荒浜の海岸にて

テーマ:東日本大震災復興
 以下、心の整理のために。


荒浜の海岸にて


 仙台荒浜の海岸で見たこの立て札。

 津波によってふるさとを奪われたこの土地の方たちは、災害危険区域に指定されたことでそのふるさとを取り戻す機会を永遠に失おうとしている…
 暮らしと共に歴史や文化まで失ってしまうという危機感。
 …ここにもまた再生に向けた険しい道のりがあります。


 その荒浜の、荒廃した海水浴場を見学した際のこと。


 地元の人らしい、小さな男のお子さんを連れた若いお父さんに声を掛けられました。

「関東から来て、みなさん興味本位で写真を撮っているんですかね」

 どうやらわれわれのグループのことを言っておられる様子。
 確かに大型バスから大勢で海岸に降り立てば、そのように思われても仕方ないかなと思いつつ事情を説明し、

「今あそこでリーダーの男が、この場所でどのような事があったのか、みんなに詳しく説明しています。わたしたちはそのように、この震災の実態を少しでも正しく知りたいと思っていて、周りの人たちにも伝えたいと思っていて…そういうつもりで写真も撮っているのですが」

 とても疲れ果てた目をした男性は、それでもとても懐疑的で、
「でもやっぱり…複雑なんですよね。みなさん本当にここで被災した地元の人たちの気持ちを、どれだけ分かってるのかなってね」

荒浜の海岸


 わたしは、たとえ興味本位でも物見遊山でも、観光でも遊びでも、少しでも多くの人が被災地を訪れるべきだと思っている。
 何よりも今大切なのは、日本人がこの被災地のことを忘れないこと。気にかけ続けること。痛みを感じ続けること。被災した方たちに、間違っても自分たちが忘れ去られようとしているなんて感じさせてはならないということ。
 でも、目の前の男性にそんなことを言っても何の意味もないのは明白でした。
 彼が今、ここで少なからず傷つけられている事実に変わりはないのだから。

 でも一方で再生を願い、その為の力を貸してほしいと願う地元の方も多く居るわけで、われわれが今迷ったり躊躇ったりすることは違うのだと思います。
 ただ、傷つく人があるならその人から決して目をそらしてはいけないだろう…
 そう思ってわたしはずっとその男性の話を聞き続けました。

閖上地区日和山



 そういえば山元町の被災地の中心、坂元駅で土を運んだり花の種を蒔いていた時も、多くのクルマがやってきてはわれわれの姿を見てそのままUターンして去って行くという場面に何度か逢いました。
 いや、そうじゃなくて…出来ればここに降りたって被災地を目に焼き付けてほしい、われわれに話しかけて一緒にこの町の過去と未来に関する話をしてほしい。何度となくそのように願いましたが、わたし自身の最初の頃を思えば、その気持ちもよく分かります。
 被災地にカメラを向けることを罪深く感じ、その中でクルマを走らせることに後ろめたさを感じたものでした。
 地元のみなさんと知り合い、言葉を交わすうちにそうした意識は徐々に払拭することが出来ましたが…

 受け止められる地元の皆さんもまた、いろいろな視点を持っておられるわけで…

 荒浜海岸の男性の言う「複雑な気持ち」というのが本当のところなのでしょう。



 閖上中学校の献花台のそばに置かれた机。
 そこに記されたメッセージを忘れてはいけないと思います。


 あの日大勢の人達が津波から逃れる為、この閖中を目指して走りました。
 街の復興はとても大切な事です。
 でも沢山の人達の命が今もここにある事を忘れないでほしい。
 死んだら終わりですか?
 生き残った私達に出来る事を考えます。


 閖上中の大切な大切な仲間14人が
 やすらかな眠りにつける様祈っています。
 津波は忘れても14人を忘れないでいてほしい。
 いつも一緒だよ

閖上中学校にて


 
 それはそれほど難しいことでは無いでしょう。
 別にボランティアなどと気負い込むことも無いと思います。
 ずっと忘れないでい続けること。
 気にかけ続けること。
 同じ痛みを感じ続けること。
 その為には何度も繰り返しそこを訪れて、地元の方と言葉を交わし続ければ良いのだと思います。
 いえ、離れていても良いでしょう。
 とにかく、忘れないこと。覚えていること。

 日本はあの日以来しばらくの間、何もかも放り投げるようにして東日本の被災地と寄り添いました。
 それが今慌てて、まるでその時のロスを取り戻すかのような勢いで前に進もうとしています。
 それはそれで良いのかも知れない。みんなで途方に暮れているばかりでは、永遠に被災地の復興はないでしょうから。
 でも、そのように日本人全体が、被災地の一部の人たちも含めて一斉に前を向いてしまったら、後に取り残されるよりない人たちはどうなるのでしょうか?
 福島の方たちの痛みをまるで無視して経済性だけを優先するかのように大飯原発を再稼働したり、それがどれだけ被災地の経済を疲弊させるかという議論を持つこともなく消費税増税を決めたり…
 わたしは取り残されてしまう人が大勢いるうちは、何も慌てて先に進むことは無いだろうと考えます。
 もっとみんなで一緒に不自由を味わってもいい。
 そう思ったから、この一ヶ月の間、自分の経済活動をあえて停止しました。というより、停止しない訳にはいかない心情になってしまいました。あまりにもみんなが揃って先へ先へと歩き出してしまったから…


 とまあ、そういう心の整理をしないことにはなかなか社会復帰が出来ずに居る自分がいたものですから…

 さて。

 少しは前に進んでいきましょう。
 後ろをふり返りふり返り…
 いや。
 そちら側が本当に後ろなのかといつも気に掛けながら、自分の前だと信じる方角をいつでも疑いながら…
 



 






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向井康治

ガーデン工房 結 -YUI-は、埼玉を起点に植物を中心に据えたガーデンデザインと設計・施工を仕事とする会社です。
ただし、面白い仕事であれば時には利益も距離感覚も忘れ去る脳天気ぶり。
だから、この仕事にはいつも様々な出会いがあります。人、植物、もの、本、言葉、音楽…。

結 -YUI- はネットワークです。
それは多彩な技術や知識を持った人々が持てる力を共有し合うこと。
人と自然界の美とが満を持して出会うこと。

わたしが文芸、農業、インド、土木、外構、アウトドアと巡ってきた先の到達点は、おそらくそれらみんなの要素を遺憾なく結集することのできる、小宇宙 「ガーデン」でした。

ガーデンデザイナーとして、ガーデナーとして、これまでの、そしてこれから先の「出会い」を余すことなくお伝え出来ればと思います。

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