ベルトコンベアが役目を終えて
テーマ:陸前高田フラワーロード
2015/11/02 14:45
10/31(土)は 陸前高田市での花植え作業の日でした。
45号線の歩道にあった植樹帯に花を植える作業です。
地元の方々と遠く集まって来られた方々が力を合わせての作業です!”
朝5:30に 山形の自宅を出発
山形県から宮城県に入ったあたりでの夜明け
およそ3時間半のドライブで
無事陸前高田市に『とうちゃこ』
津波(高さ16m)に襲われた街全体を
高く高く嵩上げするために
発破掛けて崩した土砂を山から巨大なベルトコンベア使って
ダンプを介さず直接平地にまで運ぶ
そんな作業が終わり ベルトコンベアの解体が始まっていました。
年内での撤去完了ということでした。
現地には岩手の仲間 庭案倶楽部のメンバーがもう着いていましたよ!”
トータルエクステリアの伊藤さんと奥様とお姉さま
タテシタの舘下さん
そして 門脇コンクリートの門脇さん
庭案倶楽部のメンバーにはみんなに共通のある特徴があります!”
それは・・・・・、
とにかく動く
とにかく語る
未来を語る 夢を語る
夢を語るけど手は止めない
手を止めないでよく語る
語り始めると熱くなる
熱くなると語りが止まらなくなる
語りがとまらなくなるけど手も止めない
はははっ
つまりはかなりめんどくさいけど めんどくさいことから逃げないで
とっても前向きな未来志向のおじちゃん達なのです
さてさて 作業には 地元の方はじめ多くの方々が参加
黙々と・・・(庭案倶楽部は例外でっ はははっ)
も一度掲載
約400mのフラワーロード
ビオラとチューリップの球根を植えました!!”
作業を終えて午後・・・
それではみなさんまた来年
とご挨拶して帰りかけたら
『山形から来られているんですよねっ』 っとお声掛け頂き
『うちで焼いたパンどうぞっ』って
パンを頂きました~~~!!”
南部小麦を使ったとってもしっかりした美味しいパンでした!”
ありがとう~~~~~!!!” ははは~~~!!”
道の駅と空の駅
テーマ:陸前高田フラワーロード
2015/06/21 08:00
昨日6/20(土)は 陸前高田市での花の苗を植える作業のお手伝い。
庭案倶楽部の一員として 参加してきました。
トータルエクステリアの伊藤さんと タテシタの館下さんも
盛岡と宮古から駆け付けてくれています。
このセルフの看板のてっぺんまで
津波は襲いかかりました。
そして直ぐ向かい側の 道の駅
そのままに残されています。
山形までの帰り道 R45をひたすら南下。
石巻を過ぎてやがて東松島市へ入る。
そして陸前小野駅に・・・・。
小野駅前仮設の集会所で生まれた『おのくん』
やがて仮設住宅が取り払われた時に
みんなが集まる場所が必要になるからと
みんなの力を持ち寄って作られた ;"> 空の駅
この春にようやく全線復旧した仙石線(仙台〜石巻)によって
小野駅にも電車が留まるようになりました。
電車で来れるようになったという事は
とてもとても便利なことなんです。
4年間も電車の走らない線路を見つめてきたんですから
その喜びはひとしおです。
沢山の人が遊びに来て欲しい。
ここ小野駅にも 陸前高田にも 東北にも。
庭案倶楽部の一員として 参加してきました。
トータルエクステリアの伊藤さんと タテシタの館下さんも
盛岡と宮古から駆け付けてくれています。
このセルフの看板のてっぺんまで
津波は襲いかかりました。
そして直ぐ向かい側の 道の駅
そのままに残されています。
山形までの帰り道 R45をひたすら南下。
石巻を過ぎてやがて東松島市へ入る。
そして陸前小野駅に・・・・。
小野駅前仮設の集会所で生まれた『おのくん』
やがて仮設住宅が取り払われた時に
みんなが集まる場所が必要になるからと
みんなの力を持ち寄って作られた ;"> 空の駅
この春にようやく全線復旧した仙石線(仙台〜石巻)によって
小野駅にも電車が留まるようになりました。
電車で来れるようになったという事は
とてもとても便利なことなんです。
4年間も電車の走らない線路を見つめてきたんですから
その喜びはひとしおです。
沢山の人が遊びに来て欲しい。
ここ小野駅にも 陸前高田にも 東北にも。
震災遺構。
テーマ:陸前高田フラワーロード
2014/11/03 21:43
奇跡の一本松が震災遺構といわれても なかなかどうかなって感じていました。
一本松からR45を そうですね〜 1Km程北に進むと 5階建てのアパートがあります。
1階から4階まですべて津波によって窓から奥のドアまで押し流されてガランどうです。
5階と比べると津波の襲った4階までとの明暗に立ちすくんでしまいます。
震災遺構として残されると聞きました。
みんな忘れちゃわないように。。。
11/1は小雨の中でした。
黙々と 黙々と みなさん花を植えています。
当日 ちょっと早めに着いた私は 新しい出会いに感謝です。
村上園芸さん
今までは 陸前高田市の『場所』に花を植えに行ってました。
でもそこはあくまでも場所っ
そこのエリアに人の生活の実態はなく
荒涼とした津波の爪痕がグレーの世界を残すのみ。
村上さんと偶然出会い 花苗を運びに三度お宅にお邪魔して
やっと被災地に暮らすという場所を拝見しました。
あっ ここに生活があり人生があると感じられる場所を見つけました。
新しい出会いに 感謝です。
フラワーロード
テーマ:陸前高田フラワーロード
2014/07/06 16:33
涼しい一日でした、
昨日の(7/5)の陸前高田。
総勢50名は超えてたのかなあ・・・。
花を植える作業は瞬く間に終わりました。
皆さんのパワ~に圧倒されそうでした!”
昨年の秋の球根植え付けのときに知り合った 〇野さん母子と
昨日初めて知り合った〇藤さん(右から二人目)と4人で お昼に記念撮影。。。
〇藤さんからはソフトクリーム ご馳走になりました。
とっても濃厚なソフトクリームで美味しかった。。。 ありがとうございました!!”
『津波の後 ものすごく神経が過敏になっていて・・・・
物が落ちたり 割れたりする音に 体がぎゅっと跳ね上がってしまう』と〇藤さん。
甲高い笑い声や話し声に 敏感で苦手になってしまっていると歩きながら淡々と語ってくれました。
〇野さん母子は ご主人を津波で持っていかれたままです。
『お前たち先に行けっ 俺はあとで車で行くから』 それが最後の会話だったそうです。
『花はいいっ 花はいいよっ 仮設のなかでも
毎日植物の成長を見ていると癒される。 だから花植えに来るのさ。
ご飯は空腹を満たしてくれるけど心は満たしてくれない。
花はいいっ 花はいいよ!”
あれから4年目を向かえ みんなそれぞれに苦しい。
今度 災害公営住宅の入居の抽選があるけど 宝くじに当たるようなもんだ。
なかなかねえ~~!”
家を建てて仮設から出る人もいるけど それはそれで大変。
体壊したり 心壊したり。。。。。
こうして花を植えてると 沢山の人と出会えて 知り合いになって
元気も貰う。 だからこうして居られるけれど
ずっと仮設にいて他の人と交流出来ていない人も多く
それぞれにいろんなものを抱えてる・・・』
ひたすら〇野さんの話に うなずき共感しようとするけれども
それ以上なにも出来ない自分をただただ再認識するだけ・・・・・。
岩手県陸前高田市。
これからも 繋がらなければ。。。。。
昨日の(7/5)の陸前高田。
総勢50名は超えてたのかなあ・・・。
花を植える作業は瞬く間に終わりました。
皆さんのパワ~に圧倒されそうでした!”
昨年の秋の球根植え付けのときに知り合った 〇野さん母子と
昨日初めて知り合った〇藤さん(右から二人目)と4人で お昼に記念撮影。。。
〇藤さんからはソフトクリーム ご馳走になりました。
とっても濃厚なソフトクリームで美味しかった。。。 ありがとうございました!!”
『津波の後 ものすごく神経が過敏になっていて・・・・
物が落ちたり 割れたりする音に 体がぎゅっと跳ね上がってしまう』と〇藤さん。
甲高い笑い声や話し声に 敏感で苦手になってしまっていると歩きながら淡々と語ってくれました。
〇野さん母子は ご主人を津波で持っていかれたままです。
『お前たち先に行けっ 俺はあとで車で行くから』 それが最後の会話だったそうです。
『花はいいっ 花はいいよっ 仮設のなかでも
毎日植物の成長を見ていると癒される。 だから花植えに来るのさ。
ご飯は空腹を満たしてくれるけど心は満たしてくれない。
花はいいっ 花はいいよ!”
あれから4年目を向かえ みんなそれぞれに苦しい。
今度 災害公営住宅の入居の抽選があるけど 宝くじに当たるようなもんだ。
なかなかねえ~~!”
家を建てて仮設から出る人もいるけど それはそれで大変。
体壊したり 心壊したり。。。。。
こうして花を植えてると 沢山の人と出会えて 知り合いになって
元気も貰う。 だからこうして居られるけれど
ずっと仮設にいて他の人と交流出来ていない人も多く
それぞれにいろんなものを抱えてる・・・』
ひたすら〇野さんの話に うなずき共感しようとするけれども
それ以上なにも出来ない自分をただただ再認識するだけ・・・・・。
岩手県陸前高田市。
これからも 繋がらなければ。。。。。
陸前高田 春
テーマ:陸前高田フラワーロード
2014/05/06 08:22
昨年のブログを振り返ってみると
11/3~11/5に掛けて 岩手県の陸前高田のことを書いています。
『陸前高田。。。』2013.11.3~5記
あれから 半年が経ち あの時植えた花たちが
今どのように咲き誇っているかを知りたくて
昨日またまた日帰りで 伺って来ました。
山形自動車道 山形蔵王ICに入ったのは7時半を少し過ぎた頃。
連休とはいえ まだ時間が早いせいか 車は少なく 順調でした。
山形自動車道は宮城県村田町の 村田ジャンクションで 東北自動車道に繋がります。
去年の秋は そのまま東北道を北上し宮城県を通過。。。
岩手県は一関ICで一般道に降りて
内陸の一関から海側の陸前高田目指して 東進しましたが、、、
昨日は 太平洋側沿岸を北進するルートを取ることにしました。
仙台南部道路~仙台東部道路~仙台松島道路~三陸道路と走り
『おのくん』のふるさと東松島市を過ぎて 石巻も通過して桃生津山IC。
高速道路を使うのはここまでです。
ここからは国道45号線を北に進みます。
ただ ひたすら陸前高田を目指す旅なので
途中の写真が一枚もなく
三陸沿岸の状況は
なかなか伝わらないかもしれません。
それでも記録として文章にして残さないと と思います。
南三陸町を通過しました。
左手には 赤い鉄骨だけになって建っているあの防災センター・・・。
大きなバスが2台と数台の乗用車と何人かの人が見えます。
どなたかが語り継ぐために当時の状況を話していらっしゃるのでしょうね。
45号線・・・。 リアス式の海岸線に沿って道は左右に大きく蛇行し
入り江入り江にはそれぞれに集落があって
高い位置から 海岸線の集落に向かって道路は
そのたびに降りて行きます。
すると 大きな看板が目に飛び込んで来ます。
『ここから津波が来たところです』
『ここまで津波が来ました』 そういう意味の大きな看板です。
45号線は 集落~集落ごとに津波で分断されきっと孤立したことだろう。
どれほどの恐怖と不安の中で毎日を過ごしたことだろうと想像するに
ハンドル持つ手と 両方の肩が硬く硬くなっていくのがわかります。
そう思うと なかなかいわゆる『震災遺構』というものに
カメラを向けることが出来ない自分がいます。
さて・・・・・、
10時も大きく回った頃 漸く陸前高田市に着きました。
車のトリップメーターは213Km。
奇跡の一本松のところと キャピタルホテルの跡地前に植えた花たちは
見事に咲き誇って 明るく出迎えてくれました。
キャピタルホテル跡地前
チューリップにパンジー・ビオラ等々
津波で倒れ ねじれた道路標識の土台にも・・・・・。
今でも震災の爪あとは そのままです。
荒涼とした風景の中に
巨大な建造物が現れていました。
奇跡の一本松への入り口付近
高台移転を進めるために 山を切り崩して
宅地を造成しなければなりません。
大型ダンプカーで切り崩した土砂を運ぶよりも
もっともっと早く作業を進めるために作られた
巨大なベルトコンベアー。
山側から 海側に土砂を運びます。
運んだ土砂はきっと防潮堤の建設や
地盤沈下した地面のかさ上げに使われるのでしょう。
連休ということもあって
奇跡の一本松へ通じる道の人の波は途切れることがありませんでした。
ひとりひとりがいろんなことを感じ そして考えたことが
また明日から日常の生活に戻る中で
昨日よりも今日よりも明日が・・・
そして明日よりもあさってが より希望の未来と感じられるように
僅かでも行動の規範の足しになったら 前に進みますね。
陸前高田から山形に戻る岐路は
大崎市古川ICで高速を降り 国道47号線を走るルートにしました。
後の交通情報では村田JCまでの上り車線での渋滞が東北自動道で発生したようで
結果オーライの判断だったようです。
山形県最上町から尾花沢市に抜けるな山伐峠(なたぎりとうげ)を越えたあたり・・・。
新緑の萌黄色と 残雪の白と 針葉樹の深緑
まだまだ春浅い 奥の細道を走って帰って来ました。
夕方 5時ごろの帰宅でした。
11/3~11/5に掛けて 岩手県の陸前高田のことを書いています。
『陸前高田。。。』2013.11.3~5記
あれから 半年が経ち あの時植えた花たちが
今どのように咲き誇っているかを知りたくて
昨日またまた日帰りで 伺って来ました。
山形自動車道 山形蔵王ICに入ったのは7時半を少し過ぎた頃。
連休とはいえ まだ時間が早いせいか 車は少なく 順調でした。
山形自動車道は宮城県村田町の 村田ジャンクションで 東北自動車道に繋がります。
去年の秋は そのまま東北道を北上し宮城県を通過。。。
岩手県は一関ICで一般道に降りて
内陸の一関から海側の陸前高田目指して 東進しましたが、、、
昨日は 太平洋側沿岸を北進するルートを取ることにしました。
仙台南部道路~仙台東部道路~仙台松島道路~三陸道路と走り
『おのくん』のふるさと東松島市を過ぎて 石巻も通過して桃生津山IC。
高速道路を使うのはここまでです。
ここからは国道45号線を北に進みます。
ただ ひたすら陸前高田を目指す旅なので
途中の写真が一枚もなく
三陸沿岸の状況は
なかなか伝わらないかもしれません。
それでも記録として文章にして残さないと と思います。
南三陸町を通過しました。
左手には 赤い鉄骨だけになって建っているあの防災センター・・・。
大きなバスが2台と数台の乗用車と何人かの人が見えます。
どなたかが語り継ぐために当時の状況を話していらっしゃるのでしょうね。
45号線・・・。 リアス式の海岸線に沿って道は左右に大きく蛇行し
入り江入り江にはそれぞれに集落があって
高い位置から 海岸線の集落に向かって道路は
そのたびに降りて行きます。
すると 大きな看板が目に飛び込んで来ます。
『ここから津波が来たところです』
『ここまで津波が来ました』 そういう意味の大きな看板です。
45号線は 集落~集落ごとに津波で分断されきっと孤立したことだろう。
どれほどの恐怖と不安の中で毎日を過ごしたことだろうと想像するに
ハンドル持つ手と 両方の肩が硬く硬くなっていくのがわかります。
そう思うと なかなかいわゆる『震災遺構』というものに
カメラを向けることが出来ない自分がいます。
さて・・・・・、
10時も大きく回った頃 漸く陸前高田市に着きました。
車のトリップメーターは213Km。
奇跡の一本松のところと キャピタルホテルの跡地前に植えた花たちは
見事に咲き誇って 明るく出迎えてくれました。
キャピタルホテル跡地前
チューリップにパンジー・ビオラ等々
津波で倒れ ねじれた道路標識の土台にも・・・・・。
今でも震災の爪あとは そのままです。
荒涼とした風景の中に
巨大な建造物が現れていました。
奇跡の一本松への入り口付近
高台移転を進めるために 山を切り崩して
宅地を造成しなければなりません。
大型ダンプカーで切り崩した土砂を運ぶよりも
もっともっと早く作業を進めるために作られた
巨大なベルトコンベアー。
山側から 海側に土砂を運びます。
運んだ土砂はきっと防潮堤の建設や
地盤沈下した地面のかさ上げに使われるのでしょう。
連休ということもあって
奇跡の一本松へ通じる道の人の波は途切れることがありませんでした。
ひとりひとりがいろんなことを感じ そして考えたことが
また明日から日常の生活に戻る中で
昨日よりも今日よりも明日が・・・
そして明日よりもあさってが より希望の未来と感じられるように
僅かでも行動の規範の足しになったら 前に進みますね。
陸前高田から山形に戻る岐路は
大崎市古川ICで高速を降り 国道47号線を走るルートにしました。
後の交通情報では村田JCまでの上り車線での渋滞が東北自動道で発生したようで
結果オーライの判断だったようです。
山形県最上町から尾花沢市に抜けるな山伐峠(なたぎりとうげ)を越えたあたり・・・。
新緑の萌黄色と 残雪の白と 針葉樹の深緑
まだまだ春浅い 奥の細道を走って帰って来ました。
夕方 5時ごろの帰宅でした。
陸前高田。。。
テーマ:陸前高田フラワーロード
2013/11/03 18:02
どう書こうか・・・・・。
いや 書くことは決まっている。
どう書き出そうかだっ・・・・・。
庭案倶楽部代表のトータルエクステリアの
伊藤社長から連絡が入ったのはいつだっただろうか。
『陸前高田で〇川さんたちが花壇に花を植える作業をなさるので
庭案倶楽部としても是非活動に参加したいっ
ただ 遠いので,参加の有無は無理のない範囲で結構ですよ!”』
おお~~~っ 〇川さんといえば 今回の『希望の芽』のイベントでは
岩手から何度も仙台まで足を運んで頂き
イベントの成功に向けてご尽力頂いた方。
パネルディスカッション
にも 出て頂いたし
ハンギングバスケットや
場内の花の飾り付けを一手に仕切ってくださり
この人の力がなかったら
随分と寂しいイベントで終ってしまうところを
見事に華やいだ空間に演出して救って下さった!!”
これほどの恩に報いるためにも
ただ単に 『遠いから・・・』というキーワードだけを理由にして
参加を見送る訳にはいきませんでした!”
そうですね~~
今年の流行語風にいえば
やられたら やり返すっ!”
恩返しだっ!
というわけで 先日 陸前高田市に伺って来ました。
2013/11/3 18:02 ここまで
~つづく~
*****************************
再開です!”
朝 9:30に元のキャピタルホテル跡地に集合とのことでしたが
ネット検索上の地図に現れるキャピタルホテルの場所に自分は立つものの
津波でやられて既に解体されていて
7階建てのホテルは跡形もなく
かなり離れた高台にひっそりと
インプルな3階建てで 再建されてました!”
後はぐるっと360°
何にも残っていません!”
オカモトセルフの赤い看板
『この看板のてっぺんの高さまで津波は来たんだよ!
高さ16mの津波だよっ』 って教えてくれたのは
旦那さんはじめ親戚5人を津波で亡くしたFさん母娘
お昼 おにぎりをご馳走なりながら
3.11 あの日のことを沢山話して下さいました。
19:21 つづくです!”
明日かな。。。。。
***************************
Fさんはチリ地震の津波も経験されたそうです!”
『でも今回はそんなもんじゃなかったよっ
家が波に押され隣りの家を押し それがまた隣りの家を押して
次から次と家が壊れていった・・・
まるでおしくらまんじゅうのようにっ。
私たちは 逃げろ~ 津波が来るぞ~って声掛けながら
歩いて高台に向かったんだよ』
車で避難した人たちは道路が大渋滞で
そのまま津波にのまれた方々も多くいて・・・
『あとから車で行くから お前たちは先に逃げろ!』といった旦那さんは
とうとう帰って来なかったと・・・・・。
そうした話を ただうなずきながら お聞きするのが精いっぱいの私でした。
実際に被災された方々とどう接するかは ひとりひとりが迷うところかもしれません。
ただひたすらお話を伺って 受け止めて 悲しみに共鳴して・・・・・。
なにも手助けは出来ないけれど
きちんと話をお伺いすることは大事なことだと思いました。
これから何年も何年もあの日の恐怖や悲しみを 深く抱えて生きていかれる方々を
いつだって忘れずに 身近に感じていこうと思いました。
提案倶楽部の皆さんです。
左から エクステリア もみの木の ちくごさん(花巻)
タテシタの たてしたさん(宮古)
トータルエクステリアの いとうさん(盛岡)
作業を終えて 安堵の表情を
そして 最後に奇跡の一本松のことを
書かなきゃね。。。
このブログ書かなきゃなって思ったエピソードが 一本松でした。
つづく 11/4 13:17
******************************
再開です!”
当日は 朝の9時半現地集合の案内でした。
場所はキャピタルホテルの跡地!
初めて訪れる陸前高田です!
時間が読めないので 朝方3:40に家を出ました。
真っ暗な南の空にオリオン座!”
『そうだよなあ~あの日の夜もオリオン座だったよなあ~』
3.11の夜は山形も停電で 真っ暗な夜だったけれど
同じように夜7:00頃の南の空に くっきりとオリオンの三ツ星が輝いてた。
薄ぼんやりとオリオン星雲も見えたので 全市停電という異常な事態が
より一層現実に感じられ 『この先どうなるんだろう』と
妙にふわふわした不安な気分で町内いのアパートを一軒一軒声掛けに回ってた。
出発前には 『陸前高田に着いたら いの一番に奇跡の一本松見に行こう!
そして 写真に収めよう』
って そう決めてました!”
国道45線を北に向かい 大きく右にカーブして橋を渡る頃に
車の右手前方に テレビで観た『陸前高田の奇跡の一本松』が見えて来ました。
集合時間にはまだだいぶ余裕のある 朝の8時頃でした。
でも とうとう最後まで 一本松の写真は一枚も撮れませんでした。
そんな場合じゃないっ
そう感じたんです!”
つづくっ 11/4 18:13
*****************************
陸前高田に入ると そのおびただしい数の大型ダンプカーに圧倒されました。
とにかく切れ目なく目の前を走り抜けていく
朝早くから 多くの人たちが復興事業と向き合って働いている。
同じ土木工事に携わるものとして
その人たちが汗をかいている傍らで
一本松を眺め 写真を撮ることが
一体何に役立つというのだろうか。
そんな風に感じました。
花を植えるために 岩手県内はもちろんのこと
東京から駆けつけた方々もいて
今日で三度目の参加だという。。。
そして植えられた花たちを
直ぐ脇を駆け抜けるダンプカーが作り出す風が揺らす。
『あなた達 花植える前に
一本松に行ける道路作るのが先でしょっ』
そうおしゃる観光?客もいらっしゃった。
いろんな立場で いろんな方向に いろんな速度で
思いが混在している場所。
日帰りでしたが
とても長い一日でした。
とても印象深い一日となりました。
11/05 5:59
いや 書くことは決まっている。
どう書き出そうかだっ・・・・・。
庭案倶楽部代表のトータルエクステリアの
伊藤社長から連絡が入ったのはいつだっただろうか。
『陸前高田で〇川さんたちが花壇に花を植える作業をなさるので
庭案倶楽部としても是非活動に参加したいっ
ただ 遠いので,参加の有無は無理のない範囲で結構ですよ!”』
おお~~~っ 〇川さんといえば 今回の『希望の芽』のイベントでは
岩手から何度も仙台まで足を運んで頂き
イベントの成功に向けてご尽力頂いた方。
パネルディスカッション
にも 出て頂いたし
ハンギングバスケットや
場内の花の飾り付けを一手に仕切ってくださり
この人の力がなかったら
随分と寂しいイベントで終ってしまうところを
見事に華やいだ空間に演出して救って下さった!!”
これほどの恩に報いるためにも
ただ単に 『遠いから・・・』というキーワードだけを理由にして
参加を見送る訳にはいきませんでした!”
そうですね~~
今年の流行語風にいえば
やられたら やり返すっ!”
恩返しだっ!
というわけで 先日 陸前高田市に伺って来ました。
2013/11/3 18:02 ここまで
~つづく~
*****************************
再開です!”
朝 9:30に元のキャピタルホテル跡地に集合とのことでしたが
ネット検索上の地図に現れるキャピタルホテルの場所に自分は立つものの
津波でやられて既に解体されていて
7階建てのホテルは跡形もなく
かなり離れた高台にひっそりと
インプルな3階建てで 再建されてました!”
後はぐるっと360°
何にも残っていません!”
オカモトセルフの赤い看板
『この看板のてっぺんの高さまで津波は来たんだよ!
高さ16mの津波だよっ』 って教えてくれたのは
旦那さんはじめ親戚5人を津波で亡くしたFさん母娘
お昼 おにぎりをご馳走なりながら
3.11 あの日のことを沢山話して下さいました。
19:21 つづくです!”
明日かな。。。。。
***************************
Fさんはチリ地震の津波も経験されたそうです!”
『でも今回はそんなもんじゃなかったよっ
家が波に押され隣りの家を押し それがまた隣りの家を押して
次から次と家が壊れていった・・・
まるでおしくらまんじゅうのようにっ。
私たちは 逃げろ~ 津波が来るぞ~って声掛けながら
歩いて高台に向かったんだよ』
車で避難した人たちは道路が大渋滞で
そのまま津波にのまれた方々も多くいて・・・
『あとから車で行くから お前たちは先に逃げろ!』といった旦那さんは
とうとう帰って来なかったと・・・・・。
そうした話を ただうなずきながら お聞きするのが精いっぱいの私でした。
実際に被災された方々とどう接するかは ひとりひとりが迷うところかもしれません。
ただひたすらお話を伺って 受け止めて 悲しみに共鳴して・・・・・。
なにも手助けは出来ないけれど
きちんと話をお伺いすることは大事なことだと思いました。
これから何年も何年もあの日の恐怖や悲しみを 深く抱えて生きていかれる方々を
いつだって忘れずに 身近に感じていこうと思いました。
提案倶楽部の皆さんです。
左から エクステリア もみの木の ちくごさん(花巻)
タテシタの たてしたさん(宮古)
トータルエクステリアの いとうさん(盛岡)
作業を終えて 安堵の表情を
そして 最後に奇跡の一本松のことを
書かなきゃね。。。
このブログ書かなきゃなって思ったエピソードが 一本松でした。
つづく 11/4 13:17
******************************
再開です!”
当日は 朝の9時半現地集合の案内でした。
場所はキャピタルホテルの跡地!
初めて訪れる陸前高田です!
時間が読めないので 朝方3:40に家を出ました。
真っ暗な南の空にオリオン座!”
『そうだよなあ~あの日の夜もオリオン座だったよなあ~』
3.11の夜は山形も停電で 真っ暗な夜だったけれど
同じように夜7:00頃の南の空に くっきりとオリオンの三ツ星が輝いてた。
薄ぼんやりとオリオン星雲も見えたので 全市停電という異常な事態が
より一層現実に感じられ 『この先どうなるんだろう』と
妙にふわふわした不安な気分で町内いのアパートを一軒一軒声掛けに回ってた。
出発前には 『陸前高田に着いたら いの一番に奇跡の一本松見に行こう!
そして 写真に収めよう』
って そう決めてました!”
国道45線を北に向かい 大きく右にカーブして橋を渡る頃に
車の右手前方に テレビで観た『陸前高田の奇跡の一本松』が見えて来ました。
集合時間にはまだだいぶ余裕のある 朝の8時頃でした。
でも とうとう最後まで 一本松の写真は一枚も撮れませんでした。
そんな場合じゃないっ
そう感じたんです!”
つづくっ 11/4 18:13
*****************************
陸前高田に入ると そのおびただしい数の大型ダンプカーに圧倒されました。
とにかく切れ目なく目の前を走り抜けていく
朝早くから 多くの人たちが復興事業と向き合って働いている。
同じ土木工事に携わるものとして
その人たちが汗をかいている傍らで
一本松を眺め 写真を撮ることが
一体何に役立つというのだろうか。
そんな風に感じました。
花を植えるために 岩手県内はもちろんのこと
東京から駆けつけた方々もいて
今日で三度目の参加だという。。。
そして植えられた花たちを
直ぐ脇を駆け抜けるダンプカーが作り出す風が揺らす。
『あなた達 花植える前に
一本松に行ける道路作るのが先でしょっ』
そうおしゃる観光?客もいらっしゃった。
いろんな立場で いろんな方向に いろんな速度で
思いが混在している場所。
日帰りでしたが
とても長い一日でした。
とても印象深い一日となりました。
11/05 5:59