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HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~再開

テーマ:HANAsakasoプロジェクト
まったく…

山元町に行かないとブログを更新できないのか、と言うほど日常では慌ただしい毎日を過ごしておりました。

おかげさまで次々と仕事のご依頼を頂いて、現場だけでなく常に設計を抱える毎日が、なかなか自分と向き合う時間を与えてくれませんでした。
それはそれでとてもありがたいこと。

でも何よりも心にあったのは、次に山元町を訪れるために出来るだけ抱える仕事の量を減らし、いろいろな方にご迷惑を掛けないで済むように準備しておくことでした。

今回の活動再開にあたって、しかし現在進行中の現場ではお客様に休工のご了解を(快く!)いただき、数件の設計ではご猶予を温かく、あるいは一方的にいただき、そのようにして相も変わらず様々な方のご好意に甘えています。

そのようにして、2か月ぶりの山元町に、今回は娘と共に訪れました。

自宅を昨日の深夜1時に出発。
本当は日中の仕事と夜のPTA活動を終えてから資材の積み込みの予定でしたので一睡も出来ない筈でしたが、幸か不幸か久しぶりの雨で現場を休ませて頂くことができたため、日中のうちに資材の準備することが出来て3時間ほどの仮眠をとれたのは幸いなことでした。
…そして案の定、昨日はとてもとてもハードな一日となったのでした。

7時過ぎに坂元町に入って、まず向かったのは2日目に花鉢を配る予定の仮設住宅です。

山元町仮設住宅 中山地区


前回配りきれなかった4か所およそ400軒のお宅に花の寄せ植え鉢を配るのが今回の第一の目的です。
武内さんが8日に山下中学校に乗り込み、中学生たちや地元の花のボランティアのみなさんと一緒になって、すでに鉢は製作済みということでした。

新聞などでも報道されていましたが、被災地で一番防寒対策の遅れていると言われる宮城県の仮設住宅で、この日も2か所で断熱工事が行われていましたが、ほとんどがまだ手つかずの状態でした。完了予定が年内いっぱいという情報に、心が痛みます。

山元町仮設住宅 旧坂元中


4か所の仮設住宅の下見を終え、もうひとつ活動が予定されている坂元地区にわれわれは向かいました。

坂元地区のこのあたりは山元町の中でも特に被害の大きかった場所。

坂元地区 駅西より国道を望む


がれきの撤去こそ大方終えているものの、半壊住宅の片付けは始まったばかりで、その先の復興への道のりはまだまだ遠いように感じられます。
ほんとうにどこから手をつければ良いのかとい感じがして、悄然とさせられます。

坂元地区 駅西より海側を望む


そこからまっすぐ西に、つまり海側に向かったところにJR常磐線の坂元駅があります。

線路が流され、駅舎のほとんどが流されたり解体されたりしましたが、ここにはまだプラットホームと駅舎の一部と、駅舎に守られるようにして残った案内板が残っていました。

坂元駅 残された駅舎の一部


坂元駅より海側を望む


坂元駅より山側を望む


坂元駅前 案内板


武内さんからの連絡によれば、ここが HANA sakaso プロジェクト with mother Love にとってふたつめの活動の舞台になるとのことでした。
ここに土をいれて塩害に強い菜の花の種をまき、いろいろな花を咲かせたい!

訪れる方の絶えないこの場所は山元町の被災の象徴的な場所。
同時にこれからの復興の基点のひとつとなるべき場所です。
残された駅舎によって津波から流出を守られたという、子どもたちの描いた絵があって、それを以前の記事で紹介しました。
ここは震災と津波の被害を象徴する場所でありながら、復興と復幸に向けた希望の出発点でもあるわけで、ここで次の活動を始められるというのは、とても素敵なことだと思いました。

その後、いったん山下中学に戻ってここで武内さんや栃木県から届けられた土を積んだ大型ダンプと合流しました。

中学校には、きれいに植え込まれた花鉢が整然と並んでいます。

花鉢たち01


今回は花ボランティアのみなさんはもちろん、中学生たちも大勢製作に関わってくれて500鉢があっという間に出来上がってしまったという事でした。

花鉢たち


さあ、明日はまたこれを頑張って届けるぞ…
と言う前にハードな仕事が待っておりました。

大型ダンプ一杯の黒土…
これは栃木県黒磯の田村建設さんのご厚意で届けられたもので、明日は社長さんご夫婦も花鉢のお届けに加わってくださるということですが、まずはこの土を先ほど見てきたばかりの坂元駅の駅前に敷きならしていかなくてはならない…みたいなのです。
いったい何人で?

もちろんそこには武内さんとわたしたち親子の3人だけ。

明日の町議会議員選挙で町の職員さんたちは大忙しだし、学校は土曜日で休みだし。
それはもうわれわれ3人だけでやらなくてはならないでしょう。
昨日から風邪による咳と腰痛に苦しむ武内さんと、睡眠不足気味のわたしと、中学3年の娘と3人…
そこに途中からありがたいことに地元で中学校の先生をされている菅野さんという方が、今回の活動に共鳴してくださり、飛び入りで参加してくれたのはとても心強く、戦力的にもありがたい事でした。

坂元駅前 菅野さん


ここでは急きょ慌てて積み込んだわたしの草刈り機が威力を発揮し、ガレキの中に埋もれた基礎の鉄筋や電柱の支線と戦いながら雑草を刈り払い、武内さんたちがさらに手刈りして山積みされた枯草を、娘が一輪車で運び出すという分担で作業が進みましした。

坂元駅前 除草


坂元駅前 枯草撤去


その間もほんとうに多くの方がこの地を訪れます。
見学の方も多いのですが、中にはもともとこのあたりに住んでおられたという方、娘さんの嫁ぎ先があったという方、測量作業の方、別の場所でボランティアをされている方など、絶えることがありません。

そうしたみなさんとお話をしたり、共同作業のお約束をしたり、これからの活動を紹介したりしながら、さすがにみんなヘトヘトになりながらの作業が続きました。

その後、一か所に仮置きされた黒土をトラックに運んでまた下ろすという作業が待っています。

坂元駅前 土、積み込み


少し中学生の娘には過酷だったかもしれませんが…

駅前の壊れて商店の裏に湧水がこんこんと湧いていて、それが気持ちにうるおいを与えてくれたのがとても大きな支えとなりました。

坂元駅前 湧水


湧水の先には芹が茂ってこの付近で唯一といって良い濃い緑を生み出してくれており、奇跡的に育った「根性の稲穂」(すでに穂は落ちていましたが…)もあり、武内さんの言うようにまさに小さなビオトープには生命が溢れていました。

坂元駅前 根性の稲穂


そういった意味でも、この場所はやはり特別なのだろうと感じますし、だからこそ、ここに土を入れて寒咲き菜の花の種をまき、水仙の球根を植えこみ、その他たくさんの花で埋めつくして、来る来年の3月11日は大勢の人にこの場所に集ってもらいたいという気持ちを強くしました。

明日は花鉢の配布を行い、その後またここに戻って大勢の仲間と土を入れたり種をまいたりする予定です。

昨日は暗くなるまで、まずは土運びに励んだのでした。

坂元駅前 土おろし





みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。

HANA sakaso プロジェクト with mother Love




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HANA sakaso プロジェクト in 宮城県山元町 ~それからと言うもの

テーマ:HANAsakasoプロジェクト

HANA sakaso プロジェクト with mother Loveの最初の活動から早1ヶ月。

すっかり途切れてしまったブログに、さてはまたまた慌ただしい日常に埋没して溺れているなとご推察いただいていることと思います。
まったくそのとおりです。

本当にどういう時の采配か、プロジェクトの直前まで途絶えていた仕事が終了後には殺到して、この一か月の間に大小合わせて7件の仕事を終え、今また大きな仕事を3件抱えているところ。お打合せ中が2件。

慌ただしさはいつものことながら、それでも束の間ものを考える時間を持つ時に、思い知らされることがあります。

山元町以前と山元町以後…、その間にあったいくつかの変化。



その変化のうち最も顕著なのがクルマの運転でしょうか。

被災地で1週間たっぷりクルマの運転をしてきたわたしは、今では以前のようにスピードを出したり、右折待ちや合流待ちをしているクルマを無視したり、無理な追い越しをしたり、信号が黄色の交差点に進入したり、まして横断歩道に立つ歩行者のまえを素通りしたり出来なくなってしまいました。
当たり前のことだと笑われてしまうかもしれません。それはまったくルールやマナーに従ったごく当たり前の運転です。
でも、それがなかなか出来ていないのが現実で、皆、先を争うように慌ただしくクルマの運転をしています。わたしも忙しい時はついやってしまい、後で後悔することが良く有りました。
それがすっかり出来なくなったのですから、わたしの後ろについたクルマにとっては、とても迷惑なことだと思います。申し訳ないけれど、勘弁してもらうより仕方ありません。

対向車や歩行者をないがしろにしたり無視したり出来るのは、それがまったくの他人で、相手にとっても自分が匿名の存在だからだと思います。
それが被災地で運転をしていると、対向車の人も、歩いている人も、みんな震災で被災した人かも知れず、もしかしたら自分が花を配った方かもしれない、その家族や親せきかもしれないと思ってしまうのです。そうなればもう、無茶な運転など出来ません。まして他県ナンバーのクルマが自分勝手な運転をしたりすれば、それはとても恥ずかしいことです。

さらに被災地に流れるゆったりした時間の中では、花を配った時もそうでしたが、本当に焦ったり慌てたりすることがバカバカしく思われてきます。
まだまだ復興までには長い時間が掛るから、今はじっくり構えてゆっくり取り組んでいこう。でないと途中で疲れて心まで挫けてしまう… 頑張らなくていい、慌てなくていい…
そうした被災地のみなさんの姿勢に、わたしも大きな影響も受けたのかもしれません。


震災後しばらく続けていた交差点でのアイドリングストップも、もう一度始めることにしました。
先日、前を走っていた年配の運転手さんが信号ごとにエンジンの入り切りをされているのを見て考えたのですが、やはり、あの時のことを忘れてはいけない。
CO2排出より何より(わたしのトラックだとエンジン始動時の瞬間的な排出量が高くて、ストップしても余り意味が無かったりして…)、一滴のガソリンも無駄にしないというあの気持ちを忘れたら、やはりお終いだと思いなおしました。
節電もそうですが、それは震災直後の、みんなで厳しい状況を共有しよう、被災地の皆さんの苦しみを分かち合おうという気持ちの表れでもあったと思います。
信号ごととは言わないまでも、目の前で赤に変わったばかりであるとか、明らかに長い信号待ちになると分かっているときとか、踏切の電車通過待ちの時とかだけでもいい…
そんな風に思っています。


涙もろくもなりました。(実は歳のせいだけかもしれませんが)
震災関係のニュースや記事はもちろんですが、人の生死や子どもに関する話題などは特に弱い。
心の振幅が大きくなったこと。
心の表現がストレートになったこと。
それらも山元町でいろいろな方と触れ合ったことと、無縁ではないと思っています。


このようにして、今回の活動を通して、わたしも少しくらいは成長できたのかも知れません。
それはとてもありがたい事です。


このようなわたしのささやかな経験とそこから生まれた思いを、中学生たちの前で話してみないかという、ありがたいお話があります。
わたしの娘が通っている中学校なのですが、毎年秋頃にそこで開催している講演会がありまして、保護者の方や地元の皆さんも参加される催しで、昨年の講師が紺野美佐子さんというのはやや荷が重いところですが、それでもぜひとも中学生たちに伝えたいと思う事がたくさんありますし、わたしの中には実は、彼らを一度被災地に連れて行き、その復興のお手伝いをさせてやりたいという思惑もありますので、ありがたく引き受けることにいたしました。
今のところ12月1日の午後を予定しているようですが、まだ確定ではありません。
出来ることなら、12月11日の復幸イベントの前にお話して、それ以後の活動に繋げていきたいと思っているのですが。


そして、次回の活動が決まりました。

11月13日!
この日までに現地で500鉢ほどの花の寄せ植えを作りこみ、13日は再び仮設住宅の皆さんにお届けすることができそうです。
前回、数と時間の関係でお届けできなかった4か所の仮設住宅に、ようやく約束を果たしに行くことができます。。
今回はパンジー、ビオラの鉢に球根も仕込む予定です。
(現在武内さんが、球根を提供して下さるという奈良の「花の大和」さんを訪問中!)
メンバーも再結集して、さらに新しい方も加わってくれるとのこと。
こちらの中学生たちは間に合いませんが、今回は娘だけでも連れて行ってやりたいと思っているところです。(一応、受験生ですが…)

そんな訳で被災地の皆さんに恥ずかしくないよう、こちらのみなさんにご迷惑をかけないよう、ますますたくさんの良い仕事をしっかりして、その日に備えたいと思っている近頃です。



引き続きみなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。

HANA sakaso プロジェクト with mother Love

HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~撤収、そして次なる活動に向けて

テーマ:HANAsakasoプロジェクト
宮城県亘理郡山元町7日目、最終日の朝。

01快晴の朝


快晴です。
朝からとても暑くなって、昨日のイベント当日がこんな天気でなくてよかったと思いました。
会場はパエリア始め、火を使って調理するものが多かったですし、われわれの花のお届けもあのペースで動き回っていたらまず人間が保たなかったでしょう。花たちも絶えず水やりをしなくてはいけなかった筈。
時間も取られてさらに配り終える時間が遅くなり、留守宅に置かせてもらった鉢の心配までしなくてはなりませんでした。
本当に1週間過ごした山元町で唯一の曇り空が11日になったことを感謝しました。
これは各地で開催された震災から半年の鎮魂イベントに参加された方たちにとっても、何よりのことだったと思います。

通いなれた山下中学校に到着すると、いつの間にか正面玄関に植えた植物の花が咲いていました。

02萩‘江戸絞’


ハギ、そしてフジバカマ、シュウメイギク…トラノオも。

03トラノオ


暑いながらも、季節はすでに秋を迎えているのですね。

山下花いっぱいボランティアの面々も駆け付けてくれて、撤収作業です。

04撤収


みなさんには本当に最初から最後までお世話になりっぱなしでした。
今回使ったのとは別の種類の鉢が残っていたので、花苗の一部とともに持って行っていただきました。
それらもまた、彼らによって山元町を彩ってくれるはずです。
この方たち自身が被災者でもあるのに、これまですべて自前で種から花を育て、バザーで得た収入を土やプランターの購入に充て、そのようにして震災の町を花で埋め尽くそうと努力なさっている姿にはただただ脱帽するしかありません。

05花ボランティアのみなさんたちと


いい活動をさせてもらった、ありがとうと、お礼の言葉はそっくりそのままこのみなさんにお返ししなくてはなりません。
彼らの支えなしでは、われわれの活動はここまでスムースにいかなかったでしょう。
本当に何度感謝してもし足りることはありません。

そして、地元の男性スタッフのみなさん。

07男性スタッフ


この週末がそうであったように休暇はすべて返上して、その代り平日休むという訳にもいかず、震災からこのかた駆け通しのみなさんです。ひょうひょうとして疲れた表情を見せずに細部まで気を配って下さり、この日もそこまでしてもらっては申し訳ないと(それは逆です)、率先して掃除に、資材の積み込みに汗を流してくださいました。
本当にみなさんこそお身体を大切になさってください。


数が中途半端になってわずかに残った花鉢たちは最後に役場と中学校にプレゼントして、

06花鉢たち


スタッフのみなさんやボランティアのみなさん、そして学校の先生方にお別れと再会のお約束をし、1週間通い続けた山下中学校を後にしました。
昨日最後に回った仮設住宅を訪ねて武内さんと次回の配布先の確認をし、ここで解散となりました。

08浅生原


何度も何度も花苗を満載にして走り回った麻生原の風景。
この素朴で何度見ても見飽きることのない景色を、大切に守っていければ良いですね。


さて、武内さんと分かれたわたしは今回数の関係で配布できなかった坂元地区のふたつの仮設住宅を訪ねて、その位置を確認し、その足で初めて国道の海岸側を訪ねました。
子供たちが祭りを復活させ新しい町づくりを始めたいという、そのために塩害で茶枯れたり雑草に覆われた土地に花を咲かせてほしいと頼まれた坂元地区の現状を、まずは目に焼き付けておきたいと思いました。

町の西側のアップルラインに対して東側海岸線を走るストロベリーライン…
その現状がこれでした。

09ストロベリーライン


道路は至る所で陥没したり寸断されたりしていますが、災害復旧の為にクルマがかろうじて通行できるようにされています。壊れた橋や学校も見ることができましたが、それはまたこの報告の趣旨ではないので、あまりに悲惨な写真のアップはいたしません。

10ストロベリーライン


言えることは本当に被害の大きかった地区ほどすでに瓦礫の撤去も終わって、ただ茫漠と草むらが続くばかりなのですね。よく見れば道や建物のあった痕跡を見つけられても、一見すればそれは草原にしか見えない…災害から半年で雑草たちはすでに新しいテリトリーを作り上げてしまっているのでした。

11坂元地区の現況


ここがいずれ、われわれの活動の場所になるのだと思うと慄然とした気持ちを抑えることができなくなりました。
おそらく、この場所に立った多くの方たちが、同じ思いに打ちのめされ、それでも力強く歩き始めたことなのでしょう。

12ストロベリーライン脇に残った樹


道路の傍らに残った1本の樹です。

下枝のほとんどが津波で枯れてしまっていても、上のほうにはまだ緑を残して力強く立っています。
なんだかまさにこの土地に残った人々の姿をそこに見たような気がしました。

ストロベリーラインを北へ。

山下地区に戻ると被災地の様子は一変します。
比較的被害が小さかったというこちらは、つまり建物が瓦礫とならず、半壊状態の建物として壊すに壊せない生殺しの状態が続いていました。

13山下地区の現況


延々とつづくそうした住宅を見ると、不思議なことに被害の大きかった坂元地区よりさらに大きな悲壮感があり、痛々しい現実を突き付けられます。
しかし、この町もまた復活させなくてはならない。

この景色を先に見ていたら、わたしの花のお届けはまた違っていたものになっていたことでしょう。
あの仮設住宅で出会った一人一人の方がこうした現実を抱えていらっしゃって、一人一人の背景にこの景色があることを実感してしまったら、わたしははたしてあの笑顔を持続させることができたのでしょうか?
仮設住宅のみなさんの笑顔はすでにそうした時間を越えた力強いものだったのだと、改めて思い知りました。
もちろん、役場のみなさん、学校の先生方、あの明るく元気な子供たちや花ボランティアのみなさん…
その多くがまたこの現実を直視してこられたのですね。

ここにもまた潮で茶色く枯れた田畑が広がっていて、その先の国道へとつながっていました。

14塩害の田畑



最後に山元町を見下ろす四方山の展望台に登りました。
ここから見下ろすと被害の状況がよく分かります。

15四方山より山下地区


ここに押し寄せた巨大な津波の映像を被せると、人の営みの小ささ脆さを感じないではいられませんが、でもわたしはすでにこの町の至る所で力強く復興に立ち上がった大勢の人たちを、その名前から表情まで知っています。

16四方山より山下中学あたりとその先の坂元地区


不思議ですね。
そういう思いでこの景色を眺めるとこの津波と地震でボロボロにされた町が何とも言えず生きる力に満ち溢れているように感じてきます。
そして数年後にはこの景色が一変していて、住宅の数も、緑の量も、いっぱいに増えている情景が信じられるのでした。


最後に…走りながら食べるパンを買おうと立ち寄った隣町のコンビニの近くに、素敵なガーデンを見つけました。
秋色に上手にまとめられたコテージガーデンといった趣きですね。

17角田にて


山ひとつ隔てた海沿いの町にも、どうかこうした景色がいっぱい生まれますように!
さらにわたしたちも力を尽くしたいと思います。


いけない。
ひとつ忘れ物です。
昨日、帰路について東北道を走行中のわたしの携帯に、武内さんからメールが届きました。
花鉢をお届けしたお宅のうち、ご不在だった方からお礼のメールをいただいたので、ぜひみんなにも届けたい、と。


戸口に立派な鉢に綺麗なお花。
どうもありがとうございました。
地震前まで野良仕事に励んでいたのに
今はねてばっかりのばあちゃんもよろこんでいます。


笑顔が、またひとつ生まれました。







活動はさらに続きます。

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向井康治

ガーデン工房 結 -YUI-は、埼玉を起点に植物を中心に据えたガーデンデザインと設計・施工を仕事とする会社です。
ただし、面白い仕事であれば時には利益も距離感覚も忘れ去る脳天気ぶり。
だから、この仕事にはいつも様々な出会いがあります。人、植物、もの、本、言葉、音楽…。

結 -YUI- はネットワークです。
それは多彩な技術や知識を持った人々が持てる力を共有し合うこと。
人と自然界の美とが満を持して出会うこと。

わたしが文芸、農業、インド、土木、外構、アウトドアと巡ってきた先の到達点は、おそらくそれらみんなの要素を遺憾なく結集することのできる、小宇宙 「ガーデン」でした。

ガーデンデザイナーとして、ガーデナーとして、これまでの、そしてこれから先の「出会い」を余すことなくお伝え出来ればと思います。

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