さんきゅ!
昨日の朝は光が葉っぱにスポットライトを当てていてスマフォですが撮りたくなりました。
カシワバアジサイの葉っぱです。
ばらもちらっと。
このブログを見てくださっている方々にこの一年感謝を込めて葉っぱで感謝を表しました。
あ~~風で・・・・。
来年もよろしくお願いします。
日曜日のガーデニング
この前の日曜日に夫婦で掛け声をかけて「気合入れて庭しようね。」とえいえいおーしました。
蚊もいなく紫外線も気にせず寒くも無く暑くも無く本当に気持ちがいいガーデニングでした。
美しい色だなと思ったニューサイランを合間で撮り、
ヒューケラの赤ちゃんを見つけ喜びました。
最後の方でゴールドライダーにイルミネーションを取り付けました。
ここにあった黒いクローバーがだんだん移動してついに無くなってきました。
とても気に入っていたのに。
四季で葉っぱが色々変化するんです。
でも娘んちに移植していたものがあったので採って来て鉢で増やすことにしました。
最盛期には歩くのも困るくらいだったのに。
多肉も秋になると色づく物が。
隣の息子んちに植えたウインターコスモスがたわわです。
うちはクレマチスジングルベルがたわわ。
小さい苗だったギョリュウバイ。
この花を切って飾っているとお客様で気に入った方がいてさしあげると喜ばれました。
きんかんが一つ。
レモンも一つなっています。
ラ・ローズ・ドゥ・モリナール。
ミニチュア ノアール。
スモークツリーがすっかり秋模様です。
なんだかんだたいして捗らなかったけど日が暮れてしまいました。
本日のガーデニング・・・・・・・終了!
枕木のウエルカム
先日枕木のウエルカムの修復に
徳島の吉野川へ孫と3人で行ってきました。
孫もちゃんとマイ袋で捜す気満々。
綺麗な色の石が。
帰りにひなびた温泉へ行って孫希望の刺身に舌鼓。
美味しい刺身に
目がきらきらです。
帰って修復したら、
徳島まで行ったかいがありました。
ニトリの工事始まりました。
うちの庭を囲うようにしてニトリの工事が始まりました。
このフェンスは今は囲いの塀をしていて何も見えません。
こっちが東側です。
ま、かんかん照りだったからちょうどよくなって北風や東からの台風にはいいかも。
2階建てで、そんなに高く無い建物らしいし。
前に見えている山は屋島。
ごみを放られることもないし。
来年の5月頃完成らしいけど、子供を遊ばせるプレイランドや食べもの屋さん2件できるみたいです。
毎日散歩?
夏はクーラーが効いていていいかも。
毎日来てるよと笑われるかも?
薔薇の実を高枝バサミで採っていたらギブアップ!
首が~~~。
変?痛い?凝る?もたない~~。
リースにしようかな?
これはローズマリーとセージの乾燥中。
今は多肉も綺麗だな~~。
この色好きだな。
ステンドグラスのトレーも作りました。
自己流なので習ったことある人はあまり見ないでね。
ヒューケラの花・・・ぴんぼけ。とにかくスマフォのカメラの調子が悪い・・・・カメラのせいにする。
いつもは閉めてエステしますが今日はちょっぴり開けて見ました。
いい加減恵みの雨期待したいわ~~。
種蒔き
ここ、レンガでバーベキューパーティーをする予定で主人に作ってもらっていたのですが、
一度もしないうちに撤去することになりました。
それでその後は、このオンファロデスの種をまくことにしました。
量はスーパーの袋に7分目くらい採っています。
苗床にしました。ここで半分くらい。
あとはレンガの小道沿いに。
来年もこういう風に。
ただ大雨で倒れこんでくるのは困りものです。
何も柵をしていないので。
種蒔きは本当に夢がもてます。
そして愛着も。
トウゴマの花
うちのお客様で高齢の方なのですが「若いわね~~。」とおっしゃりながら来店された。
どうしてなのかと聞くとこのとうごまのことだった。何も知らずに植えているのねといったような。
その方は戦時中この種を採ってひまし油を作っていたらしい。
学校中でこれを植え油を飛行機の燃料にと。
もうひとりのお客様が私と近いのだがそのことを話すと「どうりで負けるはずよね。」と言われた。
何も知らずにこれを植えて葉っぱの色を楽しんでいたけど、植物一つでも色々と思い出があるものだなと感じた。
トウゴマはヒマとも呼ばれる中国原産の油用植物。
北アフリカ原産であるが、和名からは中国経由で渡来したことがわかる。
日本では大型の1年草であるが、原産地では常緑で、電柱ほどの高さまで高くなるという。
種子から採れる油はヒマ子油(ひましゆ)と呼ばれ、強力な下剤として、医療にもちいられてきた。
ヒマシ油は低温でも固まりにくいことから高高度を飛行する航空機の潤滑油としても利用され、第二次世界大戦前後では大量に栽培されたので、栽培経験を持つ人も多い。
当時の品種は花が緑色のものであるが、現在栽培されているものは花や若芽が赤い「ベニヒマ(アカトウゴマ)」である。生花の花材として利用されるが、時折河原などに野生化したものが見られる。
草丈は2mほどになり、直径30~40cmほどもある大きな葉をつける。7つに深裂するが、葉柄は葉の中央につく。ベニヒマでは新芽は赤く、成葉は葉脈の部分が赤い。
花序は面白い配列であり、雌花が花序の上側に集まって付き、雄花は下側に付く(この逆が多い)。花の赤さは、なるほどトウダイグサ科の色であると納得できる。
赤い果実は褐色に熟し、3つに割れ、中に長さ1cmほどの種子が入っている。種子の表面は暗褐色の地に金色の文様があり、美しい。
じっと眺めていると、虫のようでもあり、クモの腹部を連想させる。
物語る聖書4 「とうごま」
神はヨナに言われた。
「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」
彼は言った。
「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
すると、主はこう言われた。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
(ヨナ書四章九~十一節)
* * *
変わり者のヨナじいさんを、おとなは馬鹿にしてつきあおうともしませんでしたが、わたしたちのようなこどもには不思議と人気がありました。だらしないかっこうでそこらをぶらぶらとしているじいさんの回りには、いつのまにかこどもたちが集まってきたものです。
ヨナじいさんは、しょっちゅうぶつぶつと何かつぶやいていましたが、機嫌がいいときには面白いお話をしてくれました。たいてい「わしがまだ若かったとき…」と始まり、「大いなる都ニネベ」に行くように命じられたのに反対方向のタルシシュに向った話、嵐の海に投げ込まれ大きな魚に飲み込まれた話、ニネベで悔い改めを呼びかけると王様までもが灰をかぶって悔い改めた話と、いつもの話を繰り返し面白がって聞いたものです。
あれは、とても暑い日でした。わたしたちが遊んでいると、畑の端のとうごまの茂みのあたりに人がやってくるのが見えました。顔見知りの若者たちのようです。暑い中、何か重たいものをひきずってきた様子で、それをどさっとなげだして、とうごまの陰で休もうとしているところでした。
「くそ、暑くてたまらないぜ。ろくな日陰もない。」
「ともかくこっちに寄れよ、日にさらされるのは良くないぞ。」
「あいつはどうする?」
「かまわん、放って置け。」
駆け寄ろうとして、ぎょっと立ち止まりました。日射しの中に、見なれない身なりの人が倒れているのです。服はあちこち破れ、血で汚れています。ひどく傷ついているようで、熱く焼けた地べたでかすかにあえいでいますが、身動きもできません。
だれかが「近寄るな!」とどなりました。びくっとしてふりかえると、若者たちがけわしい顔をしてにらんでいます。
どなったのは、「サムソン」というあだ名の男でした。体が大きく力があるだけでなく、なにか納得いかないことがあると、たとえ相手が村の長老であっても激しく食ってかかるので、みんなから一目置かれていました。近ごろ、エルサレムの偉い先生のところで何やら教わってきたということで、人々が会堂に集まるたびに熱っぽくいろいろ訴えていると噂になっていました。
「そいつは異邦人だ。主にむかって罪を犯したんだ。」
「赦すわけにはいかない。主の掟に従って罰を与えてやった。」
「おまえたちもよく見ておけ、主の怒りにふれたらどうなるか。」
とうごまの陰に座った若者たちは、恐い顔をして口々に言ってよこしました。いささか得意げな口調でもありました。
そこに、いつの間にか、ヨナじいさんが来ていたのです。若者たちは、じいさんにむかっても怒鳴りました。
「そいつに近寄るな!」
「主の怒りにふれても、誰もかばってはくれないぞ。」
サムソンが、重々しい口調で言いました。
「じいさん、あんたにだってわかるだろう。このとうごまも、こんなに枯れてきたら、もう引っこ抜くか焼き払うしかない。主は、ご自身に背いたままで従わない、腐って実を結ぼうとしない異邦人どもを、怒りをもって抜き、火をもって滅ぼされるのだ。」
若者たちが、大きくうなずきました。
ヨナじいさんはゆっくりとわたしたちのそばに来て、腰をおろしました。その顔が、少しこわばっているようにも見えましたが、やがて、わたしたちにむかって、もぐもぐと話し始めました。
「おまえさんたち、また面白いお話をしてあげよう。わしがまだ若かったとき、大いなる都ニネベに主の裁きを告げたのだが…」
若者たちは声をあげて笑いました。
「おい、まだニネベの話をしてるのかい。」
「まさかアッシリアの王に会ったなんて言うんじゃないだろうな。だとしたら、じいさん、あんた何百歳になるんだい、え?」
ヨナじいさんはかまわずに続けました。
「ニネベが悔い改めると、神は思い直して激しい怒りを静め、災いをくだすのをやめられた。わしはそれが気に入らずに、都を出て東のほうに座りこんだ。小屋を建てて日射しを避け、何が起こるか見届けようとしたのだ。すると神はとうごまに命じて芽を出させられた。とうごまが陰を作ったので、わしは大いに喜んだ。」
「へえ、とうごまの話は聞き覚えがないなあ。」
若者のひとりがまぜっかえしました。確かに、わたしたちも、とうごまの話は初めてでした。
「しかし、翌日、神は虫に命じてとうごまを食い荒らさせられたので、とうごまは枯れてしまった。太陽が照りつけるとわしはぐったりして、いっそ死んだほうがましだと腹を立てた。
神は言われた。『おまえはとうごまのことで怒るが、それは正しいことか。』わしは答えた。『もちろんです。死ぬほど腹立たしい思いです。』
すると、主はこう言われた。『おまえは、自分で育てたのでもないとうごまさえ、それほど惜しむのか。それならば、どうしてわたしが、このニネベの何万もの人々を惜しまずにいられるだろうか。』」
サムソンが、青ざめた顔でゆっくりと立ちあがりました。
「おい、じいさん、いったい何が言いたい。今のは、どういう意味だ。」
若者たちが、ヨナじいさんをとりかこみました。それからのことは…。
わたしたちがヨナじいさんを見たのは、それが最後でした。
* * *
よく言われることだが、ユーモアとは自分の愚かさ、みっともなさをさらけだす笑いであり、他人の愚かさを笑うエスプリとは区別される。つまり、ユーモアとは、自分自身の小ささ愚かさを認めることなしには生まれ得ないものなのだ。
だから、本来、信仰はユーモアと近しいものであるはずだ。信仰は、神の前での自分の小ささ、限界、罪を認識することなのだから。しかし、そうであるはずなのに、現実には必ずしも信仰とユーモアが親しい関係にあるとは言えないのはなぜだろう。
神と自分との間のとてつもなく遠い隔たりを忘れ、自分が神に近い存在であるかのようにふるまいはじめたとき、ユーモアは失われる。自分の小ささ、愚かさ、みっともなさを見ることをやめ、神の権威や力を、自分のものであるかのように考えはじめたとき、人は、きまじめな暴君となる。
「神の民」が、神の権威を自分たちの権威としたとき、選民意識と排他主義が頭をもたげ、自分たち以外の存在を「異邦人」として蔑み裁き、他者を傷つけ滅ぼすことをも正しいと信ずるようになった。ヨナ書は、そのような時代の流れに立ち向かおうとしたものだといわれる。
ヨナ書は、ユーモアに満ちた物語だ。ヨナの愚かさ、小ささ、情けなさが、物語をいきいきといろどっている。著者は、尊大で愚かにふるまうヨナを、批判しているのではない。自嘲しているのだ。自分たち「神の民」の姿は、しょせんこのようなものではないか、と。
ユーモアは、危険なものだ。自分の小ささ弱さをえぐりだして笑いにさらすことは、自分の傷をえぐる痛みをともなうことでもある。同じように、自分たちの時代、自分たちの社会、自分たちの群れの、愚かさ情けなさを笑うユーモアは、仲間が抱えるひそかな傷をえぐり、痛みをもたらすことでもある。だから、そういうユーモアは、その笑いの痛みに耐えることができない者を憤らせ、怒りをかう。
神の権威を自分のものとし、自分の裁きと怒りを正しいものとする人間の小ささ愚かさを笑うヨナ書のユーモアは、信仰の権威を振りかざす者にとっては危険なものであったはずだ。それにもかかわらず、不思議にもこの物語は保存され、聖書の列に加えられた。神の民の信仰は、ヨナ書のユーモアに耐えるくらいには健全であったといえるかもしれない。
聖書となったヨナの物語は、今もわたしたちに問いかけている。わたしたちの信仰は、はたしてユーモアに耐え得るものだろうか。ユーモアを失ったきまじめな信仰は、「正しい」裁きと「正しい」怒りに満ちたものになるだろう。しかし主は、ヨナの物語を通して、その「正しい怒り」にむかって問うのだ。「おまえは怒るが、それは正しいことか」と。
(久世そらち)
秋の庭のいろいろ。
猛暑から一転、秋の気配ぷんぷんですね。
ヒマラヤスギの下草にやぶらんを植えているのですが、
結構綺麗です。
薔薇もちらほら。
エキナセアはほったらかしでも咲いている。
隣の息子の家との間に水路があるのですが橋を架けました。
多分言われると思いますが言われたら除けようという感じ。
この道は自分ちでないですが草取りをして綺麗にしました。
結構疲れた~~!
冷凍していた苺で赤ワインたっぷり入れてゼリーも作りました。
これが一番好きという孫の為に。
ローリエの首飾り。
カレーなどには欠かせませんとFBでアップしたらコメントに「カレーを作る時にこれを首にかけてすると思ったけど違ったのね。」と言われて少しおかしかったです。
首にかけませんよ~~。
窓を開けるといい風が。
コバルトセージやロシアンセージが咲いています。
イチジクも採れるのでジャムやゼリーを。
被害にあった方の上に陰ながら復興を祈っています。
皆が寄ってくる?
こんなにあらわになってしまった。
バイパスから丸見えだ。
来年隣が来ると見えなくなる。
屋島総合病院も近くに寄ってきた。
高松中央病院も近くに建った。
娘にあれもこれもお母さんの近くに寄ってきたよと言うと、病院ばっかりねだって。
ワイヤープランツのカット
ワイヤープランツをカットしました。
すっきりしました。
気分いいな~~。
こちらも丸丸にしようかな?
カットして段々変になっていく息子のされるがままの顔を見て思わず噴出しそうになった息子の小学5年生の頃を思い出しました。
ここで笑うと二度とカットしてと頼まれないから頑張って耐えた私。
庭のカットは好きだな~~。
8月も末のリセの庭
りんごの下はエリゲロン。
この範囲だけで見れば綺麗ですがなんだかな~~といった拡がりを見せています。
ほっちっちってことなんですが。(笑)
りんごも観賞用くらいです。
るりまつりとカラミンサが咲いています。
カラミンサって強烈なハーブの匂いです。
何に効くかわからないけど一応匂いを満喫。
カンナダーバンと薔薇の新芽の赤い色が朝日の中でコラボ。
リコリスも小さなひまわりと一緒に可愛く咲いていました。
この小さいテーブルと椅子のセットはもう大分くたびれてきてお陀仏寸前。
上のもたれるところが外れては手で簡単に直しています。
二年前の台風で倒れて枯れた大きかったブルーアイスは、小さい苗からやり直してやっとここまで成長。
まるで子供の背が大きくなったと喜んでいるかのような私たち夫婦。
写真下手に写っているけど本当はこの色綺麗なんですよ。
左の銀葉アカシアプルプレアも台風に弱い子ちゃんなのでしょっちゅう剪定。
もうそろそろしどき。
それでリースを作ります。
まだまだ残暑厳しいですが皆様お体ご自愛ください。