幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町
テーマ:東日本大震災復興
2015/03/11 06:46
先週末、宮城県亘理郡山元町を娘と訪れた理由は3つ。
昨年みごとグッドデザイン賞金賞に輝いた「思い出サルベージ」被災写真の返却プロジェクト、溝口代表を招いた、住民手作りの祝賀会のお手伝い。
その夜の二次会への参加。
その二次会会場でも準備が進められた、
幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町。
その掲揚のお手伝いだった。
取材して下さった朝日新聞社記者さんの書いた記事とこの写真は、Facebookによるシェアが3000を越えたと
いう。
プロジェクトには、昨年後半のハンカチ販売から関わってきたし、もともとは震災の年からつづくこのプロジェクトにはいつも何らかの形でお手伝いをしてきた。プロジェクトを進める地元の皆さん一人一人が大切な友人だから。
今年はその掲揚に当たって、高所作業車の乗り手が居ないというので、名乗りを挙げた。
山元町坂元地区の沿岸にあった中浜小学校。
津波はその二階の天井まで襲った。当時の井上校長先生の機転で児童・職員は屋上にある屋根裏の倉庫に避難。一人の犠牲も出さずに済んだ。
そのすぐ近くに残ったケヤキの巨木は、震災の記憶を留める貴重な存在であり、住民の復興への希望の象徴でもある。
朝から吹き始めた風は徐々に強くなり、やがて冷たい雨を運ぶようになったが参加者は辛抱強く風にあおられるハンカチをさばき、引き、杭を打ってそれに止めた。
ゴンドラ上の私たちの方が、よほど楽をしていたかも知れない。
そのようにして全国から寄せられた1500枚を越える温かいメッセージは、山元町の空に舞った。
昨年みごとグッドデザイン賞金賞に輝いた「思い出サルベージ」被災写真の返却プロジェクト、溝口代表を招いた、住民手作りの祝賀会のお手伝い。
その夜の二次会への参加。
その二次会会場でも準備が進められた、
幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町。
その掲揚のお手伝いだった。
取材して下さった朝日新聞社記者さんの書いた記事とこの写真は、Facebookによるシェアが3000を越えたと
いう。
プロジェクトには、昨年後半のハンカチ販売から関わってきたし、もともとは震災の年からつづくこのプロジェクトにはいつも何らかの形でお手伝いをしてきた。プロジェクトを進める地元の皆さん一人一人が大切な友人だから。
今年はその掲揚に当たって、高所作業車の乗り手が居ないというので、名乗りを挙げた。
山元町坂元地区の沿岸にあった中浜小学校。
津波はその二階の天井まで襲った。当時の井上校長先生の機転で児童・職員は屋上にある屋根裏の倉庫に避難。一人の犠牲も出さずに済んだ。
そのすぐ近くに残ったケヤキの巨木は、震災の記憶を留める貴重な存在であり、住民の復興への希望の象徴でもある。
朝から吹き始めた風は徐々に強くなり、やがて冷たい雨を運ぶようになったが参加者は辛抱強く風にあおられるハンカチをさばき、引き、杭を打ってそれに止めた。
ゴンドラ上の私たちの方が、よほど楽をしていたかも知れない。
そのようにして全国から寄せられた1500枚を越える温かいメッセージは、山元町の空に舞った。