宝登山のロウバイ
テーマ:植物
2010/01/24 22:51
秩父、快晴。
気温も上昇し、今日は首都圏から多くの観光客が押し寄せました。
私も今日は数ヵ月ぶりの完全休養にしようと決め、かねてから娘と約束していた宝登山に登ることにしました。
宝登山(ほどさん)。
標高497メートルですから登山というほどではありません。
山頂へと向かうハイキングコースは、宝登山神社の奥の宮への参道。
ロープウェイも通じており、山頂には小さな動物園と茶店と梅林と、ロウバイ園とがあります。
そのロウバイが例年より早く満開の見頃を迎え、今日は大勢の観光客が殺到しました。
われわれはそれを避けようと早めに家を出て、8時過ぎに登り始めたのでした。
空は青く、空気はキンと澄み切っています。
足元は昨夜の冷え込みそのままに、まだ凍結している場所もちらほら。
見下ろす荒川と並行する長瀞の町並みも、落葉樹と針葉樹との入り交じった山なみも美しく…
若葉の頃も美しいのですが、この落葉した木々の枝に僅かに新芽がふくらんで、淡くてふわりとした景色も美しいものです。
以前、参道の両側にうっそうと茂っていた杉の林でしたが、ここ数年かけて伐採され、新たに様々な落葉樹の苗木が植えられていました。
埼玉県と長瀞町と各企業との共同事業で、「未来へつなぐ」森事業、なのだそうです。
すっかり明るくなった参道は新鮮で、新しい森の誕生が予感されて気持ちも晴れやかにさせてもらえました。
この宝登山には少しプライベートな事情があり、毎年娘と登っているのですが、今年は正月から忙しくて年始めに来ることができず、今日はようやく訪れることが出来たのですが、うっかりロウバイの見頃に重なってしまいました。
が、せっかくの花の見頃ですから、楽しんでくることにしました。
登り初めてから奥の宮石段下まで35分。
山頂はロウバイの甘い香りで満たされていました。
ロウバイ。
落葉低木。蝋梅という名の通り、蝋細工のような鮮やかな花を咲かせます。
中国の原産で、17世紀に日本に渡ってきたそうです。
寒さのまだ厳しいこの季節に花を、それも鮮やかな黄色い花を咲かせるという点ではとても貴重な木です。
甘い香りと咲く時期、そしてその名前からして梅とおなじバラ科サクラ属かと思いきや、そのままロウバイ科ロウバイ属なのだと、これは今日になって初めて知った事実でした。
そして、梅園の方でもちらほらと梅のつぼみがふくらみかけていて…
ロウバイの華やかな香りとはまたひと味ちがう、しっとりと品のある香りを放ち始めていたのでした。
そうこうするうちに始発のロープウェイから降りてきた皆さんが殺到してきたので、われわれは早々に退散し、用事を済ませ、奥の宮にお参りして、ふたたび下山の途に就いたのでした。
今年はもう一度、山桜の花の頃に来ようと、娘と約束しました。
ホームページもぜひご覧下さい!
http://www.yui-garden.com/
モバイルサイトも立ち上げました。(トップページのQRコードからどうぞ)
気温も上昇し、今日は首都圏から多くの観光客が押し寄せました。
私も今日は数ヵ月ぶりの完全休養にしようと決め、かねてから娘と約束していた宝登山に登ることにしました。
宝登山(ほどさん)。
標高497メートルですから登山というほどではありません。
山頂へと向かうハイキングコースは、宝登山神社の奥の宮への参道。
ロープウェイも通じており、山頂には小さな動物園と茶店と梅林と、ロウバイ園とがあります。
そのロウバイが例年より早く満開の見頃を迎え、今日は大勢の観光客が殺到しました。
われわれはそれを避けようと早めに家を出て、8時過ぎに登り始めたのでした。
空は青く、空気はキンと澄み切っています。
足元は昨夜の冷え込みそのままに、まだ凍結している場所もちらほら。
見下ろす荒川と並行する長瀞の町並みも、落葉樹と針葉樹との入り交じった山なみも美しく…
若葉の頃も美しいのですが、この落葉した木々の枝に僅かに新芽がふくらんで、淡くてふわりとした景色も美しいものです。
以前、参道の両側にうっそうと茂っていた杉の林でしたが、ここ数年かけて伐採され、新たに様々な落葉樹の苗木が植えられていました。
埼玉県と長瀞町と各企業との共同事業で、「未来へつなぐ」森事業、なのだそうです。
すっかり明るくなった参道は新鮮で、新しい森の誕生が予感されて気持ちも晴れやかにさせてもらえました。
この宝登山には少しプライベートな事情があり、毎年娘と登っているのですが、今年は正月から忙しくて年始めに来ることができず、今日はようやく訪れることが出来たのですが、うっかりロウバイの見頃に重なってしまいました。
が、せっかくの花の見頃ですから、楽しんでくることにしました。
登り初めてから奥の宮石段下まで35分。
山頂はロウバイの甘い香りで満たされていました。
ロウバイ。
落葉低木。蝋梅という名の通り、蝋細工のような鮮やかな花を咲かせます。
中国の原産で、17世紀に日本に渡ってきたそうです。
寒さのまだ厳しいこの季節に花を、それも鮮やかな黄色い花を咲かせるという点ではとても貴重な木です。
甘い香りと咲く時期、そしてその名前からして梅とおなじバラ科サクラ属かと思いきや、そのままロウバイ科ロウバイ属なのだと、これは今日になって初めて知った事実でした。
そして、梅園の方でもちらほらと梅のつぼみがふくらみかけていて…
ロウバイの華やかな香りとはまたひと味ちがう、しっとりと品のある香りを放ち始めていたのでした。
そうこうするうちに始発のロープウェイから降りてきた皆さんが殺到してきたので、われわれは早々に退散し、用事を済ませ、奥の宮にお参りして、ふたたび下山の途に就いたのでした。
今年はもう一度、山桜の花の頃に来ようと、娘と約束しました。
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15年目の阪神淡路大震災
テーマ:思い
2010/01/17 13:15
昨日の井出さんのプログにもありましたが、今日であの阪神淡路大震災から15年目を迎えました。
数々の思いはありますが、ここではやはり井出さんと同様、あの時のことを教訓としてしっかり胸に刻みたいと思います。
実はこれから先の記事に対応する写真はありません。
ただ、それでは余りに読みづらいでしょうから、昨年の夏、震災の年に離れて以来、実に14年ぶりに訪ねた神戸で撮った写真を掲載させていただきます。
案の定、ガーデンの写真ばかりで記事の内容とはまったく関係ないのですが、ささやかなサービス精神と理解いただき、どうかご容赦下さい。
1995年、神戸の造園土木会社に勤めていたわたしは、震災の直後から取引先である大手住宅メーカーの神戸営業所に詰め、各地の被害状況調査に出向いていました。
これまでにその会社の下請けとして施工してきた何十軒ものお宅を訪問し、被害状況を聞き取り、あるいは調査し、早急に対処しないとオーナーや近隣の生活に支障をきたすもの、対応は必要なまでも緊急を要さないもの、もはや対応のしようも必要もないものなど、それらを仕分けてレポートするという気の遠くなるような作業でした。
気の遠くなるような…
無理もないのです。
調査範囲は神戸市内から芦屋、西宮、伊丹にまで及ぶにかかわらず、移動手段はわずかな本数のバスとあとは足だけでしたから。
実際のところ、安全靴にヘルメット、リュックサックを身につけて、瓦礫の山を乗り越え乗り越えての毎日でした。
あまりの被害状況のむごさに、ともすれば意気が萎え気が沈み、蓄積した疲労で道路に座り込んでしまうこともたびたびでしたが、不思議なことにそんな私に声を掛けて元気づけ、焚き火や甘酒で暖をとらせてくれたのは、被災者のみなさんでした。
「ありがとうな、がんばってや」
「ご苦労さんやな、大変やろ」
人間はここまで強くなれるし温かくなれるもんなのだと、涙腺が緩みっぱなしの毎日でした。
さて、そんな被害調査の結果です。
実際に早急に手当が必要だと報告した事例はわずかなものでした。
ほとんどがそのレベルを超過しているのです。
確かにブロック塀が倒壊し、玄関前のアプローチも瓦礫で塞がれているにしても、それ以前に道路が陥没している、隣家が傾いて建物を圧迫している、地盤が浮動沈下を起こしている…
あるいは、周囲が焼失して徒歩以外ではたどり着けなかったり、まず倒れた近隣住宅の撤去が先だったり、オーナーの避難先が不明で連絡がつかなかったり…
優先されるべき外構の復旧工事など、そう多くはなく、われわれは出来るところから少しずつ対応していくしかありませんでした。
そして、さすがに業界一二を争うトップメーカーだけに、地震そのもので建物に損傷が発生したお宅は皆無でした。
わたしが担当したお宅のうち、建物に被害が及んだのは僅かに2軒。
近隣の出火による類焼で焼失したお宅が1軒。
地盤の液状化現象で土地が動き、建物全体が傾いてしまったお宅が1件。
特に火災で全焼したお宅は、前年の年末に庭の工事を終えて引き渡したばかりのお宅でした。
また、年末に着工してその1月より本格施工に入る予定だったお宅もありました。
こちらはまったくの無傷でしたが、古い家屋の建ち並ぶ地域の中の新築物件だったので、その周辺の家屋全てが倒壊してしまい、そのお宅1軒だけがぽっかりと残る景色は、一種異様ながらとても衝撃的でした。
住宅メーカーとしてはまたとないピーアールの機会だったと思います。
大震災のなかで1軒だけ無傷だった**ハウス…
それはセンセーショナルな写真でした。
…後日談があります。
「あまり気乗りしないのだけど」
と、住宅メーカーの営業マンからの依頼があり、
他はさておき、あのお宅の外構を先に進めてはもらえないか…
本格的な広告媒体にする為に外構もそこそこ綺麗に仕上げたいとの上の意向が有ったとか。
わたしは即座に断りました。
他にもたくさん先を急ぐ災害復旧工事があるし、何よりも周辺の住民感情を考えたらそんなこととてもじゃないけど出来っこない。
そんなことしたら、石をぶつけられるでぇ。
…むろん、わたしはそんなことで石を投げるようなご近所でないことは重々知っていましたが。
結果的に我々は、そんなむごい仕事をしなくても済みました。
実際のところ、折り重なって倒れた何十棟もの周辺の家屋の解体撤去が済むまで、工事車両はそのお宅に近づくことさえ出来なかったのです。
さて、調査の中で、数多の倒壊したブロック塀を見ました。
井出さんのおっしゃるように、そのほとんどは無筋か、配筋がなされていても規格に満たなかったり、定着(複数本の鉄筋を連続して設置するときに定められた重ね合わせの長さ)されていなかったり…
しかし、仮にしっかりとした配筋がなされていたりしていても、倒壊したブロック塀もありました。
軟弱な地盤上に施工されたものは基礎ごと倒れていました。
丸棒と呼ばれる鉄筋などは戦前の施工だったのでしょうか。すでにブロックの中でボロボロに腐蝕していました。
ブロックそのものがすでにボロボロだったりするそうした古い時代の塀は、まず例外なく無事ではありませんでした。
もちろん地盤全体が隆起・沈下した場所では、すでに手抜き以前の問題として被害が発生しています。
あのスケールで被害の状況をつぶさに見せつけられたのです。
わたしの価値観も大きな転換を迫られることになりました。
それは地震に耐えられる構造物を造らなければならない、というレベルでは許されないものです。
地震で倒壊してその結果人命を奪う可能性のある構造物など、そもそも造ってはいけないのだ、と…
それがわたしの到達点でした。
門柱も、1メートルを越すブロック塀も、カーポートもパーゴラも造るべきではない。
はい。
それは完全なる自己否定でした。
突き詰めれば、ありとあらゆる文明すら否定することになる極論でした。
実際、神戸を離れたわたしには自分のしたい庭造りが見えなくなり、まあ、それ以外の事情もあって外構でも造園でもない、一般土木の職に就きました。
それから後のことは、先に書いたダムに関する記事の中で、少し触れています。
そして、わたしは結局また、ここに戻ってきました。
もちろん、今もあの時の極論を唱えるつもりはありません。
ただ、わたしのしたい仕事の根底にあるのは、結局のところそういうことなのです。
わたしのつくりたい庭は、巨大な地震に耐えるだけが取り柄の庭ではなく、
当然ながら、焼け跡の中にぽっかり生き残ってそれを自慢できるような、そんな大手住宅メーカーが求めるような庭でもありません。
強いて言うなら、そう、
あの被災地の瓦礫の中で疲れ果てたわたしを手招いて、焚き火に当たらせてくれた、あのおばちゃんやおっちゃんたちが見て、
綺麗やねえ、
気持ちがええねえ、
と喜んでくれるような庭でしょうか?
彼らにはきっと派手な門柱や、ぐるりと高く囲った塀など、無用なものでしょうからね。
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数々の思いはありますが、ここではやはり井出さんと同様、あの時のことを教訓としてしっかり胸に刻みたいと思います。
実はこれから先の記事に対応する写真はありません。
ただ、それでは余りに読みづらいでしょうから、昨年の夏、震災の年に離れて以来、実に14年ぶりに訪ねた神戸で撮った写真を掲載させていただきます。
案の定、ガーデンの写真ばかりで記事の内容とはまったく関係ないのですが、ささやかなサービス精神と理解いただき、どうかご容赦下さい。
1995年、神戸の造園土木会社に勤めていたわたしは、震災の直後から取引先である大手住宅メーカーの神戸営業所に詰め、各地の被害状況調査に出向いていました。
これまでにその会社の下請けとして施工してきた何十軒ものお宅を訪問し、被害状況を聞き取り、あるいは調査し、早急に対処しないとオーナーや近隣の生活に支障をきたすもの、対応は必要なまでも緊急を要さないもの、もはや対応のしようも必要もないものなど、それらを仕分けてレポートするという気の遠くなるような作業でした。
気の遠くなるような…
無理もないのです。
調査範囲は神戸市内から芦屋、西宮、伊丹にまで及ぶにかかわらず、移動手段はわずかな本数のバスとあとは足だけでしたから。
実際のところ、安全靴にヘルメット、リュックサックを身につけて、瓦礫の山を乗り越え乗り越えての毎日でした。
あまりの被害状況のむごさに、ともすれば意気が萎え気が沈み、蓄積した疲労で道路に座り込んでしまうこともたびたびでしたが、不思議なことにそんな私に声を掛けて元気づけ、焚き火や甘酒で暖をとらせてくれたのは、被災者のみなさんでした。
「ありがとうな、がんばってや」
「ご苦労さんやな、大変やろ」
人間はここまで強くなれるし温かくなれるもんなのだと、涙腺が緩みっぱなしの毎日でした。
さて、そんな被害調査の結果です。
実際に早急に手当が必要だと報告した事例はわずかなものでした。
ほとんどがそのレベルを超過しているのです。
確かにブロック塀が倒壊し、玄関前のアプローチも瓦礫で塞がれているにしても、それ以前に道路が陥没している、隣家が傾いて建物を圧迫している、地盤が浮動沈下を起こしている…
あるいは、周囲が焼失して徒歩以外ではたどり着けなかったり、まず倒れた近隣住宅の撤去が先だったり、オーナーの避難先が不明で連絡がつかなかったり…
優先されるべき外構の復旧工事など、そう多くはなく、われわれは出来るところから少しずつ対応していくしかありませんでした。
そして、さすがに業界一二を争うトップメーカーだけに、地震そのもので建物に損傷が発生したお宅は皆無でした。
わたしが担当したお宅のうち、建物に被害が及んだのは僅かに2軒。
近隣の出火による類焼で焼失したお宅が1軒。
地盤の液状化現象で土地が動き、建物全体が傾いてしまったお宅が1件。
特に火災で全焼したお宅は、前年の年末に庭の工事を終えて引き渡したばかりのお宅でした。
また、年末に着工してその1月より本格施工に入る予定だったお宅もありました。
こちらはまったくの無傷でしたが、古い家屋の建ち並ぶ地域の中の新築物件だったので、その周辺の家屋全てが倒壊してしまい、そのお宅1軒だけがぽっかりと残る景色は、一種異様ながらとても衝撃的でした。
住宅メーカーとしてはまたとないピーアールの機会だったと思います。
大震災のなかで1軒だけ無傷だった**ハウス…
それはセンセーショナルな写真でした。
…後日談があります。
「あまり気乗りしないのだけど」
と、住宅メーカーの営業マンからの依頼があり、
他はさておき、あのお宅の外構を先に進めてはもらえないか…
本格的な広告媒体にする為に外構もそこそこ綺麗に仕上げたいとの上の意向が有ったとか。
わたしは即座に断りました。
他にもたくさん先を急ぐ災害復旧工事があるし、何よりも周辺の住民感情を考えたらそんなこととてもじゃないけど出来っこない。
そんなことしたら、石をぶつけられるでぇ。
…むろん、わたしはそんなことで石を投げるようなご近所でないことは重々知っていましたが。
結果的に我々は、そんなむごい仕事をしなくても済みました。
実際のところ、折り重なって倒れた何十棟もの周辺の家屋の解体撤去が済むまで、工事車両はそのお宅に近づくことさえ出来なかったのです。
さて、調査の中で、数多の倒壊したブロック塀を見ました。
井出さんのおっしゃるように、そのほとんどは無筋か、配筋がなされていても規格に満たなかったり、定着(複数本の鉄筋を連続して設置するときに定められた重ね合わせの長さ)されていなかったり…
しかし、仮にしっかりとした配筋がなされていたりしていても、倒壊したブロック塀もありました。
軟弱な地盤上に施工されたものは基礎ごと倒れていました。
丸棒と呼ばれる鉄筋などは戦前の施工だったのでしょうか。すでにブロックの中でボロボロに腐蝕していました。
ブロックそのものがすでにボロボロだったりするそうした古い時代の塀は、まず例外なく無事ではありませんでした。
もちろん地盤全体が隆起・沈下した場所では、すでに手抜き以前の問題として被害が発生しています。
あのスケールで被害の状況をつぶさに見せつけられたのです。
わたしの価値観も大きな転換を迫られることになりました。
それは地震に耐えられる構造物を造らなければならない、というレベルでは許されないものです。
地震で倒壊してその結果人命を奪う可能性のある構造物など、そもそも造ってはいけないのだ、と…
それがわたしの到達点でした。
門柱も、1メートルを越すブロック塀も、カーポートもパーゴラも造るべきではない。
はい。
それは完全なる自己否定でした。
突き詰めれば、ありとあらゆる文明すら否定することになる極論でした。
実際、神戸を離れたわたしには自分のしたい庭造りが見えなくなり、まあ、それ以外の事情もあって外構でも造園でもない、一般土木の職に就きました。
それから後のことは、先に書いたダムに関する記事の中で、少し触れています。
そして、わたしは結局また、ここに戻ってきました。
もちろん、今もあの時の極論を唱えるつもりはありません。
ただ、わたしのしたい仕事の根底にあるのは、結局のところそういうことなのです。
わたしのつくりたい庭は、巨大な地震に耐えるだけが取り柄の庭ではなく、
当然ながら、焼け跡の中にぽっかり生き残ってそれを自慢できるような、そんな大手住宅メーカーが求めるような庭でもありません。
強いて言うなら、そう、
あの被災地の瓦礫の中で疲れ果てたわたしを手招いて、焚き火に当たらせてくれた、あのおばちゃんやおっちゃんたちが見て、
綺麗やねえ、
気持ちがええねえ、
と喜んでくれるような庭でしょうか?
彼らにはきっと派手な門柱や、ぐるりと高く囲った塀など、無用なものでしょうからね。
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キフツゲート・コート・ガーデンズⅡ~イングリッシュ・ガーデンの旅 12
テーマ:イングリッシュガーデン
2010/01/11 05:46
引き続き、キフツゲート・コート・ガーデンズの散策から。
素晴らしいホワイト・サンク・ガーデンを後にしたわたしが、誘われるように導かれたのはハウスのすぐ下に展開するワイド・ボーダーでした。
初夏の宿根草が鮮やかに美しさを競い合う、それもまた素晴らしいガーデンでした。
前回のヒドコート・マナー・ガーデンの紹介の中でコテージ・ガーデンについて触れました。
区切られた空間の中で宿根草たちをのびのびと自由奔放に育てる…
ただ、もちろんそこにははっきりとした植栽計画-プランツ・プランのあることはいうまでもありません。
その顕著な例をわたしはいつもボーダー・ガーデンに見ることが出来ます。
この庭園のイエロー・ボーダー。
そして、ヒドコート・マナーのレッド・ボーダー。
それぞれのホワイト・ガーデン…
あるいはこのワイド・ボーダーのように、様々な色彩を重ね合わせた多色構成のボーダーも随所に見られます。
その基本はもちろん色彩の組合せ。
高低のバランス。
そして、時間の経過によるそれぞれの変化です。
それらに対する考察と研鑽なくしては生まれることのない美に、われわれはこうして酔いしれることができます。
わたしもそれが職業ですから、こうしたボーダーを小規模ながら手がけることがあります。
が、自分の関与できるのは最初の段階だけ、ということを常に念頭に置かなくてはなりません。
それから先ずっと関わり、手を加えていくことが出来るなら、今あわてて植えなくても良い宿根草があります。
秋の切り戻しを前提としてその背後に春先の宿根草を植え込むこともできます。
球根の仕込みなど、まして季節が限定されてしまいます。
それが出来るのはつまるところ、オーナーのみなさん。
わたしは庭を作ると言いながら、オーナーのみなさんの庭づくりのお手伝いをしているに過ぎないと言う思いです。
そして、そう割り切りながらもそれでは余りに淋しいので、季節ごとについいそいそと出掛けていき、庭の手入れのお手伝いをさせて頂いたりします。
そのようなお庭が、ありがたいことにもう十数軒になったでしょうか?
季節になるとそうしたほとんど利益の出ないお仕事が目白押しとなり、経営をものすごく圧迫するのですが、これが個人経営の醍醐味です。そうそうやめられるものではありません。
もちろん、自分の手がけたガーデンがいつまでも美しくあってくれれば、それはとても有効な広告媒体となってくれます。そうした戦略がまったく無いと言えば、それは嘘になります。
ただ、それ以前にわたしはそれらのガーデンたちからとても有意義なものを学ばせてもらっているのです。
たとえば、わたしの植えた植物が1年後、2年後、あるいは5年後、10年後にどの程度まで育っているのか…
病害虫のこともあります。その土地との相性もあります。
書物だけでは分からない植物たちの季節ごとの変化は、その後の植栽設計においてとても大切な情報です。
また、その都度お客さまとその後の植栽計画を検討する機会もあります。
こうした色彩花壇の、色の組合せの美しさ、調和の妙は一朝一夕に出来るものではないと、わたしは感じています。
もちろん失敗もありますし、試行錯誤もあります。
でもそれはそれ以前に、それらの植物固有の色がその場所、その時間の中で個別に育まれているから…
だから何年もかけて、いくつもの季節の中で少しずつ色を重ねていくことで、本当のカラー・スキムは実現するのではないか…
これもまた、その後のオーナーのみなさんとのおつき合いの中で学ばせて頂いたことです。
さて、物思いにふけるのはこの辺にして、庭園の散策に集中したいと思います。
ワイド・ボーダーの先から道は崖をくだり、ロウアー・ガーデンへと向かいます。
ぼんやりして足を踏み外すと危険ですから(笑)!
ライム・ストーンと呼ばれるコッツウォルズ地方独特の蜂蜜色の石灰岩…
その石組みと階段が続きます。
石の間にはセダムも覗き、
急な階段も、深い緑に涼しげでした。
降り立った緑のテラスにあるのはプール。
木陰を選んで寝そべる見学者たち。
あっ、わたしも寝そべりました。
午前中と打って変わったこのゆとり…
小さな落ち着いた庭園で、見学者もまばらだったからですね。
眼下にはコッツウォルズの丘陵が拡がり、
羊たちも寝そべっていました。
そして振り返れば、地中海の植物を集めたというロウアー・ガーデンが包み込むように…
中央のサマーハウスです。
再び、アッパー・ガーデンへの登り道にて。
登り切ったアッパー・ガーデンで、先ほどは上から見おろしただけのブリッジ・ガーデン。
これはローズ・ボーダーとホワイト・サンク・ガーデンを仕切るように掘られた空堀の底です。
この上をワイド・ボーダーとイエロー・ボーダーを結ぶ橋が渡っています。
最後に再びホワイト・サンク・ガーデンヘ。
じつはこの日4度目の訪問でした。
。
大好きなシシリンチウム…
それらに別れを告げました。
このあとわれわれはバスでロンドンに戻り、わずかな休憩をはさんですぐさまケンジントンパレスに繰り出し、
そのケンジントン・ガーデンズのフラワー・ウォークからハイド・パークのローズ・ガーデンまでを踏破し(これは先にレポートいたしました)、
さらには美味いビールを求めてパブに乗り込むのですが、
それはこの後、およそ8時間も後の話です。
なんにしても、最高に素敵で壮絶な1日でした。
次回はイギリス5日目。
RHSの総本山、ウィスリー・ガーデンを訪ねます。
膨大な写真の山をどう整理するか…
今から楽しみです。
ホームページもぜひご覧下さい!
http://www.yui-garden.com/
素晴らしいホワイト・サンク・ガーデンを後にしたわたしが、誘われるように導かれたのはハウスのすぐ下に展開するワイド・ボーダーでした。
初夏の宿根草が鮮やかに美しさを競い合う、それもまた素晴らしいガーデンでした。
前回のヒドコート・マナー・ガーデンの紹介の中でコテージ・ガーデンについて触れました。
区切られた空間の中で宿根草たちをのびのびと自由奔放に育てる…
ただ、もちろんそこにははっきりとした植栽計画-プランツ・プランのあることはいうまでもありません。
その顕著な例をわたしはいつもボーダー・ガーデンに見ることが出来ます。
この庭園のイエロー・ボーダー。
そして、ヒドコート・マナーのレッド・ボーダー。
それぞれのホワイト・ガーデン…
あるいはこのワイド・ボーダーのように、様々な色彩を重ね合わせた多色構成のボーダーも随所に見られます。
その基本はもちろん色彩の組合せ。
高低のバランス。
そして、時間の経過によるそれぞれの変化です。
それらに対する考察と研鑽なくしては生まれることのない美に、われわれはこうして酔いしれることができます。
わたしもそれが職業ですから、こうしたボーダーを小規模ながら手がけることがあります。
が、自分の関与できるのは最初の段階だけ、ということを常に念頭に置かなくてはなりません。
それから先ずっと関わり、手を加えていくことが出来るなら、今あわてて植えなくても良い宿根草があります。
秋の切り戻しを前提としてその背後に春先の宿根草を植え込むこともできます。
球根の仕込みなど、まして季節が限定されてしまいます。
それが出来るのはつまるところ、オーナーのみなさん。
わたしは庭を作ると言いながら、オーナーのみなさんの庭づくりのお手伝いをしているに過ぎないと言う思いです。
そして、そう割り切りながらもそれでは余りに淋しいので、季節ごとについいそいそと出掛けていき、庭の手入れのお手伝いをさせて頂いたりします。
そのようなお庭が、ありがたいことにもう十数軒になったでしょうか?
季節になるとそうしたほとんど利益の出ないお仕事が目白押しとなり、経営をものすごく圧迫するのですが、これが個人経営の醍醐味です。そうそうやめられるものではありません。
もちろん、自分の手がけたガーデンがいつまでも美しくあってくれれば、それはとても有効な広告媒体となってくれます。そうした戦略がまったく無いと言えば、それは嘘になります。
ただ、それ以前にわたしはそれらのガーデンたちからとても有意義なものを学ばせてもらっているのです。
たとえば、わたしの植えた植物が1年後、2年後、あるいは5年後、10年後にどの程度まで育っているのか…
病害虫のこともあります。その土地との相性もあります。
書物だけでは分からない植物たちの季節ごとの変化は、その後の植栽設計においてとても大切な情報です。
また、その都度お客さまとその後の植栽計画を検討する機会もあります。
こうした色彩花壇の、色の組合せの美しさ、調和の妙は一朝一夕に出来るものではないと、わたしは感じています。
もちろん失敗もありますし、試行錯誤もあります。
でもそれはそれ以前に、それらの植物固有の色がその場所、その時間の中で個別に育まれているから…
だから何年もかけて、いくつもの季節の中で少しずつ色を重ねていくことで、本当のカラー・スキムは実現するのではないか…
これもまた、その後のオーナーのみなさんとのおつき合いの中で学ばせて頂いたことです。
さて、物思いにふけるのはこの辺にして、庭園の散策に集中したいと思います。
ワイド・ボーダーの先から道は崖をくだり、ロウアー・ガーデンへと向かいます。
ぼんやりして足を踏み外すと危険ですから(笑)!
ライム・ストーンと呼ばれるコッツウォルズ地方独特の蜂蜜色の石灰岩…
その石組みと階段が続きます。
石の間にはセダムも覗き、
急な階段も、深い緑に涼しげでした。
降り立った緑のテラスにあるのはプール。
木陰を選んで寝そべる見学者たち。
あっ、わたしも寝そべりました。
午前中と打って変わったこのゆとり…
小さな落ち着いた庭園で、見学者もまばらだったからですね。
眼下にはコッツウォルズの丘陵が拡がり、
羊たちも寝そべっていました。
そして振り返れば、地中海の植物を集めたというロウアー・ガーデンが包み込むように…
中央のサマーハウスです。
再び、アッパー・ガーデンへの登り道にて。
登り切ったアッパー・ガーデンで、先ほどは上から見おろしただけのブリッジ・ガーデン。
これはローズ・ボーダーとホワイト・サンク・ガーデンを仕切るように掘られた空堀の底です。
この上をワイド・ボーダーとイエロー・ボーダーを結ぶ橋が渡っています。
最後に再びホワイト・サンク・ガーデンヘ。
じつはこの日4度目の訪問でした。
。
大好きなシシリンチウム…
それらに別れを告げました。
このあとわれわれはバスでロンドンに戻り、わずかな休憩をはさんですぐさまケンジントンパレスに繰り出し、
そのケンジントン・ガーデンズのフラワー・ウォークからハイド・パークのローズ・ガーデンまでを踏破し(これは先にレポートいたしました)、
さらには美味いビールを求めてパブに乗り込むのですが、
それはこの後、およそ8時間も後の話です。
なんにしても、最高に素敵で壮絶な1日でした。
次回はイギリス5日目。
RHSの総本山、ウィスリー・ガーデンを訪ねます。
膨大な写真の山をどう整理するか…
今から楽しみです。
ホームページもぜひご覧下さい!
http://www.yui-garden.com/