田んぼの生き物調査 東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト その8 T6 七ヶ浜町吉田浜地区 8/25
テーマ:東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト
2012/09/01 23:05
8月最後の週末は金曜日から山元町に乗り込んでこの夏最後の花壇の手入れをさせて頂き、そして翌土曜日からアースウォッチジャパンと東北大学の「田んぼの生き物調査 東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト T6」に参加しました。
今回の調査地は前半の6月の調査ではもっとも多くの生き物たちが見つかった七ヶ浜と、そして仙台の今泉地区です。そしてこれが今年最後の市民調査となります。
思えば前回の調査から2ヶ月ちょっと。七ヶ浜のかろうじて残った5枚の田んぼの稲たちは、その後どのように育っているだろうか、とか、被災したにも関わらず近くの対照水田(震災以前のデータが無い為、被災水田の近くで比較のために調査する被災しなかった水田)よりも生き物の発見種数が多かった今泉地区の被災水田は、その後どうなっているだろうか、とか…
かなり前から楽しみで仕方なく、ワクワクとしていました。
今回は七ヶ浜の調査からスタート。
前回の写真が下の通り。稲たちは大きく成長しました。
早速調査に入りましたが、
なにやら様子が変。
すでに中干しを終えて水が満ちている筈の田んぼに、水が無い。つい先日も水が張られているのが確認されていたと言いますから…アクシデントと言えるかも知れませんが、だからといって調査を断念できない。
というわけで、
田んぼの水が涸れて水性生物たちが逃げ込むとしたらここしか無いだろうという田んぼ脇の水路に調査対象を移しました。
水が無かった原因はこの時点では不明でしたが、この夏、宮城県はずっと雨が少なく夕立も無く(これは関東地方も同じですね)、ため池の水位もかなり下がっていましたからそれによるものだったかも知れません。
いずれにしてもどのような生き物を見つけたかというと…
手前のヤゴたちはオニヤンマの幼虫たち。前回の調査ではアカネの仲間が多かったのですが今回はヤンマです。
さらに右上から。見えないものもかなりありますが、ミズアブ、イシビル、イトミミズ、ガガンボ、ミズゴマツボ、カイミジンコ、ユスリカ、ケシカタビロアメンボ、ミズムシ、ヨコエビ、ヒメゲンゴロウ、コガシラミズムシ、ヒラマキミズマイマイ、ヒラマキガイモドキ、ドブシジミ…
それからコオイムシとマツモムシ。
共に前回も見つけたものですが、それぞれとても大きくなっての再登場。
もちろん前回見つけたのとは別の子たちですが…再会のように思えるから奇妙ですね。
午後からは被災した水田…前回と同様まだまだ復旧の見通しは立たないのでその脇の水路の調査です。
これがこの時点での被災水田の様子。
ヘドロ混じりの表土は削られて盛り立てられていました。これから復旧作業が本格化するのか、それとも今出来るのはここまでで、まだ先は見えないのか…
それでも、
前回がこんな感じで何とかガレキだけは取り除いたという状況でしたので、とにかく一歩でも二歩でも前に進み始めたという様子が覗えました。
ただその手前の、整備が終わって大豆の植え付けられた耕作地の方は、前回ようやく芽が出始めたばかりだったのが、
これほどまでに成長していて、とても救われました。
そこにこれだけ濃い緑があるだけで、空間に深みが生まれるから不思議です。
こちらの調査でわたしが見つけたのは、
ヒメアメンボ、ニホンアカガエル、ヒラタガムシ、サカマキガイ…
そして、カナヘビでした。
午前中の調査で見つかった種数が全体で35種、午後が32種。
前回6月の調査では40と42でしたから、それより減ってはいますが、それでもやはり高いレベルなのだと思います。
休憩時間に別のエリアでミズカマキリを初めて見ることが出来ましたし、とにかく相変わらず生き物の気配を全身で感じられるような、ここは特別な空間だと思いました。
多賀城に戻って宿に入り、食後は恒例で研究者のみなさんからのレクチャーがあります。
今回の眼目は…「愛知ターゲット」とその戦略目標の中で今回のこのプロジェクトの果たす役割について。
2010年に名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)で合意された目標が「愛知ターゲット」と呼ばれるものなのだそうで、2011年以降の戦略計画として人類が自然と共生する世界を2050年までに実現することを目指すのだそうです。
具体的には5つの戦略目標と、さらに細分化された20の個別目標が定められています。
上の写真がそれですが分かりにくいと思いますのでくわしくはこちらを参照して下さい。
その中でアースウォッチジャパンの市民参加型生物多様性調査の取り組みは、環境リテラシーの普及として位置づけられていて、まさに目標1の「人々が生物多様性の価値と行動を認識する」に相当しており、これは2020年までの実現が求められています。
そして、東北大学生命科学研究科のみなさんの取り組みが、「津波大規模撹乱の生態系への影響評価と地域再生へ向けた生物モニタリング」です。
今回はわれわれ市民調査員の負うべき役割や為すべき意識改革まで明確に示された気がします。
少しというかかなり責任を感じてしまったのですが、ここではっきりと牧野先生に提示して頂いたことが、自分なりの意識付けを明確に出来たというか、すっきり胃の腑に落ち着いたというか…
曰く、求められる「環境リテラシー」とは…
人間が環境に与える影響(の基本概念)を理解する能力であり、
理解したことを他人に分かりやすく正しく伝達する能力であり、
広い知識を活用して責任のある行動を取る能力である。
だから、今回の水田の生態系調査では次のことを常に念頭に置いて欲しい。
・水田生態系はどのような特徴を持つか
・そこにはどのような生物が、どのような生活史を持って出現するのか
・津波は水田生物相にどのような影響を与えたか
・それがダメージとして存在するなら、それは今後どのようにして回復していくか
…むずかしいですよね。
でも、その難しい課題を専門外のわれわれ市民調査員に投げかけて下さるということが、嬉しい。
それにそう。
実はガーデナーを自認してさまざまな植物を取り扱うわたしたちは、実のところ「無縁ではない」どころか、「大いなる責任を負っている」し、すでに地球環境に対する負荷のひとつになってさえ居ると自覚すべきなのでしょう。
うん…実はうすうす…森昭彦氏の著作に触れて、結局は彼を介してこのプロジェクトを知ったときから、それは意識し続けてきたことなのでした。
一方で、毎回毎回改編を加え続け、ついに20版めを数える力作「田んぼの生きもの図鑑」を用意して下さった向井助教の講義は、言葉の端々から生きものに対する愛情に満ちあふれていて、何度拝聴しても楽しいものでした。
今回は特に市民調査に有効な図鑑の製作ということやその活用方法に関する興味深い話が有り、要はどのようにして生きものを捉えるか、どうか観察してどう見分けるか、そのひとつひとつに生きものに対する興味と愛情が必要なのだということ。そして豊かな感性と想像力と柔軟なものの見方が大切なのだということ。
つまりは…
うにょうにょ、ちくちく、でこぼこ、くりんくりん…です。
他方、牧野先生の言うように市民には訳の分からないというかとっつきにくい学術的な生き物の分類法にもとても大切な意味があって、そのリストひとつで生き物の進化の歴史が歴然となるという…そのあたりにも勿論惹かれるものがありました。
そして、この日の調査結果の報告もありました。
今回の特色は、午前中の対照水田(脇水路)で発見された生き物の方が、午後の被災田(脇水路)の生き物と比べて圧倒的に貝類やヒル類が多かったこと。
これは以前の調査でも言われていたことで、飛んだり他の生き物を介して移動できる生き物はともかく、そうした移動手段を持たず水中のみに生活域がある生き物は被災田には少ないということ。ひとたび津波の被害を受けた田んぼにこうした生き物たちが戻ってくるのには、やはり時間が掛かるのでしょうか?
以前立てられたそうした仮説が、この七ヶ浜の調査でも確認されたことになります。
それがはたして2日目の今泉の調査でも裏付けられるか…
つづきます。
今回の調査地は前半の6月の調査ではもっとも多くの生き物たちが見つかった七ヶ浜と、そして仙台の今泉地区です。そしてこれが今年最後の市民調査となります。
思えば前回の調査から2ヶ月ちょっと。七ヶ浜のかろうじて残った5枚の田んぼの稲たちは、その後どのように育っているだろうか、とか、被災したにも関わらず近くの対照水田(震災以前のデータが無い為、被災水田の近くで比較のために調査する被災しなかった水田)よりも生き物の発見種数が多かった今泉地区の被災水田は、その後どうなっているだろうか、とか…
かなり前から楽しみで仕方なく、ワクワクとしていました。
今回は七ヶ浜の調査からスタート。
前回の写真が下の通り。稲たちは大きく成長しました。
早速調査に入りましたが、
なにやら様子が変。
すでに中干しを終えて水が満ちている筈の田んぼに、水が無い。つい先日も水が張られているのが確認されていたと言いますから…アクシデントと言えるかも知れませんが、だからといって調査を断念できない。
というわけで、
田んぼの水が涸れて水性生物たちが逃げ込むとしたらここしか無いだろうという田んぼ脇の水路に調査対象を移しました。
水が無かった原因はこの時点では不明でしたが、この夏、宮城県はずっと雨が少なく夕立も無く(これは関東地方も同じですね)、ため池の水位もかなり下がっていましたからそれによるものだったかも知れません。
いずれにしてもどのような生き物を見つけたかというと…
手前のヤゴたちはオニヤンマの幼虫たち。前回の調査ではアカネの仲間が多かったのですが今回はヤンマです。
さらに右上から。見えないものもかなりありますが、ミズアブ、イシビル、イトミミズ、ガガンボ、ミズゴマツボ、カイミジンコ、ユスリカ、ケシカタビロアメンボ、ミズムシ、ヨコエビ、ヒメゲンゴロウ、コガシラミズムシ、ヒラマキミズマイマイ、ヒラマキガイモドキ、ドブシジミ…
それからコオイムシとマツモムシ。
共に前回も見つけたものですが、それぞれとても大きくなっての再登場。
もちろん前回見つけたのとは別の子たちですが…再会のように思えるから奇妙ですね。
午後からは被災した水田…前回と同様まだまだ復旧の見通しは立たないのでその脇の水路の調査です。
これがこの時点での被災水田の様子。
ヘドロ混じりの表土は削られて盛り立てられていました。これから復旧作業が本格化するのか、それとも今出来るのはここまでで、まだ先は見えないのか…
それでも、
前回がこんな感じで何とかガレキだけは取り除いたという状況でしたので、とにかく一歩でも二歩でも前に進み始めたという様子が覗えました。
ただその手前の、整備が終わって大豆の植え付けられた耕作地の方は、前回ようやく芽が出始めたばかりだったのが、
これほどまでに成長していて、とても救われました。
そこにこれだけ濃い緑があるだけで、空間に深みが生まれるから不思議です。
こちらの調査でわたしが見つけたのは、
ヒメアメンボ、ニホンアカガエル、ヒラタガムシ、サカマキガイ…
そして、カナヘビでした。
午前中の調査で見つかった種数が全体で35種、午後が32種。
前回6月の調査では40と42でしたから、それより減ってはいますが、それでもやはり高いレベルなのだと思います。
休憩時間に別のエリアでミズカマキリを初めて見ることが出来ましたし、とにかく相変わらず生き物の気配を全身で感じられるような、ここは特別な空間だと思いました。
多賀城に戻って宿に入り、食後は恒例で研究者のみなさんからのレクチャーがあります。
今回の眼目は…「愛知ターゲット」とその戦略目標の中で今回のこのプロジェクトの果たす役割について。
2010年に名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)で合意された目標が「愛知ターゲット」と呼ばれるものなのだそうで、2011年以降の戦略計画として人類が自然と共生する世界を2050年までに実現することを目指すのだそうです。
具体的には5つの戦略目標と、さらに細分化された20の個別目標が定められています。
上の写真がそれですが分かりにくいと思いますのでくわしくはこちらを参照して下さい。
その中でアースウォッチジャパンの市民参加型生物多様性調査の取り組みは、環境リテラシーの普及として位置づけられていて、まさに目標1の「人々が生物多様性の価値と行動を認識する」に相当しており、これは2020年までの実現が求められています。
そして、東北大学生命科学研究科のみなさんの取り組みが、「津波大規模撹乱の生態系への影響評価と地域再生へ向けた生物モニタリング」です。
今回はわれわれ市民調査員の負うべき役割や為すべき意識改革まで明確に示された気がします。
少しというかかなり責任を感じてしまったのですが、ここではっきりと牧野先生に提示して頂いたことが、自分なりの意識付けを明確に出来たというか、すっきり胃の腑に落ち着いたというか…
曰く、求められる「環境リテラシー」とは…
人間が環境に与える影響(の基本概念)を理解する能力であり、
理解したことを他人に分かりやすく正しく伝達する能力であり、
広い知識を活用して責任のある行動を取る能力である。
だから、今回の水田の生態系調査では次のことを常に念頭に置いて欲しい。
・水田生態系はどのような特徴を持つか
・そこにはどのような生物が、どのような生活史を持って出現するのか
・津波は水田生物相にどのような影響を与えたか
・それがダメージとして存在するなら、それは今後どのようにして回復していくか
…むずかしいですよね。
でも、その難しい課題を専門外のわれわれ市民調査員に投げかけて下さるということが、嬉しい。
それにそう。
実はガーデナーを自認してさまざまな植物を取り扱うわたしたちは、実のところ「無縁ではない」どころか、「大いなる責任を負っている」し、すでに地球環境に対する負荷のひとつになってさえ居ると自覚すべきなのでしょう。
うん…実はうすうす…森昭彦氏の著作に触れて、結局は彼を介してこのプロジェクトを知ったときから、それは意識し続けてきたことなのでした。
一方で、毎回毎回改編を加え続け、ついに20版めを数える力作「田んぼの生きもの図鑑」を用意して下さった向井助教の講義は、言葉の端々から生きものに対する愛情に満ちあふれていて、何度拝聴しても楽しいものでした。
今回は特に市民調査に有効な図鑑の製作ということやその活用方法に関する興味深い話が有り、要はどのようにして生きものを捉えるか、どうか観察してどう見分けるか、そのひとつひとつに生きものに対する興味と愛情が必要なのだということ。そして豊かな感性と想像力と柔軟なものの見方が大切なのだということ。
つまりは…
うにょうにょ、ちくちく、でこぼこ、くりんくりん…です。
他方、牧野先生の言うように市民には訳の分からないというかとっつきにくい学術的な生き物の分類法にもとても大切な意味があって、そのリストひとつで生き物の進化の歴史が歴然となるという…そのあたりにも勿論惹かれるものがありました。
そして、この日の調査結果の報告もありました。
今回の特色は、午前中の対照水田(脇水路)で発見された生き物の方が、午後の被災田(脇水路)の生き物と比べて圧倒的に貝類やヒル類が多かったこと。
これは以前の調査でも言われていたことで、飛んだり他の生き物を介して移動できる生き物はともかく、そうした移動手段を持たず水中のみに生活域がある生き物は被災田には少ないということ。ひとたび津波の被害を受けた田んぼにこうした生き物たちが戻ってくるのには、やはり時間が掛かるのでしょうか?
以前立てられたそうした仮説が、この七ヶ浜の調査でも確認されたことになります。
それがはたして2日目の今泉の調査でも裏付けられるか…
つづきます。
干潟の生き物調査 東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト T5 石巻北上川河口地区 7/21,22
テーマ:東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト
2012/07/31 10:45
アースウォッチ・ジャパンと東北大学「海と田んぼからのグリーン復興プロジェクト」による、田んぼの生き物調査とは別のもうひとつの活動、「被災した干潟のいきもの調査」にもぜひ一度参加したいと思っていましたが、なかなか仕事やほかの日程との調整が付かずにいました。
いやいや、仕事の方はお客さまや仕事仲間にかなり無理をお願いして、日頃から相当に我慢していただいているというのが本当のところ。ここのところ、PTAのチャリティー活動など新規事業にややのめり込んでおりました。
そんな中で干潟調査のチーム5にようやく参加することが出来ました。
調査地は宮城県石巻市の北上川河口付近。
前回の田んぼの生き物調査で訪れた場所のすぐ近くでした。
田んぼの調査と勝手が違うのは、もちろん扱う生き物からしてまず違うのですが…
こちらは潮の干満に合わせて動かなくてはいけないこと。
集合場所の石巻イオンへの交通は、JR仙石線が震災の影響で寸断されているため仙台から宮城交通の臨時高速バスを利用します。わたしはこの後続けて山元町を訪問する予定でしたから自分のクルマでアプローチできましたが、仙台でバスが混んで参加者全員を乗せきれずに出発したため、それに伴って調査の開始が遅れてしまいました。
このために調査予定の干潟は早々に水没…行けても戻ってこれなくなり、
やむなく満潮のピーク時にはそこも水没するという岸辺での調査となりました。
調査の方法はまず15分を使って発見した生き物をかたはしから捕獲。
次に15ヶ所で掘り返しを行って、そこで発見した生き物を捕獲します。
水棲生物のうち、水底で生活するものを底生生物=ベントスというのだそうですが、今回の調査対象はそれです。
これに対して水中を移動するもののうち、流れに逆らって遊泳するものがネクトン。流れに漂うものがプランクトン、なのだそうですね。
北上川のこのあたりは広大な汽水域となっていて、つまり潮と淡水とが混じり合っているため、生息する生き物には限りがあるということで、種類はあまり多くないものの、ここでしか見られないものも多いのだとか。
たとえばこの、
アリアケモドキというカニはうんざりするくらい見つかりましたが、これも全国的には希少種で、おまけにこの場所が分布の北限なのだそうです。
そして、ごめんなさい。見たくなかった方もおおかったに違いありません。
この中にはたぶんヤマトカワゴカイとイトメとが居るのですが(わたしには見分けがつきません)、このイトメという生き物も生息数が減少しているのだそうです。
この他に、ヒメハマトビムシや
イソコツブムシ。
貝類ではカワザンショウとヤマトシジミ。
2日間で合計7種しかわたしは発見できませんでしたが、全体では13種類ほどだったようです。
これは他の方が捕獲した、
クロベンケイガニ。
そして、アシハラガニです。
やがて同定作業用テントも水没の危機に見舞われ、
初日の調査は終わりました。
全体に収穫は少なかったものの、生き物がとても豊かである証拠にその密度は高く、また震災前の事前の調査時よりも種数は増えているとのことでした。
これは今回の震災後の調査全体に言えることらしく、津波による撹乱で生き物の移動が盛んになり生息域が広がったということでした。時間の経過とともにやがてもとの種数に落ち着いていくのではないかというのが、担当の鈴木先生のご意見でした。
田んぼ調査のリーダーであった向井先生も相当にすごい方でしたが、この鈴木先生もベントス調査においてとても権威のある方です。その調査方法を編み出し、そのための図鑑と調査票を編集し、スタッフTシャツまで作ったという傑物であり、頼もしい牽引者といったところですね。
夜の勉強会では、今回採用した調査方法が何度も試行を重ねた上でいかに妥当と判断できるものであるか、という検証から始まって、そしてこれまで調査経緯に関する講義がありました。(もちろん、これは恒例で酒を飲みながら…)
やはり興味深いのは震災の前後で生き物の出現種数を比較したデータ。
今回の調査地は震災以前から継続的に調査がされてきた場所で、そのデータに震災後の調査結果を重ねることで見えてくるものがとても貴重だと思いました。
示していただいたデータでは震災後に共通する生き物のの種数は一気に減っているのにも関わらず、震災以前には発見されていなかった生き物の種数が増えていることがわかります。
特に桂島や双観山下では震災以前よりも総種数がはるかに上回っているほどです。
ただ、その後の調査の経緯で以前の生き物が徐々に戻ってきて、新規発見の生き物が減ってきている傾向にあることも報告されました。
このことは、人間にとっては計り知れない驚異であり災厄でもあった津波が、水棲生物たちにとっては一時的な環境の変化に過ぎなかったことを表します。また、今回その環境が自然の力で復元されつつある一方で、この撹乱を経てまったく新しい生態系が誕生することも考えられるわけで、このことに人間がどう関わっていくか、そのことを全く考慮せずに強引な自然環境の復元や強引な生態系の改変を行うことの是非について、もっとわれわれは注目していかなくてはならないのだと感じました。
一方で津波の高さと生き物の種数をグラフ化したデータが示すように津波の大きさが生き物に与える影響は、たとえ一時的なものであるにせよ、比例直線で表せるくらいにはっきりしているのも事実。
田んぼ同様、この調査も10年というスタンスで継続されていくことの必要性を思い知りました。
このあたり、田んぼ調査同様に占部教授の言葉がとても強い説得力を持って心に染みたのでした。
前回同様、追分温泉の朝。2日目です。
この日は干潮の時間までに余裕があることから、食後に再度集まって、昨日の調査結果報告と調査に同行した岩手医科大の松政先生の講義がありました。
ここでは松政先生のこれまでの調査結果と、干潟、特に汽水域における生き物の分布などに関する報告があって、これもまた興味深いものでした。
北上川河口のこの干潟は日本有数のヨシ原であったということで、震災の激しい地震で揺すぶられて根を浮かしたヨシたちが、その後の津波で一気に押し流されたという話。その再生への課題などにも興味深いものがありました。
干潮が昼頃といううことで、朝の時間を使って新北上大橋を対岸に渡り、今も町全体が水没したままという長面浦を訪問しました。
橋の南詰には全校児童の7割に当たる74名のお子さんを亡くした大川小学校があり、まずはここで祈りを捧げました。
この場所は次回また仲間との訪問を予定しているのですが、こうした悲しみの気の満ちた場所に立つと、いまでも自分の中心で何かが壊れていくのを感じます。それに耐えられず、ついつい避けてしまう場所ですが山元町の沿岸部同様、この先何度でも訪れなければならない場所のひとつだと思います。
自分にそのことで何が出来る訳ではないのだけれど、せめて忘れないで思い続けることが出来るのでしょうから。
その先の長面地区。
今も水没した町並みの先に、新しく出来た入り江があって新しい干潟が生まれていました。
その先には新しい堤防が完成しつつあることから、いずれここも排水されるのだとか。
もちろん発見されていない遺体も多い石巻地区ですからその調査もあるでしょう。町の復興も、開発が終わったばかりだった広大な水田の復元もあるでしょう。
だからその是非はまったく別として…
それでもこの津波がもたらしたこの新しい自然の姿には、何らかの自然の意思みたいなものを感じないわけにはおれませんでした。
気を取り直して、2日目の調査。
今回は川のかなり中程まで歩いて行くことが出来ました。
さぞや新しい生き物が見つかるに違いない。
そう思い、
目標はチゴガニだ、と夢中で探索しましたが、
見つかったカニはやはり昨日同様のアリアケモドキ。
それもかなりたくさん。大きなものも多い。
まるまると太ったヤマトシジミ。
でも、発見した種数はほぼ昨日と同じでした。
違うのは昨日の大漁がゴカイ類だったのに対して、今回はアリアケモドキだったこと。でも、全体に生き物の層は豊かで何よりみんな元気でした。
鈴木先生を始めスタッフのみなさんは、あまり多くの生き物を見つけられなかったことを申し訳なく言ってくださいましたが、大切なのは多ければ多く少なければ少ないその調査データなのですから。
それにこの調査地で発見総種数13というのは、やはり多いのだそうです。
そしてまたひとつ、東北の被災地であるこの場所から、新しい土地の気を学ぶことが出来ました。
生き物を育む土地土地の気には明確な違いがあって、わたしは近頃歳のせいか、滅法それに感応することが多くなっています。だからこそ余計、悲しみの気に満ちた場所は駄目なのですが、生き物の気配が豊かな場所からはとても温かな希望を感じます。
前々回の七ヶ浜は被災した場所であったにも関わらず、とても濃密な生き物たちの気配を感じました。
8月末にはまたそこを再訪するので今からとても楽しみなのですが、北上川のこの場所もまた、人の悲しみや苦しみを超えた自然の有り様が覗える、とても豊かな場所でした。
さて、わたしはこの後松島に一泊して翌日は山元町に向かいました。
町各所の花壇の整理や山下中学校のみなさんとの再会などが目的でしたが、次回8月5日には町のイベントにお邪魔することになっていて、教育委員会の皆さんとはその打ち合わせもしました。
だから、この日の様子はそのときにまとめて報告させていただきます。
8月5日(日)。
山元町では例によって「子どもも大人もみんなで遊び隊」が開催予定です。
いやいや、仕事の方はお客さまや仕事仲間にかなり無理をお願いして、日頃から相当に我慢していただいているというのが本当のところ。ここのところ、PTAのチャリティー活動など新規事業にややのめり込んでおりました。
そんな中で干潟調査のチーム5にようやく参加することが出来ました。
調査地は宮城県石巻市の北上川河口付近。
前回の田んぼの生き物調査で訪れた場所のすぐ近くでした。
田んぼの調査と勝手が違うのは、もちろん扱う生き物からしてまず違うのですが…
こちらは潮の干満に合わせて動かなくてはいけないこと。
集合場所の石巻イオンへの交通は、JR仙石線が震災の影響で寸断されているため仙台から宮城交通の臨時高速バスを利用します。わたしはこの後続けて山元町を訪問する予定でしたから自分のクルマでアプローチできましたが、仙台でバスが混んで参加者全員を乗せきれずに出発したため、それに伴って調査の開始が遅れてしまいました。
このために調査予定の干潟は早々に水没…行けても戻ってこれなくなり、
やむなく満潮のピーク時にはそこも水没するという岸辺での調査となりました。
調査の方法はまず15分を使って発見した生き物をかたはしから捕獲。
次に15ヶ所で掘り返しを行って、そこで発見した生き物を捕獲します。
水棲生物のうち、水底で生活するものを底生生物=ベントスというのだそうですが、今回の調査対象はそれです。
これに対して水中を移動するもののうち、流れに逆らって遊泳するものがネクトン。流れに漂うものがプランクトン、なのだそうですね。
北上川のこのあたりは広大な汽水域となっていて、つまり潮と淡水とが混じり合っているため、生息する生き物には限りがあるということで、種類はあまり多くないものの、ここでしか見られないものも多いのだとか。
たとえばこの、
アリアケモドキというカニはうんざりするくらい見つかりましたが、これも全国的には希少種で、おまけにこの場所が分布の北限なのだそうです。
そして、ごめんなさい。見たくなかった方もおおかったに違いありません。
この中にはたぶんヤマトカワゴカイとイトメとが居るのですが(わたしには見分けがつきません)、このイトメという生き物も生息数が減少しているのだそうです。
この他に、ヒメハマトビムシや
イソコツブムシ。
貝類ではカワザンショウとヤマトシジミ。
2日間で合計7種しかわたしは発見できませんでしたが、全体では13種類ほどだったようです。
これは他の方が捕獲した、
クロベンケイガニ。
そして、アシハラガニです。
やがて同定作業用テントも水没の危機に見舞われ、
初日の調査は終わりました。
全体に収穫は少なかったものの、生き物がとても豊かである証拠にその密度は高く、また震災前の事前の調査時よりも種数は増えているとのことでした。
これは今回の震災後の調査全体に言えることらしく、津波による撹乱で生き物の移動が盛んになり生息域が広がったということでした。時間の経過とともにやがてもとの種数に落ち着いていくのではないかというのが、担当の鈴木先生のご意見でした。
田んぼ調査のリーダーであった向井先生も相当にすごい方でしたが、この鈴木先生もベントス調査においてとても権威のある方です。その調査方法を編み出し、そのための図鑑と調査票を編集し、スタッフTシャツまで作ったという傑物であり、頼もしい牽引者といったところですね。
夜の勉強会では、今回採用した調査方法が何度も試行を重ねた上でいかに妥当と判断できるものであるか、という検証から始まって、そしてこれまで調査経緯に関する講義がありました。(もちろん、これは恒例で酒を飲みながら…)
やはり興味深いのは震災の前後で生き物の出現種数を比較したデータ。
今回の調査地は震災以前から継続的に調査がされてきた場所で、そのデータに震災後の調査結果を重ねることで見えてくるものがとても貴重だと思いました。
示していただいたデータでは震災後に共通する生き物のの種数は一気に減っているのにも関わらず、震災以前には発見されていなかった生き物の種数が増えていることがわかります。
特に桂島や双観山下では震災以前よりも総種数がはるかに上回っているほどです。
ただ、その後の調査の経緯で以前の生き物が徐々に戻ってきて、新規発見の生き物が減ってきている傾向にあることも報告されました。
このことは、人間にとっては計り知れない驚異であり災厄でもあった津波が、水棲生物たちにとっては一時的な環境の変化に過ぎなかったことを表します。また、今回その環境が自然の力で復元されつつある一方で、この撹乱を経てまったく新しい生態系が誕生することも考えられるわけで、このことに人間がどう関わっていくか、そのことを全く考慮せずに強引な自然環境の復元や強引な生態系の改変を行うことの是非について、もっとわれわれは注目していかなくてはならないのだと感じました。
一方で津波の高さと生き物の種数をグラフ化したデータが示すように津波の大きさが生き物に与える影響は、たとえ一時的なものであるにせよ、比例直線で表せるくらいにはっきりしているのも事実。
田んぼ同様、この調査も10年というスタンスで継続されていくことの必要性を思い知りました。
このあたり、田んぼ調査同様に占部教授の言葉がとても強い説得力を持って心に染みたのでした。
前回同様、追分温泉の朝。2日目です。
この日は干潮の時間までに余裕があることから、食後に再度集まって、昨日の調査結果報告と調査に同行した岩手医科大の松政先生の講義がありました。
ここでは松政先生のこれまでの調査結果と、干潟、特に汽水域における生き物の分布などに関する報告があって、これもまた興味深いものでした。
北上川河口のこの干潟は日本有数のヨシ原であったということで、震災の激しい地震で揺すぶられて根を浮かしたヨシたちが、その後の津波で一気に押し流されたという話。その再生への課題などにも興味深いものがありました。
干潮が昼頃といううことで、朝の時間を使って新北上大橋を対岸に渡り、今も町全体が水没したままという長面浦を訪問しました。
橋の南詰には全校児童の7割に当たる74名のお子さんを亡くした大川小学校があり、まずはここで祈りを捧げました。
この場所は次回また仲間との訪問を予定しているのですが、こうした悲しみの気の満ちた場所に立つと、いまでも自分の中心で何かが壊れていくのを感じます。それに耐えられず、ついつい避けてしまう場所ですが山元町の沿岸部同様、この先何度でも訪れなければならない場所のひとつだと思います。
自分にそのことで何が出来る訳ではないのだけれど、せめて忘れないで思い続けることが出来るのでしょうから。
その先の長面地区。
今も水没した町並みの先に、新しく出来た入り江があって新しい干潟が生まれていました。
その先には新しい堤防が完成しつつあることから、いずれここも排水されるのだとか。
もちろん発見されていない遺体も多い石巻地区ですからその調査もあるでしょう。町の復興も、開発が終わったばかりだった広大な水田の復元もあるでしょう。
だからその是非はまったく別として…
それでもこの津波がもたらしたこの新しい自然の姿には、何らかの自然の意思みたいなものを感じないわけにはおれませんでした。
気を取り直して、2日目の調査。
今回は川のかなり中程まで歩いて行くことが出来ました。
さぞや新しい生き物が見つかるに違いない。
そう思い、
目標はチゴガニだ、と夢中で探索しましたが、
見つかったカニはやはり昨日同様のアリアケモドキ。
それもかなりたくさん。大きなものも多い。
まるまると太ったヤマトシジミ。
でも、発見した種数はほぼ昨日と同じでした。
違うのは昨日の大漁がゴカイ類だったのに対して、今回はアリアケモドキだったこと。でも、全体に生き物の層は豊かで何よりみんな元気でした。
鈴木先生を始めスタッフのみなさんは、あまり多くの生き物を見つけられなかったことを申し訳なく言ってくださいましたが、大切なのは多ければ多く少なければ少ないその調査データなのですから。
それにこの調査地で発見総種数13というのは、やはり多いのだそうです。
そしてまたひとつ、東北の被災地であるこの場所から、新しい土地の気を学ぶことが出来ました。
生き物を育む土地土地の気には明確な違いがあって、わたしは近頃歳のせいか、滅法それに感応することが多くなっています。だからこそ余計、悲しみの気に満ちた場所は駄目なのですが、生き物の気配が豊かな場所からはとても温かな希望を感じます。
前々回の七ヶ浜は被災した場所であったにも関わらず、とても濃密な生き物たちの気配を感じました。
8月末にはまたそこを再訪するので今からとても楽しみなのですが、北上川のこの場所もまた、人の悲しみや苦しみを超えた自然の有り様が覗える、とても豊かな場所でした。
さて、わたしはこの後松島に一泊して翌日は山元町に向かいました。
町各所の花壇の整理や山下中学校のみなさんとの再会などが目的でしたが、次回8月5日には町のイベントにお邪魔することになっていて、教育委員会の皆さんとはその打ち合わせもしました。
だから、この日の様子はそのときにまとめて報告させていただきます。
8月5日(日)。
山元町では例によって「子どもも大人もみんなで遊び隊」が開催予定です。
田んぼの生き物調査 東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト その7 T3 石巻市女川地区 7/1
テーマ:東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト
2012/07/19 06:03
二日目は前日に引き続き、北上川左岸のうち北上町女川という地区で6枚の田んぼの調査を行いました。
この日は朝からほぼ一日雨。
早朝の沢の生き物調査だけが雨に合わなかったことになりますので、そちらのチームにとってはラッキーなことでした。
女川というのは、北上川河口の南側に位置して原発で知られる女川町が有名ですが、ここはそことはまた違って現在は石巻市、北上町の一地区名です。この場所も川の堤防を越えた津波が谷間の集落に押し寄せて多くの田んぼが浸水し、谷の奥の方ではなんとか被害を免れました。午前中はそうした対照水田のうちの3枚を調査しました。
全般に、前日の北上地区より生き物が多いような印象を受けました。
これもやはり谷に入った分、周囲を林や里山に囲まれて自然が豊かなせいかも知れません。
たとえば…すこし分かりにくいかもしれませんが…
このトレイから生き物たちをピックアップするのですが、ここにはキベリヒラタガムシとカイエビとオタマジャクシがいました。もっと近づかないと分かりませんが、ミジンコやユスリカやコミズムシとかも…
で、これがこの田んぼで見つけた…
ウスバキトンボの幼虫、ヤゴです。顔は確かにトンボですね。
同定の決め手は、お腹のトゲでした。
ここでも向井助教手作りの「田んぼの生きもの観察図鑑(宮城県沿岸部版)」が活躍しましたが、毎回進化を遂げていくこの図鑑もそろそろ完成形に近いものがあります。今回の第3版では実物大写真まで付いていました!
(参加者にはこれがプレゼントされます)
そして、
これがこの田んぼからの収穫でした。
発見種数は全体で37種。わたしは17種でした。
午後。
被災田の調査に向かいました。少しばかり川に向かって走った、こちらはとても開けた場所で、ウミネコたちがたくさん、畔で休んだり田んぼで水を浴びたりしていました。
こちらは牛糞堆肥を散布している様子。
みなさん、耕作地の地力回復に苦労されていました。
向井助教の取材によるとこのお隣の耕作地は水田ではなく牧草地として復旧するのだそうです。
こちらが調査対象となった被災田。
仙台今泉の田んぼと違うのは堆積したヘドロの色でした。灰色に近く、ややヘドロ臭がしました。
これが発見した生き物のリストですが、
ガムシの仲間が豊富で、ハエやカの幼虫も多いのが特徴的です。
やはり飛翔する生き物の移動は盛んと言うことなのでしょうね。
オタマジャクシの数が少なかったのも印象的で、このカエルの存在がポイントかもしれないというのが、向井さんの感想でした。これからの解析結果も楽しみです。
発見種数は午前よりやや少ない32種。被災田に強いわたしは同数の17でした。
今回は2日目が雨でしたが、強い降りではなくほとんどの作業はテントの下で行いましたので、さして苦になることはなかった気がします。うん。でもやはり、スタッフの皆さんの後片付けは容易でないでしょうね。
おかげさまで今回も楽しく調査をさせていただきました。
次は田んぼの中干し期間を置いて、8月の後半に再度3か所の地区を訪ね、これまでに調査した田んぼを再度調べるということでした。ここでは3週連続の調査になるため、その準備や片付けを考えると本当にスタッフの皆さん、特に向井助教のご苦労が想像できて身が引き締まる思いです。
わたしはその最終回で再度仙台今泉と七ヶ浜を訪ねる予定ですが、うーん。今からとても楽しみです。
来週は田んぼではなく、同プロジェクトの「干潟調査」に参加する予定。調査地は今回同様北上川の河口付近だそうです。帰りには久しぶりに山元町を訪ねます。
この日は朝からほぼ一日雨。
早朝の沢の生き物調査だけが雨に合わなかったことになりますので、そちらのチームにとってはラッキーなことでした。
女川というのは、北上川河口の南側に位置して原発で知られる女川町が有名ですが、ここはそことはまた違って現在は石巻市、北上町の一地区名です。この場所も川の堤防を越えた津波が谷間の集落に押し寄せて多くの田んぼが浸水し、谷の奥の方ではなんとか被害を免れました。午前中はそうした対照水田のうちの3枚を調査しました。
全般に、前日の北上地区より生き物が多いような印象を受けました。
これもやはり谷に入った分、周囲を林や里山に囲まれて自然が豊かなせいかも知れません。
たとえば…すこし分かりにくいかもしれませんが…
このトレイから生き物たちをピックアップするのですが、ここにはキベリヒラタガムシとカイエビとオタマジャクシがいました。もっと近づかないと分かりませんが、ミジンコやユスリカやコミズムシとかも…
で、これがこの田んぼで見つけた…
ウスバキトンボの幼虫、ヤゴです。顔は確かにトンボですね。
同定の決め手は、お腹のトゲでした。
ここでも向井助教手作りの「田んぼの生きもの観察図鑑(宮城県沿岸部版)」が活躍しましたが、毎回進化を遂げていくこの図鑑もそろそろ完成形に近いものがあります。今回の第3版では実物大写真まで付いていました!
(参加者にはこれがプレゼントされます)
そして、
これがこの田んぼからの収穫でした。
発見種数は全体で37種。わたしは17種でした。
午後。
被災田の調査に向かいました。少しばかり川に向かって走った、こちらはとても開けた場所で、ウミネコたちがたくさん、畔で休んだり田んぼで水を浴びたりしていました。
こちらは牛糞堆肥を散布している様子。
みなさん、耕作地の地力回復に苦労されていました。
向井助教の取材によるとこのお隣の耕作地は水田ではなく牧草地として復旧するのだそうです。
こちらが調査対象となった被災田。
仙台今泉の田んぼと違うのは堆積したヘドロの色でした。灰色に近く、ややヘドロ臭がしました。
これが発見した生き物のリストですが、
ガムシの仲間が豊富で、ハエやカの幼虫も多いのが特徴的です。
やはり飛翔する生き物の移動は盛んと言うことなのでしょうね。
オタマジャクシの数が少なかったのも印象的で、このカエルの存在がポイントかもしれないというのが、向井さんの感想でした。これからの解析結果も楽しみです。
発見種数は午前よりやや少ない32種。被災田に強いわたしは同数の17でした。
今回は2日目が雨でしたが、強い降りではなくほとんどの作業はテントの下で行いましたので、さして苦になることはなかった気がします。うん。でもやはり、スタッフの皆さんの後片付けは容易でないでしょうね。
おかげさまで今回も楽しく調査をさせていただきました。
次は田んぼの中干し期間を置いて、8月の後半に再度3か所の地区を訪ね、これまでに調査した田んぼを再度調べるということでした。ここでは3週連続の調査になるため、その準備や片付けを考えると本当にスタッフの皆さん、特に向井助教のご苦労が想像できて身が引き締まる思いです。
わたしはその最終回で再度仙台今泉と七ヶ浜を訪ねる予定ですが、うーん。今からとても楽しみです。
来週は田んぼではなく、同プロジェクトの「干潟調査」に参加する予定。調査地は今回同様北上川の河口付近だそうです。帰りには久しぶりに山元町を訪ねます。