HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~再開
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/11/13 07:12
まったく…
山元町に行かないとブログを更新できないのか、と言うほど日常では慌ただしい毎日を過ごしておりました。
おかげさまで次々と仕事のご依頼を頂いて、現場だけでなく常に設計を抱える毎日が、なかなか自分と向き合う時間を与えてくれませんでした。
それはそれでとてもありがたいこと。
でも何よりも心にあったのは、次に山元町を訪れるために出来るだけ抱える仕事の量を減らし、いろいろな方にご迷惑を掛けないで済むように準備しておくことでした。
今回の活動再開にあたって、しかし現在進行中の現場ではお客様に休工のご了解を(快く!)いただき、数件の設計ではご猶予を温かく、あるいは一方的にいただき、そのようにして相も変わらず様々な方のご好意に甘えています。
そのようにして、2か月ぶりの山元町に、今回は娘と共に訪れました。
自宅を昨日の深夜1時に出発。
本当は日中の仕事と夜のPTA活動を終えてから資材の積み込みの予定でしたので一睡も出来ない筈でしたが、幸か不幸か久しぶりの雨で現場を休ませて頂くことができたため、日中のうちに資材の準備することが出来て3時間ほどの仮眠をとれたのは幸いなことでした。
…そして案の定、昨日はとてもとてもハードな一日となったのでした。
7時過ぎに坂元町に入って、まず向かったのは2日目に花鉢を配る予定の仮設住宅です。
前回配りきれなかった4か所およそ400軒のお宅に花の寄せ植え鉢を配るのが今回の第一の目的です。
武内さんが8日に山下中学校に乗り込み、中学生たちや地元の花のボランティアのみなさんと一緒になって、すでに鉢は製作済みということでした。
新聞などでも報道されていましたが、被災地で一番防寒対策の遅れていると言われる宮城県の仮設住宅で、この日も2か所で断熱工事が行われていましたが、ほとんどがまだ手つかずの状態でした。完了予定が年内いっぱいという情報に、心が痛みます。
4か所の仮設住宅の下見を終え、もうひとつ活動が予定されている坂元地区にわれわれは向かいました。
坂元地区のこのあたりは山元町の中でも特に被害の大きかった場所。
がれきの撤去こそ大方終えているものの、半壊住宅の片付けは始まったばかりで、その先の復興への道のりはまだまだ遠いように感じられます。
ほんとうにどこから手をつければ良いのかとい感じがして、悄然とさせられます。
そこからまっすぐ西に、つまり海側に向かったところにJR常磐線の坂元駅があります。
線路が流され、駅舎のほとんどが流されたり解体されたりしましたが、ここにはまだプラットホームと駅舎の一部と、駅舎に守られるようにして残った案内板が残っていました。
武内さんからの連絡によれば、ここが HANA sakaso プロジェクト with mother Love にとってふたつめの活動の舞台になるとのことでした。
ここに土をいれて塩害に強い菜の花の種をまき、いろいろな花を咲かせたい!
訪れる方の絶えないこの場所は山元町の被災の象徴的な場所。
同時にこれからの復興の基点のひとつとなるべき場所です。
残された駅舎によって津波から流出を守られたという、子どもたちの描いた絵があって、それを以前の記事で紹介しました。
ここは震災と津波の被害を象徴する場所でありながら、復興と復幸に向けた希望の出発点でもあるわけで、ここで次の活動を始められるというのは、とても素敵なことだと思いました。
その後、いったん山下中学に戻ってここで武内さんや栃木県から届けられた土を積んだ大型ダンプと合流しました。
中学校には、きれいに植え込まれた花鉢が整然と並んでいます。
今回は花ボランティアのみなさんはもちろん、中学生たちも大勢製作に関わってくれて500鉢があっという間に出来上がってしまったという事でした。
さあ、明日はまたこれを頑張って届けるぞ…
と言う前にハードな仕事が待っておりました。
大型ダンプ一杯の黒土…
これは栃木県黒磯の田村建設さんのご厚意で届けられたもので、明日は社長さんご夫婦も花鉢のお届けに加わってくださるということですが、まずはこの土を先ほど見てきたばかりの坂元駅の駅前に敷きならしていかなくてはならない…みたいなのです。
いったい何人で?
もちろんそこには武内さんとわたしたち親子の3人だけ。
明日の町議会議員選挙で町の職員さんたちは大忙しだし、学校は土曜日で休みだし。
それはもうわれわれ3人だけでやらなくてはならないでしょう。
昨日から風邪による咳と腰痛に苦しむ武内さんと、睡眠不足気味のわたしと、中学3年の娘と3人…
そこに途中からありがたいことに地元で中学校の先生をされている菅野さんという方が、今回の活動に共鳴してくださり、飛び入りで参加してくれたのはとても心強く、戦力的にもありがたい事でした。
ここでは急きょ慌てて積み込んだわたしの草刈り機が威力を発揮し、ガレキの中に埋もれた基礎の鉄筋や電柱の支線と戦いながら雑草を刈り払い、武内さんたちがさらに手刈りして山積みされた枯草を、娘が一輪車で運び出すという分担で作業が進みましした。
その間もほんとうに多くの方がこの地を訪れます。
見学の方も多いのですが、中にはもともとこのあたりに住んでおられたという方、娘さんの嫁ぎ先があったという方、測量作業の方、別の場所でボランティアをされている方など、絶えることがありません。
そうしたみなさんとお話をしたり、共同作業のお約束をしたり、これからの活動を紹介したりしながら、さすがにみんなヘトヘトになりながらの作業が続きました。
その後、一か所に仮置きされた黒土をトラックに運んでまた下ろすという作業が待っています。
少し中学生の娘には過酷だったかもしれませんが…
駅前の壊れて商店の裏に湧水がこんこんと湧いていて、それが気持ちにうるおいを与えてくれたのがとても大きな支えとなりました。
湧水の先には芹が茂ってこの付近で唯一といって良い濃い緑を生み出してくれており、奇跡的に育った「根性の稲穂」(すでに穂は落ちていましたが…)もあり、武内さんの言うようにまさに小さなビオトープには生命が溢れていました。
そういった意味でも、この場所はやはり特別なのだろうと感じますし、だからこそ、ここに土を入れて寒咲き菜の花の種をまき、水仙の球根を植えこみ、その他たくさんの花で埋めつくして、来る来年の3月11日は大勢の人にこの場所に集ってもらいたいという気持ちを強くしました。
明日は花鉢の配布を行い、その後またここに戻って大勢の仲間と土を入れたり種をまいたりする予定です。
昨日は暗くなるまで、まずは土運びに励んだのでした。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
山元町に行かないとブログを更新できないのか、と言うほど日常では慌ただしい毎日を過ごしておりました。
おかげさまで次々と仕事のご依頼を頂いて、現場だけでなく常に設計を抱える毎日が、なかなか自分と向き合う時間を与えてくれませんでした。
それはそれでとてもありがたいこと。
でも何よりも心にあったのは、次に山元町を訪れるために出来るだけ抱える仕事の量を減らし、いろいろな方にご迷惑を掛けないで済むように準備しておくことでした。
今回の活動再開にあたって、しかし現在進行中の現場ではお客様に休工のご了解を(快く!)いただき、数件の設計ではご猶予を温かく、あるいは一方的にいただき、そのようにして相も変わらず様々な方のご好意に甘えています。
そのようにして、2か月ぶりの山元町に、今回は娘と共に訪れました。
自宅を昨日の深夜1時に出発。
本当は日中の仕事と夜のPTA活動を終えてから資材の積み込みの予定でしたので一睡も出来ない筈でしたが、幸か不幸か久しぶりの雨で現場を休ませて頂くことができたため、日中のうちに資材の準備することが出来て3時間ほどの仮眠をとれたのは幸いなことでした。
…そして案の定、昨日はとてもとてもハードな一日となったのでした。
7時過ぎに坂元町に入って、まず向かったのは2日目に花鉢を配る予定の仮設住宅です。
前回配りきれなかった4か所およそ400軒のお宅に花の寄せ植え鉢を配るのが今回の第一の目的です。
武内さんが8日に山下中学校に乗り込み、中学生たちや地元の花のボランティアのみなさんと一緒になって、すでに鉢は製作済みということでした。
新聞などでも報道されていましたが、被災地で一番防寒対策の遅れていると言われる宮城県の仮設住宅で、この日も2か所で断熱工事が行われていましたが、ほとんどがまだ手つかずの状態でした。完了予定が年内いっぱいという情報に、心が痛みます。
4か所の仮設住宅の下見を終え、もうひとつ活動が予定されている坂元地区にわれわれは向かいました。
坂元地区のこのあたりは山元町の中でも特に被害の大きかった場所。
がれきの撤去こそ大方終えているものの、半壊住宅の片付けは始まったばかりで、その先の復興への道のりはまだまだ遠いように感じられます。
ほんとうにどこから手をつければ良いのかとい感じがして、悄然とさせられます。
そこからまっすぐ西に、つまり海側に向かったところにJR常磐線の坂元駅があります。
線路が流され、駅舎のほとんどが流されたり解体されたりしましたが、ここにはまだプラットホームと駅舎の一部と、駅舎に守られるようにして残った案内板が残っていました。
武内さんからの連絡によれば、ここが HANA sakaso プロジェクト with mother Love にとってふたつめの活動の舞台になるとのことでした。
ここに土をいれて塩害に強い菜の花の種をまき、いろいろな花を咲かせたい!
訪れる方の絶えないこの場所は山元町の被災の象徴的な場所。
同時にこれからの復興の基点のひとつとなるべき場所です。
残された駅舎によって津波から流出を守られたという、子どもたちの描いた絵があって、それを以前の記事で紹介しました。
ここは震災と津波の被害を象徴する場所でありながら、復興と復幸に向けた希望の出発点でもあるわけで、ここで次の活動を始められるというのは、とても素敵なことだと思いました。
その後、いったん山下中学に戻ってここで武内さんや栃木県から届けられた土を積んだ大型ダンプと合流しました。
中学校には、きれいに植え込まれた花鉢が整然と並んでいます。
今回は花ボランティアのみなさんはもちろん、中学生たちも大勢製作に関わってくれて500鉢があっという間に出来上がってしまったという事でした。
さあ、明日はまたこれを頑張って届けるぞ…
と言う前にハードな仕事が待っておりました。
大型ダンプ一杯の黒土…
これは栃木県黒磯の田村建設さんのご厚意で届けられたもので、明日は社長さんご夫婦も花鉢のお届けに加わってくださるということですが、まずはこの土を先ほど見てきたばかりの坂元駅の駅前に敷きならしていかなくてはならない…みたいなのです。
いったい何人で?
もちろんそこには武内さんとわたしたち親子の3人だけ。
明日の町議会議員選挙で町の職員さんたちは大忙しだし、学校は土曜日で休みだし。
それはもうわれわれ3人だけでやらなくてはならないでしょう。
昨日から風邪による咳と腰痛に苦しむ武内さんと、睡眠不足気味のわたしと、中学3年の娘と3人…
そこに途中からありがたいことに地元で中学校の先生をされている菅野さんという方が、今回の活動に共鳴してくださり、飛び入りで参加してくれたのはとても心強く、戦力的にもありがたい事でした。
ここでは急きょ慌てて積み込んだわたしの草刈り機が威力を発揮し、ガレキの中に埋もれた基礎の鉄筋や電柱の支線と戦いながら雑草を刈り払い、武内さんたちがさらに手刈りして山積みされた枯草を、娘が一輪車で運び出すという分担で作業が進みましした。
その間もほんとうに多くの方がこの地を訪れます。
見学の方も多いのですが、中にはもともとこのあたりに住んでおられたという方、娘さんの嫁ぎ先があったという方、測量作業の方、別の場所でボランティアをされている方など、絶えることがありません。
そうしたみなさんとお話をしたり、共同作業のお約束をしたり、これからの活動を紹介したりしながら、さすがにみんなヘトヘトになりながらの作業が続きました。
その後、一か所に仮置きされた黒土をトラックに運んでまた下ろすという作業が待っています。
少し中学生の娘には過酷だったかもしれませんが…
駅前の壊れて商店の裏に湧水がこんこんと湧いていて、それが気持ちにうるおいを与えてくれたのがとても大きな支えとなりました。
湧水の先には芹が茂ってこの付近で唯一といって良い濃い緑を生み出してくれており、奇跡的に育った「根性の稲穂」(すでに穂は落ちていましたが…)もあり、武内さんの言うようにまさに小さなビオトープには生命が溢れていました。
そういった意味でも、この場所はやはり特別なのだろうと感じますし、だからこそ、ここに土を入れて寒咲き菜の花の種をまき、水仙の球根を植えこみ、その他たくさんの花で埋めつくして、来る来年の3月11日は大勢の人にこの場所に集ってもらいたいという気持ちを強くしました。
明日は花鉢の配布を行い、その後またここに戻って大勢の仲間と土を入れたり種をまいたりする予定です。
昨日は暗くなるまで、まずは土運びに励んだのでした。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love