きつけられるばかりでしたが、思えばインドで出会ったガンディー・アシュラムに見た自分の夢の農園、つまるところ自分にとってのガーデンの原風景に至る最も近い道のりを記した地図が、そこにはあったのだと思います。
そのようにこの本を携えながら、わたしはずいぶんと遠回りをしてきました。
ただ、欲を言えばこの書物がビル・モリソンさんというオーストラリアをホームグラウンドにした方の手によるものであったため、その規模があまりに大きく、なかなか日本の現実や自分の身の回りに置き換えるには、かなりの想像力と応用力を要したという難点がありました。
その点で今回発刊された「パーマカルチャー菜園入門」は日本の現状に照らしたうえでなおかつ、その名の通り規模を家庭菜園にまで一気に縮めた点が画期的でした。
例えば前掲の郊外型住宅のデザインもこんな感じになります。
思えばわたしが試行錯誤してきたその歴史を、また別の方たちが同じように、けれどより賢く過ごしてこられたという事なのでしょうね。
ありがたいことです。
そして、ここに昨年夏にお会いした若いご夫婦がありまして、それは新居の設計段階からガーデンの相談をしていただくというとても貴重な出会いでした。
奥様がアカシアを種から育てられている点からして分かるとおり、とてもナチュラルなガーデンを望んでおられ、気持ちの疎通もとてもスムースでわたしが紹介したパーマカルチャーをとても気に入って頂けたようでした。
当初予定していた唯一コンクリートを使用したガレージすらついに中止されることとなり、どうも80坪を越える土地が土と水と、天然の石と木と、わずかなレンガだけで構成されるガーデンに生まれ変わりそうです。
ここに至ってわたしは技術指導と空間構成のプロデュース、そして肉体労働以外の役割を失い、ビジネスとしてのおつき合いはほとんど断念するよりなくなりました。
うん、それはそれで得難い出会いであったと思います。
この先はどうやら個人的興味によるわたし自身のパーマカルチャー体験と勉強の場とさせて頂くことになりそうですが、それはそれでありがたいことだと思っています。
どんなガーデンが出来上がるか…今からとても楽しみです。
森昭彦さんの本
テーマ:本
2011/08/16 12:51
森くんの本の魅力については、「嫉妬する」とまで表現してくれた柳生真吾さんがすでにそのブログの中で紹介してくださっているので、ここで改めて紹介するまでもないのですが、本人によればなかなか売れず印税もたまにしか入ってこないということなので、ここは最近産まれたばかりのお子さんのミルク代のためにも、微力ながら応援をしたいと思いました。
実はわたし自身もすでに何冊かまとめて購入し、わが社のノベルティグッズではありませんが仲間やお客さまに配らせてもらっています。
最近特に雑草をこよなく愛するお客さんに出会う機会が増えました。
カタバミを深く愛するわたしとしては類が友を呼んだと嬉しい限りでして、みなさんにはぜひ森くんの本の愛読者になってもらいたいと思っています。
昨年のキャンプで頂戴した3冊の本たちはそれはもうどれも面白く、これは柳生さんも言っているようにまず文章が洒脱です。
わかりやすくて面白い。少しでも知っている植物などの話題では思わずニンマリさせられますし、知らない植物やムシなら、ぜったい会いたくなる。そんな魅力的な文章です。
そして、彼自身が撮った写真がいいです。大判の分厚い植物図鑑でも植物の全体像が伝わってこなかったり、特徴的な部分の写真が無かったりするというのに、彼の本では自分が撮るだけに写真もまた饒舌です。
それに加えて植物のイラストまで加わるので、とてもわかりやすい。それで新書サイズですからフィールドワークだけでなく通勤通学のお供ににも最適です。
わたしは「身近な雑草のふしぎ」を読んで、草取りの作業量を一気に減らしましたし、「身近な野の花のふしぎ」を読んでスズメノエンドウやギシギシに憧憬を超えた愛情すら覚えてしまいました。
「身近なムシのびっくり新常識100」は図鑑ではありませんが、それだけに読み物として面白く、特にこれまで迷惑ものとしてしか扱ってこなかったハチや蛾、イモムシや毛虫、ゾウムシやカメムシに対する見る目を一新させられました。
そして、今回頂戴したのが今月末発売の(紹介しても良かったのだろうか? …しちゃうけれど)、「うまい雑草、ヤバイ野草」!
こんな本があれば良いなと思っていた本です。内心で快哉を叫びました。
これまで通りの植物図鑑の形式ながら、読み物がパワーアップ。さらに饒舌です。
なにより、似た仲間を上手に比べられるようにしてこれでもかというほど注意点を本文と写真で明確にしている点、絶対に誤食事故を避けたいという森くんの強い思いがつたわってきます。
どのページをめくっても植物と昆虫たちに対する愛情に満ち溢れた良書4冊。
ソフトバンククリエイティブ株式会社発行の「サイエンスアイ新書」シリーズ。定価すべて1,000円。
絶対にお買い得のお勧め本たちでした。
京都北白川 恵文社一乗寺店
テーマ:本
2011/08/03 05:39
奈良旅行の続き。
最終日に新薬師寺と興福寺国宝館をじっくり見てからゲストハウスをチェックアウトしたのが11時(これもゆっくりでありがたい!)。
途中、少しくらいなら京都に寄れるということで少し行き先について検討しました。
娘が修学旅行で意外と二条城が良かったというので、そう言えばとんと行っていなかったわたしもその気になりかけたのですが、今さら改めて観光の時間を持つというのも気持ちがやや散漫になりがちなので、いっそ本屋に行こうと言うことになりました。
娘もわたしも好きな書店が白川に2軒あって、そのうちの恵文社一乗寺店を訪ねました。
(はっきり言って、これは遠回りなのですが…)
これは最寄りの叡山電鉄一乗寺駅近くの看板。
白川通りからこの一乗寺駅に向かって入った、駅のさらに先にあります。
もともとこの書店は最初の京都旅行の時に娘がガイドブックから見つけて行きたいと主張し、わざわざバスと電車を乗り継いで出掛けたところ。
以来、京都に来たときには必ずここか、それとも白川通りに面したガケ書房か、どちらかに必ず立ち寄っています。
店内の写真は撮りにくかったので、ちょっとJTBさんのサイトから拝借。
書店であり、雑貨や美術品も扱う多彩な、そして多才な店です。
白川通りは芸大をはじめ大学が多く、お洒落なカフェもたくさんあったりして、おそらく娘にはその洒落た文化の香りみたいなものが堪らないのだと思います。
うーん。うちは田舎だからなぁ~
確かに都内に出ればこの雰囲気を持つ書店も無いことは無いけれど…
京都が好きな人間には、やはりここでしか味わえない何物かがあるようで、それを古い伝統や文化と近代的なセンスとの融合…みたいに解説するのは容易だけれど、でもその先にある気配をわたしとわたしの娘はまだ言葉にちゃんと置き換えきれないみたいです。
うん。
それは結局、本屋との相性みたいなものかもしれないですね。
ともあれ、恵文社一乗寺店。
たとえば書籍を出版社や文庫や新書と単行本、或いはカテゴリーなどといったものの別で分類することはとても簡単なことだけど、ここではそういう配置をしていない。
カテゴリーでもジャンルでもない、もっと大雑把なグループというか仲間というような分類…それは本を良く読んで良く知っている人にしか出来ない事だけれど。(古書店などではありますね)
だから文庫の隣に単行本があって、また新書が並んで写真集が有ってと、凸凹とジグザグが続いてそれが美しい。
ここで特定の書名や著者名を便りに本を探すのは難しいかもしれないけれど、逆に自分の好きな本を探すのは簡単で楽しいかもしれない。
ここぞという書棚には自分の好みにあった本がジャンルを超えて並んでいるわけだから、そこでしばらく背表紙を頼りに本を開いていけぱ、必ず読みたい本に出くわす、みたいに。
そのようにして集められた本の傾向は、「暮らし」の中のたとえば住む、着る、作る、食べる、収めるといったもの。旅と旅を取り巻く人々やその思い。芸術と人間について。思想、思索、哲学、といった諸々のこれまで考えてきたこと、これから考えるべきこと。子供たちに伝えたいこと、感じてもらいたいこと。人が生きるために必要なものごと…。
とにかく読んで幸せになれそうな本たちの数々。
美装本も多くて見ていて飽きない。そこでしかお目に掛かれないような珍本奇本、ミニコミ誌や同人誌も並ぶ。
僅かにコミックの並んだ棚もあったりして、その選択基準もよく分からないようでいて、なんとなく伝わってくるものがある。
本を読み続けて目が疲れたら、お洒落で個性豊かな雑貨やギャラリーの作品を見て気分転換もできる。
そんな店です。
わたしは今回、こんな本を買い求めました。
創元社の今年6月の新刊だから、大きな書店に行っても買えたかも知れませんが、きっとこの本に辿り着くまでにわたしはへとへとに疲れ切っていたと思います。
ここではそれがストレス無しであっさり辿り着けるわけです。
われわれはこの店で1時間半ほどのんびり楽しんだ後、7時間半ほどの幸せな帰路についたのでした。
最終日に新薬師寺と興福寺国宝館をじっくり見てからゲストハウスをチェックアウトしたのが11時(これもゆっくりでありがたい!)。
途中、少しくらいなら京都に寄れるということで少し行き先について検討しました。
娘が修学旅行で意外と二条城が良かったというので、そう言えばとんと行っていなかったわたしもその気になりかけたのですが、今さら改めて観光の時間を持つというのも気持ちがやや散漫になりがちなので、いっそ本屋に行こうと言うことになりました。
娘もわたしも好きな書店が白川に2軒あって、そのうちの恵文社一乗寺店を訪ねました。
(はっきり言って、これは遠回りなのですが…)
これは最寄りの叡山電鉄一乗寺駅近くの看板。
白川通りからこの一乗寺駅に向かって入った、駅のさらに先にあります。
もともとこの書店は最初の京都旅行の時に娘がガイドブックから見つけて行きたいと主張し、わざわざバスと電車を乗り継いで出掛けたところ。
以来、京都に来たときには必ずここか、それとも白川通りに面したガケ書房か、どちらかに必ず立ち寄っています。
店内の写真は撮りにくかったので、ちょっとJTBさんのサイトから拝借。
書店であり、雑貨や美術品も扱う多彩な、そして多才な店です。
白川通りは芸大をはじめ大学が多く、お洒落なカフェもたくさんあったりして、おそらく娘にはその洒落た文化の香りみたいなものが堪らないのだと思います。
うーん。うちは田舎だからなぁ~
確かに都内に出ればこの雰囲気を持つ書店も無いことは無いけれど…
京都が好きな人間には、やはりここでしか味わえない何物かがあるようで、それを古い伝統や文化と近代的なセンスとの融合…みたいに解説するのは容易だけれど、でもその先にある気配をわたしとわたしの娘はまだ言葉にちゃんと置き換えきれないみたいです。
うん。
それは結局、本屋との相性みたいなものかもしれないですね。
ともあれ、恵文社一乗寺店。
たとえば書籍を出版社や文庫や新書と単行本、或いはカテゴリーなどといったものの別で分類することはとても簡単なことだけど、ここではそういう配置をしていない。
カテゴリーでもジャンルでもない、もっと大雑把なグループというか仲間というような分類…それは本を良く読んで良く知っている人にしか出来ない事だけれど。(古書店などではありますね)
だから文庫の隣に単行本があって、また新書が並んで写真集が有ってと、凸凹とジグザグが続いてそれが美しい。
ここで特定の書名や著者名を便りに本を探すのは難しいかもしれないけれど、逆に自分の好きな本を探すのは簡単で楽しいかもしれない。
ここぞという書棚には自分の好みにあった本がジャンルを超えて並んでいるわけだから、そこでしばらく背表紙を頼りに本を開いていけぱ、必ず読みたい本に出くわす、みたいに。
そのようにして集められた本の傾向は、「暮らし」の中のたとえば住む、着る、作る、食べる、収めるといったもの。旅と旅を取り巻く人々やその思い。芸術と人間について。思想、思索、哲学、といった諸々のこれまで考えてきたこと、これから考えるべきこと。子供たちに伝えたいこと、感じてもらいたいこと。人が生きるために必要なものごと…。
とにかく読んで幸せになれそうな本たちの数々。
美装本も多くて見ていて飽きない。そこでしかお目に掛かれないような珍本奇本、ミニコミ誌や同人誌も並ぶ。
僅かにコミックの並んだ棚もあったりして、その選択基準もよく分からないようでいて、なんとなく伝わってくるものがある。
本を読み続けて目が疲れたら、お洒落で個性豊かな雑貨やギャラリーの作品を見て気分転換もできる。
そんな店です。
わたしは今回、こんな本を買い求めました。
創元社の今年6月の新刊だから、大きな書店に行っても買えたかも知れませんが、きっとこの本に辿り着くまでにわたしはへとへとに疲れ切っていたと思います。
ここではそれがストレス無しであっさり辿り着けるわけです。
われわれはこの店で1時間半ほどのんびり楽しんだ後、7時間半ほどの幸せな帰路についたのでした。