講演会「新しい日常を創る」を終えて
テーマ:東日本大震災復興
2013/04/05 05:42
去る3月30日、鴻巣市の吹上コスモスアリーナ講習室にて、NPO法人しゃぼん玉の会のご厚意により講演会を開催させていただきました。
雨の日にも関わらず様々な分野で活躍されている皆さんが16名、集まって下さいました。

先にご案内したとおり、これは日本教育公務員弘済会埼玉支部というところが公募した生涯学習実践作文で、優秀賞を受賞したその記念講演というのが建前でした。
昨年、PTA役員として県PTA連合会の定期総会に出席した折、前年分の受賞作品を集めた作文集を配布してもらって読んで面白いなと思ったのですが、その際に次のテーマが「東日本他大震災に学ぶ」であると知りました。たいした活動はしていなくても、今回の震災で学んだこと、被災地の皆さんや他のボランティアの皆さんから教わった事だけはたくさんあります。
そうした事の中には、自分の中だけに留めておくにはあまりに惜しいものが多く、当時娘の通っていた中学校でも講演会を開催して頂き、話をする機会を得ました。その時の中学生たちの反応には目を見張るものがあり、そんな風に役に立つことがあるのなら出来るだけ報告していきたいと思ったものでした。

受賞作品の中でも、今回の講演の中でも、特に大切だと考えて繰り返したのはテーマにもある「新しい日常」~新しいシステム、新しいルール、新しい価値観といったことでした。
「古い日常」があの巨大な災厄のために否応なしに崩れ去りました。
そこから先の急場をしのいでいくのに、従来の価値観や約束事に捕らわれていたのでは何事も進まず、時には人の生死にすら関わるため、被災地の皆さんやそこで活動する方たちは柔軟に、臨機応変に対応してきました。縦割り行政の横の壁を壊し、手続きや書類の作成が対応を遅らせると分かればそれを省略しました。
それは教育現場でも顕著でした。そうでなければわれわれが中学校に資材を集積したり、校内にいろいろな人を集めて寄せ植えを製作することは出来なかったろうし、その製作に中学生たちを動員したりすることは出来なかったと思います。中学校は様々な支援活動の拠点となり、その中で様々な人たちと接して学習することによって、中学生たちも大きく成長しました。
震災の年、われわれがお世話になった中学校では5月に予定されていた3年生の修学旅行を実施することが出来ませんでした。当時中学校はまだ避難所となっており、生徒の中にはそこで暮らす者も多く、正常な学習環境が整っている筈がありませんでした。本来であれば断念したまままで卒業を迎えるしかなかった彼らに、しかし学校は10月、やり直しの修学旅行をプレゼントしました。2泊3日の東京への修学旅行です。
その中で彼らが何をしたかといえば、まず、地元の農家や役場から贈られたリンゴや野菜や米を新橋駅と有楽町の街頭に立って、町の様子を訴えながら販売しました。そしてその収益を町に寄付しました。さらに都内から支援に来てくれた先生の所属校を訪問してお礼をし、交流会を開きました。その上で上野公園、中華街、ディズニーランド、日光にまで出掛けているのです。
平常時の教育環境では絶対に出来ないことです。様々な条件がそれを許さず、仮に許されたとしても教師にも生徒にも、それをこなすだけの力量が果たして有るかどうか…
被災地では生徒さんたちはもとより、先生方も大きく成長されました。いや、成長していかなければ教育の場すら失いかねなかったのです。
それを被災地だから…その一言で片付け、忘れ去ってしまって良いのでしょうか。

被災地に、好むと好まざるとに関わらず生み出された新しい価値、そこから派生した新しい日常。
それが物事の本質により近く、何が一番大切なのかを常に意識するものであるなら、われわれはそのことを被災地から学んで、もっと自分たちを成長させる糧にすることはできないでしょうか。
ただ今回の作文中でも取り上げたのですが、その震災一年後の時点で少しずつ秩序は回復しつつありました。そんな中、回復した秩序のためにかえって不自由になったと嘆く、被災地の方の声をわたしは紹介したのですが、そのようにしてそれを、束の間の徒花にしてしまうのか否か…そのような厳しい課題を被災地の方が自らに課そうとしていたのが、とても衝撃的でした。
そしてさらに震災から2年。
今も被災地の多くでは、柔軟な姿勢で、もっとも大切な事を優先して進めようとする人々の姿が見られます。
しかしそれとまったく同じくらいの割合で、効率的に進められようとしている復興の中で、取り残されつつある人々がいます。

だから被災地と被災地の人々から決して目をそらしてはいけない、忘れてはいけないと思います。
それは単に被災地を支援していくためだけではなく、実は勝手ながらわれわれ自身のため…日本人が日本人として生きていくためであり、この日本という国をきちんとした形で再生していくためでもあると思うからです。
その事をわたしは作品の主題にし、この講演会のテーマとして掲げました。
日本教育公務員弘済会ですから、受賞した作品の読者の多くは教育の現場に身を置く、それもそこそこの立場の方たちだと思いました。そんな方たちに伝われば良いと思い、それこそその為には受賞するしかないと、かなり気合いを入れて書き込んだ文章でした。
被災地の学校が軽々とやってのけることが、どうして何の障害もない学校でできないのか…
だれがそんな息苦しいだけの状況を教育の現場に生み出しているのか…
果たして上手くそれが伝わっていくでしょうか。

今回の講演会には現役の教員の方が何人か来て下さっていました。
かつて教員をされていた方もいました。
少なくとも、そうした方たちにはきちんと理解してもらえたという手応えがありました。
話を聞けて良かったと言って下さった方もいました。
ありがたいと思いました。

いろいろな方に支えられて、今回の講演会は終了することが出来ました。
NPO法人しゃぼん玉の会の吉村さん、五井さん。

この日のために美味しい甘夏を送ってくれたガイアみなまたの黒田さん。
突然の案内に駆けつけてくれた中学時代の恩師である竹内先生。
庭仲間の上さんご夫妻。花を贈って下さった矢島さん。
講演会の様子をいっぱい写真に記録してくれ、わざわざ丁寧な手紙を添えたCDにして届けてくれた森昭彦さん。
忙しい中、わたしの拙い話を聞くために貴重な時間を割いてくださったひとりひとりの皆さん。
改めて心から感謝いたします。
雨の日にも関わらず様々な分野で活躍されている皆さんが16名、集まって下さいました。

先にご案内したとおり、これは日本教育公務員弘済会埼玉支部というところが公募した生涯学習実践作文で、優秀賞を受賞したその記念講演というのが建前でした。
昨年、PTA役員として県PTA連合会の定期総会に出席した折、前年分の受賞作品を集めた作文集を配布してもらって読んで面白いなと思ったのですが、その際に次のテーマが「東日本他大震災に学ぶ」であると知りました。たいした活動はしていなくても、今回の震災で学んだこと、被災地の皆さんや他のボランティアの皆さんから教わった事だけはたくさんあります。
そうした事の中には、自分の中だけに留めておくにはあまりに惜しいものが多く、当時娘の通っていた中学校でも講演会を開催して頂き、話をする機会を得ました。その時の中学生たちの反応には目を見張るものがあり、そんな風に役に立つことがあるのなら出来るだけ報告していきたいと思ったものでした。

受賞作品の中でも、今回の講演の中でも、特に大切だと考えて繰り返したのはテーマにもある「新しい日常」~新しいシステム、新しいルール、新しい価値観といったことでした。
「古い日常」があの巨大な災厄のために否応なしに崩れ去りました。
そこから先の急場をしのいでいくのに、従来の価値観や約束事に捕らわれていたのでは何事も進まず、時には人の生死にすら関わるため、被災地の皆さんやそこで活動する方たちは柔軟に、臨機応変に対応してきました。縦割り行政の横の壁を壊し、手続きや書類の作成が対応を遅らせると分かればそれを省略しました。
それは教育現場でも顕著でした。そうでなければわれわれが中学校に資材を集積したり、校内にいろいろな人を集めて寄せ植えを製作することは出来なかったろうし、その製作に中学生たちを動員したりすることは出来なかったと思います。中学校は様々な支援活動の拠点となり、その中で様々な人たちと接して学習することによって、中学生たちも大きく成長しました。
震災の年、われわれがお世話になった中学校では5月に予定されていた3年生の修学旅行を実施することが出来ませんでした。当時中学校はまだ避難所となっており、生徒の中にはそこで暮らす者も多く、正常な学習環境が整っている筈がありませんでした。本来であれば断念したまままで卒業を迎えるしかなかった彼らに、しかし学校は10月、やり直しの修学旅行をプレゼントしました。2泊3日の東京への修学旅行です。
その中で彼らが何をしたかといえば、まず、地元の農家や役場から贈られたリンゴや野菜や米を新橋駅と有楽町の街頭に立って、町の様子を訴えながら販売しました。そしてその収益を町に寄付しました。さらに都内から支援に来てくれた先生の所属校を訪問してお礼をし、交流会を開きました。その上で上野公園、中華街、ディズニーランド、日光にまで出掛けているのです。
平常時の教育環境では絶対に出来ないことです。様々な条件がそれを許さず、仮に許されたとしても教師にも生徒にも、それをこなすだけの力量が果たして有るかどうか…
被災地では生徒さんたちはもとより、先生方も大きく成長されました。いや、成長していかなければ教育の場すら失いかねなかったのです。
それを被災地だから…その一言で片付け、忘れ去ってしまって良いのでしょうか。

被災地に、好むと好まざるとに関わらず生み出された新しい価値、そこから派生した新しい日常。
それが物事の本質により近く、何が一番大切なのかを常に意識するものであるなら、われわれはそのことを被災地から学んで、もっと自分たちを成長させる糧にすることはできないでしょうか。
ただ今回の作文中でも取り上げたのですが、その震災一年後の時点で少しずつ秩序は回復しつつありました。そんな中、回復した秩序のためにかえって不自由になったと嘆く、被災地の方の声をわたしは紹介したのですが、そのようにしてそれを、束の間の徒花にしてしまうのか否か…そのような厳しい課題を被災地の方が自らに課そうとしていたのが、とても衝撃的でした。
そしてさらに震災から2年。
今も被災地の多くでは、柔軟な姿勢で、もっとも大切な事を優先して進めようとする人々の姿が見られます。
しかしそれとまったく同じくらいの割合で、効率的に進められようとしている復興の中で、取り残されつつある人々がいます。

だから被災地と被災地の人々から決して目をそらしてはいけない、忘れてはいけないと思います。
それは単に被災地を支援していくためだけではなく、実は勝手ながらわれわれ自身のため…日本人が日本人として生きていくためであり、この日本という国をきちんとした形で再生していくためでもあると思うからです。
その事をわたしは作品の主題にし、この講演会のテーマとして掲げました。
日本教育公務員弘済会ですから、受賞した作品の読者の多くは教育の現場に身を置く、それもそこそこの立場の方たちだと思いました。そんな方たちに伝われば良いと思い、それこそその為には受賞するしかないと、かなり気合いを入れて書き込んだ文章でした。
被災地の学校が軽々とやってのけることが、どうして何の障害もない学校でできないのか…
だれがそんな息苦しいだけの状況を教育の現場に生み出しているのか…
果たして上手くそれが伝わっていくでしょうか。

今回の講演会には現役の教員の方が何人か来て下さっていました。
かつて教員をされていた方もいました。
少なくとも、そうした方たちにはきちんと理解してもらえたという手応えがありました。
話を聞けて良かったと言って下さった方もいました。
ありがたいと思いました。

いろいろな方に支えられて、今回の講演会は終了することが出来ました。
NPO法人しゃぼん玉の会の吉村さん、五井さん。

この日のために美味しい甘夏を送ってくれたガイアみなまたの黒田さん。
突然の案内に駆けつけてくれた中学時代の恩師である竹内先生。
庭仲間の上さんご夫妻。花を贈って下さった矢島さん。
講演会の様子をいっぱい写真に記録してくれ、わざわざ丁寧な手紙を添えたCDにして届けてくれた森昭彦さん。
忙しい中、わたしの拙い話を聞くために貴重な時間を割いてくださったひとりひとりの皆さん。
改めて心から感謝いたします。
講演会のお知らせ
テーマ:東日本大震災復興
2013/03/27 04:19
お知らせしておきます。
昨年夏、子どもたちの手でソーラーパネルを製作し、それを東日本大震災の被災地のひとつである石巻に設置するという活動をした、「NPO法人しゃぼん玉の会」が講演会を開催してくれることになりました。
昨年、日本教育公務員弘済会埼玉支部というところで公募した生涯学習実践作文「私の実践~東日本大震災に学ぶ~」に応募したわたしの文章が、優秀賞を受賞したことを喜んでくれた友人たちの心遣いです。
講演会というのもおこがましいので、これまでの被災地での活動を写真で紹介しながら、皆さんといろいろお話しできたらと思っています。
日時は、2013年3月30日(土)10:00〜11:30
場所:鴻巣市吹上コスモスアリーナ 2階の講習室
会費:無料
参加はどなたでも自由みたいなので、よろしかったらご参加下さい。

なお、「NPO法人しゃぼん玉の会」は不登校の子どもを持つ親たちのネットワークです。
時々はわたしもそのキャンプなどに参加させていただいていますが、なかなか素敵な活動をされております。
ぜひとも一度、こちらをご覧下さい。
被災地に寄せ植えを届ける~山元町追悼式、昨年と今年と
テーマ:東日本大震災復興
2013/03/12 14:55
3月11日。東日本大震災より2年。
山元町でも14時30分より追悼式が開式となりました。

ちょうど1年前のこの日は曇り。
それも前日降り続いた雪がようやくやんで、式の終了後にはまた降るというつかの間の曇り空だったように記憶しています。
そういえば昨年のHANAsakasoプロジェクト最終回の報告がまだでした。
とても気持ちに余裕が無かったのだと思います。
前回の乗り込みは2日前の9日。関東地方の雨が北上するのと競争するようにして山元に入りました。
旧坂元駅前に追加で植え込む菜の花の苗は、すでに運び込まれていました。

初日はプロジェクトを通してずっとお世話になった、地元の花ボランティアの皆さんが手伝って下さいました。

寒風に耐えながらの作業となりましたが、昼前になってついに冷たい雨が降り始め、そこで断念しました。
2日目は朝から雪。

追悼式を翌日に控えていましたので躊躇無く、雪の中の植込み作業となりました。

どうにか植え終えて、学校に戻ってからも会場準備をお手伝いし、2日目を終えました。

追悼式当日。
各学校の子どもたちが作った紙の灯籠を会場に並べ、点火などのお手伝いと、

ワイズティーネットワークの根本さんが山元のリンゴを使って独自にブレンドした紅茶を、来場者の皆さんに振る舞うというサービスを行いました。第1回プロジェクトに参加して下さった山口良一さんの顔も見えます。半年ぶりの再会でした。彼の持ち前の明るさと気さくな人柄が、皆さんの気持ちをとても和ませてくれたと思います。

そして、追悼式に参列。地元の皆さんと一緒に献花を行わせて頂きました。

後になって届けられたその後の花たちの様子です。
4月下旬、菜の花が開花し、一緒に植えた球根たちも花を咲かせてくれました。


このように、昨年の3月11日前後は晴天に恵まれ続けたHANAsakasoプロジェクトには珍しく、悪天候の連続でした。
やはりその日を迎えた被災地の皆さんの哀しみには、到底叶わなかったのだと納得したものでした。
そして今年の3月11日もまた、前夜には雪が舞い、前日に続いて寒風吹きすさぶ1日となったのでした。



寄せ植えたちはすっかり元気になって山元の環境になじんだ様子。
式典会場である山下中学体育館に飾らせていただきました。

厳粛にかつ、心を込めて追悼式が行われ、今年もまた列席させていただき献花の列に加えて頂きました。

献花の後には山元の歌を作り隊の皆さんがを熱唱。
会場の涙を誘いました。
何度聴いても心に染みる曲だと思います。
そして式終了後、歌を歌い終えられたばかりの「子どもも大人もみんなで遊び隊」隊長である吉田和子さんに、皆野中学校の子どもたちから預った寄せ植えを託しました。

秩父の寒さにさらされて大きく育った苗たちですから、おそらくはこの東北の地でも力強く咲き続けてくれることと思います。山下中学の成毛校長先生にも子どもたちのメッセージを伝えることが出来ました。
役場や支所など、各所で今回お世話になった皆さんに感謝の気持ちを伝え(渡辺先生はこの日になって風邪でダウンされた様子です。〇〇のカクラン? お大事に…)、最後に旧坂元駅に向かいました。
この夜は町の被災した数カ所で、竹灯籠に火を点して亡くなられた方のご冥福を改めて祈っているのでした。
特に他に灯りの無い旧坂元駅付近では闇がとても濃く、ろうそくの灯りが生命そのもののように輝いていました。

お世話になった皆さんと別れ際についつい長話をしながら、今回しみじみ感じたことがいくつか。
まず、いつまでも今のような形ばかりの支援は、していられないと思いました。
復興には地元の皆さんの力強い自立こそが必要なのであって、このまま外部の支援者が何でも届け、何でもやってしまっていたのでは、本当の復興が遠のくばかりです。本音で言えばわれわれも今までのやり方の方がやりやすいのかも知れないし、達成感も伴うのでしょうが、渡辺先生に最初支援を持ちかけられたときのようにもう一度、支援の正しい形を考え直さなくてはならない時が来ているのでしょう。
それには一体どのような形が良いのか、今はまだ分かりません。
おそらくはもっともっと個別的に、場所ごとに考えていかなくてはならないのだと思います。
今日になって「みんなのとしょかん」で世話を焼いていらっしゃる地元の方と、電話で話すことが出来ました。
あの土地は地主さんから無償で借りているため、何かを作ったり植樹をしたりするのは難しいのだそうです。今後、みんなが集まる憩いの場にしていくためにはやはり買い取るのが一番良いのですが、土地をひとつ購入するのはなかなか大変なこと。これからもみんなで考えていきたいとの事でした。もちろん、ここは遠慮しないで協力を申し出させていただきました。
また、阪神淡路の時もごく身近な問題として思い知ったことですが、震災から2年が経過してそれぞれの抱える問題がとても多様化してきていると思います。一概に割り切った方法論はとれませんし、様々な矛盾や対立も発生しています。誰かを救うために行う事が、別の誰かを傷つけることになりかねませんし、誰かの利益は同時に誰かの不利益となります。
そのひとつひとつを丁寧に拾い、すべてに適うことは見つからないにしても、すべての声はしっかり聞いていかなければならないでしょう。それはすでに行政だけに任せられる事ではなくなっているように感じます。
ただ、いずれにしても、と言うかそう言った状況だからこそ、われわれの無力さに比べて「花」たちの持つ力には計り知れないものがあるように感じます。
結局のところ何が一番大切なのか…
迷ったときはその根本に立ち返るのが一番なのですが、それでも迷い続けてしまうときに、「花」たちの有り様は時に素敵なヒントをくれることがあります。
そのヒントがあるから、それを大切にしながら、今後もこの地を幾度となく訪れたいと思うのです。
