あえて、枕木の話 自戒の意をこめて
テーマ:思い
2009/10/22 02:11
はっきり言って井出さんのせいでこの話題を取り上げます。
いえいえ、さすがにあそこまで面白いお話は出来ませんが、よろしければおつき合いください。
まず、古い写真で恐縮です。
1995年3月とあります。
神戸で造園屋の監督をしていたとき、北区の住宅地全体をこのスタイルで施工したことがあります。
RC擁壁と植栽とあとは枕木だけの外構です。
我が社で10棟ほど、他にも数社ほど入っていましたから全体では50棟以上ありましたでしょうか。
枕木の土留め、枕木の階段、枕木のスロープ、枕木のガレージ…
これが私が初めて枕木を使った現場でした。
枕木はさすがに国内産の新品でした。
材は今にして思えばたぶんケンパス。もちろんクレオソートに浸漬したもので、ご丁寧に発注者の某住宅メーカーの指導により切断面にはクレオソートの塗布が義務づけられていました。
もちろん、クレオソートの発ガン性が問題になっていなかった古き良き時代の話です。
若かった私にはこのコンセプトがとても斬新に思え(実際、当時とすればなかなか大胆な設計だったと思います)、枕木に憧れすら感じたものでした。
その後、関東に舞い戻って現在の秩父に居を構えた時、自宅の外構に苦慮した私は、もっとも安く購入できるマテリアルとして枕木を選択しました。
地元秩父鉄道の払い下げ品は、まだ枕木ブーム到来前夜であったこともあり、1本50円!
ただし、積み重ねられた山の中から欲しいものを自分で積み込み、崩した山はまたもとに戻すという条件付ではありました。
こうしておよそ300本の枕木を手に入れた私は、これを積み上げ、或いは埋込み、或いは敷き詰めて外構と花壇、デッキテラスを製作することが出来ました。砂や砂利、土まで入れても総工費20万という格安の庭が出来上がった次第です。
今と違い、かなりの良材もありました。まだ、どうかすると栗の枕木が混ざっていた時代です。その後、やはりケンパス主流の時代となるのですが、栗材は防腐剤がほとんど抜け落ちても芯までしっかりしており、さらなる耐久性を垣間見せてくれたものですが、ケンパスは中が素になり、どうかするとシロアリの巣窟となります。
そのようにして製作した庭とはおよそ10年付き合いました。
思えばこれが今の私には良い経験となったのかも知れません。
5年から10年。
それで中古枕木の寿命は終わります。
本来、耐用年数を過ぎたときから使用を始めるのですから10年なら上等と思うべきかも知れません。
さすがにシロアリの被害は受けませんでしたが、解体作業中に持ち上げた枕木はどれもボロボロでした。
その10年の間に、私は何軒か枕木を使ったガーデンを施工しました。
まず、今は無き秩父「花まつりの森」に製作したモデルガーデン。
これは、わが家と同じ秩父鉄道の払い下げ品です。
その後、オーストラリア鉄道のレッドガム材枕木に限定して使用した期間がありました。
下記は渋谷のお宅からの依頼で製作したガーデンです。
住宅メーカーが途中まで枕木による外構を仕上げており、その続きを依頼されたとき私は迷いながらもそのレッドガム枕木を使った施工をおこなったのでした。
着工前。
完了です。
レッドガムはそれ自体に耐久性があり、防腐剤を追加塗布することなく、その後の使用が可能ですが…
そう。それでもすでに耐用年数を終えた素材であることに変わり有りません。
ケンパスで5年のところをせいぜい10年、長くて20年…
出来れば50年、短くてもせめて30年。形状を保つ、のではなく美観がそれだけの期間保つものを使いたい、というのが今の「ガーデン工房 結 -YUI-」の基本姿勢です。
その基準からすれば中古枕木はやはり使えないと思っています。
その後クレオソートの発ガン性が報じられるようになり、また、ホームセンターの中国産枕木の山からサソリの死骸が出てくるというニュースも流れました。
家庭菜園にはやはり「くそまみれ~」の枕木は使えません。
防腐剤を使わなければ使わないでシロアリ被害も問題となります。
安全性、衛生面と、今や社会通念上でも中古枕木の使用は許されない時代になりました。
わたしが二度と中古枕木を使うまいと決めて、それでもまだ5年。
素人ならともかく、プロがそんなものを使わないだろう、とタカをくくっていたところ、案に相違して現在も使われていることを知りました。その矢先の「庭ブロ」での井出さんとの出会いでした。
これから更にご教示いただき、共に闘って行くにあたり、単に「わたしは使っていません」では不足と思い、あえて私の「前科」を披瀝した次第です。
現在は以前このプログでも紹介したとおり、アマゾンウリン、セランガンバツ、レッドガムなどの新材を使っておりますが、まだまだラインナップは足りません。何より、安価なものを見つけたいと思います。
みなさんと情報交換ができればと考えています。
いえいえ、さすがにあそこまで面白いお話は出来ませんが、よろしければおつき合いください。
まず、古い写真で恐縮です。
1995年3月とあります。
神戸で造園屋の監督をしていたとき、北区の住宅地全体をこのスタイルで施工したことがあります。
RC擁壁と植栽とあとは枕木だけの外構です。
我が社で10棟ほど、他にも数社ほど入っていましたから全体では50棟以上ありましたでしょうか。
枕木の土留め、枕木の階段、枕木のスロープ、枕木のガレージ…
これが私が初めて枕木を使った現場でした。
枕木はさすがに国内産の新品でした。
材は今にして思えばたぶんケンパス。もちろんクレオソートに浸漬したもので、ご丁寧に発注者の某住宅メーカーの指導により切断面にはクレオソートの塗布が義務づけられていました。
もちろん、クレオソートの発ガン性が問題になっていなかった古き良き時代の話です。
若かった私にはこのコンセプトがとても斬新に思え(実際、当時とすればなかなか大胆な設計だったと思います)、枕木に憧れすら感じたものでした。
その後、関東に舞い戻って現在の秩父に居を構えた時、自宅の外構に苦慮した私は、もっとも安く購入できるマテリアルとして枕木を選択しました。
地元秩父鉄道の払い下げ品は、まだ枕木ブーム到来前夜であったこともあり、1本50円!
ただし、積み重ねられた山の中から欲しいものを自分で積み込み、崩した山はまたもとに戻すという条件付ではありました。
こうしておよそ300本の枕木を手に入れた私は、これを積み上げ、或いは埋込み、或いは敷き詰めて外構と花壇、デッキテラスを製作することが出来ました。砂や砂利、土まで入れても総工費20万という格安の庭が出来上がった次第です。
今と違い、かなりの良材もありました。まだ、どうかすると栗の枕木が混ざっていた時代です。その後、やはりケンパス主流の時代となるのですが、栗材は防腐剤がほとんど抜け落ちても芯までしっかりしており、さらなる耐久性を垣間見せてくれたものですが、ケンパスは中が素になり、どうかするとシロアリの巣窟となります。
そのようにして製作した庭とはおよそ10年付き合いました。
思えばこれが今の私には良い経験となったのかも知れません。
5年から10年。
それで中古枕木の寿命は終わります。
本来、耐用年数を過ぎたときから使用を始めるのですから10年なら上等と思うべきかも知れません。
さすがにシロアリの被害は受けませんでしたが、解体作業中に持ち上げた枕木はどれもボロボロでした。
その10年の間に、私は何軒か枕木を使ったガーデンを施工しました。
まず、今は無き秩父「花まつりの森」に製作したモデルガーデン。
これは、わが家と同じ秩父鉄道の払い下げ品です。
その後、オーストラリア鉄道のレッドガム材枕木に限定して使用した期間がありました。
下記は渋谷のお宅からの依頼で製作したガーデンです。
住宅メーカーが途中まで枕木による外構を仕上げており、その続きを依頼されたとき私は迷いながらもそのレッドガム枕木を使った施工をおこなったのでした。
着工前。
完了です。
レッドガムはそれ自体に耐久性があり、防腐剤を追加塗布することなく、その後の使用が可能ですが…
そう。それでもすでに耐用年数を終えた素材であることに変わり有りません。
ケンパスで5年のところをせいぜい10年、長くて20年…
出来れば50年、短くてもせめて30年。形状を保つ、のではなく美観がそれだけの期間保つものを使いたい、というのが今の「ガーデン工房 結 -YUI-」の基本姿勢です。
その基準からすれば中古枕木はやはり使えないと思っています。
その後クレオソートの発ガン性が報じられるようになり、また、ホームセンターの中国産枕木の山からサソリの死骸が出てくるというニュースも流れました。
家庭菜園にはやはり「くそまみれ~」の枕木は使えません。
防腐剤を使わなければ使わないでシロアリ被害も問題となります。
安全性、衛生面と、今や社会通念上でも中古枕木の使用は許されない時代になりました。
わたしが二度と中古枕木を使うまいと決めて、それでもまだ5年。
素人ならともかく、プロがそんなものを使わないだろう、とタカをくくっていたところ、案に相違して現在も使われていることを知りました。その矢先の「庭ブロ」での井出さんとの出会いでした。
これから更にご教示いただき、共に闘って行くにあたり、単に「わたしは使っていません」では不足と思い、あえて私の「前科」を披瀝した次第です。
現在は以前このプログでも紹介したとおり、アマゾンウリン、セランガンバツ、レッドガムなどの新材を使っておりますが、まだまだラインナップは足りません。何より、安価なものを見つけたいと思います。
みなさんと情報交換ができればと考えています。
ガーデンの原風景
テーマ:思い
2009/10/08 06:00
いつか機会があったら誰かにお話ししたいと思っていたことがあります。
古い写真で恐縮です。
私がまだ若かかりし…うーん、今から28年も昔、インドの中部ワルダという町で撮った写真です。
場所はポウナル・アシュラムといいます。
マハトマ・ガンジーをご存じの方はきっと多いと思います。
では、そのお弟子さんの中でも最後まで生き残り、ガンジーの教えを生涯を通じて伝え実践したヴィノバ・バーベーという方をご存じの方はいらっしゃいますか?
ガンジーの伝記などには、ガンジーの言葉の記録者として、また「塩の行進」や全国行脚の同行者として幾たびもその名は登場します。
わたしは1981年の8月、その彼を訪ねて彼の活動拠点であるポウナル・アシュラムを訪ねました。
その際、わたしを彼に結びつけてくださった数々の縁があるのですが、それはここでは省略します。
わたしはここで、わたしのガーデンの原風景について書きたいと思っています。
わたしはアシュラムを訪問して、それ以前の経験を生かして農業に携わりました。同室のギリー・ジーの指導を受けながら、わたしはアシュラムの中庭にある菜園の耕作をし、花の手入れをしました。
アシュラムは様々な活動に携わる人々が共同で生活する場です。
わたしたちのように自給用の野菜を作る者、それを調理する者、出版活動を行う者、有機的な農業の研究を行う者、全国行脚に出掛ける者、政治的な話し合いを行う者、ヴィノバ・バーベー・ジーの指導を仰ぐ者…
そして、そこは祈りの空間でもあります。
アシュラムでは朝と夕べの祈り(プジャ)の際、ヒンドゥーの神だけでなく、仏教やジャイナ強、バラモン教、さらにイスラムやキリスト教の神などにも祈りを捧げます。
敷地の外周を建物が連続し、部屋と部屋とは深いひさしを被った回廊がつなぎ、それらの中央にあるパティオは、庭であり、畑であり、花壇でもあります。
それはまた、人々の祈りの場であり、憩いの場であり、生活の場、交感の場でもあります。
わたしはかつて、そのようにしてとても濃密な時間を、中央インドのワルダという町で過ごす機会を得たのでした。
さて、わたしはこの庭を訪れたことを長い間忘れていました。
その後、土木、外構と職を変える間のおよそ20年もの間、思い出すことはほとんど有りませんでした。
でも、ガーデン設計と植物に関する様々なことを学び、ガーデンとそのデザインの意味を知り、そして仕事のスタイルを今のものに変えたとき、このポウナル・アシュラムの記憶は突然蘇ってきたのです。
わたしがいつか作りたい究極の庭…
わたしはそれに思い至りました。
以下、ガーデン・インスティテュートの講座で徳田千夏先生に提出したレポートから抜粋します。
それは、美しい花も咲き、果実も実り、野菜も育ち、それでいて単に暮らしだけでなく、それが人々の理想とする活動の中心となるようなガーデンです。
おそらく、これといったデザインが必要なのではなく、求められたところに求められた実がなり、咲くべくして美しい花が咲いて人々を癒すような、毅然として存在するのが、私の心の中にあるガーデンと言えると思います。
おそらく、仕事としては一生掛かっても作ることの出来ないガーデンであるかも知れません。
何故なら、それはそこに住んだり集ったりする人々の心までもデザインしなくてはならないから。
当然ながら個人的なものでも商業的なものでもありませんから、私が私自身の私費を投じないと実現できない庭です。いえ、仮に私費を存分に投じても難しいかも知れません。
なぜなら、イメージの中でそのガーデンはさらに成長し、インドにあったアシュラムの庭以上のものになってしまっているからです。
ただ、このガーデンのイメージを自分の理想の高いところに留め置いて生きることは、とても幸せなことです。
その庭に植わる樹の例えば一本を、こっそりお客様の庭に提案することも可能です。
その庭に流れる豊かな時間を、現実のお庭に持ち込むことも夢ではありません。
人々の心をデザインするなど、そんな大それた事を実際に出来るとは思いませんし、そんな傲慢は厳に戒めたいと思っていますが、でも、豊かな心を育てる空間を生み出す工夫と努力だけは、私にも許されている大切な仕事であると思います。
これがわたしにとってのガーデンの、とても大切な原風景です。
古い写真で恐縮です。
私がまだ若かかりし…うーん、今から28年も昔、インドの中部ワルダという町で撮った写真です。
場所はポウナル・アシュラムといいます。
マハトマ・ガンジーをご存じの方はきっと多いと思います。
では、そのお弟子さんの中でも最後まで生き残り、ガンジーの教えを生涯を通じて伝え実践したヴィノバ・バーベーという方をご存じの方はいらっしゃいますか?
ガンジーの伝記などには、ガンジーの言葉の記録者として、また「塩の行進」や全国行脚の同行者として幾たびもその名は登場します。
わたしは1981年の8月、その彼を訪ねて彼の活動拠点であるポウナル・アシュラムを訪ねました。
その際、わたしを彼に結びつけてくださった数々の縁があるのですが、それはここでは省略します。
わたしはここで、わたしのガーデンの原風景について書きたいと思っています。
わたしはアシュラムを訪問して、それ以前の経験を生かして農業に携わりました。同室のギリー・ジーの指導を受けながら、わたしはアシュラムの中庭にある菜園の耕作をし、花の手入れをしました。
アシュラムは様々な活動に携わる人々が共同で生活する場です。
わたしたちのように自給用の野菜を作る者、それを調理する者、出版活動を行う者、有機的な農業の研究を行う者、全国行脚に出掛ける者、政治的な話し合いを行う者、ヴィノバ・バーベー・ジーの指導を仰ぐ者…
そして、そこは祈りの空間でもあります。
アシュラムでは朝と夕べの祈り(プジャ)の際、ヒンドゥーの神だけでなく、仏教やジャイナ強、バラモン教、さらにイスラムやキリスト教の神などにも祈りを捧げます。
敷地の外周を建物が連続し、部屋と部屋とは深いひさしを被った回廊がつなぎ、それらの中央にあるパティオは、庭であり、畑であり、花壇でもあります。
それはまた、人々の祈りの場であり、憩いの場であり、生活の場、交感の場でもあります。
わたしはかつて、そのようにしてとても濃密な時間を、中央インドのワルダという町で過ごす機会を得たのでした。
さて、わたしはこの庭を訪れたことを長い間忘れていました。
その後、土木、外構と職を変える間のおよそ20年もの間、思い出すことはほとんど有りませんでした。
でも、ガーデン設計と植物に関する様々なことを学び、ガーデンとそのデザインの意味を知り、そして仕事のスタイルを今のものに変えたとき、このポウナル・アシュラムの記憶は突然蘇ってきたのです。
わたしがいつか作りたい究極の庭…
わたしはそれに思い至りました。
以下、ガーデン・インスティテュートの講座で徳田千夏先生に提出したレポートから抜粋します。
それは、美しい花も咲き、果実も実り、野菜も育ち、それでいて単に暮らしだけでなく、それが人々の理想とする活動の中心となるようなガーデンです。
おそらく、これといったデザインが必要なのではなく、求められたところに求められた実がなり、咲くべくして美しい花が咲いて人々を癒すような、毅然として存在するのが、私の心の中にあるガーデンと言えると思います。
おそらく、仕事としては一生掛かっても作ることの出来ないガーデンであるかも知れません。
何故なら、それはそこに住んだり集ったりする人々の心までもデザインしなくてはならないから。
当然ながら個人的なものでも商業的なものでもありませんから、私が私自身の私費を投じないと実現できない庭です。いえ、仮に私費を存分に投じても難しいかも知れません。
なぜなら、イメージの中でそのガーデンはさらに成長し、インドにあったアシュラムの庭以上のものになってしまっているからです。
ただ、このガーデンのイメージを自分の理想の高いところに留め置いて生きることは、とても幸せなことです。
その庭に植わる樹の例えば一本を、こっそりお客様の庭に提案することも可能です。
その庭に流れる豊かな時間を、現実のお庭に持ち込むことも夢ではありません。
人々の心をデザインするなど、そんな大それた事を実際に出来るとは思いませんし、そんな傲慢は厳に戒めたいと思っていますが、でも、豊かな心を育てる空間を生み出す工夫と努力だけは、私にも許されている大切な仕事であると思います。
これがわたしにとってのガーデンの、とても大切な原風景です。