ヒドコート・マナー・ガーデンⅠ~イングリッシュ・ガーデンの旅 09
テーマ:イングリッシュガーデン
2010/01/07 23:08
さて、うかうかしているうちに一昨年の旅の報告になってしまいました。
うかうかの原因は2008年6月23日、イギリスはコッツウォルズの名園ヒドコート・マナー・ガーデンの混雑であることは、以前のプログでも述べた気がします。
あまりの混雑に順路通りの見学が出来ず、撮った写真を時系列的に追っても何が何だか分からなくなってしまいました。
ですが、いつまでうかうかしていても記憶を取り戻せるほどの若さも、この先の存分な時間も無いわたしですから、ここは開き直ることにしました。
ヒドコート・マナーはわたしが今回の旅行でもっとも楽しみにしていたガーデンです。
そのガーデンの紹介に、順路は関係有りませんからね。
ヒドコート・ブルーと呼ばれる鮮やかな青に彩色されたベンチが素敵なフォーカル・ポイントとなって、われわれを迎えてくれました。
ヒドコート・マナー・ガーデンの名は英国庭園史の本を読めば必ず、ヴィクトリア朝時代の庭園が前世紀の風景式庭園を引きずり、壮大な貴族の館前に整形式花壇を現出させながらも「ガードネスク」として結実した挙げ句、なにやら混沌たる様相を呈したあとを受けるように、一服の清涼剤のようにして爽やかに登場します。
気取りのない親しみやすい庭。
整形式も風景式もない、ただ限られた空間を最大限に活かした素朴で奔放な庭。
世界中でかき集められた珍しい植物ではなく、ごくごく身近で親しい草花をのびのびと育てた庭。
そして、女性が初めてそのデザインと製作に関与できるようになった庭。
のちにコテージ・ガーデンと呼ばれるそうした庭の、さきがけとして紹介されることが多いのが、このヒドコート・マナーです。
これを作り上げたのは、ロウレンス・ジョンストン。
イギリス人ではなく、これがアメリカ人でした。
たまに日本庭園の歴史や作庭法にやけに詳しい外国人に出会いますが、他国の人間の方がその国の文化の本質をより深く理解できる場合があるのかもしれません。
少なくとも、ジョンストンはそうであったようです。
イギリス人よりもよりイギリス人らしく…そう希求した彼に、イタリア庭園を模した整形式の庭園など、きっと愚かしく思えたに違い有りません。
何と言ってもこのガーデンの特徴は、庭園全体をいくつかの部屋に分割し、全体としてのまとまりを出してその仕切にも直線を多用しつつ、各部屋の中では植物を自由自在に植え込むという奔放な演出にあるでしょう。
上のピラー・ガーデンも針葉樹をきっちりと刈り込みながら、その足元では宿根草がのびのびと生い茂っています。
そうかと思えば、突然のように出現する針葉樹の巨木…
ひとつの部屋を出ると次の部屋はまったく趣向、というようにホワイト・ガーデンがあり、レッド・ボーダーがあり、ドライ・ガーデンがありとワクワクさせてくれます。
プール・ガーデンの水を使った演出も、隣接する部屋からのその見せ方にもなかなかの洒脱さを感じさせられました。
こうした造園手法は、わたしがイギリスで最初に見たシシング・ハースト・キャッスルのヴィタ・サックヴィルにも影響を与えたと言われていますが、シシング・ハーストが女性らしい繊細さとまとまりのある構成力を持っていたのに対し、このヒドコート・マナーにはより大胆、より奔放という印象を強くさせられました。
前者が館を中心にして同心円的に外側に向かって緻密な庭から素朴な庭へと拡がっていくのに対し、こちらは突然のように直線的な空間構成を見せたりします。
たとえば、このロング・ウォーク。
途中の橋を越えて全長200メートルの真っ直ぐに伸びた直線は、わたしたちを誘うだけ誘っておいて、どん詰まりのゲートの向こうにあるのはただ広大な草原…
汗だくになってようやく辿り着いたわたしは、それでもロング・ウォークの東に並行するウィルダネスの林に分け入り木陰で束の間の涼を取ったりもしました。
そして西側のロック・バンクには乾いた通路の左右にドライ・ガーデンが展開しています。
現在はシシング・ハースト・キャッスルと同様、ナショナル・トラストによって管理され、この日も多くのガーデナーたちが初夏の宿根草の手入れや植え替えに余念がありませんでした。
というわけで、はい、次回はこの庭園で出会った植物たちを紹介できればと思います。
ホームページもぜひご覧下さい!
http://www.yui-garden.com/
うかうかの原因は2008年6月23日、イギリスはコッツウォルズの名園ヒドコート・マナー・ガーデンの混雑であることは、以前のプログでも述べた気がします。
あまりの混雑に順路通りの見学が出来ず、撮った写真を時系列的に追っても何が何だか分からなくなってしまいました。
ですが、いつまでうかうかしていても記憶を取り戻せるほどの若さも、この先の存分な時間も無いわたしですから、ここは開き直ることにしました。
ヒドコート・マナーはわたしが今回の旅行でもっとも楽しみにしていたガーデンです。
そのガーデンの紹介に、順路は関係有りませんからね。
ヒドコート・ブルーと呼ばれる鮮やかな青に彩色されたベンチが素敵なフォーカル・ポイントとなって、われわれを迎えてくれました。
ヒドコート・マナー・ガーデンの名は英国庭園史の本を読めば必ず、ヴィクトリア朝時代の庭園が前世紀の風景式庭園を引きずり、壮大な貴族の館前に整形式花壇を現出させながらも「ガードネスク」として結実した挙げ句、なにやら混沌たる様相を呈したあとを受けるように、一服の清涼剤のようにして爽やかに登場します。
気取りのない親しみやすい庭。
整形式も風景式もない、ただ限られた空間を最大限に活かした素朴で奔放な庭。
世界中でかき集められた珍しい植物ではなく、ごくごく身近で親しい草花をのびのびと育てた庭。
そして、女性が初めてそのデザインと製作に関与できるようになった庭。
のちにコテージ・ガーデンと呼ばれるそうした庭の、さきがけとして紹介されることが多いのが、このヒドコート・マナーです。
これを作り上げたのは、ロウレンス・ジョンストン。
イギリス人ではなく、これがアメリカ人でした。
たまに日本庭園の歴史や作庭法にやけに詳しい外国人に出会いますが、他国の人間の方がその国の文化の本質をより深く理解できる場合があるのかもしれません。
少なくとも、ジョンストンはそうであったようです。
イギリス人よりもよりイギリス人らしく…そう希求した彼に、イタリア庭園を模した整形式の庭園など、きっと愚かしく思えたに違い有りません。
何と言ってもこのガーデンの特徴は、庭園全体をいくつかの部屋に分割し、全体としてのまとまりを出してその仕切にも直線を多用しつつ、各部屋の中では植物を自由自在に植え込むという奔放な演出にあるでしょう。
上のピラー・ガーデンも針葉樹をきっちりと刈り込みながら、その足元では宿根草がのびのびと生い茂っています。
そうかと思えば、突然のように出現する針葉樹の巨木…
ひとつの部屋を出ると次の部屋はまったく趣向、というようにホワイト・ガーデンがあり、レッド・ボーダーがあり、ドライ・ガーデンがありとワクワクさせてくれます。
プール・ガーデンの水を使った演出も、隣接する部屋からのその見せ方にもなかなかの洒脱さを感じさせられました。
こうした造園手法は、わたしがイギリスで最初に見たシシング・ハースト・キャッスルのヴィタ・サックヴィルにも影響を与えたと言われていますが、シシング・ハーストが女性らしい繊細さとまとまりのある構成力を持っていたのに対し、このヒドコート・マナーにはより大胆、より奔放という印象を強くさせられました。
前者が館を中心にして同心円的に外側に向かって緻密な庭から素朴な庭へと拡がっていくのに対し、こちらは突然のように直線的な空間構成を見せたりします。
たとえば、このロング・ウォーク。
途中の橋を越えて全長200メートルの真っ直ぐに伸びた直線は、わたしたちを誘うだけ誘っておいて、どん詰まりのゲートの向こうにあるのはただ広大な草原…
汗だくになってようやく辿り着いたわたしは、それでもロング・ウォークの東に並行するウィルダネスの林に分け入り木陰で束の間の涼を取ったりもしました。
そして西側のロック・バンクには乾いた通路の左右にドライ・ガーデンが展開しています。
現在はシシング・ハースト・キャッスルと同様、ナショナル・トラストによって管理され、この日も多くのガーデナーたちが初夏の宿根草の手入れや植え替えに余念がありませんでした。
というわけで、はい、次回はこの庭園で出会った植物たちを紹介できればと思います。
ホームページもぜひご覧下さい!
http://www.yui-garden.com/
コメント
トラックバック
この記事のトラックバック URL :
http://blog.niwablo.jp/yui/trackback/37720
http://blog.niwablo.jp/yui/trackback/37720