干潟の生き物調査 東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト T5 石巻北上川河口地区 7/21,22
テーマ:東日本グリーン復興モニタリングプロジェクト
2012/07/31 10:45
アースウォッチ・ジャパンと東北大学「海と田んぼからのグリーン復興プロジェクト」による、田んぼの生き物調査とは別のもうひとつの活動、「被災した干潟のいきもの調査」にもぜひ一度参加したいと思っていましたが、なかなか仕事やほかの日程との調整が付かずにいました。
いやいや、仕事の方はお客さまや仕事仲間にかなり無理をお願いして、日頃から相当に我慢していただいているというのが本当のところ。ここのところ、PTAのチャリティー活動など新規事業にややのめり込んでおりました。
そんな中で干潟調査のチーム5にようやく参加することが出来ました。
調査地は宮城県石巻市の北上川河口付近。
前回の田んぼの生き物調査で訪れた場所のすぐ近くでした。
田んぼの調査と勝手が違うのは、もちろん扱う生き物からしてまず違うのですが…
こちらは潮の干満に合わせて動かなくてはいけないこと。
集合場所の石巻イオンへの交通は、JR仙石線が震災の影響で寸断されているため仙台から宮城交通の臨時高速バスを利用します。わたしはこの後続けて山元町を訪問する予定でしたから自分のクルマでアプローチできましたが、仙台でバスが混んで参加者全員を乗せきれずに出発したため、それに伴って調査の開始が遅れてしまいました。
このために調査予定の干潟は早々に水没…行けても戻ってこれなくなり、
やむなく満潮のピーク時にはそこも水没するという岸辺での調査となりました。
調査の方法はまず15分を使って発見した生き物をかたはしから捕獲。
次に15ヶ所で掘り返しを行って、そこで発見した生き物を捕獲します。
水棲生物のうち、水底で生活するものを底生生物=ベントスというのだそうですが、今回の調査対象はそれです。
これに対して水中を移動するもののうち、流れに逆らって遊泳するものがネクトン。流れに漂うものがプランクトン、なのだそうですね。
北上川のこのあたりは広大な汽水域となっていて、つまり潮と淡水とが混じり合っているため、生息する生き物には限りがあるということで、種類はあまり多くないものの、ここでしか見られないものも多いのだとか。
たとえばこの、
アリアケモドキというカニはうんざりするくらい見つかりましたが、これも全国的には希少種で、おまけにこの場所が分布の北限なのだそうです。
そして、ごめんなさい。見たくなかった方もおおかったに違いありません。
この中にはたぶんヤマトカワゴカイとイトメとが居るのですが(わたしには見分けがつきません)、このイトメという生き物も生息数が減少しているのだそうです。
この他に、ヒメハマトビムシや
イソコツブムシ。
貝類ではカワザンショウとヤマトシジミ。
2日間で合計7種しかわたしは発見できませんでしたが、全体では13種類ほどだったようです。
これは他の方が捕獲した、
クロベンケイガニ。
そして、アシハラガニです。
やがて同定作業用テントも水没の危機に見舞われ、
初日の調査は終わりました。
全体に収穫は少なかったものの、生き物がとても豊かである証拠にその密度は高く、また震災前の事前の調査時よりも種数は増えているとのことでした。
これは今回の震災後の調査全体に言えることらしく、津波による撹乱で生き物の移動が盛んになり生息域が広がったということでした。時間の経過とともにやがてもとの種数に落ち着いていくのではないかというのが、担当の鈴木先生のご意見でした。
田んぼ調査のリーダーであった向井先生も相当にすごい方でしたが、この鈴木先生もベントス調査においてとても権威のある方です。その調査方法を編み出し、そのための図鑑と調査票を編集し、スタッフTシャツまで作ったという傑物であり、頼もしい牽引者といったところですね。
夜の勉強会では、今回採用した調査方法が何度も試行を重ねた上でいかに妥当と判断できるものであるか、という検証から始まって、そしてこれまで調査経緯に関する講義がありました。(もちろん、これは恒例で酒を飲みながら…)
やはり興味深いのは震災の前後で生き物の出現種数を比較したデータ。
今回の調査地は震災以前から継続的に調査がされてきた場所で、そのデータに震災後の調査結果を重ねることで見えてくるものがとても貴重だと思いました。
示していただいたデータでは震災後に共通する生き物のの種数は一気に減っているのにも関わらず、震災以前には発見されていなかった生き物の種数が増えていることがわかります。
特に桂島や双観山下では震災以前よりも総種数がはるかに上回っているほどです。
ただ、その後の調査の経緯で以前の生き物が徐々に戻ってきて、新規発見の生き物が減ってきている傾向にあることも報告されました。
このことは、人間にとっては計り知れない驚異であり災厄でもあった津波が、水棲生物たちにとっては一時的な環境の変化に過ぎなかったことを表します。また、今回その環境が自然の力で復元されつつある一方で、この撹乱を経てまったく新しい生態系が誕生することも考えられるわけで、このことに人間がどう関わっていくか、そのことを全く考慮せずに強引な自然環境の復元や強引な生態系の改変を行うことの是非について、もっとわれわれは注目していかなくてはならないのだと感じました。
一方で津波の高さと生き物の種数をグラフ化したデータが示すように津波の大きさが生き物に与える影響は、たとえ一時的なものであるにせよ、比例直線で表せるくらいにはっきりしているのも事実。
田んぼ同様、この調査も10年というスタンスで継続されていくことの必要性を思い知りました。
このあたり、田んぼ調査同様に占部教授の言葉がとても強い説得力を持って心に染みたのでした。
前回同様、追分温泉の朝。2日目です。
この日は干潮の時間までに余裕があることから、食後に再度集まって、昨日の調査結果報告と調査に同行した岩手医科大の松政先生の講義がありました。
ここでは松政先生のこれまでの調査結果と、干潟、特に汽水域における生き物の分布などに関する報告があって、これもまた興味深いものでした。
北上川河口のこの干潟は日本有数のヨシ原であったということで、震災の激しい地震で揺すぶられて根を浮かしたヨシたちが、その後の津波で一気に押し流されたという話。その再生への課題などにも興味深いものがありました。
干潮が昼頃といううことで、朝の時間を使って新北上大橋を対岸に渡り、今も町全体が水没したままという長面浦を訪問しました。
橋の南詰には全校児童の7割に当たる74名のお子さんを亡くした大川小学校があり、まずはここで祈りを捧げました。
この場所は次回また仲間との訪問を予定しているのですが、こうした悲しみの気の満ちた場所に立つと、いまでも自分の中心で何かが壊れていくのを感じます。それに耐えられず、ついつい避けてしまう場所ですが山元町の沿岸部同様、この先何度でも訪れなければならない場所のひとつだと思います。
自分にそのことで何が出来る訳ではないのだけれど、せめて忘れないで思い続けることが出来るのでしょうから。
その先の長面地区。
今も水没した町並みの先に、新しく出来た入り江があって新しい干潟が生まれていました。
その先には新しい堤防が完成しつつあることから、いずれここも排水されるのだとか。
もちろん発見されていない遺体も多い石巻地区ですからその調査もあるでしょう。町の復興も、開発が終わったばかりだった広大な水田の復元もあるでしょう。
だからその是非はまったく別として…
それでもこの津波がもたらしたこの新しい自然の姿には、何らかの自然の意思みたいなものを感じないわけにはおれませんでした。
気を取り直して、2日目の調査。
今回は川のかなり中程まで歩いて行くことが出来ました。
さぞや新しい生き物が見つかるに違いない。
そう思い、
目標はチゴガニだ、と夢中で探索しましたが、
見つかったカニはやはり昨日同様のアリアケモドキ。
それもかなりたくさん。大きなものも多い。
まるまると太ったヤマトシジミ。
でも、発見した種数はほぼ昨日と同じでした。
違うのは昨日の大漁がゴカイ類だったのに対して、今回はアリアケモドキだったこと。でも、全体に生き物の層は豊かで何よりみんな元気でした。
鈴木先生を始めスタッフのみなさんは、あまり多くの生き物を見つけられなかったことを申し訳なく言ってくださいましたが、大切なのは多ければ多く少なければ少ないその調査データなのですから。
それにこの調査地で発見総種数13というのは、やはり多いのだそうです。
そしてまたひとつ、東北の被災地であるこの場所から、新しい土地の気を学ぶことが出来ました。
生き物を育む土地土地の気には明確な違いがあって、わたしは近頃歳のせいか、滅法それに感応することが多くなっています。だからこそ余計、悲しみの気に満ちた場所は駄目なのですが、生き物の気配が豊かな場所からはとても温かな希望を感じます。
前々回の七ヶ浜は被災した場所であったにも関わらず、とても濃密な生き物たちの気配を感じました。
8月末にはまたそこを再訪するので今からとても楽しみなのですが、北上川のこの場所もまた、人の悲しみや苦しみを超えた自然の有り様が覗える、とても豊かな場所でした。
さて、わたしはこの後松島に一泊して翌日は山元町に向かいました。
町各所の花壇の整理や山下中学校のみなさんとの再会などが目的でしたが、次回8月5日には町のイベントにお邪魔することになっていて、教育委員会の皆さんとはその打ち合わせもしました。
だから、この日の様子はそのときにまとめて報告させていただきます。
8月5日(日)。
山元町では例によって「子どもも大人もみんなで遊び隊」が開催予定です。
いやいや、仕事の方はお客さまや仕事仲間にかなり無理をお願いして、日頃から相当に我慢していただいているというのが本当のところ。ここのところ、PTAのチャリティー活動など新規事業にややのめり込んでおりました。
そんな中で干潟調査のチーム5にようやく参加することが出来ました。
調査地は宮城県石巻市の北上川河口付近。
前回の田んぼの生き物調査で訪れた場所のすぐ近くでした。
田んぼの調査と勝手が違うのは、もちろん扱う生き物からしてまず違うのですが…
こちらは潮の干満に合わせて動かなくてはいけないこと。
集合場所の石巻イオンへの交通は、JR仙石線が震災の影響で寸断されているため仙台から宮城交通の臨時高速バスを利用します。わたしはこの後続けて山元町を訪問する予定でしたから自分のクルマでアプローチできましたが、仙台でバスが混んで参加者全員を乗せきれずに出発したため、それに伴って調査の開始が遅れてしまいました。
このために調査予定の干潟は早々に水没…行けても戻ってこれなくなり、
やむなく満潮のピーク時にはそこも水没するという岸辺での調査となりました。
調査の方法はまず15分を使って発見した生き物をかたはしから捕獲。
次に15ヶ所で掘り返しを行って、そこで発見した生き物を捕獲します。
水棲生物のうち、水底で生活するものを底生生物=ベントスというのだそうですが、今回の調査対象はそれです。
これに対して水中を移動するもののうち、流れに逆らって遊泳するものがネクトン。流れに漂うものがプランクトン、なのだそうですね。
北上川のこのあたりは広大な汽水域となっていて、つまり潮と淡水とが混じり合っているため、生息する生き物には限りがあるということで、種類はあまり多くないものの、ここでしか見られないものも多いのだとか。
たとえばこの、
アリアケモドキというカニはうんざりするくらい見つかりましたが、これも全国的には希少種で、おまけにこの場所が分布の北限なのだそうです。
そして、ごめんなさい。見たくなかった方もおおかったに違いありません。
この中にはたぶんヤマトカワゴカイとイトメとが居るのですが(わたしには見分けがつきません)、このイトメという生き物も生息数が減少しているのだそうです。
この他に、ヒメハマトビムシや
イソコツブムシ。
貝類ではカワザンショウとヤマトシジミ。
2日間で合計7種しかわたしは発見できませんでしたが、全体では13種類ほどだったようです。
これは他の方が捕獲した、
クロベンケイガニ。
そして、アシハラガニです。
やがて同定作業用テントも水没の危機に見舞われ、
初日の調査は終わりました。
全体に収穫は少なかったものの、生き物がとても豊かである証拠にその密度は高く、また震災前の事前の調査時よりも種数は増えているとのことでした。
これは今回の震災後の調査全体に言えることらしく、津波による撹乱で生き物の移動が盛んになり生息域が広がったということでした。時間の経過とともにやがてもとの種数に落ち着いていくのではないかというのが、担当の鈴木先生のご意見でした。
田んぼ調査のリーダーであった向井先生も相当にすごい方でしたが、この鈴木先生もベントス調査においてとても権威のある方です。その調査方法を編み出し、そのための図鑑と調査票を編集し、スタッフTシャツまで作ったという傑物であり、頼もしい牽引者といったところですね。
夜の勉強会では、今回採用した調査方法が何度も試行を重ねた上でいかに妥当と判断できるものであるか、という検証から始まって、そしてこれまで調査経緯に関する講義がありました。(もちろん、これは恒例で酒を飲みながら…)
やはり興味深いのは震災の前後で生き物の出現種数を比較したデータ。
今回の調査地は震災以前から継続的に調査がされてきた場所で、そのデータに震災後の調査結果を重ねることで見えてくるものがとても貴重だと思いました。
示していただいたデータでは震災後に共通する生き物のの種数は一気に減っているのにも関わらず、震災以前には発見されていなかった生き物の種数が増えていることがわかります。
特に桂島や双観山下では震災以前よりも総種数がはるかに上回っているほどです。
ただ、その後の調査の経緯で以前の生き物が徐々に戻ってきて、新規発見の生き物が減ってきている傾向にあることも報告されました。
このことは、人間にとっては計り知れない驚異であり災厄でもあった津波が、水棲生物たちにとっては一時的な環境の変化に過ぎなかったことを表します。また、今回その環境が自然の力で復元されつつある一方で、この撹乱を経てまったく新しい生態系が誕生することも考えられるわけで、このことに人間がどう関わっていくか、そのことを全く考慮せずに強引な自然環境の復元や強引な生態系の改変を行うことの是非について、もっとわれわれは注目していかなくてはならないのだと感じました。
一方で津波の高さと生き物の種数をグラフ化したデータが示すように津波の大きさが生き物に与える影響は、たとえ一時的なものであるにせよ、比例直線で表せるくらいにはっきりしているのも事実。
田んぼ同様、この調査も10年というスタンスで継続されていくことの必要性を思い知りました。
このあたり、田んぼ調査同様に占部教授の言葉がとても強い説得力を持って心に染みたのでした。
前回同様、追分温泉の朝。2日目です。
この日は干潮の時間までに余裕があることから、食後に再度集まって、昨日の調査結果報告と調査に同行した岩手医科大の松政先生の講義がありました。
ここでは松政先生のこれまでの調査結果と、干潟、特に汽水域における生き物の分布などに関する報告があって、これもまた興味深いものでした。
北上川河口のこの干潟は日本有数のヨシ原であったということで、震災の激しい地震で揺すぶられて根を浮かしたヨシたちが、その後の津波で一気に押し流されたという話。その再生への課題などにも興味深いものがありました。
干潮が昼頃といううことで、朝の時間を使って新北上大橋を対岸に渡り、今も町全体が水没したままという長面浦を訪問しました。
橋の南詰には全校児童の7割に当たる74名のお子さんを亡くした大川小学校があり、まずはここで祈りを捧げました。
この場所は次回また仲間との訪問を予定しているのですが、こうした悲しみの気の満ちた場所に立つと、いまでも自分の中心で何かが壊れていくのを感じます。それに耐えられず、ついつい避けてしまう場所ですが山元町の沿岸部同様、この先何度でも訪れなければならない場所のひとつだと思います。
自分にそのことで何が出来る訳ではないのだけれど、せめて忘れないで思い続けることが出来るのでしょうから。
その先の長面地区。
今も水没した町並みの先に、新しく出来た入り江があって新しい干潟が生まれていました。
その先には新しい堤防が完成しつつあることから、いずれここも排水されるのだとか。
もちろん発見されていない遺体も多い石巻地区ですからその調査もあるでしょう。町の復興も、開発が終わったばかりだった広大な水田の復元もあるでしょう。
だからその是非はまったく別として…
それでもこの津波がもたらしたこの新しい自然の姿には、何らかの自然の意思みたいなものを感じないわけにはおれませんでした。
気を取り直して、2日目の調査。
今回は川のかなり中程まで歩いて行くことが出来ました。
さぞや新しい生き物が見つかるに違いない。
そう思い、
目標はチゴガニだ、と夢中で探索しましたが、
見つかったカニはやはり昨日同様のアリアケモドキ。
それもかなりたくさん。大きなものも多い。
まるまると太ったヤマトシジミ。
でも、発見した種数はほぼ昨日と同じでした。
違うのは昨日の大漁がゴカイ類だったのに対して、今回はアリアケモドキだったこと。でも、全体に生き物の層は豊かで何よりみんな元気でした。
鈴木先生を始めスタッフのみなさんは、あまり多くの生き物を見つけられなかったことを申し訳なく言ってくださいましたが、大切なのは多ければ多く少なければ少ないその調査データなのですから。
それにこの調査地で発見総種数13というのは、やはり多いのだそうです。
そしてまたひとつ、東北の被災地であるこの場所から、新しい土地の気を学ぶことが出来ました。
生き物を育む土地土地の気には明確な違いがあって、わたしは近頃歳のせいか、滅法それに感応することが多くなっています。だからこそ余計、悲しみの気に満ちた場所は駄目なのですが、生き物の気配が豊かな場所からはとても温かな希望を感じます。
前々回の七ヶ浜は被災した場所であったにも関わらず、とても濃密な生き物たちの気配を感じました。
8月末にはまたそこを再訪するので今からとても楽しみなのですが、北上川のこの場所もまた、人の悲しみや苦しみを超えた自然の有り様が覗える、とても豊かな場所でした。
さて、わたしはこの後松島に一泊して翌日は山元町に向かいました。
町各所の花壇の整理や山下中学校のみなさんとの再会などが目的でしたが、次回8月5日には町のイベントにお邪魔することになっていて、教育委員会の皆さんとはその打ち合わせもしました。
だから、この日の様子はそのときにまとめて報告させていただきます。
8月5日(日)。
山元町では例によって「子どもも大人もみんなで遊び隊」が開催予定です。