ゲストハウス奈良バックパッカーズ
テーマ:たび
2011/08/02 17:30
世界遺産へ徒歩三分。
時の流れと愉しむ場所。
これはゲストハウス奈良バックパッカーズのホームページに登場するコピーですが、うむ、まったく異存はございません。
奈良旅行の報告の一番最後に6日の間われわれがお世話になったこの宿のご紹介を…
新薬師寺のくだりでもお話しした通り、わたしはどうにかお寺の宿坊に泊まる経験を娘にさせたかったのですが、新薬師寺は6年前に中止しており、かつては元興寺にも有ったと思うのですが他にも奈良市内で宿坊を続けているお寺は無くなったようでした。
そんな失意の中で改めて宿を探すうちに見つけたのがこの宿でした。
手軽なゲストハウス、大正時代の古民家、無線LAN完備、エアコン付、そして立地…
信じられないほどの掘り出し物でした。
これまで3日を越える旅行ではたいてい複数の宿に泊まることにしていたわたしが、5日の連泊を決めたのも仕方のないことだと思います。
宿を紹介すると言っても朝は早くから出掛けて、夜は夜で銭湯と夕飯から戻ったらダウンするという毎日で、じつは余り長く浸る時間は無かったのですが…
まず泊まった部屋は先にも紹介したとおり2階の8畳間でした。
この廊下のテーブル・イスが心地よく、古いガラス窓越しにすこしゆがんで見える中庭が素敵でした。
個室はこの他に10畳のLarge Private Roomと、もと茶室とその控えの間のふたつがSmall Private Roomとして提供されていて、最終日のチェックアウトの時にようやく拝見することが出来ました。
…これがなかなかいい!
聞けば家主さんはもともとお茶の先生をなさっていたとのこと。
障子や建具に改装の痕が無くてとてもきれいだったのですが、しばらく空いたままだったのをゲストハウスに借りた際に、そのあたりはほとんど手を加えずに済んだとのことでした。よほど大切に手入れされていたのでしょう。家主さんの家に対する愛情が感じられました。
そして、こちらが共有スペース。
掘り炬燵を中心にいつも数人の外国の方が本を読んだりパソコンを使ったり会話を楽しんだりしていました。
こちらも自由に使えるキッチン。わたしも奥の冷蔵庫で氷を作り、麦茶やビールを冷やしておりました。朝は5時くらいにコーヒーをドリップしたり…
そして、その隣の談話コーナーでも夜にはいつも話し声が弾んでいました。英語とか中国語とか…
そう言えばテレビはついぞ観ませんでしたね。
洗面所とトイレ、あと写ってないけれどこの右手がシャワールーム。すべて共同ですが、あまり混雑したところを見たことはなかったです。
そして、玄関と
階段です。
登っていった左手がわたしたちの部屋。奥が女性用のドミかな?
だとすれば右手は男女共同のドミですね。
共有スペースはドミを使っているみなさんのもの、という意識があってあまり夜はうろうろしませんでしたが、娘が少し英語に自信を持てるようになって、夜すぐにダウンするようなハードな旅行が出来なくなったら、こうした場所でいろいろな方と交流するのも楽しいと思いました。
そうそう。
今のところこの宿の利用者の6割ほどは外国の方だとか。
わたしも近所を歩いていて、道に迷っている様子の外国の方に出会うとまずこのゲストハウスを探しているのか聞いてみましたがそのすべてがビンゴでした。
外国の旅行者、特にバックパッカーにとってこれほど魅力的な宿は無いと思います。
わたしもインドで旅慣れてきた頃に、同じ旅行者から良い宿の情報を仕入れたり紹介したりしましたが、きっと彼らの間でこれからどんどん、このゲストハウスの情報が飛び交うことになるでしょうね。
今回の旅行がとても楽しいものになった要因が三つ。
ひとつはとにかく仕事をすべて消化してから出掛けてこれたこと。
ふたつめは、暑くはあっても雨がすべて夜の間に降ってくれて、やたら晴天に恵まれたこと。
そしてみっつめはこんな素敵な宿と出会えたこと。
とても楽しかったです。
ありがとう
奈良きたまち界隈 散策
テーマ:たび
2011/08/02 16:03
少しは旅のブログらしい記事を。
今日は朝から涼しく、仕事は休みにて荷物の片付けと写真や資料の整理に専念しております。
今回宿をとった奈良きたまちは、旅の最初に紹介したとおり、東は東大寺の築地塀に接し、西は奈良女子大と東向通りの北町商店街、南に県庁や裁判所といった官公庁の集中するエリアに囲まれた静かな住宅街です。
その中にはお洒落な店や昔ながらの趣のある店も点在しておりました。
「あおによし鹿男」で主人公の先生が居候するお宅も、このあたりだった筈です。
あたりを散策したり銭湯に通う道すがら、気になった店もたくさんありまして、旅の後半にはちらほら入る機会がありました。
まずは、宿の次に一番お世話になった大西湯。
わたしは神戸と大阪時代によく通ったものでしたが、とても久しぶりの銭湯でした。もちろん娘は初体験です。
下駄箱も脱衣所のロッカーも昔ながらの木製のもので、浴槽のタイルもカランもよくまあ今まで使って来れたなという代物。
もう一軒の勇湯も同様に年代物でしたが、それでも商店街や大学に近い大西湯はしっかりエアコンも効いていました。お湯はやや熱め。近所のお年寄りが多く集まる勇湯の方がややぬるくて入りやすく、こちらはテレビは有りませんでしたね。
この大西湯のすぐ近くのcafe WAKAKUSA。
入口のオーニングをはじめ床からオーナーの方のシャツまで緑と若草色で統一されておりまして、小さいながらもとてもお洒落な店。
クレープとカプチーノが売りのお店でしたが、わたしはギネスの樽出しビールに吸い寄せられました。
でも食事クレープがとても豊富で美味しく、結局甘い方のクレープは食べずじまいでした。
残念。
それと宿からすぐの処にあった葛料理の「天極堂」は初日から目を付けていたところ。
2つの庭園巡りやらでへとへとになった5日目の昼食に立ち寄りました。
先に紹介した外観同様、店内もお洒落でした。
ここではとろろご飯と葛を練り込んだうどんのセットを頂きましたが、見ての通り、名物のくず餅は絶品でした。
作りたてでまだ温かく、とろりとした食感がたまりません。
同じく葛の菓子やわらび餅を揃えた「千壽庵吉宗 奈良総本店」は「天極堂」の通りを北に少し行ったところ。やはり建物に趣があります。
もちろん、土産はこちらで揃えました。
依水園から戒壇堂に向かう途中にあった「そば処 喜多原」はとうとうのれんをくぐれなかった店のひとつでした。
戒壇堂の裏手、「千壽庵吉宗 奈良総本店」からだと少し北上して東に折れた当たりに、かつて乳酸菌飲料の工場だった木造の建物が並んでいます。
一軒は「工場跡事務室」という名のカフェ。これも「天極堂」目指す途中だったので立ち寄れませんでしたが、隣の「NATIVE WORKS」にはお邪魔いたしました。
こちらはコットン生地のやさしい衣類などを手作りで作って売る店。平日に製作して週末だけの開店だそうです。
わたしはお土産に地元で有機栽培された紅茶を頂いてきました。
と紹介しながら、いかにこれらの店に出掛ける機会が少なかった実感しました。
考えたら早朝の散歩を除いて、このあたりを日中歩いたのは5日目だけでしたからねぇ。
でも、さすがにこの日は旅行らしい一日だったと思います。
(寺社6ヶ所と庭園2ヶ所と博物館というハードな工程ではありましたが…)
この次、奈良を訪れた時はきたまちをもう少しゆっくりと、それからならまちの辺りもじっくりと時間を掛けて歩いてみたいと思いました。
今日は朝から涼しく、仕事は休みにて荷物の片付けと写真や資料の整理に専念しております。
今回宿をとった奈良きたまちは、旅の最初に紹介したとおり、東は東大寺の築地塀に接し、西は奈良女子大と東向通りの北町商店街、南に県庁や裁判所といった官公庁の集中するエリアに囲まれた静かな住宅街です。
その中にはお洒落な店や昔ながらの趣のある店も点在しておりました。
「あおによし鹿男」で主人公の先生が居候するお宅も、このあたりだった筈です。
あたりを散策したり銭湯に通う道すがら、気になった店もたくさんありまして、旅の後半にはちらほら入る機会がありました。
まずは、宿の次に一番お世話になった大西湯。
わたしは神戸と大阪時代によく通ったものでしたが、とても久しぶりの銭湯でした。もちろん娘は初体験です。
下駄箱も脱衣所のロッカーも昔ながらの木製のもので、浴槽のタイルもカランもよくまあ今まで使って来れたなという代物。
もう一軒の勇湯も同様に年代物でしたが、それでも商店街や大学に近い大西湯はしっかりエアコンも効いていました。お湯はやや熱め。近所のお年寄りが多く集まる勇湯の方がややぬるくて入りやすく、こちらはテレビは有りませんでしたね。
この大西湯のすぐ近くのcafe WAKAKUSA。
入口のオーニングをはじめ床からオーナーの方のシャツまで緑と若草色で統一されておりまして、小さいながらもとてもお洒落な店。
クレープとカプチーノが売りのお店でしたが、わたしはギネスの樽出しビールに吸い寄せられました。
でも食事クレープがとても豊富で美味しく、結局甘い方のクレープは食べずじまいでした。
残念。
それと宿からすぐの処にあった葛料理の「天極堂」は初日から目を付けていたところ。
2つの庭園巡りやらでへとへとになった5日目の昼食に立ち寄りました。
先に紹介した外観同様、店内もお洒落でした。
ここではとろろご飯と葛を練り込んだうどんのセットを頂きましたが、見ての通り、名物のくず餅は絶品でした。
作りたてでまだ温かく、とろりとした食感がたまりません。
同じく葛の菓子やわらび餅を揃えた「千壽庵吉宗 奈良総本店」は「天極堂」の通りを北に少し行ったところ。やはり建物に趣があります。
もちろん、土産はこちらで揃えました。
依水園から戒壇堂に向かう途中にあった「そば処 喜多原」はとうとうのれんをくぐれなかった店のひとつでした。
戒壇堂の裏手、「千壽庵吉宗 奈良総本店」からだと少し北上して東に折れた当たりに、かつて乳酸菌飲料の工場だった木造の建物が並んでいます。
一軒は「工場跡事務室」という名のカフェ。これも「天極堂」目指す途中だったので立ち寄れませんでしたが、隣の「NATIVE WORKS」にはお邪魔いたしました。
こちらはコットン生地のやさしい衣類などを手作りで作って売る店。平日に製作して週末だけの開店だそうです。
わたしはお土産に地元で有機栽培された紅茶を頂いてきました。
と紹介しながら、いかにこれらの店に出掛ける機会が少なかった実感しました。
考えたら早朝の散歩を除いて、このあたりを日中歩いたのは5日目だけでしたからねぇ。
でも、さすがにこの日は旅行らしい一日だったと思います。
(寺社6ヶ所と庭園2ヶ所と博物館というハードな工程ではありましたが…)
この次、奈良を訪れた時はきたまちをもう少しゆっくりと、それからならまちの辺りもじっくりと時間を掛けて歩いてみたいと思いました。
いま、ふたたびの…新薬師寺
テーマ:たび
2011/08/02 14:17
娘も受験生になり、冬の京都を最後にしばらく旅行は休みにしよう、そう心に決めたし娘にも言い聞かせたわたしでしたが、きっかけはJR東海の「うまし うるわし 奈良」のテレビCMでした。
そこで新薬師寺が取り上げられ、それを見た娘が「いいなぁ、行きたいなぁ」と思わずつぶやいた時、わたしの中にもわき上がる懐かしいものがあり、ぜひ連れて行ってやりたいと思ったのでした。
(調べたら動画が見つかりました。こちらです)
わたしが新薬師寺の宿坊にお世話になったのは、調べてみると何と今から33年も前のこと。
1週間近く泊めていただき、そこを拠点にそれこそ奈良中を歩き回ったのでした。
大好きだった興福寺国宝館には毎日のように通いましたが、それ以上に朝夕通ったのは勿論この新薬師寺本堂でした。
本尊である薬師如来様と十二神将を、宿泊客は拝観時間に関係なく早朝夕刻にお詣りする事が出来たのでした。
仏像が好きだという娘にもぜひその経験をさせてやりたいと調べたのですが、残念なことに宿坊は6年前にやめられたとのこと。まあ、そのお陰で今回の宿泊先「ゲストハウス奈良バックパッカーズ」と出会えたのですが、それはまた後ほど…。
今回の旅行の最終日になりましたが、ようやく新薬師寺を訪ねる事が出来ました。
毎日歩いて通った高畑の路は今もさほど変わっていない気がしました。
そして、もちろん変わる筈のない山門と本堂、築地塀。
南門をくぐり、本堂手前左手に建つ地蔵堂を巡れば、そこに観音堂(香薬師堂とも)へと通じる小さな門があります。
石張りの路を辿って池を渡り、正面の観音堂から右手を見たところにかつて宿坊であった庫裏が今もかつての佇まいのままに残っていました。
かつてこの宿坊で相部屋となった方のうち、栃木県栃木市の高校で社会科の教諭をされていた方と福井県小浜市の郷土史家の方には特に親しくして頂き、旅の後もしばらくの間手紙での交流をさせて頂いたものでした。
観音堂から庫裏にかけての庭は織田有楽斉の手によるものであるとか。
これらの庭を毎日眺めつつ、同宿の大先輩方に奈良の歴史や史跡の話を伺い、
この玄関を抜けて、
この門をくぐって奈良の町に出掛けて行った頃のことを思い出したのでした。
いずれにせよ、この父の思い出の寺を娘も気に入ってくれた様子だったのはとても幸いなことでした。
そこで新薬師寺が取り上げられ、それを見た娘が「いいなぁ、行きたいなぁ」と思わずつぶやいた時、わたしの中にもわき上がる懐かしいものがあり、ぜひ連れて行ってやりたいと思ったのでした。
(調べたら動画が見つかりました。こちらです)
わたしが新薬師寺の宿坊にお世話になったのは、調べてみると何と今から33年も前のこと。
1週間近く泊めていただき、そこを拠点にそれこそ奈良中を歩き回ったのでした。
大好きだった興福寺国宝館には毎日のように通いましたが、それ以上に朝夕通ったのは勿論この新薬師寺本堂でした。
本尊である薬師如来様と十二神将を、宿泊客は拝観時間に関係なく早朝夕刻にお詣りする事が出来たのでした。
仏像が好きだという娘にもぜひその経験をさせてやりたいと調べたのですが、残念なことに宿坊は6年前にやめられたとのこと。まあ、そのお陰で今回の宿泊先「ゲストハウス奈良バックパッカーズ」と出会えたのですが、それはまた後ほど…。
今回の旅行の最終日になりましたが、ようやく新薬師寺を訪ねる事が出来ました。
毎日歩いて通った高畑の路は今もさほど変わっていない気がしました。
そして、もちろん変わる筈のない山門と本堂、築地塀。
南門をくぐり、本堂手前左手に建つ地蔵堂を巡れば、そこに観音堂(香薬師堂とも)へと通じる小さな門があります。
石張りの路を辿って池を渡り、正面の観音堂から右手を見たところにかつて宿坊であった庫裏が今もかつての佇まいのままに残っていました。
かつてこの宿坊で相部屋となった方のうち、栃木県栃木市の高校で社会科の教諭をされていた方と福井県小浜市の郷土史家の方には特に親しくして頂き、旅の後もしばらくの間手紙での交流をさせて頂いたものでした。
観音堂から庫裏にかけての庭は織田有楽斉の手によるものであるとか。
これらの庭を毎日眺めつつ、同宿の大先輩方に奈良の歴史や史跡の話を伺い、
この玄関を抜けて、
この門をくぐって奈良の町に出掛けて行った頃のことを思い出したのでした。
いずれにせよ、この父の思い出の寺を娘も気に入ってくれた様子だったのはとても幸いなことでした。