山元町フラワーアート・プロジェクト
テーマ:イベント
2015/06/03 17:51
時間のたつのが実に早い!
先のブログの中で、山元町でフラワーカーペットをやる! と宣言した後、下絵を作りに山元町を再訪したり、地元の災害FM局の取材を受けたりして慌ただしい1ヶ月半をすごした。
正式名称を「山元町フラワーアート」プロジェクトとした催しは実に5月3日に開催。
結論から言えば、大盛況の大成功だった。
大勢の方が心から楽しんでくれて喜んでくれて、来年もまたやりたいと行ってくれたその時点で、それはそう断言しても良いと思う。
5月3日に開催してすでにまた1ヶ月が経過して、報告が遅くなった理由はただひとつ。
休みが無かった。
本日も先ほどまで設計をしていたので休みとは言えないが、少なくとも久方ぶりのまとまった雨のおかげでゆっくりと「さて、なにをやろう」と思う時間が生まれた。
で、報告がまだだったことを思い出した。
ここまでの経過については改めて書き上げるのも大変なので、当時Facebookにアップした関係者各位への「お礼状」を転載させていただきたい。
本当に大勢の皆さんの力が結集して、素敵な2枚のフラワーアートが完成しました。
大変遅くなりましたが、ここで今回のフラワーアートに力を与えてくれたすべての皆さんに、改めて感謝の気持ちを伝えさせてください。
きっかけは晴海フラワーフェスティバルの様子をFacebookで見て、山元町でもやってみたいと書き込んでくれた武田由美子さん。この人のこのひと言が無ければさすがのわたしも、この無謀とも言えるプロジェクトを立ち上げることは無かったでしょう。
そして、こんなことをやりたいと考えているとぽろっと話したら、すぐさま「それじゃ春の遊び隊でやりましょうよ」と背中を押してくれた吉田和子さん。最後には遊び隊のプレ企画にまで昇格させてくれた上に、表から裏から支えてくださいました。
特に裏からの支えは岩佐孝子さん。その無限とも言える包容力と許容力と人間力であらゆる資材や人間や情報の受け皿となってくれました。参加者全員に心を配り、世話を焼き、食事の心配までしてくれました。当日、早朝に到着したわれわれを美味しい朝ご飯で迎え入れてくれたのもこの人でした。
このプロジェクトの主催を担当してくれるところは無いかと、まず最初に声を掛けさせてもらったのが「子育てひろば夢ふうせん」&「なかよし会」の佐藤作智栄さんと栗和田秀子さんでした。山元では初の試みであるにも関わらず二つ返事で引き受けて下さり、その瞬間にこのプロジェクトはスタートしたのでした。
お二人の尽力で大勢の親子さんが参加してくれることになり、何よりもあの素晴らしい下絵が生み出されました。人集めや当日の運営、連絡調整などさぞや大変だったと思いますが、こればかりはわたしには絶対に出来ないこと。それを見事なチームワークで実現してくださいました。
またそれを全面的にバックアップして下さった千田圭さん、渡邊千恵美さん、生涯学習課の皆さんの力も大変大きなものでした。特に製作当日のお二人の活躍を忘れることが出来ません。
種まき会議でこんなことをやりますと発表するや、その場ですぐに食いついてくれた阿部結悟さん、岩佐勝太さんの若手二人。この反応を見て、まだまだ自信を持てていなかったわたしは密かに「これは出来る!」と確信したものでした。
そしてとにかくあの素晴らしいもう1枚の下絵を描いてくれた阿部和泉さん。あの1枚の絵はこれから先も山元の復興そして復幸の象徴のひとつとなっていくに違いありません。そのいつも周囲を楽しませるエンターテイメント性と豊かな発想力、爆発的なギャグと繊細な心遣いにはいつも驚かされます。そして、その素敵な息子たち! 感謝です。
それでも最後に残った難題、どうやって花びらを手に入れるかという問題を見事解決に導いて下さったのは、ガーデンデザイナー奥峰子さんでした。たまたま岩佐孝子さん宅でボランティアに来られていた彼女と知り合い、それを思い出して連絡を取ったところ、ご多忙にも関わらず同じく山元町で支援活動をされている富山県花卉球根農業協同組合の藤岡昭宏さんに連絡を付けて下さいました。
藤岡さんは手間の掛かる花びらの調達をそれこそ破格の値段で引き受けて下さり、見事な5色のチューリップの花びらを届けて下さいました。
その他必要なすべての機材とカラーサンドを無償で提供して下さった金子ひろしさん。
「ぜひ手伝わせて下さい」と、GW前のイベント屋としては一年で最も多忙な時期に関わらずいろいろと骨を折ってくれた鶴金社中の面々。
金子さんの鶴金社中はもともとわたしと晴海フラワーフェスティバルとを結びつけてくれた存在でした。震災直後は即座に被災地へとキッチンカーで駆けつけ、避難所で炊き出しを続けた面々でもあります。
それを言うなら、もともとわたしをフラワーカーペットに結びつけてくれた斎藤勇一さん、由美子さんご夫妻も大きな存在です。11年前の埼玉国体の会場で県職員として当時実行委員だったお二人は、花のボランティアをやっていたわたしたちと共に開催会場に幾つかの花の絵を製作しました。晴海のフラワーフェスティバルでプロデュースすることになった時にはとても喜んで下さり会場に駆けつけて下さいましたし、今回のプロジェクトでも温かい声援を送ってくださいました。
埼玉から同行してくれたしゃぼん玉の会の仲間たち。中村岳人さん、戸邊みな子さん、小宮豊隆さん、しのぶさん、長津祐佳さん。それにもう少し遠い都内から結婚披露パーティーの後、終電で駆けつけてくれた武田智成さん。
この一人一人が率先して役割を引き受けてくれなかったら、わたし一人ではとても当日の進行どころか段取りや資機材の準備さえも出来なかったと思います。その中でも機材の扱いに長けた岳さんには本当に助けられました。特に撤収の時など、わたしはほとんど使い物になっていなかったと思いますので。
またしゃぼん玉の会代表の吉村史朗さん、五井幸子さんの遠方からの支援と応援も忘れることは出来ません。
子どもの描いた繊細な絵のうち、特にクラゲをカラーサンドでどう描くか、実は直前までわたしは悩んでいましたが、半澤寿邦さんが参加してくれると知り、これはいけると確信したものでした。実際彼はとても時間を掛けて丁寧に、実に美しいクラゲをカラーサンドだけで表現してくれました。
他にも早くから参加表明してくださった岩見佳代さんと中内真由美さん姉妹、高橋ひとみさん、尾間昭雄さん、福島雅史さん、結果的には諸事情で来ることの出来なかった内山仁省さん、田口ひろみさんなど、そのお名前を見ただけでとても心強く感じたものでした。そして勿論、来て下さった一人一人には製作の際とても活躍していただきました。初めてお目見えのNobu Ibarakiさんもこんな風にお目にかかれて幸せでした。
完成したフラワーアートを存分に使って子どもたちと遊んでくれた静岡市民クラウンの会の皆さん。ふぉん、ガラ、とっちゅ~、アースの4人が2枚の絵をさらに大勢の子どもたちと強く結びつけてくれました。
思い出サルベージの溝口佑爾さん。期待していたとおり、フラワーアートを使ってその準備から製作、完成後の各段階ごとに素晴らしい写真の数々を撮ってくれました。
被災写真の返却会への動線はフラワーアートが作る!などと息巻いておりましたが、実はそのような狙いが有っての事だったと、今になって白状します。にしても、本当に素晴らしい写真の数々に感謝!
そして、岩崎岳さん!
いつもわれわれを温かく迎え入れてくださり、これでもかとばかりのご馳走と超弩級のギャグでもてなして下さいました。今回も連日の活動と宴会でヘトヘトのわたしたちやクラウンさんたちの為、朝早くから夜遅くまでキッチンに立ちっぱなし。前夜祭と反省会の食事だけでなく、フラワーアート製作の際も和泉さんやひとみさんと共に昼食を用意してくれました。
忙しい農作業の合間にわざわざ戻って、わたしたちを見送ってくれた内藤靖人さんと共に、これから先もずっとお世話になることと思います。
最後に渡辺修次さん。わたしを山元町に導いてくれた最初の絆でした。今回も体調の優れない中、お身体に鞭を打ってフラワーアートのPRを随所でして下さいました。NHKの深夜番組でフラワーアートの話をされていたのを偶然聞いた友人が、すぐに知らせてくれたときは本当に嬉しかったです。
その他ここには書き切れない多くの方たちの力が、あの2枚の絵を生みました。
そのすべての皆さんに心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。
また来年もこの企画が実現できたらどれだけ嬉しいだろうかと、心に強く思っています。また相談をさせていただきます。
先のブログの中で、山元町でフラワーカーペットをやる! と宣言した後、下絵を作りに山元町を再訪したり、地元の災害FM局の取材を受けたりして慌ただしい1ヶ月半をすごした。
正式名称を「山元町フラワーアート」プロジェクトとした催しは実に5月3日に開催。
結論から言えば、大盛況の大成功だった。
大勢の方が心から楽しんでくれて喜んでくれて、来年もまたやりたいと行ってくれたその時点で、それはそう断言しても良いと思う。
5月3日に開催してすでにまた1ヶ月が経過して、報告が遅くなった理由はただひとつ。
休みが無かった。
本日も先ほどまで設計をしていたので休みとは言えないが、少なくとも久方ぶりのまとまった雨のおかげでゆっくりと「さて、なにをやろう」と思う時間が生まれた。
で、報告がまだだったことを思い出した。
ここまでの経過については改めて書き上げるのも大変なので、当時Facebookにアップした関係者各位への「お礼状」を転載させていただきたい。
本当に大勢の皆さんの力が結集して、素敵な2枚のフラワーアートが完成しました。
大変遅くなりましたが、ここで今回のフラワーアートに力を与えてくれたすべての皆さんに、改めて感謝の気持ちを伝えさせてください。
きっかけは晴海フラワーフェスティバルの様子をFacebookで見て、山元町でもやってみたいと書き込んでくれた武田由美子さん。この人のこのひと言が無ければさすがのわたしも、この無謀とも言えるプロジェクトを立ち上げることは無かったでしょう。
そして、こんなことをやりたいと考えているとぽろっと話したら、すぐさま「それじゃ春の遊び隊でやりましょうよ」と背中を押してくれた吉田和子さん。最後には遊び隊のプレ企画にまで昇格させてくれた上に、表から裏から支えてくださいました。
特に裏からの支えは岩佐孝子さん。その無限とも言える包容力と許容力と人間力であらゆる資材や人間や情報の受け皿となってくれました。参加者全員に心を配り、世話を焼き、食事の心配までしてくれました。当日、早朝に到着したわれわれを美味しい朝ご飯で迎え入れてくれたのもこの人でした。
このプロジェクトの主催を担当してくれるところは無いかと、まず最初に声を掛けさせてもらったのが「子育てひろば夢ふうせん」&「なかよし会」の佐藤作智栄さんと栗和田秀子さんでした。山元では初の試みであるにも関わらず二つ返事で引き受けて下さり、その瞬間にこのプロジェクトはスタートしたのでした。
お二人の尽力で大勢の親子さんが参加してくれることになり、何よりもあの素晴らしい下絵が生み出されました。人集めや当日の運営、連絡調整などさぞや大変だったと思いますが、こればかりはわたしには絶対に出来ないこと。それを見事なチームワークで実現してくださいました。
またそれを全面的にバックアップして下さった千田圭さん、渡邊千恵美さん、生涯学習課の皆さんの力も大変大きなものでした。特に製作当日のお二人の活躍を忘れることが出来ません。
種まき会議でこんなことをやりますと発表するや、その場ですぐに食いついてくれた阿部結悟さん、岩佐勝太さんの若手二人。この反応を見て、まだまだ自信を持てていなかったわたしは密かに「これは出来る!」と確信したものでした。
そしてとにかくあの素晴らしいもう1枚の下絵を描いてくれた阿部和泉さん。あの1枚の絵はこれから先も山元の復興そして復幸の象徴のひとつとなっていくに違いありません。そのいつも周囲を楽しませるエンターテイメント性と豊かな発想力、爆発的なギャグと繊細な心遣いにはいつも驚かされます。そして、その素敵な息子たち! 感謝です。
それでも最後に残った難題、どうやって花びらを手に入れるかという問題を見事解決に導いて下さったのは、ガーデンデザイナー奥峰子さんでした。たまたま岩佐孝子さん宅でボランティアに来られていた彼女と知り合い、それを思い出して連絡を取ったところ、ご多忙にも関わらず同じく山元町で支援活動をされている富山県花卉球根農業協同組合の藤岡昭宏さんに連絡を付けて下さいました。
藤岡さんは手間の掛かる花びらの調達をそれこそ破格の値段で引き受けて下さり、見事な5色のチューリップの花びらを届けて下さいました。
その他必要なすべての機材とカラーサンドを無償で提供して下さった金子ひろしさん。
「ぜひ手伝わせて下さい」と、GW前のイベント屋としては一年で最も多忙な時期に関わらずいろいろと骨を折ってくれた鶴金社中の面々。
金子さんの鶴金社中はもともとわたしと晴海フラワーフェスティバルとを結びつけてくれた存在でした。震災直後は即座に被災地へとキッチンカーで駆けつけ、避難所で炊き出しを続けた面々でもあります。
それを言うなら、もともとわたしをフラワーカーペットに結びつけてくれた斎藤勇一さん、由美子さんご夫妻も大きな存在です。11年前の埼玉国体の会場で県職員として当時実行委員だったお二人は、花のボランティアをやっていたわたしたちと共に開催会場に幾つかの花の絵を製作しました。晴海のフラワーフェスティバルでプロデュースすることになった時にはとても喜んで下さり会場に駆けつけて下さいましたし、今回のプロジェクトでも温かい声援を送ってくださいました。
埼玉から同行してくれたしゃぼん玉の会の仲間たち。中村岳人さん、戸邊みな子さん、小宮豊隆さん、しのぶさん、長津祐佳さん。それにもう少し遠い都内から結婚披露パーティーの後、終電で駆けつけてくれた武田智成さん。
この一人一人が率先して役割を引き受けてくれなかったら、わたし一人ではとても当日の進行どころか段取りや資機材の準備さえも出来なかったと思います。その中でも機材の扱いに長けた岳さんには本当に助けられました。特に撤収の時など、わたしはほとんど使い物になっていなかったと思いますので。
またしゃぼん玉の会代表の吉村史朗さん、五井幸子さんの遠方からの支援と応援も忘れることは出来ません。
子どもの描いた繊細な絵のうち、特にクラゲをカラーサンドでどう描くか、実は直前までわたしは悩んでいましたが、半澤寿邦さんが参加してくれると知り、これはいけると確信したものでした。実際彼はとても時間を掛けて丁寧に、実に美しいクラゲをカラーサンドだけで表現してくれました。
他にも早くから参加表明してくださった岩見佳代さんと中内真由美さん姉妹、高橋ひとみさん、尾間昭雄さん、福島雅史さん、結果的には諸事情で来ることの出来なかった内山仁省さん、田口ひろみさんなど、そのお名前を見ただけでとても心強く感じたものでした。そして勿論、来て下さった一人一人には製作の際とても活躍していただきました。初めてお目見えのNobu Ibarakiさんもこんな風にお目にかかれて幸せでした。
完成したフラワーアートを存分に使って子どもたちと遊んでくれた静岡市民クラウンの会の皆さん。ふぉん、ガラ、とっちゅ~、アースの4人が2枚の絵をさらに大勢の子どもたちと強く結びつけてくれました。
思い出サルベージの溝口佑爾さん。期待していたとおり、フラワーアートを使ってその準備から製作、完成後の各段階ごとに素晴らしい写真の数々を撮ってくれました。
被災写真の返却会への動線はフラワーアートが作る!などと息巻いておりましたが、実はそのような狙いが有っての事だったと、今になって白状します。にしても、本当に素晴らしい写真の数々に感謝!
そして、岩崎岳さん!
いつもわれわれを温かく迎え入れてくださり、これでもかとばかりのご馳走と超弩級のギャグでもてなして下さいました。今回も連日の活動と宴会でヘトヘトのわたしたちやクラウンさんたちの為、朝早くから夜遅くまでキッチンに立ちっぱなし。前夜祭と反省会の食事だけでなく、フラワーアート製作の際も和泉さんやひとみさんと共に昼食を用意してくれました。
忙しい農作業の合間にわざわざ戻って、わたしたちを見送ってくれた内藤靖人さんと共に、これから先もずっとお世話になることと思います。
最後に渡辺修次さん。わたしを山元町に導いてくれた最初の絆でした。今回も体調の優れない中、お身体に鞭を打ってフラワーアートのPRを随所でして下さいました。NHKの深夜番組でフラワーアートの話をされていたのを偶然聞いた友人が、すぐに知らせてくれたときは本当に嬉しかったです。
その他ここには書き切れない多くの方たちの力が、あの2枚の絵を生みました。
そのすべての皆さんに心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。
また来年もこの企画が実現できたらどれだけ嬉しいだろうかと、心に強く思っています。また相談をさせていただきます。
山元の未来への種まき会議
テーマ:東日本大震災復興
2015/03/20 17:31
2週続けての山元町。
「思い出サルベージ」受賞祝賀会と「幸せの黄色いハンカチプロジェクト」の7,8日に続いて、14,15日もまた山元町を訪れた。
今回出かけた目的はじつのところ5つ6つあって、そのうちの最大のものが「山元の未来への種まき会議」への出席だった。
一昨年の第2回会議からほぼ毎回(隔月奇数月開催)のように参加させてもらっていて、今回で第13回目を数える。
町内外の様々な団体と個人が自由に参加し、お互いの情報を交換し、協同する機会を探り、山元町の震災からの復興を内と外から進めていこうという趣旨の会議だ。
最初は町外支援団体の強いバックアップで運営されてきたが、それが町内のリーダーに委ねられ、それが今また同じ町内の若手に引き継がれようとしている。
今回はたまたま仙台で開催されていた国連防災世界会議と日程が重なり、主要メンバーの多くがそちらに取られてしまって比較的少人数だったが、その分だけアットホームな雰囲気で終始していた。
全体会議のあと、後半は5つの班に分かれてグループワークを行った。
前回の会議の中で出された様々な活動案から5つをピックアップして、それぞれの具体的な実施計画を作成してしまおうという企画。
いわく、
やまもと食べつくしデートツアー!
山元町子ども夢プロジェクトいろいろ体験!
山元みんなでアーティスト市(キッザニア)!
まちフェス2015!田空の魅力再発見。
そしてわたしが参加したのは、山元の新活動拠点の活用方法についてアイデアを集めた、
「山元のミライラボ」!
どれも面白い企画満載で、ぜひとも全部を実現させてもらいたいもの。
いやいや、行政が介在しない種まき会議の魅力はそのフットワークの軽さなので、実際に年内の実現はまったく不可能ではないかもしれない。
ところで、この会議の前半でわたしは、わたしが昨年末から暖めてきたプロジェクトのプレゼンを行った。
毎年11月に東京晴海で開催されているフラワーフェスティバルで、このところフラワーカーペット製作のプロデュースをさせてもらっているが、それを山元でもやってみようという企画である。
もともと山元の皆さんからのリクエストがあったのだが、このたび富山のチューリップ生産者さんが花びらの提供をして下さることになり、また晴海で毎回お世話になっているイベント屋さんがこころよく協力を申し出てくれたことで一気に進展した。
5月のイベントに合わせて行いたいというプレゼンに、町内の子育てグループさんが手を挙げて下さり、すでに図柄の検討に入っている。
今年は田んぼの生きもの調査で教育委員会さんとの協同も実現しそうだし、しゃぼん玉の会による手作りソーラーパネルのワークショップも継続できそうなので、まだまだ山元に足を運ぶ回数が増えそうだ。
心して、仕事をしたいと思う!
「思い出サルベージ」受賞祝賀会と「幸せの黄色いハンカチプロジェクト」の7,8日に続いて、14,15日もまた山元町を訪れた。
今回出かけた目的はじつのところ5つ6つあって、そのうちの最大のものが「山元の未来への種まき会議」への出席だった。
一昨年の第2回会議からほぼ毎回(隔月奇数月開催)のように参加させてもらっていて、今回で第13回目を数える。
町内外の様々な団体と個人が自由に参加し、お互いの情報を交換し、協同する機会を探り、山元町の震災からの復興を内と外から進めていこうという趣旨の会議だ。
最初は町外支援団体の強いバックアップで運営されてきたが、それが町内のリーダーに委ねられ、それが今また同じ町内の若手に引き継がれようとしている。
今回はたまたま仙台で開催されていた国連防災世界会議と日程が重なり、主要メンバーの多くがそちらに取られてしまって比較的少人数だったが、その分だけアットホームな雰囲気で終始していた。
全体会議のあと、後半は5つの班に分かれてグループワークを行った。
前回の会議の中で出された様々な活動案から5つをピックアップして、それぞれの具体的な実施計画を作成してしまおうという企画。
いわく、
やまもと食べつくしデートツアー!
山元町子ども夢プロジェクトいろいろ体験!
山元みんなでアーティスト市(キッザニア)!
まちフェス2015!田空の魅力再発見。
そしてわたしが参加したのは、山元の新活動拠点の活用方法についてアイデアを集めた、
「山元のミライラボ」!
どれも面白い企画満載で、ぜひとも全部を実現させてもらいたいもの。
いやいや、行政が介在しない種まき会議の魅力はそのフットワークの軽さなので、実際に年内の実現はまったく不可能ではないかもしれない。
ところで、この会議の前半でわたしは、わたしが昨年末から暖めてきたプロジェクトのプレゼンを行った。
毎年11月に東京晴海で開催されているフラワーフェスティバルで、このところフラワーカーペット製作のプロデュースをさせてもらっているが、それを山元でもやってみようという企画である。
もともと山元の皆さんからのリクエストがあったのだが、このたび富山のチューリップ生産者さんが花びらの提供をして下さることになり、また晴海で毎回お世話になっているイベント屋さんがこころよく協力を申し出てくれたことで一気に進展した。
5月のイベントに合わせて行いたいというプレゼンに、町内の子育てグループさんが手を挙げて下さり、すでに図柄の検討に入っている。
今年は田んぼの生きもの調査で教育委員会さんとの協同も実現しそうだし、しゃぼん玉の会による手作りソーラーパネルのワークショップも継続できそうなので、まだまだ山元に足を運ぶ回数が増えそうだ。
心して、仕事をしたいと思う!
幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町
テーマ:東日本大震災復興
2015/03/11 06:46
先週末、宮城県亘理郡山元町を娘と訪れた理由は3つ。
昨年みごとグッドデザイン賞金賞に輝いた「思い出サルベージ」被災写真の返却プロジェクト、溝口代表を招いた、住民手作りの祝賀会のお手伝い。
その夜の二次会への参加。
その二次会会場でも準備が進められた、
幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町。
その掲揚のお手伝いだった。
取材して下さった朝日新聞社記者さんの書いた記事とこの写真は、Facebookによるシェアが3000を越えたと
いう。
プロジェクトには、昨年後半のハンカチ販売から関わってきたし、もともとは震災の年からつづくこのプロジェクトにはいつも何らかの形でお手伝いをしてきた。プロジェクトを進める地元の皆さん一人一人が大切な友人だから。
今年はその掲揚に当たって、高所作業車の乗り手が居ないというので、名乗りを挙げた。
山元町坂元地区の沿岸にあった中浜小学校。
津波はその二階の天井まで襲った。当時の井上校長先生の機転で児童・職員は屋上にある屋根裏の倉庫に避難。一人の犠牲も出さずに済んだ。
そのすぐ近くに残ったケヤキの巨木は、震災の記憶を留める貴重な存在であり、住民の復興への希望の象徴でもある。
朝から吹き始めた風は徐々に強くなり、やがて冷たい雨を運ぶようになったが参加者は辛抱強く風にあおられるハンカチをさばき、引き、杭を打ってそれに止めた。
ゴンドラ上の私たちの方が、よほど楽をしていたかも知れない。
そのようにして全国から寄せられた1500枚を越える温かいメッセージは、山元町の空に舞った。
昨年みごとグッドデザイン賞金賞に輝いた「思い出サルベージ」被災写真の返却プロジェクト、溝口代表を招いた、住民手作りの祝賀会のお手伝い。
その夜の二次会への参加。
その二次会会場でも準備が進められた、
幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町。
その掲揚のお手伝いだった。
取材して下さった朝日新聞社記者さんの書いた記事とこの写真は、Facebookによるシェアが3000を越えたと
いう。
プロジェクトには、昨年後半のハンカチ販売から関わってきたし、もともとは震災の年からつづくこのプロジェクトにはいつも何らかの形でお手伝いをしてきた。プロジェクトを進める地元の皆さん一人一人が大切な友人だから。
今年はその掲揚に当たって、高所作業車の乗り手が居ないというので、名乗りを挙げた。
山元町坂元地区の沿岸にあった中浜小学校。
津波はその二階の天井まで襲った。当時の井上校長先生の機転で児童・職員は屋上にある屋根裏の倉庫に避難。一人の犠牲も出さずに済んだ。
そのすぐ近くに残ったケヤキの巨木は、震災の記憶を留める貴重な存在であり、住民の復興への希望の象徴でもある。
朝から吹き始めた風は徐々に強くなり、やがて冷たい雨を運ぶようになったが参加者は辛抱強く風にあおられるハンカチをさばき、引き、杭を打ってそれに止めた。
ゴンドラ上の私たちの方が、よほど楽をしていたかも知れない。
そのようにして全国から寄せられた1500枚を越える温かいメッセージは、山元町の空に舞った。