宮沢賢治。
テーマ:子育て・己育て
2010/11/03 19:29
このところ、6年生の長男が音読をしているのが「イーハドーヴの夢」という話。
これは 畑山博さんという方が宮沢賢治の事を書かれた話。
ミッポが子どもの頃から 読んだ経験があった「注文の多い料理店」
その他「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」など、有名な話は多い。
どちらかというと 自然との共存を感じたり、自然の力を感じたりできる不思議なストーリーが多いと
漠然と理解していたんだけど、長男がこの話を音読するようになって 「あぁ、そうだったんだ」と感じた。
宮沢賢治は 「農」の為にその短い一生をささげた人。
苦しい農作業の中、楽しさを見つけ、工夫することに喜びを見つける。未来に希望が持てる、農業を。
その為に農作業をしていく者同士、心を通わせていく為に、と優しい心を持てるようにということで
たくさんの詩や童話を書くように成ったらしい。
今まで単にストーリーとしての読み方しかしたことがなかったけど、そうやって知ってみると
その想いを気に留めながら読んでみたいと思うようになった。
どちらかというと 今は何でも急いで、早く結果を出してと、スピードが早いことが一番と評価されがち。
ウチのやり方は とにかく極力化学農薬を使わない。
そのことは今の「消毒散布→害虫が駆除される」という「目の前でやっつけた、もう大丈夫」という
やり方ではないので 正直言うと今の時代向きではないのかもしれない。
同じように賢治も その頃の時代に逆行した「農」を目指していたことを知り、共感できた。
それと そのことが理解されることには非常に難しいものがあるという苦労も共感できた。
実は 化学農薬、特に有機リン酸系の薬剤を使わないのは、ミッポがずっとオヤカタどんに
「無農薬のお野菜と 農薬がかかったお野菜、どっちを食べる? 無農薬でお野菜を作る努力をする農家さんも居るのにどうして 無農薬で管理する植木屋さんは居ないの?
私は子ども達には農薬を使った食べ物はなるべく食べさせたいと思わない。顔の見える関係の生産者さんのものを安心して食べさせて育てたい。植木の消毒も同じじゃないの?」とオヤカタどんが造園会社に勤めていたころからその疑問は毎回ぶつけていたことからでもある。
その度に「でもね、結果を出さないと、ダメだから。害虫が居る、それを駆除して植木を守るのは造園業の仕事だから」と繰り返し言われた。
でも数年後、オヤカタどんは有機リン酸系の化学薬剤に対して 体調不良などを起すようになる。
ミッポはその時に もう、とにかく1日も早く、造園の仕事を辞めて欲しいと思って口にした。
ミッポ自身は実は 父親を小さいときに病気で亡くしているので 「元気で、生きていること」がどんなに
それだけで価値があることなのかを知っている。
子ども達の為に、身体を壊して欲しくない。その想いが強かった。
何とかなる。それに何ともならなくても ミッポが何とかする。(何にも出来ないくせにその時はそんな気持ちだった)
「いっそ。。。
植木屋の技術はあるんだから、独立して 農薬に頼らない造園業をしたら?」と
今 考えたら 思い付きにもホドがある発言をした。
時代には完全に逆行した考え。
だけど、昔の人は化学農薬に頼らない管理をしていた。何故それが出来たのか?
今のお庭事情と、昔のお庭事情の違い、気温の違い、植木の種類の違い、管理のしかたの違い。
いろんなことを調べたし、いろんなものを試した。
自然農薬、そういうキーワードのものを片っ端から試した。
有り難いことに そういう試行錯誤を繰り返すことを理解してくださるお客様たちが居てくださって、
そのおかげで忌避剤の「クスニム」が出来た。
その中で、ある方が オヤカタどんのことを
「自然庭法師」というネーミングを付けてくださった。
そのネーミングは多分、世界中のドコを探してオヤカタどんにしか 値しない名前だとミッポは思っている。
賢治の想い。
その想いを ミッポは深く理解できるような気がしてる。
今度 秋の夜長に、宮沢賢治の本を読んでみようと思っているミッポでした。
これは 畑山博さんという方が宮沢賢治の事を書かれた話。
ミッポが子どもの頃から 読んだ経験があった「注文の多い料理店」
その他「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」など、有名な話は多い。
どちらかというと 自然との共存を感じたり、自然の力を感じたりできる不思議なストーリーが多いと
漠然と理解していたんだけど、長男がこの話を音読するようになって 「あぁ、そうだったんだ」と感じた。
宮沢賢治は 「農」の為にその短い一生をささげた人。
苦しい農作業の中、楽しさを見つけ、工夫することに喜びを見つける。未来に希望が持てる、農業を。
その為に農作業をしていく者同士、心を通わせていく為に、と優しい心を持てるようにということで
たくさんの詩や童話を書くように成ったらしい。
今まで単にストーリーとしての読み方しかしたことがなかったけど、そうやって知ってみると
その想いを気に留めながら読んでみたいと思うようになった。
どちらかというと 今は何でも急いで、早く結果を出してと、スピードが早いことが一番と評価されがち。
ウチのやり方は とにかく極力化学農薬を使わない。
そのことは今の「消毒散布→害虫が駆除される」という「目の前でやっつけた、もう大丈夫」という
やり方ではないので 正直言うと今の時代向きではないのかもしれない。
同じように賢治も その頃の時代に逆行した「農」を目指していたことを知り、共感できた。
それと そのことが理解されることには非常に難しいものがあるという苦労も共感できた。
実は 化学農薬、特に有機リン酸系の薬剤を使わないのは、ミッポがずっとオヤカタどんに
「無農薬のお野菜と 農薬がかかったお野菜、どっちを食べる? 無農薬でお野菜を作る努力をする農家さんも居るのにどうして 無農薬で管理する植木屋さんは居ないの?
私は子ども達には農薬を使った食べ物はなるべく食べさせたいと思わない。顔の見える関係の生産者さんのものを安心して食べさせて育てたい。植木の消毒も同じじゃないの?」とオヤカタどんが造園会社に勤めていたころからその疑問は毎回ぶつけていたことからでもある。
その度に「でもね、結果を出さないと、ダメだから。害虫が居る、それを駆除して植木を守るのは造園業の仕事だから」と繰り返し言われた。
でも数年後、オヤカタどんは有機リン酸系の化学薬剤に対して 体調不良などを起すようになる。
ミッポはその時に もう、とにかく1日も早く、造園の仕事を辞めて欲しいと思って口にした。
ミッポ自身は実は 父親を小さいときに病気で亡くしているので 「元気で、生きていること」がどんなに
それだけで価値があることなのかを知っている。
子ども達の為に、身体を壊して欲しくない。その想いが強かった。
何とかなる。それに何ともならなくても ミッポが何とかする。(何にも出来ないくせにその時はそんな気持ちだった)
「いっそ。。。
植木屋の技術はあるんだから、独立して 農薬に頼らない造園業をしたら?」と
今 考えたら 思い付きにもホドがある発言をした。
時代には完全に逆行した考え。
だけど、昔の人は化学農薬に頼らない管理をしていた。何故それが出来たのか?
今のお庭事情と、昔のお庭事情の違い、気温の違い、植木の種類の違い、管理のしかたの違い。
いろんなことを調べたし、いろんなものを試した。
自然農薬、そういうキーワードのものを片っ端から試した。
有り難いことに そういう試行錯誤を繰り返すことを理解してくださるお客様たちが居てくださって、
そのおかげで忌避剤の「クスニム」が出来た。
その中で、ある方が オヤカタどんのことを
「自然庭法師」というネーミングを付けてくださった。
そのネーミングは多分、世界中のドコを探してオヤカタどんにしか 値しない名前だとミッポは思っている。
賢治の想い。
その想いを ミッポは深く理解できるような気がしてる。
今度 秋の夜長に、宮沢賢治の本を読んでみようと思っているミッポでした。