さてと
テーマ:思い
2011/05/23 00:13
昨年と同じ状況に陥りつつあると分かり、とりあえずここでいったん今日の仕事は中断。
と言ってもそろそろ眠っておいた方が良さそうな時間ですね。
案の定、4月18日の退院以降、ずっと休みが取れておらず、この先もしばらく休む見通しが立たずにいます。
キャンプ場、川越の現場への復帰、続けて行田の現場の着工…だけなら何と言うことも無かったのですが、溜めてしまった細かなメンテナンスや単発の仕事を合間にこなして、設計・見積もりの仕事を夜間に片付けていくうちに、睡眠時間が徐々に減り、またしてもブログの管理ページを開く時間が持てなくなってしまいました。
ブログの更新が無いと、本当にいろいろな方が心配して下さり、また体調を崩したのではないかとのメールを幾度も頂きました。
昨年のこともあり無理をしたくは無いのですが、毎日のように頂く新しいお仕事の話は、どれもわたしを頼って下さる内容のものばかり…
ブログでわたしの様子を知り、連絡を差し控えて下さるクライアントの方もいて下さり、ありがたいやら情けないやら…
それでも、そうした皆さんに支えられていることが分かれば、ますます何とかしなくてはならないと思う毎日です。
私生活でもこの春から娘の中学でPTA会長を仰せつかることになり、ここしばらく週に数日の夜はそれに費やされておりますが、それとてこのようなわたしを期待して下さる方たちが居てのこと。いい加減な気持ちでは務められません。
まして、被災地では学校教育の場に大きな打撃を受けており、PTA活動の中で子供たちに直接届く形での継続的で息の長い支援が求められています。この一年のPTA活動ではそうした活動も模索していかなければならず、ただ慣習的な業務を片付けてやり過ごせばよいという気にはなれません。近々近隣のPTAとも連携をとって最初の義援金のまた次の支援活動を検討しなくてはならないと思っているところです。
ゴールデンウィーク以前にご依頼を受けた設計すらまだ手つかずで居るのに、何を生意気なことを…とは、まず最初に自分自身が問いかけなければならないところですが、しかし、それでも今回は、強く心に期すところがあります。
ブログも続ける、仕事も受け続ける、そして誠心誠意素敵な庭を作り続ける、PTA活動や地域活動も前向きに取り組む、しかし決して身体を壊さない…もう二度とみなさんにご心配はかけない。
もとより設計と施工とマネージメントを一人ですべてこなすことに無理があるのだと、そう助言して下さる方もいらっしゃいます。しごく当然でまともなお言葉です。
が、これだけわがままでやりたい放題の仕事に家族以外の誰かを巻き込むのは犯罪的ですし、そもそもそれに見合うお給料を払う自信がありません。そうした経費の負担を、お客さまに振り向けるわけにはいかないという思いから、この仕事をスタートしてしまったものですから…
うん。
しかし、どこかに根本的で致命的でそれでも修復可能な問題があるのかも知れません。
この先、その課題についても仕事の合間に検討していくことにしましょう。
と言うわけで(文脈があまり繋がっていませんが)、いまだ元気で意気盛んです。
そろそろブログ中断が3週に及びそうなことに気付き、取り留めのないことを書いてしまいました。
次はも少し肩の力を抜きますので、よろしくお願いします!
と言ってもそろそろ眠っておいた方が良さそうな時間ですね。
案の定、4月18日の退院以降、ずっと休みが取れておらず、この先もしばらく休む見通しが立たずにいます。
キャンプ場、川越の現場への復帰、続けて行田の現場の着工…だけなら何と言うことも無かったのですが、溜めてしまった細かなメンテナンスや単発の仕事を合間にこなして、設計・見積もりの仕事を夜間に片付けていくうちに、睡眠時間が徐々に減り、またしてもブログの管理ページを開く時間が持てなくなってしまいました。
ブログの更新が無いと、本当にいろいろな方が心配して下さり、また体調を崩したのではないかとのメールを幾度も頂きました。
昨年のこともあり無理をしたくは無いのですが、毎日のように頂く新しいお仕事の話は、どれもわたしを頼って下さる内容のものばかり…
ブログでわたしの様子を知り、連絡を差し控えて下さるクライアントの方もいて下さり、ありがたいやら情けないやら…
それでも、そうした皆さんに支えられていることが分かれば、ますます何とかしなくてはならないと思う毎日です。
私生活でもこの春から娘の中学でPTA会長を仰せつかることになり、ここしばらく週に数日の夜はそれに費やされておりますが、それとてこのようなわたしを期待して下さる方たちが居てのこと。いい加減な気持ちでは務められません。
まして、被災地では学校教育の場に大きな打撃を受けており、PTA活動の中で子供たちに直接届く形での継続的で息の長い支援が求められています。この一年のPTA活動ではそうした活動も模索していかなければならず、ただ慣習的な業務を片付けてやり過ごせばよいという気にはなれません。近々近隣のPTAとも連携をとって最初の義援金のまた次の支援活動を検討しなくてはならないと思っているところです。
ゴールデンウィーク以前にご依頼を受けた設計すらまだ手つかずで居るのに、何を生意気なことを…とは、まず最初に自分自身が問いかけなければならないところですが、しかし、それでも今回は、強く心に期すところがあります。
ブログも続ける、仕事も受け続ける、そして誠心誠意素敵な庭を作り続ける、PTA活動や地域活動も前向きに取り組む、しかし決して身体を壊さない…もう二度とみなさんにご心配はかけない。
もとより設計と施工とマネージメントを一人ですべてこなすことに無理があるのだと、そう助言して下さる方もいらっしゃいます。しごく当然でまともなお言葉です。
が、これだけわがままでやりたい放題の仕事に家族以外の誰かを巻き込むのは犯罪的ですし、そもそもそれに見合うお給料を払う自信がありません。そうした経費の負担を、お客さまに振り向けるわけにはいかないという思いから、この仕事をスタートしてしまったものですから…
うん。
しかし、どこかに根本的で致命的でそれでも修復可能な問題があるのかも知れません。
この先、その課題についても仕事の合間に検討していくことにしましょう。
と言うわけで(文脈があまり繋がっていませんが)、いまだ元気で意気盛んです。
そろそろブログ中断が3週に及びそうなことに気付き、取り留めのないことを書いてしまいました。
次はも少し肩の力を抜きますので、よろしくお願いします!
フォレストサンズ長瀞キャンプ場 事のなりゆき1
テーマ:しごと
2011/05/04 06:20
案の定、ゴールデンウィークは楽しく仕事に専念しています。
日中の現場と、溜まった日常業務と、数本の設計を抱えるとさすがに睡眠時間が4時間を切りますが、4月の後半には先行してたっぷり三食昼寝付読書三昧の優雅な病院生活を過ごしてありますので、そのお返しのつもりでがんばってはおります。
が、そもそも手の怪我が仕事のしすぎをセーブしようとするなにものかの思し召しかもしれず、だとすればここでのハードワークはいけないことかも知れませんね。
ここ数日で仕事がひと段落したら、連休後のさらなる多忙に備えて1日くらいはのんびりしたいものです。
さて、入院ですっかり竣工の遅れてしまった川越の仕事と数件の小さな仕事と並行して、キャンプ場の造成も着々と進んでいます。
ゴールデンウィークに入ってからは残っていた針葉樹たちを一気に植え込んでもらいました。

明日からは整形しながら芝張りが始まります。
そして、滝を中心とした水場の下地が完成し、

昨日からは鉄筋を溶接しながら造形が始まりました。

これにラス網を巻いて形を整え、左官のみなさんがモルタルで岩山を作っていくことになります。(空洞になる内側はコンクリートの充填です)

この地面の下は巨大な岩盤です。
このコンクリート躯体も、その岩の表面をはつって基礎を埋め込みました。

長瀞の岩畳はつとに有名ですが、おそらくはそれに連なる大きな岩塊がこの下に埋まっているのでしょう。
この地方に余震が少なく、あってももう3以上になることがないのも、うなずけます。
(神戸の例があるので、全面的には信じていませんが)
いくら自社施工といえ、後で倒壊したり水漏れしたりするような物を作る訳にはいきませんから、とりあえず今のところは安心して見ています。(デザインとコーディネートを終えたわたしには、後はただ見守るしかないのですが)
6月の完成、7月のオープン(たぶん)に向けて、みんな連休返上で頑張っています。

よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
日中の現場と、溜まった日常業務と、数本の設計を抱えるとさすがに睡眠時間が4時間を切りますが、4月の後半には先行してたっぷり三食昼寝付読書三昧の優雅な病院生活を過ごしてありますので、そのお返しのつもりでがんばってはおります。
が、そもそも手の怪我が仕事のしすぎをセーブしようとするなにものかの思し召しかもしれず、だとすればここでのハードワークはいけないことかも知れませんね。
ここ数日で仕事がひと段落したら、連休後のさらなる多忙に備えて1日くらいはのんびりしたいものです。
さて、入院ですっかり竣工の遅れてしまった川越の仕事と数件の小さな仕事と並行して、キャンプ場の造成も着々と進んでいます。
ゴールデンウィークに入ってからは残っていた針葉樹たちを一気に植え込んでもらいました。

明日からは整形しながら芝張りが始まります。
そして、滝を中心とした水場の下地が完成し、

昨日からは鉄筋を溶接しながら造形が始まりました。

これにラス網を巻いて形を整え、左官のみなさんがモルタルで岩山を作っていくことになります。(空洞になる内側はコンクリートの充填です)

この地面の下は巨大な岩盤です。
このコンクリート躯体も、その岩の表面をはつって基礎を埋め込みました。

長瀞の岩畳はつとに有名ですが、おそらくはそれに連なる大きな岩塊がこの下に埋まっているのでしょう。
この地方に余震が少なく、あってももう3以上になることがないのも、うなずけます。
(神戸の例があるので、全面的には信じていませんが)
いくら自社施工といえ、後で倒壊したり水漏れしたりするような物を作る訳にはいきませんから、とりあえず今のところは安心して見ています。(デザインとコーディネートを終えたわたしには、後はただ見守るしかないのですが)
6月の完成、7月のオープン(たぶん)に向けて、みんな連休返上で頑張っています。

よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
ヤマザクラ~慰霊登山
テーマ:思い
2011/04/26 05:31
例年は年末か年始に娘と出かけていた、恒例の慰霊登山…
昨年末は病気が重って行けなかったので、いっそヤマザクラの季節にと思って予定していたのが今月半ばの週末でした。
が、それも手の手術の為に一週間遅れとなってしまいました。
でも、おかげで天気には恵まれたかな?

さすがに、先日の雨もあってヤマザクラの多くはすでに散り始めていました。

花びらが敷き詰められた山道は早朝だけに人も少なく、存分にその風情を味わうことが出来ました。

さて、どうして慰霊登山なのかというと…

「もしわたしが先に死んだら、墓には入れないで散骨にしてほしい」というのが、亡くなるずっと前からの家内の遺言でした。
葬式も挙げない、僧侶も呼ばず読経もせず、できれば人も呼ばずに身内だけで見送って欲しい。
頑固で個性的な家内であったし、わたしもそれにはやや劣るものの頑固で個性的でしたので、結婚してすぐに墓を作らないことを申し合わせ、死後の処理についてもそのように取り決めていました。
価値観のかなり違う夫婦でしたが、そのことだけは不思議と考えが一致していました。
わたしの葬儀や墓に関する考え方はインドで暮らしたときに生まれたものが多いのですが、家内の場合、それがどこから来たものなのか、今となれば正確に語ることは出来ません。
ただ、田舎の旧い家に生まれ、長女として家長制度をたたき込まれた彼女なりの、したたかな抵抗であったのかもしれません。
そして、彼女が亡くなったとき、わたしは周囲の意向を一切無視して、彼女の遺志だけを忠実に実行しました。
葬儀は挙げず、僧侶を呼ばず、彼女の身内とわたしたち家族だけで彼女を荼毘に付しました。
義理の兄は、
「俺にはとても理解できないことだけど、お前の好きなようにやってくれ。親父には俺から話しておくから…」
そう言ってくれました。ありがたいことでした。
生前の家内の考えを良く聞かされていた義理の妹は、黙って付き合ってくれました。
家内はただ、「荒川に流してくれたらいい」とだけ言っていました。
それを聞かず一部の骨をこの山に撒いたのは、まったくわたしの独断でした。
川に全て流してしまったら、どこに向かって彼女の冥福を祈ればよいのか、分からなかったから…
そう。
葬式も墓も、読経も、人の死に際してわれわれの行うことのすべてが、死者の為というより残された生者の為のものだということが良く分かります。
山に散骨したところで、死者の魂がそこに留まるはずがなく、彼女はこの山に居るわけではありません。
彼女を亡くした年にたまたま流行った「千の風になって」は、とても重い符号となりました。
けれど、それでもわたしたち親子は自分たちの気持ちのけじめを付けるため、毎年この山に登ってきたのでした。

登るほどに空気が澄み、冷ややかになります。
だから、山頂付近の桜はまだまだ健在でした。
サクラは、青い空にとても映えます。

生前、家内が賛同してなにかと支援していたNPOがあって、それはこの近くにサクラの森を作り、そこに散骨するという樹木葬を進める会でした。
だから、わたしはこの山の山頂から少し分け入ったところにある大きなヤマザクラの足元に、家内の骨を散骨しました。
そのサクラは残念ながらほとんど花びらを散らした後でしたが、それでもまだ、わずかな花びらを残していてくれました。

娘と手を合わせ、そこにはたぶん居ないであろう家内に、昨年と今年に起こったことの数々を報告し、これからも娘を見守ってくれるよう頼みました。今年この国が見舞われた災厄について報告し、その不幸の数々が少しでも早く鎮まるよう祈りました。
神ならぬ身の家内には迷惑な話であったかもしれません。
葬式の在り方、死者の供養の仕方、墓に対する考え方は様々です。
そのことについてわたしなりの意見や考え方を述べることは出来ますが、しかし、そのことについて誰かと議論する気にはなりません。
対立する考えがあるとすれば、それは誰もが知り得ない「真理」を巡っていつまでも対立し続けるよりない、とても不毛なものになりかねないからです。
さらに、わたしは家内のことを引き合いには出したくないし、彼女の考え方を改めて披瀝する気もない…
それはとても個人的で、特別なことであるとそう思いたいのかもしれません。

もくもくと歩くわれわれ親子の足元には、本当にずっと、麓から山頂に至るまでの間ずっと、淡い紫のスミレが咲き乱れていたのでした。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
昨年末は病気が重って行けなかったので、いっそヤマザクラの季節にと思って予定していたのが今月半ばの週末でした。
が、それも手の手術の為に一週間遅れとなってしまいました。
でも、おかげで天気には恵まれたかな?

さすがに、先日の雨もあってヤマザクラの多くはすでに散り始めていました。

花びらが敷き詰められた山道は早朝だけに人も少なく、存分にその風情を味わうことが出来ました。

さて、どうして慰霊登山なのかというと…

「もしわたしが先に死んだら、墓には入れないで散骨にしてほしい」というのが、亡くなるずっと前からの家内の遺言でした。
葬式も挙げない、僧侶も呼ばず読経もせず、できれば人も呼ばずに身内だけで見送って欲しい。
頑固で個性的な家内であったし、わたしもそれにはやや劣るものの頑固で個性的でしたので、結婚してすぐに墓を作らないことを申し合わせ、死後の処理についてもそのように取り決めていました。
価値観のかなり違う夫婦でしたが、そのことだけは不思議と考えが一致していました。
わたしの葬儀や墓に関する考え方はインドで暮らしたときに生まれたものが多いのですが、家内の場合、それがどこから来たものなのか、今となれば正確に語ることは出来ません。
ただ、田舎の旧い家に生まれ、長女として家長制度をたたき込まれた彼女なりの、したたかな抵抗であったのかもしれません。
そして、彼女が亡くなったとき、わたしは周囲の意向を一切無視して、彼女の遺志だけを忠実に実行しました。
葬儀は挙げず、僧侶を呼ばず、彼女の身内とわたしたち家族だけで彼女を荼毘に付しました。
義理の兄は、
「俺にはとても理解できないことだけど、お前の好きなようにやってくれ。親父には俺から話しておくから…」
そう言ってくれました。ありがたいことでした。
生前の家内の考えを良く聞かされていた義理の妹は、黙って付き合ってくれました。
家内はただ、「荒川に流してくれたらいい」とだけ言っていました。
それを聞かず一部の骨をこの山に撒いたのは、まったくわたしの独断でした。
川に全て流してしまったら、どこに向かって彼女の冥福を祈ればよいのか、分からなかったから…
そう。
葬式も墓も、読経も、人の死に際してわれわれの行うことのすべてが、死者の為というより残された生者の為のものだということが良く分かります。
山に散骨したところで、死者の魂がそこに留まるはずがなく、彼女はこの山に居るわけではありません。
彼女を亡くした年にたまたま流行った「千の風になって」は、とても重い符号となりました。
けれど、それでもわたしたち親子は自分たちの気持ちのけじめを付けるため、毎年この山に登ってきたのでした。

登るほどに空気が澄み、冷ややかになります。
だから、山頂付近の桜はまだまだ健在でした。
サクラは、青い空にとても映えます。

生前、家内が賛同してなにかと支援していたNPOがあって、それはこの近くにサクラの森を作り、そこに散骨するという樹木葬を進める会でした。
だから、わたしはこの山の山頂から少し分け入ったところにある大きなヤマザクラの足元に、家内の骨を散骨しました。
そのサクラは残念ながらほとんど花びらを散らした後でしたが、それでもまだ、わずかな花びらを残していてくれました。

娘と手を合わせ、そこにはたぶん居ないであろう家内に、昨年と今年に起こったことの数々を報告し、これからも娘を見守ってくれるよう頼みました。今年この国が見舞われた災厄について報告し、その不幸の数々が少しでも早く鎮まるよう祈りました。
神ならぬ身の家内には迷惑な話であったかもしれません。
葬式の在り方、死者の供養の仕方、墓に対する考え方は様々です。
そのことについてわたしなりの意見や考え方を述べることは出来ますが、しかし、そのことについて誰かと議論する気にはなりません。
対立する考えがあるとすれば、それは誰もが知り得ない「真理」を巡っていつまでも対立し続けるよりない、とても不毛なものになりかねないからです。
さらに、わたしは家内のことを引き合いには出したくないし、彼女の考え方を改めて披瀝する気もない…
それはとても個人的で、特別なことであるとそう思いたいのかもしれません。

もくもくと歩くわれわれ親子の足元には、本当にずっと、麓から山頂に至るまでの間ずっと、淡い紫のスミレが咲き乱れていたのでした。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/