被災地に寄せ植えを届ける~皆野中学PTAと生徒会のとりくみ、この一年
テーマ:東日本大震災復興
2013/03/08 16:45
すでにひとり娘が卒業してしまった中学校のPTAに、引き続き役員として留任、というか留年してしまったのは、文字通りわたしが至らなかったからに他なりませんが、それでもやる以上は徹底的にやろうと思えたのはちょうど今から一年前、生徒会の役員諸君との交流を持ったときから始まります。
彼ら生徒会は2011年の東日本大震災直後に申し合わせたようにして立ち上がり、3日間で26万余りの募金を集めて被災地に送りました。先生や父兄の協力があったとは言え、子どもたちが自力で集めた額としてはとても大きかったと思います。
それから一年たった昨年の3月、生徒会とPTAとが交流しながら何らかの事業を始めようという段になって彼らが口を揃えるようにして希望したのが、もう一度被災地のために募金活動をしたいということでした。
前年から宮城県の山元町に通い、花を使った支援活動に参加していたわたしからの、それこそ目に見えない圧力が無かったとは否定しきれないのですが、それでもついつい胸が熱くなるのを感じてしまいました。
でもそこでわたしが彼らにお願いしたのは少し違うことでした。
もちろん募金という形の支援活動があってもよいと思うし大切なことだと感じている。でも震災から1年が経過して被災地のニーズはすごく多様化していると思う。どのように使われるか分からない義援金より、もっと具体的でもっと心のこもった、しかも届ける相手の顔がはっきりと見える支援活動をしてみないか…
実のところ、彼らにはもっと直接的に被災地の姿を知ってもらいたいというのがわたしの願いでした。
が、それはそれとして苦労だけの支援活動ではなく、自分たち自身も楽しめるような手応えのある支援活動でなければ、長く継続させることはできないというのが、僅かばかりの被災地での活動で、わたし自身が学んだことだったのです。
時期を改め開催した別の交流会において、話し合いの結果、彼らが選んだのはチャリティーバザーでした。
小学校時代、子ども会やPTA活動で親たちが開催したバザーを経験した子どももいましたが、中学校としては初めての試みでした。
実際に運営するのはPTAですが、子どもたちもPRして友だちを誘ったり、当日は売子をつとめたりと、共同開催という形にして、それはとても画期的なものとなりました。
とは言うものの、何せ初めての試み。
しかも時期的に夏休みの始めということもあって会場である体育館はとても暑く、広報不足もたたってお客さんも少なく…
けっして大盛況とはいきませんでしたが、手作りのミサンガを売ってくれた子どもがいて、わたしも山元町の仮設住宅で手作りされたストラップを売り、僅かながら 44,000円ほどの収益を上げることが出来ました。
何よりもたくさんの品物を提供してくれた父兄の皆さんの気持ちが、とてもありがたく感じました。
やると決めた以上は徹底してやろうと、同じく夏休み中の行事として予定されていたPTAと中学後援会も通常の夜の料理屋さんではなく(まあ、わたしが苦手ということもありますが)、昼間のキャンプ場でバーベキュー大会をすることにして、その余剰金もチャリティーに充てました。
また、秋のPTA研修旅行。
これも本当は福島あたりまで足を伸ばしたかったのですが、日程の関係でそうもいかず…
横浜でしたが、その代わりに会費の残金をチャリティーに回してもらいました。
そのようにして集まった収益金をどのようにして活用するか、これもまた交流会を開催して子どもたちの意見を聞きました。
花の種と土を買って花を育て、お世話になった地元の人たちや被災地に届けよう。
これもほぼ満場一致で決まりました。
地元の、花の生産者さんの協力もあり、種よりも確実に大きく育てられるプラグ苗を大量に調達してもらい、10月にこれをポットに移植。これは3年生が行いました。
4,000ポットのパンジーたちです。
厳しい冬を迎えるにあたってポット苗の管理が難しいと言うことで、それを花壇に定植。
これも3年生と1年生の一部がやってくれました。12月のことでした。
一方親たちは親たちで…
文化祭の受付のみなさんに手伝ってもらい、球根と土を配布。
各家庭ごとに育ててもらったものを、3月に学校まで届けて下さい。
チューリップとスイセン、クロッカスの球根がおよそ130球ほど父兄に託されました。
今年はそれだけでなく、放課後の学校に親と子どもと教師とが集まって、一緒にいろいろと勉強しようという新しい企画も始めました。
題して「皆中おとなも子どもも学ぶ会」。
山元町の「子どももおとなもみんなで遊び隊」と少し似ていますが…偶然です。
第1回めは昨年10月、「おとなと子どものいのちの勉強会『釜石の奇跡』から学ぼう」と題し、釜石の実際の事例をDVDで鑑賞した後、わたしが座長になって各家庭それぞれの防災対策、学校の防災に対する姿勢、地元で考え得る災害などについて話し合いました。
第2回は今年1月。「おとなと子どものいのちの勉強会 携帯電話とインターネットについて考えよう」。
埼玉県からネットアドバイザーの方を派遣してもらい、やはりDVDを使ったり、プロジェクターを使いながらネット社会の怖さ、子どもたちのすぐ側に潜んでいる危険、その中でどうやって子どもたちを守っていけば良いか、勉強しました。
そして、その「皆中おとなも子どもも学ぶ会」第3回目が、明日開催される「花の寄せ植えをつくって届けよう」という寄せ植え教室と花いっぱい活動です。
球根が果たしてどれだけ戻ってくるかという心配がまったく無かった訳ではありませんが、なんと昨夜の時点で132ポット、つまりはほぼすべての鉢が大切に育てられた上で元気に戻ってきていました。
これに花壇に植えられて冬を越したパンジーたちを加えて寄せ植えにし、100鉢の寄せ植えを子どもたちと若干のおとなたちとで製作する予定です。
そして出来上がったうちの50鉢を、地元でこれまでお世話になった幼稚園や保育園、小学校、郵便局、駅、役所、老人ホームなどに配布して廻ります。これらの配布先はみんな子どもたちが考え、メッセージも作成してあります。
そして残る50鉢を、わたしたちが山元町に届けます。
先日先方にその届け先の相談をしたところ、まずは3月11日に行われる町の追悼式の会場で飾ってくれるとのこと。その後で様々な場所に配られていくそうです。
昨年3月にスタートした今回の一連の事業が一年を経てようやく明日結実する訳ですが、その報告は山元町から戻ってからにしたいと思います。
震災から間もなく2年。
苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心から敬意を表し、改めて共に歩んでいくことを決意したいと思います。
彼ら生徒会は2011年の東日本大震災直後に申し合わせたようにして立ち上がり、3日間で26万余りの募金を集めて被災地に送りました。先生や父兄の協力があったとは言え、子どもたちが自力で集めた額としてはとても大きかったと思います。
それから一年たった昨年の3月、生徒会とPTAとが交流しながら何らかの事業を始めようという段になって彼らが口を揃えるようにして希望したのが、もう一度被災地のために募金活動をしたいということでした。
前年から宮城県の山元町に通い、花を使った支援活動に参加していたわたしからの、それこそ目に見えない圧力が無かったとは否定しきれないのですが、それでもついつい胸が熱くなるのを感じてしまいました。
でもそこでわたしが彼らにお願いしたのは少し違うことでした。
もちろん募金という形の支援活動があってもよいと思うし大切なことだと感じている。でも震災から1年が経過して被災地のニーズはすごく多様化していると思う。どのように使われるか分からない義援金より、もっと具体的でもっと心のこもった、しかも届ける相手の顔がはっきりと見える支援活動をしてみないか…
実のところ、彼らにはもっと直接的に被災地の姿を知ってもらいたいというのがわたしの願いでした。
が、それはそれとして苦労だけの支援活動ではなく、自分たち自身も楽しめるような手応えのある支援活動でなければ、長く継続させることはできないというのが、僅かばかりの被災地での活動で、わたし自身が学んだことだったのです。
時期を改め開催した別の交流会において、話し合いの結果、彼らが選んだのはチャリティーバザーでした。
小学校時代、子ども会やPTA活動で親たちが開催したバザーを経験した子どももいましたが、中学校としては初めての試みでした。
実際に運営するのはPTAですが、子どもたちもPRして友だちを誘ったり、当日は売子をつとめたりと、共同開催という形にして、それはとても画期的なものとなりました。
とは言うものの、何せ初めての試み。
しかも時期的に夏休みの始めということもあって会場である体育館はとても暑く、広報不足もたたってお客さんも少なく…
けっして大盛況とはいきませんでしたが、手作りのミサンガを売ってくれた子どもがいて、わたしも山元町の仮設住宅で手作りされたストラップを売り、僅かながら 44,000円ほどの収益を上げることが出来ました。
何よりもたくさんの品物を提供してくれた父兄の皆さんの気持ちが、とてもありがたく感じました。
やると決めた以上は徹底してやろうと、同じく夏休み中の行事として予定されていたPTAと中学後援会も通常の夜の料理屋さんではなく(まあ、わたしが苦手ということもありますが)、昼間のキャンプ場でバーベキュー大会をすることにして、その余剰金もチャリティーに充てました。
また、秋のPTA研修旅行。
これも本当は福島あたりまで足を伸ばしたかったのですが、日程の関係でそうもいかず…
横浜でしたが、その代わりに会費の残金をチャリティーに回してもらいました。
そのようにして集まった収益金をどのようにして活用するか、これもまた交流会を開催して子どもたちの意見を聞きました。
花の種と土を買って花を育て、お世話になった地元の人たちや被災地に届けよう。
これもほぼ満場一致で決まりました。
地元の、花の生産者さんの協力もあり、種よりも確実に大きく育てられるプラグ苗を大量に調達してもらい、10月にこれをポットに移植。これは3年生が行いました。
4,000ポットのパンジーたちです。
厳しい冬を迎えるにあたってポット苗の管理が難しいと言うことで、それを花壇に定植。
これも3年生と1年生の一部がやってくれました。12月のことでした。
一方親たちは親たちで…
文化祭の受付のみなさんに手伝ってもらい、球根と土を配布。
各家庭ごとに育ててもらったものを、3月に学校まで届けて下さい。
チューリップとスイセン、クロッカスの球根がおよそ130球ほど父兄に託されました。
今年はそれだけでなく、放課後の学校に親と子どもと教師とが集まって、一緒にいろいろと勉強しようという新しい企画も始めました。
題して「皆中おとなも子どもも学ぶ会」。
山元町の「子どももおとなもみんなで遊び隊」と少し似ていますが…偶然です。
第1回めは昨年10月、「おとなと子どものいのちの勉強会『釜石の奇跡』から学ぼう」と題し、釜石の実際の事例をDVDで鑑賞した後、わたしが座長になって各家庭それぞれの防災対策、学校の防災に対する姿勢、地元で考え得る災害などについて話し合いました。
第2回は今年1月。「おとなと子どものいのちの勉強会 携帯電話とインターネットについて考えよう」。
埼玉県からネットアドバイザーの方を派遣してもらい、やはりDVDを使ったり、プロジェクターを使いながらネット社会の怖さ、子どもたちのすぐ側に潜んでいる危険、その中でどうやって子どもたちを守っていけば良いか、勉強しました。
そして、その「皆中おとなも子どもも学ぶ会」第3回目が、明日開催される「花の寄せ植えをつくって届けよう」という寄せ植え教室と花いっぱい活動です。
球根が果たしてどれだけ戻ってくるかという心配がまったく無かった訳ではありませんが、なんと昨夜の時点で132ポット、つまりはほぼすべての鉢が大切に育てられた上で元気に戻ってきていました。
これに花壇に植えられて冬を越したパンジーたちを加えて寄せ植えにし、100鉢の寄せ植えを子どもたちと若干のおとなたちとで製作する予定です。
そして出来上がったうちの50鉢を、地元でこれまでお世話になった幼稚園や保育園、小学校、郵便局、駅、役所、老人ホームなどに配布して廻ります。これらの配布先はみんな子どもたちが考え、メッセージも作成してあります。
そして残る50鉢を、わたしたちが山元町に届けます。
先日先方にその届け先の相談をしたところ、まずは3月11日に行われる町の追悼式の会場で飾ってくれるとのこと。その後で様々な場所に配られていくそうです。
昨年3月にスタートした今回の一連の事業が一年を経てようやく明日結実する訳ですが、その報告は山元町から戻ってからにしたいと思います。
震災から間もなく2年。
苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心から敬意を表し、改めて共に歩んでいくことを決意したいと思います。