地震のあと05 歩く
テーマ:思い
2011/03/21 08:26
昨日はやはり汗ばむ陽気の中、電車と徒歩にてメンテナンスや打合せなど4ヶ所をまわりました。
これが出発点の秩父鉄道野上駅。長瀞町になります。
このあたりの駅はどこもそうですが小さくて素朴な木造の駅舎ばかりで、心が和みます。
ここが、わが家から一番近い駅なのですが、それでも峠を越えて5キロほど。こればかりは仕方なく、残りわずかとなったガソリンを使ってクルマで通います。
すぐ近くにこの夏開業するキャンプ場の建設現場があり、現在わたしはそこのコーディネートと植栽を担当しているため、ありがたくクルマはそこに置かせてもらっています。
そして、降り立った駅もまた素朴な木造駅舎。大麻生駅。熊谷市です。
踏切を渡って少し歩けば、すぐに荒川の土手に出ます。
最初のお宅はここから荒川を越えた対岸にあって、施工は2008年の秋でした。
昨年の春から1年間、定期的なメンテナンスのご依頼をいただき、この日は今季最後の仕事でした。
背中に道具を入れたリュックを背負い片手に書類を入れたバッグを持って、折りからの陽気に汗をぬぐい上着を脱ぎ捨てながら荒川に架かるながーい押切橋を歩きます。
広い河川敷にはゴルフ場。
ふだんはクルマの窓から脇見程度にしか見られない風景が新鮮です。
まだ寒々しい冬枯れの景色の中に、それでもわずかな緑が加わって春の気配を感じさせてくれ…
とても美しいと思いました。
なにせゴルフ場ですからね。
ふだんならそんな感慨など抱くことはなかったと思います。
駅からおよそ3キロほど。
S様邸に到着しました。
昨年冬、寒さ対策で残しておいた宿根草の地上部を整理し、常緑植物の混み合ったシュートを剪定して風通しを良くし、早くも出始めた雑草のうちのたちの悪い物を取り除き…
それだけの作業で大きなビニール袋ふたつが一杯になりました。
古い葉を取り除いてその下に隠れていた花が楽しめるようになったクリスマスローズ。
冬の間ずっと土を覆って乾燥を防いでくれていたスイート・バイオレットもリシマキアのヌンムラリアも、、暖かい陽気に今年の新しい芽を出し始めていました。
屋外のテーブルでお茶を頂きながら震災の影響についてお話しをし、来季のメンテナンスのお約束をいただき、駅まで送って下さるというお申し出を固く辞して、S様邸を後にしました。
この後大麻生の駅近くにある煉創の高橋さんを訪ねて打合せをし、再び秩父鉄道で移動した先のお宅に見積書ほかの書類を届け、ふたたび駅に戻るとさすがにただでさえ本数の多くない秩父鉄道。変則ダイヤでさらに少なくなっていたために次の電車は1時間後でした。
1時間もあれば…
5,6キロは歩けます。
最寄りの駅まで行ってから歩いていこうと思っていた折原ファーム(うちの資材置き場にしてモデルガーデン)に、直接アプローチしてみることにしました。
ここでは来週の仕事に備え、リュックの中味を入れ換えなければなりません。
途中、あいかわらずのガソリン渋滞を尻目に黙々と1時間10分。
近道に通った八高線の線路ですが、こちらは現在不通です。ご安心を。
(あ、それでもいけないことですので、ご内密に!)
高橋さんとも話しましたが、こんなことでもなければまず一生降り立つことのなかったろう駅があり、一生歩かなかったろう道があり、一生見ることのなかったろう景色があります。
だとすれば今日という一日はなんて貴重だったのだろう、そう思いました。
この日に歩いた距離は約20キロ。
なかなかどうして、わたしもまだ歩けるではないですか…
そういえば阪神淡路の時もたくさん歩きました。
本当に大勢の人がいっぱい歩いていました。
若い頃のインドの旅も思い出しました。
朝、地平線に見ていた町に夕方には辿り着き、振り返ると朝立っていた場所が地平線になっている…
日々、人の歩みのすごさを実感したものでした。
そうだ…
少しあの頃のことを思い出してみても良いなと、思いました。
これが出発点の秩父鉄道野上駅。長瀞町になります。
このあたりの駅はどこもそうですが小さくて素朴な木造の駅舎ばかりで、心が和みます。
ここが、わが家から一番近い駅なのですが、それでも峠を越えて5キロほど。こればかりは仕方なく、残りわずかとなったガソリンを使ってクルマで通います。
すぐ近くにこの夏開業するキャンプ場の建設現場があり、現在わたしはそこのコーディネートと植栽を担当しているため、ありがたくクルマはそこに置かせてもらっています。
そして、降り立った駅もまた素朴な木造駅舎。大麻生駅。熊谷市です。
踏切を渡って少し歩けば、すぐに荒川の土手に出ます。
最初のお宅はここから荒川を越えた対岸にあって、施工は2008年の秋でした。
昨年の春から1年間、定期的なメンテナンスのご依頼をいただき、この日は今季最後の仕事でした。
背中に道具を入れたリュックを背負い片手に書類を入れたバッグを持って、折りからの陽気に汗をぬぐい上着を脱ぎ捨てながら荒川に架かるながーい押切橋を歩きます。
広い河川敷にはゴルフ場。
ふだんはクルマの窓から脇見程度にしか見られない風景が新鮮です。
まだ寒々しい冬枯れの景色の中に、それでもわずかな緑が加わって春の気配を感じさせてくれ…
とても美しいと思いました。
なにせゴルフ場ですからね。
ふだんならそんな感慨など抱くことはなかったと思います。
駅からおよそ3キロほど。
S様邸に到着しました。
昨年冬、寒さ対策で残しておいた宿根草の地上部を整理し、常緑植物の混み合ったシュートを剪定して風通しを良くし、早くも出始めた雑草のうちのたちの悪い物を取り除き…
それだけの作業で大きなビニール袋ふたつが一杯になりました。
古い葉を取り除いてその下に隠れていた花が楽しめるようになったクリスマスローズ。
冬の間ずっと土を覆って乾燥を防いでくれていたスイート・バイオレットもリシマキアのヌンムラリアも、、暖かい陽気に今年の新しい芽を出し始めていました。
屋外のテーブルでお茶を頂きながら震災の影響についてお話しをし、来季のメンテナンスのお約束をいただき、駅まで送って下さるというお申し出を固く辞して、S様邸を後にしました。
この後大麻生の駅近くにある煉創の高橋さんを訪ねて打合せをし、再び秩父鉄道で移動した先のお宅に見積書ほかの書類を届け、ふたたび駅に戻るとさすがにただでさえ本数の多くない秩父鉄道。変則ダイヤでさらに少なくなっていたために次の電車は1時間後でした。
1時間もあれば…
5,6キロは歩けます。
最寄りの駅まで行ってから歩いていこうと思っていた折原ファーム(うちの資材置き場にしてモデルガーデン)に、直接アプローチしてみることにしました。
ここでは来週の仕事に備え、リュックの中味を入れ換えなければなりません。
途中、あいかわらずのガソリン渋滞を尻目に黙々と1時間10分。
近道に通った八高線の線路ですが、こちらは現在不通です。ご安心を。
(あ、それでもいけないことですので、ご内密に!)
高橋さんとも話しましたが、こんなことでもなければまず一生降り立つことのなかったろう駅があり、一生歩かなかったろう道があり、一生見ることのなかったろう景色があります。
だとすれば今日という一日はなんて貴重だったのだろう、そう思いました。
この日に歩いた距離は約20キロ。
なかなかどうして、わたしもまだ歩けるではないですか…
そういえば阪神淡路の時もたくさん歩きました。
本当に大勢の人がいっぱい歩いていました。
若い頃のインドの旅も思い出しました。
朝、地平線に見ていた町に夕方には辿り着き、振り返ると朝立っていた場所が地平線になっている…
日々、人の歩みのすごさを実感したものでした。
そうだ…
少しあの頃のことを思い出してみても良いなと、思いました。
地震のあと04
テーマ:思い
2011/03/20 06:19
昨日は電車とバスを使ってお客さまのお宅を2軒、訪問した。
幸い前日のうちに計画停電中止が発表されていたため、鉄道の運行本数は日頃の30%から50%まで増やされていたし、バスも全日土日の時刻表で動いているのが分かっていたのでかなり余裕をもって訪問出来るかと思われた。
最後のバスに乗る。これで最寄りの停留所で降りたら、後は徒歩で10分と掛からない。
土曜ということもあり9時を過ぎてもとても静かだ。道もとても空いている。行き交うのは自転車だけという、少し見慣れない景色が続いた。この調子で早く着きすぎたら、どうやって時間をつぶそうかと考えていた。
でも、それも初めのうちだけだった。
幹線道路に近づいた途端、バスが停止してエンジンを止めた。
「お客さん、しばらく動かないかもしれませんよ」
運転手さんに言われた。
「どうかしたんですか?」
運転手さんはため息まじりに応えた。
「いやあ、ガソリンスタンド渋滞ですよ」
なるほどと思った。
うちの方でも渋滞とまではいかないまでも、ガソリンスタンドで出来る行列が後続のクルマの妨げになることがある。
道路が狭く交通量が多い場所なら、確かに渋滞を招くことになるだろう。
いや、近頃クルマで移動することが少なくなったわたしが知らないだけで、今やあちこちで現出する光景なのかも知れない。
「困ったもんですよ。時刻表通りにバスが動かせない」
わたしは始めはすぐに抜けられるとタカを括っていたが、バスはピクリとも動かなくなった。
余裕のあった筈のアポの時間がにわかに切迫したものになる。
わたしは運転手さんにお願いしてそこで降ろしてもらい、後の3キロばかりを歩くことにした。もとより、覚悟の上で来ていたのでカタログ類や書類を入れたふたつのバッグのうちのひとつは背中に背負えるようになっている。
歩いてみると前方に大きな交差点があってそこで幹線と合流しているため、幹線の渋滞が支線の流れを完全に止めていた。それだけではなく、渋滞に懲りて方向転換を図ったらしいクルマが別のクルマと接触事故まで起こしている…
なるほど、動かない訳だ。
久々に晴れて風もなく、とても気持ちの良い季候だった。
最初は久しぶりにこうして歩くのも悪くないなと思っていた。
が、脇には延々と続く渋滞の列。
どのクルマも道の脇に寄せているところをみると、それらはまだ行列なのかも知れないが、スタンドはわたしの曲がった交差点の先にあるらしく、いったいこの行列がどれくらい続いているのか分からなくなってきた。
やがて暑くなってきた事もあって、わたしはだんだん気持ち悪くなってきた。風がないから渋滞のクルマたちの出す排気ガスが歩道に溜まって息苦しくなってきたのだ。
ガソリンが無いからスタンドに行列が出来る。その行列が意味もなくガソリンを消費する。沿線の住民の生活に負担を掛ける。
この不毛な悪循環もまた災害なのだと思った。
傷つく人がどんどん増えていく…
クルマの姿がまったく見えない閑散とした住宅地や、こうして重苦しい渋滞を続ける幹線道路の景色は、かつて何度も見た阪神淡路の被災地の光景と同じだ。
違うのは建物が損壊していないだけ…
いや、渋滞のクルマのマナーもまた違うかもしれない。
阪神で渋滞の中にあるクルマはみな、復興のために動いているか避難のためのもの。
みんな淡々と渋滞を受け入れていたし、沿線住民を気遣ってエンジンも止めていた。沿線の住民もそれらのクルマを温かく見守っていた。
この渋滞でアイドリングを止めないのはまだガソリンに余裕があるということだ。おまけに時折激しいクラクションも鳴る。みんな苛立っている…。容易に苛立つことの出来る程度の動機で、この列に加わっているのだろう。
40分ほど歩いてお客さまのお宅に到着するまでの間に、そうした渋滞をふたつ見た。その中間はほとんどクルマが通ることなく一気に静かになり、しばらく行った先のスタンドから次の渋滞が始まり、それはお客さまのお宅への入口から、まだずっと先まで延びていた。
お客さまとは契約前の最終的な仕様確認を行った。
前日、お客さまからメールを頂いていた。
ガソリン不足の事などお気遣いくださり、打合せの延期を提案していただいたのだが、わたしはわたしの考えを伝えてご理解を頂いていた。
こんな時だからこそ、ご一緒にお庭の夢を語り合いたいし、こうした一歩一歩の積み重ねがお庭の出来をよりさらに高めるのだと思う。それはやはりメールの交換だけで済ますのと大きく違う。
帰路は運休だった最寄りのJRがその日に限って運行していることを知り、バスの渋滞に合うことなく、次のお宅を訪問しカタログを届けることが出来た。
お留守だったので手紙を書こうとしていたところに戻られて、それぞれの無事を確認して喜び合った。
いつもクルマを利用することしか頭になかった自分が愚かしく思えてしまうくらい、楽しく充実した一日だった。
たしかに効率が悪く時間も掛かるけれど、それはロスではない。
掛かった時間の間に学ぶことは多い。本も読める。
今日もこれから道具を入れたリュックを担いで電車に乗り、メンテナンスに出掛ける。
今日はいったいどんな人と、どんな話が出来るだろう。
幸い前日のうちに計画停電中止が発表されていたため、鉄道の運行本数は日頃の30%から50%まで増やされていたし、バスも全日土日の時刻表で動いているのが分かっていたのでかなり余裕をもって訪問出来るかと思われた。
最後のバスに乗る。これで最寄りの停留所で降りたら、後は徒歩で10分と掛からない。
土曜ということもあり9時を過ぎてもとても静かだ。道もとても空いている。行き交うのは自転車だけという、少し見慣れない景色が続いた。この調子で早く着きすぎたら、どうやって時間をつぶそうかと考えていた。
でも、それも初めのうちだけだった。
幹線道路に近づいた途端、バスが停止してエンジンを止めた。
「お客さん、しばらく動かないかもしれませんよ」
運転手さんに言われた。
「どうかしたんですか?」
運転手さんはため息まじりに応えた。
「いやあ、ガソリンスタンド渋滞ですよ」
なるほどと思った。
うちの方でも渋滞とまではいかないまでも、ガソリンスタンドで出来る行列が後続のクルマの妨げになることがある。
道路が狭く交通量が多い場所なら、確かに渋滞を招くことになるだろう。
いや、近頃クルマで移動することが少なくなったわたしが知らないだけで、今やあちこちで現出する光景なのかも知れない。
「困ったもんですよ。時刻表通りにバスが動かせない」
わたしは始めはすぐに抜けられるとタカを括っていたが、バスはピクリとも動かなくなった。
余裕のあった筈のアポの時間がにわかに切迫したものになる。
わたしは運転手さんにお願いしてそこで降ろしてもらい、後の3キロばかりを歩くことにした。もとより、覚悟の上で来ていたのでカタログ類や書類を入れたふたつのバッグのうちのひとつは背中に背負えるようになっている。
歩いてみると前方に大きな交差点があってそこで幹線と合流しているため、幹線の渋滞が支線の流れを完全に止めていた。それだけではなく、渋滞に懲りて方向転換を図ったらしいクルマが別のクルマと接触事故まで起こしている…
なるほど、動かない訳だ。
久々に晴れて風もなく、とても気持ちの良い季候だった。
最初は久しぶりにこうして歩くのも悪くないなと思っていた。
が、脇には延々と続く渋滞の列。
どのクルマも道の脇に寄せているところをみると、それらはまだ行列なのかも知れないが、スタンドはわたしの曲がった交差点の先にあるらしく、いったいこの行列がどれくらい続いているのか分からなくなってきた。
やがて暑くなってきた事もあって、わたしはだんだん気持ち悪くなってきた。風がないから渋滞のクルマたちの出す排気ガスが歩道に溜まって息苦しくなってきたのだ。
ガソリンが無いからスタンドに行列が出来る。その行列が意味もなくガソリンを消費する。沿線の住民の生活に負担を掛ける。
この不毛な悪循環もまた災害なのだと思った。
傷つく人がどんどん増えていく…
クルマの姿がまったく見えない閑散とした住宅地や、こうして重苦しい渋滞を続ける幹線道路の景色は、かつて何度も見た阪神淡路の被災地の光景と同じだ。
違うのは建物が損壊していないだけ…
いや、渋滞のクルマのマナーもまた違うかもしれない。
阪神で渋滞の中にあるクルマはみな、復興のために動いているか避難のためのもの。
みんな淡々と渋滞を受け入れていたし、沿線住民を気遣ってエンジンも止めていた。沿線の住民もそれらのクルマを温かく見守っていた。
この渋滞でアイドリングを止めないのはまだガソリンに余裕があるということだ。おまけに時折激しいクラクションも鳴る。みんな苛立っている…。容易に苛立つことの出来る程度の動機で、この列に加わっているのだろう。
40分ほど歩いてお客さまのお宅に到着するまでの間に、そうした渋滞をふたつ見た。その中間はほとんどクルマが通ることなく一気に静かになり、しばらく行った先のスタンドから次の渋滞が始まり、それはお客さまのお宅への入口から、まだずっと先まで延びていた。
お客さまとは契約前の最終的な仕様確認を行った。
前日、お客さまからメールを頂いていた。
ガソリン不足の事などお気遣いくださり、打合せの延期を提案していただいたのだが、わたしはわたしの考えを伝えてご理解を頂いていた。
こんな時だからこそ、ご一緒にお庭の夢を語り合いたいし、こうした一歩一歩の積み重ねがお庭の出来をよりさらに高めるのだと思う。それはやはりメールの交換だけで済ますのと大きく違う。
帰路は運休だった最寄りのJRがその日に限って運行していることを知り、バスの渋滞に合うことなく、次のお宅を訪問しカタログを届けることが出来た。
お留守だったので手紙を書こうとしていたところに戻られて、それぞれの無事を確認して喜び合った。
いつもクルマを利用することしか頭になかった自分が愚かしく思えてしまうくらい、楽しく充実した一日だった。
たしかに効率が悪く時間も掛かるけれど、それはロスではない。
掛かった時間の間に学ぶことは多い。本も読める。
今日もこれから道具を入れたリュックを担いで電車に乗り、メンテナンスに出掛ける。
今日はいったいどんな人と、どんな話が出来るだろう。
地震のあと03
テーマ:思い
2011/03/17 06:05
昨日のブログの中で、わたしはとてもつまらないことを書いてしまった。
手元にガソリンが無くなってしまったから、しばらくの間わたしの経済活動は中止となる…
なんと愚かなことだろう。
実はこの週末にお打ち合わせが3件控えている。
メンテナンスが一件。
やりかけて仕上げを待つだけの仕事が1件。
着工前のお宅が数件。
震災の影響を理由に中止や延期をお願いすれば、快く応じてくださるお客さまばかりだ。
でもそれにしても、どうして当然のようにガソリンが無くなりクルマが動かせなかったら仕事が出来ないと考えてしまったのだろう。
阪神淡路の頃のことを、せっかく思いだしたばかりだと言うのに…
当時のことは昨年の1月、15年目の阪神淡路大震災というブログに書いた。
その文中にも有るとおり、当時わたしは背中にリュックを背負い、僅かに動く電車とバスと後は徒歩だけを頼りに被災地を歩き回った。復興作業に入ってからも、クルマでアプローチ出来ない箇所には工具類を担いで踏み込んでいった。勿論、それだけの緊急性が有ったのだが…
どうして今それが出来ないと思ってしまったのだろう?
たしかに16年の歳月がわたしの若さを奪っていたとしても、仕事に対する情熱はあの頃をはるかに上回っている筈なのに!
幸いなことにここからそれぞれのお宅まで、町営バスと秩父鉄道を乗り継げば、最寄りの駅から最大でも数キロの距離しかないことを、明け方に気付いてから先ほどまでの間に確認出来た。それならリュックと両手に工具を抱えたにしても、充分アプローチ出来る。
そう思うと途端に気持ちが晴れやかになった。
行列に並ぶのを嫌ってガソリンを手に入れられなかったのは、職業人としてはとても自覚に欠けることだった。だから、その事で約束を違えたり仕事を遅らせたりするのは恥ずかしいことだと感じ、なんとか手持ちのガソリンで行けるところまで行ってみようと燃費計算をしていたのだ。歩いていけば良いと思った途端、その焦りが消えてすっきりした。
先のブログで、自分の持ち場で自分に出来る経済活動をしっかり行うことが大切であると書き、何人かの方の賛同を得た。それなのにガソリンが無くなった程度のことで途端に意気消沈してここでそれを停止してしまうのは、それこそ思うつぼだ。
なんの思うつぼ?
そう、われわれ人間が前を向いて生きようとする気力をくじこうとして、こうした災厄と混乱を招いている何物かの、思うつぼだ。
だから、その手には乗らない。
娘の中学の生徒会で義援金の募金活動を始めたそうだ。
わたしはわたしの経済活動を再開しよう。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
手元にガソリンが無くなってしまったから、しばらくの間わたしの経済活動は中止となる…
なんと愚かなことだろう。
実はこの週末にお打ち合わせが3件控えている。
メンテナンスが一件。
やりかけて仕上げを待つだけの仕事が1件。
着工前のお宅が数件。
震災の影響を理由に中止や延期をお願いすれば、快く応じてくださるお客さまばかりだ。
でもそれにしても、どうして当然のようにガソリンが無くなりクルマが動かせなかったら仕事が出来ないと考えてしまったのだろう。
阪神淡路の頃のことを、せっかく思いだしたばかりだと言うのに…
当時のことは昨年の1月、15年目の阪神淡路大震災というブログに書いた。
その文中にも有るとおり、当時わたしは背中にリュックを背負い、僅かに動く電車とバスと後は徒歩だけを頼りに被災地を歩き回った。復興作業に入ってからも、クルマでアプローチ出来ない箇所には工具類を担いで踏み込んでいった。勿論、それだけの緊急性が有ったのだが…
どうして今それが出来ないと思ってしまったのだろう?
たしかに16年の歳月がわたしの若さを奪っていたとしても、仕事に対する情熱はあの頃をはるかに上回っている筈なのに!
幸いなことにここからそれぞれのお宅まで、町営バスと秩父鉄道を乗り継げば、最寄りの駅から最大でも数キロの距離しかないことを、明け方に気付いてから先ほどまでの間に確認出来た。それならリュックと両手に工具を抱えたにしても、充分アプローチ出来る。
そう思うと途端に気持ちが晴れやかになった。
行列に並ぶのを嫌ってガソリンを手に入れられなかったのは、職業人としてはとても自覚に欠けることだった。だから、その事で約束を違えたり仕事を遅らせたりするのは恥ずかしいことだと感じ、なんとか手持ちのガソリンで行けるところまで行ってみようと燃費計算をしていたのだ。歩いていけば良いと思った途端、その焦りが消えてすっきりした。
先のブログで、自分の持ち場で自分に出来る経済活動をしっかり行うことが大切であると書き、何人かの方の賛同を得た。それなのにガソリンが無くなった程度のことで途端に意気消沈してここでそれを停止してしまうのは、それこそ思うつぼだ。
なんの思うつぼ?
そう、われわれ人間が前を向いて生きようとする気力をくじこうとして、こうした災厄と混乱を招いている何物かの、思うつぼだ。
だから、その手には乗らない。
娘の中学の生徒会で義援金の募金活動を始めたそうだ。
わたしはわたしの経済活動を再開しよう。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/