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地震のあと03

テーマ:思い
昨日のブログの中で、わたしはとてもつまらないことを書いてしまった。

手元にガソリンが無くなってしまったから、しばらくの間わたしの経済活動は中止となる…

なんと愚かなことだろう。

実はこの週末にお打ち合わせが3件控えている。
メンテナンスが一件。
やりかけて仕上げを待つだけの仕事が1件。
着工前のお宅が数件。

震災の影響を理由に中止や延期をお願いすれば、快く応じてくださるお客さまばかりだ。
でもそれにしても、どうして当然のようにガソリンが無くなりクルマが動かせなかったら仕事が出来ないと考えてしまったのだろう。

阪神淡路の頃のことを、せっかく思いだしたばかりだと言うのに…

当時のことは昨年の1月、15年目の阪神淡路大震災というブログに書いた。
その文中にも有るとおり、当時わたしは背中にリュックを背負い、僅かに動く電車とバスと後は徒歩だけを頼りに被災地を歩き回った。復興作業に入ってからも、クルマでアプローチ出来ない箇所には工具類を担いで踏み込んでいった。勿論、それだけの緊急性が有ったのだが…

どうして今それが出来ないと思ってしまったのだろう?
たしかに16年の歳月がわたしの若さを奪っていたとしても、仕事に対する情熱はあの頃をはるかに上回っている筈なのに!

幸いなことにここからそれぞれのお宅まで、町営バスと秩父鉄道を乗り継げば、最寄りの駅から最大でも数キロの距離しかないことを、明け方に気付いてから先ほどまでの間に確認出来た。それならリュックと両手に工具を抱えたにしても、充分アプローチ出来る。
そう思うと途端に気持ちが晴れやかになった。
行列に並ぶのを嫌ってガソリンを手に入れられなかったのは、職業人としてはとても自覚に欠けることだった。だから、その事で約束を違えたり仕事を遅らせたりするのは恥ずかしいことだと感じ、なんとか手持ちのガソリンで行けるところまで行ってみようと燃費計算をしていたのだ。歩いていけば良いと思った途端、その焦りが消えてすっきりした。

先のブログで、自分の持ち場で自分に出来る経済活動をしっかり行うことが大切であると書き、何人かの方の賛同を得た。それなのにガソリンが無くなった程度のことで途端に意気消沈してここでそれを停止してしまうのは、それこそ思うつぼだ。
なんの思うつぼ?
そう、われわれ人間が前を向いて生きようとする気力をくじこうとして、こうした災厄と混乱を招いている何物かの、思うつぼだ。
だから、その手には乗らない。


娘の中学の生徒会で義援金の募金活動を始めたそうだ。

わたしはわたしの経済活動を再開しよう。




よろしければ、ホームページもご覧下さい。
 http://www.yui-garden.com/



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地震のあと02

テーマ:思い
亡くなった家内は生前、行列を作ってまでものを買うのを極端に嫌った。
並ばないと食べ物が手に入らないなら、飢えて死んだ方がマシとさえ言っていた。
独特の価値観であり美意識であって、手放しで誉められないのだけれど、わたしは割と共感していた。
現在中学2年になるひとり娘も、別に母親から訓戒を受けた訳でもないのにまったく同じ美意識を持っている。人を押しのけてまで生きることに執着することを、どうやら醜いことだと思っているらしい。生への執着が希薄なのは、わたしの教育が間違っていたのだろうか。それとも母親から受け継いだDNAのなせる業か…。
いずれにしても、災害時には絶対生き残れないタイプだろう。生き残る生き残れないはともかくとしても、他者だけでなく自分の命をもっと大切に思えるよう導くのが、わたしの役割だろうと考えている。

ガソリンスタンドからガソリンが消えた。
風評やパニック心理のせいもあるのだろうが、このところずっとスタンドには長蛇の列が出来、そうしたスタンドも次々と休業し、昨日あたりは現場に向かう1時間半ほどの間に1軒も開いていなかった。
妻や娘同様に行列に並ぶことが好きでないわたしのクルマに、残ったガソリンはごく僅かなものとなってしまった。
まあ良い。
昨日無事にコンクリートの打設を終え、これで万が一わたしの身に何があってもお客さんに掛かる迷惑は最小限のものになったと思う。型枠の脱型と現場の仕上げは行列なしで給油出来るようになってからで良いだろう。
別にわたしが買い損なったガソリンが被災地に廻される訳ではないし、わが家が買い出しを自粛することにした乾電池とか即席麺とか灯油とかが、その分被災者の皆さんの手元に届く訳ではないのだけど…
そうそう。単に美意識だとしたらまったくの自己満足に老祖母と娘を巻き込んでいるに過ぎない。まあ、娘は賛同してくれるだろうけれど。

そんな訳で残念なことにわたしの経済活動は、ここではかなくも中止となる。
今後は会社や近場で出来る仕事に専念したい。
幸いなことに近場でもわたしを必要としてくれている人が居てくれているので…

サンフランシスコに住む古い友人が昨日教えてくれたビデオがある。
「3/14(第4回)福島原発に関するCNIC記者会見 中継」と題された東芝の元原子炉格納容器設計者である後藤政志さんの会見の様子である。
1時間以上に及ぶ長くて、しかもたどたどしい会見だが、その内容には驚かされたし深い感銘を受けた。
ぜひ観ていただきたい。

http://www.ustream.tv/recorded/13320522

わたしの比では全くないが、こうした危機的状況のときこそ、しっかりとした信念と価値観、それに時として美意識をもって事に臨むべきであることを強く示唆してくれている。

地震のあと

テーマ:思い
地震から一日半が経過して、ようやく散乱した部屋の片づけをした。
当日は停電で手の付けようがなかったし、昨夜は電気が戻っていたけれど、東北地方の惨状を知って手を付ける気力を失った。

地震発生時は現場にいて、あまりの揺れの激しさに立っているのさえおぼつかなかった。
まず頻発していた三陸沖が震源かとも思ったが、これがもしそうならあちらはいったいどういうことになっているのかと恐ろしくなった。それくらいの揺れだったし、激しい余震が何度もきた。
当然の事ながら電話は通じず、ラジオの放送だけでは被害の様子が一向につかめず、とりあえずやりかけた作業を終え(モルタルはすでに液状化を起こしていたので全て回収して練り直して)、施主さんのお宅の中の余震で倒れたら困る重量物を安全なところに移して、停電で信号機の止まってしまった街を帰路についた。
その間も情報を集めようとするのだが、被災地の惨状を知ることはその時点ではまだ出来なかった。

阪神淡路の被災地を思った。
おそらくあれよりもひどいに違いないとは想像出来た。

途中、信号が復旧していたので少し期待していたのだが、案の定わが家のある地区は真っ暗だった。
プロパンガスが無事だったので、鍋でご飯を炊きロウソクの灯りで夕食を摂った。
明日に備えて出掛けたスーパーから、すでにパンはごっそりと消えていた。
幸い電気なしで使える石油ストーブが1基あったのでそれ一台で家族4人暖をとって、ラジオだけを聞きながら長い夜を過ごした。

夜中にパソコンが息を吹き返す音で電気の復旧を知った。
その時間まで復旧作業に追われ続けてこれからもそれを繰り返すのであろう電力会社のみなさんのご苦労を思った。頭が下がる。

これから長い苦労が始まる。

被災者の救出、避難所の運営、ライフラインの復旧、仮設住宅の建設、瓦礫の片付け、町の再建…
阪神淡路を思い、中越地震を思って、またあの途方もなく長いプロセスが繰り返されるのかと暗澹たる気持ちになる。
が、そんなものではないということを昨夜のテレビ中継で思い知った。
阪神淡路については被災地で働いたから分かるが、あの時は活断層に沿って被害が集中して無事なところとそうでないところとが比較的はっきりとしていた。つまり、その気になれば被災地に直接アプローチ出来た。また、被害の軽い人が重い人の支援に廻ることも出来た。
でも今回は町がごっそり全部壊されている。ほとんどの人が同等の被害を受け、持てるものの全てを失っている。
だから、まったく外部からの支援を待つしかない。
被災者の救出以前に、まず安否確認だけでもまだまだ時間がかかるだろう。
さらには福島第一原発のトラブルもある。
いったい誰がどうやったらそれらの町を元に戻せるのだろうかと、そんなことを思いながらテレビの画面を見るのが辛かった。
その惨状を伝えるために撮られたヘリからの映像が、その騒音で救出作業や避難所生活にとんでもない障害と負担を与えていることを思いつつ。

いつもそうだが、いま自分に何が出来るのかと思う。

わたしはこれまでの経験で、それが、
自分の持ち場で自分に出来る経済活動をしっかり行うことだと知っている。
自分が本来抱えている責任を投げ出して、現地に赴いてボランティアに身を投じるのではないことを知っている。
しっかりと仕事をしてしっかりと収入を得て、それを支援に回せるのなら、それが一番良いことだと知っている。

明日からは計画停電がスタートする。
うちの町は初日の最初の時間帯から停電となる。そして、夕方から夜の8時までの一日2回らしい。
それがどれほどの不便だろうか?
少なくとも被災地の状況を思えば…

う~ん。
今年最初の生コン打設がようやく出来ると思っていたが、きっとプラントは操業停止に近い状態になるのだろうな。

わたしのデスクトップPCもしばらくは操業停止…かもしれない。
ブログも再びお休みとなりそうだけど、その間、誰にも恥じることのない仕事に務めたい。


こんな長々と書き連ねなければ、被災地のみなさんへの思いを表すことの出来ない自分だが、それでもまだまだ言葉が足りない気がする。

足らないあとの分は、ただひたすら、祈ろうと思う。


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向井康治

ガーデン工房 結 -YUI-は、埼玉を起点に植物を中心に据えたガーデンデザインと設計・施工を仕事とする会社です。
ただし、面白い仕事であれば時には利益も距離感覚も忘れ去る脳天気ぶり。
だから、この仕事にはいつも様々な出会いがあります。人、植物、もの、本、言葉、音楽…。

結 -YUI- はネットワークです。
それは多彩な技術や知識を持った人々が持てる力を共有し合うこと。
人と自然界の美とが満を持して出会うこと。

わたしが文芸、農業、インド、土木、外構、アウトドアと巡ってきた先の到達点は、おそらくそれらみんなの要素を遺憾なく結集することのできる、小宇宙 「ガーデン」でした。

ガーデンデザイナーとして、ガーデナーとして、これまでの、そしてこれから先の「出会い」を余すことなくお伝え出来ればと思います。

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