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サクラ~遅ればせながら

テーマ:思い
山桜

4月になっても繰り返される寒さのせいで、ふだんよりもずっと長く楽しめた今年の桜…

でも、さすがにこの関東ではそろそろ時季外れとなりました。


この季節になっていつも思い出すのは、神戸時代、住宅メーカーの年度末決算のアオリを食らって2月半ばから4月半ばに掛けて、1日も休むことなく朝の6時から夜は11時過ぎまで走り回ったころのこと…


その頃に書いた詩に、「超過勤務のはて」というのがあって、いつもこの時期には決まって思いだしてしまいます。


     およそ人間に
     やれる仕事の量じゃないぞ
     殺す気か
     と会議の席上
     苦言だけは呈してみたものの
     それでもこなしてのけるよりない事は
     誰にもまして知っている
     年に一度の年度末決算
     と
     我々のハードワークの必然性との
     連関なんぞ
     理解すべくもしたくもないが
     それがお前の仕事と言われれば
     誇りも自負も
     情熱も持てぬままに
     すでに充分疲れの溜まった身体を
     現場まで引きずっていくより
     ないのだ
     
     何の為に働くのかという
     命題に明確な解答を見出せぬ以上
     私は今日を
     明日につなぐだけの不毛を繰り返すよりなく
     つまりは昨年以来の
     ジューニシチョーのカイヨウを元気づかせ
     不意の胃痛の眠れぬ夜をやり過ごし
     運転中の記憶を失い
     幾度となく段取りミスを重ね続ける
     そうまでして
     人間と人間の時間を擦り減らす
     仕事というものを
     尊大にせねばならぬのか
     
     辞表を書いては破り捨て
     果てしの無かった二ヵ月を乗り切らせたのは
     ふいに優しい言葉を発する
     人間たちの身近な気配と
     つまらぬ見栄と
     鼻持ちならない自尊心だ
     見事
     こなし切ったという実績が残り
     この実績は確実に
     一年後のさらなる地獄を約束する
     さんざ働き
     超過勤務の代償のすべては
     跡形もなく
     妻との休暇に使い切り
     残せば何やら
     仕事におもねる自分が始まるようで
     痕跡すら預金口座に記すものかと
     完膚無きまで使い切り
     肉体の磨耗だけが私の蓄財だ
     
     そのようにして
     ようやく試みた人間の主張も
     さらに引き続く不毛に呑み込まれ
     私はここに居る
     自分を誇る何物も持たずに
     疲労して救われず
     傷めた身体を大の字にして
     思い出したように
     ここに居る


 18年が経過した今も、なにやら身に迫ってくるものがあります。

普光寺の桜2

 あの頃は毎年の春がそんな具合でしたから、当然ながら花見など楽しんだことはありませんでした。
 うーん、だから花見という言葉にはつねにある種のトラウマが伴います。

普光寺の桜3


 そんな毎日の中、休日に仕事で走り回る内に折りからの行楽日和で渋滞に巻き込まれ、ふと、桜が続く土手の上で花見を楽しむ大勢の人々を見たことがありました。
 心中はお察しのとおりですが、感情が半ばマヒしてしまっていた当時のわたしにとって、それはすでに現実のものではないどこか遠い次元の景色のように思われて、不思議な感覚にとらわれたのでした。

 別の次元に生きているのは、おそらくわたしの側だったのでしょうが…


 そんな景色を詩にしたのが次の「異形の川辺」です。

 今読むと、自分で読んでもとても難解なのですが、まあ疲れ果てて屈折しきった心の表現だったのでしょうね。


     薄紅の花の見事に
     打ち興じる人間の季節
     川べりの土手に憩う精霊は
     おぼろの空を見上げては
     決まってそこに置き忘れられる
     人間たちの古い時間を清算する
     つややかに照り映える
     土手の緑までもが意匠となる
     まどろむ時間に似たそよぎの中で
     人間はそしてどこへ行ってしまったのか
     
     真実をめぐる探究に疲れて
     鮮やかに演出された虚構に身を潜めれば
     もはやそこには
     群れた魚の影の揺れる
     川面ほどの画像が映るばかりだ
     液晶ディスプレイの中に宿った精霊は今や
     語り継がれた虚構の中の
     切ない希望を読み取る術も意志もなく
     真実すら語る間の無い
     高精度の地上を造形する
     
     人間は二進法の土手を下って
     美に関する言葉のすべてを検索する
     図らずも精霊たちと同じ方角に顔を持ち上げ
     ほのかに季節の香を含んだ
     宇宙を呼吸すれば
     濃い蒸留酒の中に秘められた記憶は
     人間がいつでも人間以上のものになれることを
     思い出させる
     
     そこに居てそこに居らず
     やがて虚構そのものとなる人間が
     それでも舞う花片の妙を愛でる夕べ
     歌い継がれた唄の繰り返される
     川岸の艶やかな樹木の下では
     愚かな生命を愚かなままで
     慈しむ懐かしい精霊が
     今もひとつふたつ
     静かに安らいでいる


桜の土手


 春になれば必ず思い出す、これもひとつの風景です。


普光寺の桜1





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風景

テーマ:思い
菜の花

現場に向かう長い道中、撮り溜めた景色の写真がたくさんあります。

特に菜の花が多いのは、美しい田園風景の中を選んで走ったせいだと思います。

菜の花と桜

3月になって、とても大切にしていた人を失いました。

不思議なもので、それまでどんなに仕事が忙しくても、5時間の睡眠時間を4時間に減らしてでも中断しなかったこのブログを、そんなことで1ヶ月半も休んでしまいました。

心の病は気持ちをくじき、どうやら、おどろいたり感動したりする心の動きをひどくおとなしくしてしまうようです。

いつもならこの3月から4月にかけて、刻々と変わっていく景色に心を踊らされて、いつどこでどんな花が咲いたという記事がわたしの日記を彩るのですが、今年はそうしたことがついぞなく、その菜の花の景色にも、梅やモクレンや桜の開花にも心がほとんど動かないままでした。



ただ一度だけ、わたしの心を騒がしたのがこの景色でした。

菜の花とベニカナメ

なんの変哲もないベニカナメの若葉のアカと、菜の花の小さな群生です。

この赤と黄色の色の組合せがはっと目に飛び込んでこびりつき、毎日その脇を通りながらわたしの心は徐々に回復しました。

もちろんそれ以前も仕事はこなし、日常生活もきちんと送って来ましたので、これを心の病と同列にすることは差し控えた方が良いかもしれません。

ただ、わたしはこのブログで自分が発見したり感動したりしたものを、皆さんと共有したいと思ってきましたし、それを常に読むに値するメッセージにしたいと考えてきたものですから、これはやはり書かなければならないと思った訳なのです。


風景、という言葉が「景色」と違う点は、そこに人の心が介在するかどうかであると、以前に聞いたことがあります。

黄色とやや暗い赤…補色に近い色の組合せが、人の目にとても印象的に映ることをわたしたちは学びました。

自然界にそんな色の組合せが存在するかなと考え、ああ、深い山の紅葉に有ったかも知れないと思い至りました。

ただ、この里の景色は、やはり自然の物ではなく人が強く介在することで誕生したものです。

…ただ、おそらくは意図して産み出された配色ではなかったろうと、想像出来ます。
だから、わたしの心が惹かれたのだろうと、今になって思います。


人がデザインして、つまりは意図して産み出されたデザインには限界があります。
人が製作したガーデンは、しょせんは自然とは似ても似つかぬものです。

でも、扱うものが植物という自然のものだからこそ、製作者の意図とは関係なく、このような思わぬ美しさを産み出してくれる事があるのではないでしょうか。

この仕事を生業にしているわたしだから感じたのかもしれません。
でも、だからこそそれはわたしに対するメッセージであっただろうと、わたしは勝手に思いこむことにしました。

で、人の心の病と、それに対してガーデンというわたしたちの仕事が果たす役割について、わたしは認識を新たにしたのです。
癒しだけがガーデンの効能ではない、と…

まあ、それは後の話にします。
まだまだ、これは心のリハビリなもんですから。



里の景色は美しい。

たとえばこんな景色…


ムラサキハナナの群生

単線の踏切脇の空き地にひろがるムラサキハナナは、おそらく自然にこぼれ種で増えたものではないでしょうか?


桃の林

畑の奥の果樹園に咲く桃の花も、おそらくは観賞用に植えられたものではないでしょう。


リキュウバイ

この、畑の中のリキュウバイも、通りすがりのわたしではなく、畑の持ち主にとっての憩いなのだと思います。


あいかわらず人気の芝桜の丘とかの観光を目的とした植栽が、最初の5分くらい感動した後はうんざりすることの方が多かったり、あるいは写真に納めてそれで満足出来てしてしまうのとは違い、里のこうした景色は何度訪れても美しいと思い、とてもそれは写真では表現しきれないと思えます。

それをだから、風景と呼ぶのでしょうね。



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15年目の阪神淡路大震災

テーマ:思い
昨日の井出さんのプログにもありましたが、今日であの阪神淡路大震災から15年目を迎えました。

数々の思いはありますが、ここではやはり井出さんと同様、あの時のことを教訓としてしっかり胸に刻みたいと思います。

実はこれから先の記事に対応する写真はありません。
ただ、それでは余りに読みづらいでしょうから、昨年の夏、震災の年に離れて以来、実に14年ぶりに訪ねた神戸で撮った写真を掲載させていただきます。
案の定、ガーデンの写真ばかりで記事の内容とはまったく関係ないのですが、ささやかなサービス精神と理解いただき、どうかご容赦下さい。

北野 萌黄の館

1995年、神戸の造園土木会社に勤めていたわたしは、震災の直後から取引先である大手住宅メーカーの神戸営業所に詰め、各地の被害状況調査に出向いていました。
これまでにその会社の下請けとして施工してきた何十軒ものお宅を訪問し、被害状況を聞き取り、あるいは調査し、早急に対処しないとオーナーや近隣の生活に支障をきたすもの、対応は必要なまでも緊急を要さないもの、もはや対応のしようも必要もないものなど、それらを仕分けてレポートするという気の遠くなるような作業でした。

気の遠くなるような…
無理もないのです。
調査範囲は神戸市内から芦屋、西宮、伊丹にまで及ぶにかかわらず、移動手段はわずかな本数のバスとあとは足だけでしたから。
実際のところ、安全靴にヘルメット、リュックサックを身につけて、瓦礫の山を乗り越え乗り越えての毎日でした。

あまりの被害状況のむごさに、ともすれば意気が萎え気が沈み、蓄積した疲労で道路に座り込んでしまうこともたびたびでしたが、不思議なことにそんな私に声を掛けて元気づけ、焚き火や甘酒で暖をとらせてくれたのは、被災者のみなさんでした。
「ありがとうな、がんばってや」
「ご苦労さんやな、大変やろ」
人間はここまで強くなれるし温かくなれるもんなのだと、涙腺が緩みっぱなしの毎日でした。

布引ハーブ園02

さて、そんな被害調査の結果です。

実際に早急に手当が必要だと報告した事例はわずかなものでした。
ほとんどがそのレベルを超過しているのです。

確かにブロック塀が倒壊し、玄関前のアプローチも瓦礫で塞がれているにしても、それ以前に道路が陥没している、隣家が傾いて建物を圧迫している、地盤が浮動沈下を起こしている…
あるいは、周囲が焼失して徒歩以外ではたどり着けなかったり、まず倒れた近隣住宅の撤去が先だったり、オーナーの避難先が不明で連絡がつかなかったり…
優先されるべき外構の復旧工事など、そう多くはなく、われわれは出来るところから少しずつ対応していくしかありませんでした。


そして、さすがに業界一二を争うトップメーカーだけに、地震そのもので建物に損傷が発生したお宅は皆無でした。
わたしが担当したお宅のうち、建物に被害が及んだのは僅かに2軒。
近隣の出火による類焼で焼失したお宅が1軒。
地盤の液状化現象で土地が動き、建物全体が傾いてしまったお宅が1件。

特に火災で全焼したお宅は、前年の年末に庭の工事を終えて引き渡したばかりのお宅でした。

布引ハーブ園01

また、年末に着工してその1月より本格施工に入る予定だったお宅もありました。
こちらはまったくの無傷でしたが、古い家屋の建ち並ぶ地域の中の新築物件だったので、その周辺の家屋全てが倒壊してしまい、そのお宅1軒だけがぽっかりと残る景色は、一種異様ながらとても衝撃的でした。

住宅メーカーとしてはまたとないピーアールの機会だったと思います。
大震災のなかで1軒だけ無傷だった**ハウス…
それはセンセーショナルな写真でした。
…後日談があります。
「あまり気乗りしないのだけど」
と、住宅メーカーの営業マンからの依頼があり、
他はさておき、あのお宅の外構を先に進めてはもらえないか…
本格的な広告媒体にする為に外構もそこそこ綺麗に仕上げたいとの上の意向が有ったとか。

わたしは即座に断りました。
他にもたくさん先を急ぐ災害復旧工事があるし、何よりも周辺の住民感情を考えたらそんなこととてもじゃないけど出来っこない。
そんなことしたら、石をぶつけられるでぇ。
…むろん、わたしはそんなことで石を投げるようなご近所でないことは重々知っていましたが。

結果的に我々は、そんなむごい仕事をしなくても済みました。
実際のところ、折り重なって倒れた何十棟もの周辺の家屋の解体撤去が済むまで、工事車両はそのお宅に近づくことさえ出来なかったのです。

宝塚 シーズンズ02

さて、調査の中で、数多の倒壊したブロック塀を見ました。

井出さんのおっしゃるように、そのほとんどは無筋か、配筋がなされていても規格に満たなかったり、定着(複数本の鉄筋を連続して設置するときに定められた重ね合わせの長さ)されていなかったり…
しかし、仮にしっかりとした配筋がなされていたりしていても、倒壊したブロック塀もありました。
軟弱な地盤上に施工されたものは基礎ごと倒れていました。
丸棒と呼ばれる鉄筋などは戦前の施工だったのでしょうか。すでにブロックの中でボロボロに腐蝕していました。
ブロックそのものがすでにボロボロだったりするそうした古い時代の塀は、まず例外なく無事ではありませんでした。
もちろん地盤全体が隆起・沈下した場所では、すでに手抜き以前の問題として被害が発生しています。

宝塚 シーズンズ03

あのスケールで被害の状況をつぶさに見せつけられたのです。
わたしの価値観も大きな転換を迫られることになりました。

それは地震に耐えられる構造物を造らなければならない、というレベルでは許されないものです。

地震で倒壊してその結果人命を奪う可能性のある構造物など、そもそも造ってはいけないのだ、と…
それがわたしの到達点でした。

門柱も、1メートルを越すブロック塀も、カーポートもパーゴラも造るべきではない。

はい。
それは完全なる自己否定でした。
突き詰めれば、ありとあらゆる文明すら否定することになる極論でした。

宝塚 シーズンズ01

実際、神戸を離れたわたしには自分のしたい庭造りが見えなくなり、まあ、それ以外の事情もあって外構でも造園でもない、一般土木の職に就きました。

それから後のことは、先に書いたダムに関する記事の中で、少し触れています。

そして、わたしは結局また、ここに戻ってきました。

もちろん、今もあの時の極論を唱えるつもりはありません。

ただ、わたしのしたい仕事の根底にあるのは、結局のところそういうことなのです。

わたしのつくりたい庭は、巨大な地震に耐えるだけが取り柄の庭ではなく、
当然ながら、焼け跡の中にぽっかり生き残ってそれを自慢できるような、そんな大手住宅メーカーが求めるような庭でもありません。
強いて言うなら、そう、
あの被災地の瓦礫の中で疲れ果てたわたしを手招いて、焚き火に当たらせてくれた、あのおばちゃんやおっちゃんたちが見て、
綺麗やねえ、
気持ちがええねえ、
と喜んでくれるような庭でしょうか?

彼らにはきっと派手な門柱や、ぐるりと高く囲った塀など、無用なものでしょうからね。



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向井康治

ガーデン工房 結 -YUI-は、埼玉を起点に植物を中心に据えたガーデンデザインと設計・施工を仕事とする会社です。
ただし、面白い仕事であれば時には利益も距離感覚も忘れ去る脳天気ぶり。
だから、この仕事にはいつも様々な出会いがあります。人、植物、もの、本、言葉、音楽…。

結 -YUI- はネットワークです。
それは多彩な技術や知識を持った人々が持てる力を共有し合うこと。
人と自然界の美とが満を持して出会うこと。

わたしが文芸、農業、インド、土木、外構、アウトドアと巡ってきた先の到達点は、おそらくそれらみんなの要素を遺憾なく結集することのできる、小宇宙 「ガーデン」でした。

ガーデンデザイナーとして、ガーデナーとして、これまでの、そしてこれから先の「出会い」を余すことなくお伝え出来ればと思います。

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