ガーデンの原風景
テーマ:思い
2009/10/08 06:00
いつか機会があったら誰かにお話ししたいと思っていたことがあります。
古い写真で恐縮です。
私がまだ若かかりし…うーん、今から28年も昔、インドの中部ワルダという町で撮った写真です。
場所はポウナル・アシュラムといいます。
マハトマ・ガンジーをご存じの方はきっと多いと思います。
では、そのお弟子さんの中でも最後まで生き残り、ガンジーの教えを生涯を通じて伝え実践したヴィノバ・バーベーという方をご存じの方はいらっしゃいますか?
ガンジーの伝記などには、ガンジーの言葉の記録者として、また「塩の行進」や全国行脚の同行者として幾たびもその名は登場します。
わたしは1981年の8月、その彼を訪ねて彼の活動拠点であるポウナル・アシュラムを訪ねました。
その際、わたしを彼に結びつけてくださった数々の縁があるのですが、それはここでは省略します。
わたしはここで、わたしのガーデンの原風景について書きたいと思っています。
わたしはアシュラムを訪問して、それ以前の経験を生かして農業に携わりました。同室のギリー・ジーの指導を受けながら、わたしはアシュラムの中庭にある菜園の耕作をし、花の手入れをしました。
アシュラムは様々な活動に携わる人々が共同で生活する場です。
わたしたちのように自給用の野菜を作る者、それを調理する者、出版活動を行う者、有機的な農業の研究を行う者、全国行脚に出掛ける者、政治的な話し合いを行う者、ヴィノバ・バーベー・ジーの指導を仰ぐ者…
そして、そこは祈りの空間でもあります。
アシュラムでは朝と夕べの祈り(プジャ)の際、ヒンドゥーの神だけでなく、仏教やジャイナ強、バラモン教、さらにイスラムやキリスト教の神などにも祈りを捧げます。
敷地の外周を建物が連続し、部屋と部屋とは深いひさしを被った回廊がつなぎ、それらの中央にあるパティオは、庭であり、畑であり、花壇でもあります。
それはまた、人々の祈りの場であり、憩いの場であり、生活の場、交感の場でもあります。
わたしはかつて、そのようにしてとても濃密な時間を、中央インドのワルダという町で過ごす機会を得たのでした。
さて、わたしはこの庭を訪れたことを長い間忘れていました。
その後、土木、外構と職を変える間のおよそ20年もの間、思い出すことはほとんど有りませんでした。
でも、ガーデン設計と植物に関する様々なことを学び、ガーデンとそのデザインの意味を知り、そして仕事のスタイルを今のものに変えたとき、このポウナル・アシュラムの記憶は突然蘇ってきたのです。
わたしがいつか作りたい究極の庭…
わたしはそれに思い至りました。
以下、ガーデン・インスティテュートの講座で徳田千夏先生に提出したレポートから抜粋します。
それは、美しい花も咲き、果実も実り、野菜も育ち、それでいて単に暮らしだけでなく、それが人々の理想とする活動の中心となるようなガーデンです。
おそらく、これといったデザインが必要なのではなく、求められたところに求められた実がなり、咲くべくして美しい花が咲いて人々を癒すような、毅然として存在するのが、私の心の中にあるガーデンと言えると思います。
おそらく、仕事としては一生掛かっても作ることの出来ないガーデンであるかも知れません。
何故なら、それはそこに住んだり集ったりする人々の心までもデザインしなくてはならないから。
当然ながら個人的なものでも商業的なものでもありませんから、私が私自身の私費を投じないと実現できない庭です。いえ、仮に私費を存分に投じても難しいかも知れません。
なぜなら、イメージの中でそのガーデンはさらに成長し、インドにあったアシュラムの庭以上のものになってしまっているからです。
ただ、このガーデンのイメージを自分の理想の高いところに留め置いて生きることは、とても幸せなことです。
その庭に植わる樹の例えば一本を、こっそりお客様の庭に提案することも可能です。
その庭に流れる豊かな時間を、現実のお庭に持ち込むことも夢ではありません。
人々の心をデザインするなど、そんな大それた事を実際に出来るとは思いませんし、そんな傲慢は厳に戒めたいと思っていますが、でも、豊かな心を育てる空間を生み出す工夫と努力だけは、私にも許されている大切な仕事であると思います。
これがわたしにとってのガーデンの、とても大切な原風景です。
古い写真で恐縮です。
私がまだ若かかりし…うーん、今から28年も昔、インドの中部ワルダという町で撮った写真です。
場所はポウナル・アシュラムといいます。
マハトマ・ガンジーをご存じの方はきっと多いと思います。
では、そのお弟子さんの中でも最後まで生き残り、ガンジーの教えを生涯を通じて伝え実践したヴィノバ・バーベーという方をご存じの方はいらっしゃいますか?
ガンジーの伝記などには、ガンジーの言葉の記録者として、また「塩の行進」や全国行脚の同行者として幾たびもその名は登場します。
わたしは1981年の8月、その彼を訪ねて彼の活動拠点であるポウナル・アシュラムを訪ねました。
その際、わたしを彼に結びつけてくださった数々の縁があるのですが、それはここでは省略します。
わたしはここで、わたしのガーデンの原風景について書きたいと思っています。
わたしはアシュラムを訪問して、それ以前の経験を生かして農業に携わりました。同室のギリー・ジーの指導を受けながら、わたしはアシュラムの中庭にある菜園の耕作をし、花の手入れをしました。
アシュラムは様々な活動に携わる人々が共同で生活する場です。
わたしたちのように自給用の野菜を作る者、それを調理する者、出版活動を行う者、有機的な農業の研究を行う者、全国行脚に出掛ける者、政治的な話し合いを行う者、ヴィノバ・バーベー・ジーの指導を仰ぐ者…
そして、そこは祈りの空間でもあります。
アシュラムでは朝と夕べの祈り(プジャ)の際、ヒンドゥーの神だけでなく、仏教やジャイナ強、バラモン教、さらにイスラムやキリスト教の神などにも祈りを捧げます。
敷地の外周を建物が連続し、部屋と部屋とは深いひさしを被った回廊がつなぎ、それらの中央にあるパティオは、庭であり、畑であり、花壇でもあります。
それはまた、人々の祈りの場であり、憩いの場であり、生活の場、交感の場でもあります。
わたしはかつて、そのようにしてとても濃密な時間を、中央インドのワルダという町で過ごす機会を得たのでした。
さて、わたしはこの庭を訪れたことを長い間忘れていました。
その後、土木、外構と職を変える間のおよそ20年もの間、思い出すことはほとんど有りませんでした。
でも、ガーデン設計と植物に関する様々なことを学び、ガーデンとそのデザインの意味を知り、そして仕事のスタイルを今のものに変えたとき、このポウナル・アシュラムの記憶は突然蘇ってきたのです。
わたしがいつか作りたい究極の庭…
わたしはそれに思い至りました。
以下、ガーデン・インスティテュートの講座で徳田千夏先生に提出したレポートから抜粋します。
それは、美しい花も咲き、果実も実り、野菜も育ち、それでいて単に暮らしだけでなく、それが人々の理想とする活動の中心となるようなガーデンです。
おそらく、これといったデザインが必要なのではなく、求められたところに求められた実がなり、咲くべくして美しい花が咲いて人々を癒すような、毅然として存在するのが、私の心の中にあるガーデンと言えると思います。
おそらく、仕事としては一生掛かっても作ることの出来ないガーデンであるかも知れません。
何故なら、それはそこに住んだり集ったりする人々の心までもデザインしなくてはならないから。
当然ながら個人的なものでも商業的なものでもありませんから、私が私自身の私費を投じないと実現できない庭です。いえ、仮に私費を存分に投じても難しいかも知れません。
なぜなら、イメージの中でそのガーデンはさらに成長し、インドにあったアシュラムの庭以上のものになってしまっているからです。
ただ、このガーデンのイメージを自分の理想の高いところに留め置いて生きることは、とても幸せなことです。
その庭に植わる樹の例えば一本を、こっそりお客様の庭に提案することも可能です。
その庭に流れる豊かな時間を、現実のお庭に持ち込むことも夢ではありません。
人々の心をデザインするなど、そんな大それた事を実際に出来るとは思いませんし、そんな傲慢は厳に戒めたいと思っていますが、でも、豊かな心を育てる空間を生み出す工夫と努力だけは、私にも許されている大切な仕事であると思います。
これがわたしにとってのガーデンの、とても大切な原風景です。
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