2012年スタートにあたって~HANA sakaso プロジェクト 12.11
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2012/01/04 08:51
新年のご挨拶がおそくなりました。
今年は年賀状に新年を迎える祝いと慶びの言葉を添えることはできませんでしたが、お届けした皆さんには昨年の報告と今年に向けた決意をお伝えしました。
12月11日に昨年最後のHANA sakaso プロジェクトの活動に参加させてもらい、その報告ができないまま年を越すことになってしまったのは、ひとえにわたしのペース配分のミスだったろうと考えているところです。
昨年11月始めから着工した素敵な現場があってそれはおそらく2月まで続くのですが、そちらはまだまだ未熟なわたしの設計力と技術力と管理能力のすべてを総動員して、それこそ全霊を傾けなければならないようなお仕事でした。
ありがたいことにお客様のご一家がみなさんとても温かな方たちで、わたしのこうした活動にも大変理解を示して下さり、それだけでなくわたしの体調や家族にまでお心を砕いてくださり、今回の活動にもゆっくり時間を掛けることを許して頂いたのですが、さすがにいつもいつもそのお心遣いに甘える訳にはいきませんでした。
当日は夜中に出て夜中に戻る日帰りの強行軍で、案の定すぐにその内容をブログにアップすることは叶わず、それどころか結局今日までブログに手をつけられない状態が続いておりました。(いつものことですが…)
12月11日のHANA sakaso プロジェクトは、山元町の山下中学校で開催された「やまもと子どもも大人もみんなで遊び隊+やまもと楽校」という復興(復幸、そして新幸)イベントに参加、協力するという内容でした。

11月の活動の後、武内さんたちが改めて学校を訪れて学校に植えたモミの木に、地元の皆さんをはじめみんなで作ったオーナメントや願い事を書いたカードをラミネートして飾り付け、


ワイズティーネットワークの根本さんによる紅茶教室とティーパーティーのお手伝いをしたり、


その他さまざまなワークショップに参加させてもらいました。

そこには全国から集まったボランティアのみなさん、それから地元のボランティアのみなさんが集まって被災者のみなさんをお迎えしたのですが、学校全体に活気があふれてどのブースも満員の人だかり…
今回わたしは地元中学校のPTA仲間と生徒を連れて参加したのですが、みんなそれぞれに役割を果たせたしそれぞれが楽しむことも出来たし、良い経験ができたととても喜んでくれました。
一方で冬の被災地は寒々として冷たい風が吹いていました。

ただ、11月にみんなで播いた菜の花はしっかりと芽吹いていました。
これには娘もひと安心…自分の播いた種だけが出なかったらと、少し心配していた様子でしたから。

武内さんがビオトープだと言っていたわき水のまわりのセリたちは今も健在。周囲でそこだけが濃い緑を残していました。

仲間たち家族と被災地をめぐりながら、いろいろ思う事がありました。
確かに遠方に住む者としてはよほどの事がない限り被災地に出向く機会は少ないし、それは物理的な障害や理由付けが難しいだけではなくて、気持の上でもそれはとても重く、後ろめたかったり申し訳なかったりする心情があるのは確かで、そのことはわたし自身も最初はそうだったからとても良く分かります。
だからわたしは地元中学校の講演会の中で、生徒たちにはっきり伝えたいと思っていました。
それでも、震災から間もない時にあれだけの義捐金を集めて被災地に届けた君たちには、被災地の現状を知る資格があるし権利があるのだよ、と。
本当は今回のボランティアへの参加も募りたかったのですが、学校教育の場でさすがにそれを公然と行うことは許されず、父兄への呼びかけに留まってしまったのが残念でした。
前回の活動の中でも被災地のど真ん中である坂元駅前で土を運んだり種をまいたりしていると、本当に多くの人がそこを訪れていました。われわれを気にすることなくしっかりその景色を胸に刻んでいってもらいたいと思うのですが、多くはすぐにクルマをUターンさせてそそくさと戻っていきます。やはり興味本位で被災地を見学するようで、それを後ろめたく感じてしまうのでしょうか。
わたしは思いました。
興味本位でも物見遊山でも野次馬根性でもなんでもかまわない。
一人でも多くの人が被災地の今を見ておくべきなのです。見れば最初は興味本位でしかなかった気持ちがどんどん変わっていくはずだし、心に刻まれたその景色がこれから長く続いていく復興の中で、次のアクションを生み出す契機になるかもしれません。次の世代に語り継いでいくその言葉の重みが増すはずです。
このことはわれわれの生きた時代に起こった「歴史的事件」なのであって、われわれにはそれを正しく知り、後に語り継いでいく責任があるのですから。
それは特に子供たちについて思いました。この先最低でも10年は掛かるであろうという復興事業の担い手はまさしく彼らなのだから、まず彼らが自分のこととしてこの震災を認識しておく必要があると思います。それも出来ることなら直接に見て、触れて、被災した方とも会って、話して、身体全体でこの事件を知って感じておく必要があると思うのです。今はすぐにそれが次のアクションにつながらないにしても、来るべき時にそれは必ず役に立つはずです。
だから被災地におけるわたしの次の仕事は、一人でも多くの子供たちをそこに連れて行くということだと思うし、この年に中学校のPTA会長を任されたということも、中学校で講演する機会を得たということも、まったくの偶然ではないように思えるのです。

上の写真は被災地の真中で見つけた風景。
明らかに震災の後に作られた小さな畑と田んぼです。
畑には数本の大根を収穫した痕もありました。
田んぼは本当に小さなもので、その収穫量は取るに足らないものだったと思います。

でもその風景の中にとても力強い意志を感じました。
生き残った者で再び町を復活させる…させてみせる。
子どもたちにはただ悲惨な景色だけでなく、合わせてこの風景も見せてやりたいと思います。
以下の写真は山下中学校の復興イベントの中で、子どもたちが自分たちで行ったワークショップの様子です。
山下中学の生徒さんたちの他に、われわれが連れて行った中学生たちや他のボランティアの子供たちも、それぞれにクリスマスツリーの飾りを作ったり小さな子どもに遊びを教えたりしていました。

つい先日、プロの音楽家の友人と話しながら思ったこと。
芸術家というのはその芸術活動を通して収入を得る人たちだと思うのですが、おそらくその収入は単なる労働対価ではなく、そのすぐれた芸術活動に対して高く評価する人々がその活動を応援するための支援金みたいなものなのではないのか、と。だから芸術家が自分の作品を公開して人々を楽しませるのは義務だし、人々はさらに質の高い作品を求め、投資の意味でさらなる資金を提供する…
だから彼らの創作活動やその公開は、むしろ無収入であって然るべきだしチャリティーの方向に進むのは自然な流れだと思います。そのことはこの2日にCSで再放送されたap bank fes '11の様子を見ながらも強く感じたところです。

時々わたしが設計したり製作した庭を「向井康治の作品」と言ってくださる方がいて、それはそれでありがたいのですが、でもわたし自身はそれを芸術作品として見たことはないし、自分を芸術家と称したこともありません。むしろ忌避したいところです。
が、その仕事のスタンスは上記した芸術家のそれと同等であって良いと思ってます。
本当にいろいろな方の支援のおかげで多くを学ばせてもらってきました。
知識、経験、技能、資格…どれ一つとってもほとんど自腹で身につけたものはなく、本当に多くの方が資金や機会を提供してくださって与えて頂いたものです。
だから…それらはすべからく還元していかなくてはならないと思います。

わたしには後継者がいませんので、皆さんから頂戴した知識や経験を自分一人のものにすることが惜しく、自分の死でそれらが無に帰すことがなんとも悔しく、それを次世代に伝えるためにこのブログを始めました。
今回の被災地の活動もまた同じです。
わたしがこれまでに学んできたことが被災された方や被災地の復興のために少しでも役立つというのなら、今ここでそれを被災地のために使うのがわたしの義務だろうと思います。それはむしろ当然で、しないとしたらそれ自体が罪だと思うくらいです。

そのように恩返しのつもりで始めたことなのにも関わらず、その中で逆にわたしは被災地のみなさんや共に活動した武内さんをはじめとする仲間たちから、またまたたくさんのものを頂いてしまいました。
それらはこの先どのようにして還元していけば良いのか…
だから、わたしは今年の目標に「少しでも多くの子供たちを被災地に連れて行く」ということを掲げました。
そして感謝の気持ちをこめてさらに良い仕事をする。
その仕事の中でたくさんの方に喜んでもらう。
そのような2012年にしたいと思うのです。

今年もよろしくお願いいたします。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
今年は年賀状に新年を迎える祝いと慶びの言葉を添えることはできませんでしたが、お届けした皆さんには昨年の報告と今年に向けた決意をお伝えしました。
12月11日に昨年最後のHANA sakaso プロジェクトの活動に参加させてもらい、その報告ができないまま年を越すことになってしまったのは、ひとえにわたしのペース配分のミスだったろうと考えているところです。
昨年11月始めから着工した素敵な現場があってそれはおそらく2月まで続くのですが、そちらはまだまだ未熟なわたしの設計力と技術力と管理能力のすべてを総動員して、それこそ全霊を傾けなければならないようなお仕事でした。
ありがたいことにお客様のご一家がみなさんとても温かな方たちで、わたしのこうした活動にも大変理解を示して下さり、それだけでなくわたしの体調や家族にまでお心を砕いてくださり、今回の活動にもゆっくり時間を掛けることを許して頂いたのですが、さすがにいつもいつもそのお心遣いに甘える訳にはいきませんでした。
当日は夜中に出て夜中に戻る日帰りの強行軍で、案の定すぐにその内容をブログにアップすることは叶わず、それどころか結局今日までブログに手をつけられない状態が続いておりました。(いつものことですが…)
12月11日のHANA sakaso プロジェクトは、山元町の山下中学校で開催された「やまもと子どもも大人もみんなで遊び隊+やまもと楽校」という復興(復幸、そして新幸)イベントに参加、協力するという内容でした。

11月の活動の後、武内さんたちが改めて学校を訪れて学校に植えたモミの木に、地元の皆さんをはじめみんなで作ったオーナメントや願い事を書いたカードをラミネートして飾り付け、


ワイズティーネットワークの根本さんによる紅茶教室とティーパーティーのお手伝いをしたり、


その他さまざまなワークショップに参加させてもらいました。

そこには全国から集まったボランティアのみなさん、それから地元のボランティアのみなさんが集まって被災者のみなさんをお迎えしたのですが、学校全体に活気があふれてどのブースも満員の人だかり…
今回わたしは地元中学校のPTA仲間と生徒を連れて参加したのですが、みんなそれぞれに役割を果たせたしそれぞれが楽しむことも出来たし、良い経験ができたととても喜んでくれました。
一方で冬の被災地は寒々として冷たい風が吹いていました。

ただ、11月にみんなで播いた菜の花はしっかりと芽吹いていました。
これには娘もひと安心…自分の播いた種だけが出なかったらと、少し心配していた様子でしたから。

武内さんがビオトープだと言っていたわき水のまわりのセリたちは今も健在。周囲でそこだけが濃い緑を残していました。

仲間たち家族と被災地をめぐりながら、いろいろ思う事がありました。
確かに遠方に住む者としてはよほどの事がない限り被災地に出向く機会は少ないし、それは物理的な障害や理由付けが難しいだけではなくて、気持の上でもそれはとても重く、後ろめたかったり申し訳なかったりする心情があるのは確かで、そのことはわたし自身も最初はそうだったからとても良く分かります。
だからわたしは地元中学校の講演会の中で、生徒たちにはっきり伝えたいと思っていました。
それでも、震災から間もない時にあれだけの義捐金を集めて被災地に届けた君たちには、被災地の現状を知る資格があるし権利があるのだよ、と。
本当は今回のボランティアへの参加も募りたかったのですが、学校教育の場でさすがにそれを公然と行うことは許されず、父兄への呼びかけに留まってしまったのが残念でした。
前回の活動の中でも被災地のど真ん中である坂元駅前で土を運んだり種をまいたりしていると、本当に多くの人がそこを訪れていました。われわれを気にすることなくしっかりその景色を胸に刻んでいってもらいたいと思うのですが、多くはすぐにクルマをUターンさせてそそくさと戻っていきます。やはり興味本位で被災地を見学するようで、それを後ろめたく感じてしまうのでしょうか。
わたしは思いました。
興味本位でも物見遊山でも野次馬根性でもなんでもかまわない。
一人でも多くの人が被災地の今を見ておくべきなのです。見れば最初は興味本位でしかなかった気持ちがどんどん変わっていくはずだし、心に刻まれたその景色がこれから長く続いていく復興の中で、次のアクションを生み出す契機になるかもしれません。次の世代に語り継いでいくその言葉の重みが増すはずです。
このことはわれわれの生きた時代に起こった「歴史的事件」なのであって、われわれにはそれを正しく知り、後に語り継いでいく責任があるのですから。
それは特に子供たちについて思いました。この先最低でも10年は掛かるであろうという復興事業の担い手はまさしく彼らなのだから、まず彼らが自分のこととしてこの震災を認識しておく必要があると思います。それも出来ることなら直接に見て、触れて、被災した方とも会って、話して、身体全体でこの事件を知って感じておく必要があると思うのです。今はすぐにそれが次のアクションにつながらないにしても、来るべき時にそれは必ず役に立つはずです。
だから被災地におけるわたしの次の仕事は、一人でも多くの子供たちをそこに連れて行くということだと思うし、この年に中学校のPTA会長を任されたということも、中学校で講演する機会を得たということも、まったくの偶然ではないように思えるのです。

上の写真は被災地の真中で見つけた風景。
明らかに震災の後に作られた小さな畑と田んぼです。
畑には数本の大根を収穫した痕もありました。
田んぼは本当に小さなもので、その収穫量は取るに足らないものだったと思います。

でもその風景の中にとても力強い意志を感じました。
生き残った者で再び町を復活させる…させてみせる。
子どもたちにはただ悲惨な景色だけでなく、合わせてこの風景も見せてやりたいと思います。
以下の写真は山下中学校の復興イベントの中で、子どもたちが自分たちで行ったワークショップの様子です。
山下中学の生徒さんたちの他に、われわれが連れて行った中学生たちや他のボランティアの子供たちも、それぞれにクリスマスツリーの飾りを作ったり小さな子どもに遊びを教えたりしていました。

つい先日、プロの音楽家の友人と話しながら思ったこと。
芸術家というのはその芸術活動を通して収入を得る人たちだと思うのですが、おそらくその収入は単なる労働対価ではなく、そのすぐれた芸術活動に対して高く評価する人々がその活動を応援するための支援金みたいなものなのではないのか、と。だから芸術家が自分の作品を公開して人々を楽しませるのは義務だし、人々はさらに質の高い作品を求め、投資の意味でさらなる資金を提供する…
だから彼らの創作活動やその公開は、むしろ無収入であって然るべきだしチャリティーの方向に進むのは自然な流れだと思います。そのことはこの2日にCSで再放送されたap bank fes '11の様子を見ながらも強く感じたところです。

時々わたしが設計したり製作した庭を「向井康治の作品」と言ってくださる方がいて、それはそれでありがたいのですが、でもわたし自身はそれを芸術作品として見たことはないし、自分を芸術家と称したこともありません。むしろ忌避したいところです。
が、その仕事のスタンスは上記した芸術家のそれと同等であって良いと思ってます。
本当にいろいろな方の支援のおかげで多くを学ばせてもらってきました。
知識、経験、技能、資格…どれ一つとってもほとんど自腹で身につけたものはなく、本当に多くの方が資金や機会を提供してくださって与えて頂いたものです。
だから…それらはすべからく還元していかなくてはならないと思います。

わたしには後継者がいませんので、皆さんから頂戴した知識や経験を自分一人のものにすることが惜しく、自分の死でそれらが無に帰すことがなんとも悔しく、それを次世代に伝えるためにこのブログを始めました。
今回の被災地の活動もまた同じです。
わたしがこれまでに学んできたことが被災された方や被災地の復興のために少しでも役立つというのなら、今ここでそれを被災地のために使うのがわたしの義務だろうと思います。それはむしろ当然で、しないとしたらそれ自体が罪だと思うくらいです。

そのように恩返しのつもりで始めたことなのにも関わらず、その中で逆にわたしは被災地のみなさんや共に活動した武内さんをはじめとする仲間たちから、またまたたくさんのものを頂いてしまいました。
それらはこの先どのようにして還元していけば良いのか…
だから、わたしは今年の目標に「少しでも多くの子供たちを被災地に連れて行く」ということを掲げました。
そして感謝の気持ちをこめてさらに良い仕事をする。
その仕事の中でたくさんの方に喜んでもらう。
そのような2012年にしたいと思うのです。

今年もよろしくお願いいたします。
よろしければ、ホームページもご覧下さい。
http://www.yui-garden.com/
ふれあい講演会 「被災地に花を! ~HANA sakaso プロジェクト in 宮城県山元町~」
テーマ:東日本大震災復興
2011/12/07 05:02
去る12月1日。
娘の通う中学校のが毎年この時期に開催する「ふれあい講演会」に講師として招かれ、生徒たちの前で話をさせていただく機会に恵まれました。
もともと地元で起業している人間がその職業について話して、子供たちの進路教育、生き方学習の一環とすることが趣旨のひとつらしいので、今回は自分の職業である「ガーデンデザイナー」、「ガーデナー」という仕事について、加えて(というよりそれがメインとなりましたが)今回のHANA sakaso プロジェクトの活動内容について話をさせてもらいました。

当日は朝からとても寒く、体育館の中はとても冷えていましたし、期末テストの初日の午後ということもあって早々に切り上げようと、最初は1時間は越えようかと思われる原稿をかなり頑張って切り詰めたのですが。それでも40分の持ち時間をはるかにオーバーしてしまいました。
見てのとおり、少し着込んでいます。
少し風邪気味だったし…

内容はこれまでこのブログで報告してきたことがほとんどなので改めて繰り返しませんが、その一部だけ…
手元のプリントに書いてある「ガーデンデザイナー」とか「ガーデナー」とかいう職業は、残念ながらタウンページには載っていません。「ガーデニング」というくくりのなかでかろうじて「園芸店」と「造園業」というのはありますが、それとは少し違うのでまだまだ世間では認めてもらっていない職業なのかも知れません。
ガーデンデザイナーは、その名の通り庭のデザインをする仕事です。
世間でなかなか認めてもらっていない証拠に、この仕事はあまりお金になりません。いつもたいてい無料で庭の図面を書いています。今回の講演の、進路の勉強ということでは、これはあまりみなさんにお勧めすることができません。
だから設計するだけでなく実際に庭を作らないとお金をもらえませんので、わたしは普段土を動かしたり、レンガやブロックを積んだり、左官仕事をしたり、ウッドデッキを作ったり、木や草花を植えたりして働いています。それがまあ、造園屋さんとか外構屋さんとか呼ばれる職業なのですが、私の場合は植物を中心に据えてやっていますのでガーデナーと自称しています。日本語で言うと「庭師」といったところです。
この仕事はとても面白いです。
やればやるほど庭がきれいになっていく。お客さんがとても喜んでくれる。
かっこの良い言い方をするとガーデンのデザインは、お客さんの暮らしまでデザインする訳ですから、自然とお客さんのご家族とのお付き合いも深くなっていきます。感謝されてお金ももらえる仕事というのは、とてもやりがいがあります。
そして、われわれが扱う植物にはとても不思議な力があります。
見る人の気持ちを明るくしてくれる。元気にしてくれる。気持に張りや潤いを与えてくれます。
だから花は、これまでもいろいろなボランティアの活動の中で、いっぱい使ってきました。
ボランティアという仕事もね、お金をもらえない訳ですからあまり進路の学習にはふさわしくないですね。でも今回はその話をしたいと思います。
なぜならそこから学べることや得られることがたくさんあるからです。

プリントにも書きましたが、「情けは人の為ならず」ということわざがあります。
誰かのために何かをすれば、まわりまわって自分の身にいいことが起こる。自分のためになる。別にそれを目的にして自分のためだと思ってやらなくてもいいし、そう考えてばかりだとそれはそれでダメなのだと思いますが、心から人の役に立ちたいと思えば思うほど、自分が得るものも大きいのでしょう。
ボランティアの意味はじつはそういうところにもあるのだと、今回はつくづく思いました。
だから、「してあげる」ではなく、「させていただく」ということなのだと考えます。
そして、ボランティアにはする権利と資格が存在するのだと思います。
もうひとつ、今年のPTA研修旅行では都内をまわって、その中で東京フォーラムにある相田みつをさんの美術館を訪ねました。相田さんのさまざまな作品に触れてきましたが、その中にあそぶという漢字ひと文字を大きく描いた「遊」という作品があってそれがとても気になりました。
その隣に相田さんのメッセージが添えられていました。
「遊於娑婆世界」
観音経の言葉ですね。娑婆世界とは人間の住むこの世界のことで、観音様はそこですべての人々を救って仏の世界に導こうと誓いを立てます。それを観音行というのですが、そのことを「娑婆世界に於いて遊ぶ」というわけです。相田さんは言います。
「遊びだから、それによって何らかの報酬を得ようとか、人からよく思われたいとかいう意識はまったくありません。損得の勘定が一切まじらない純粋な行為、それが観音様の仕事であり遊びなんですね」
わたしはそれを読んで感心して、あ、ボランティアって、そういう意味では遊びなのかもしれないな、と思いました。

最後には生徒会のみなさんからお礼の言葉と花束までいただき、話している時よりもその後のほうがガチガチに緊張してしまいました。
そして昨日、学校からその時の写真と校長先生のお礼の手紙と、さらに丁寧につづられた生徒300人からの感想文が届けられました!

後で届けられると聞いていたし楽しみにもしていましたが、まさかこんなにひとりひとりがしっかり書いてくれているとは思わず、とても感動しました。
どの子もあのつたないわたしの話をしっかり聞いていてくれたらしく、わたしの伝えたかったことはみんなしっかり伝わっていた事が分かりましたし、その感想もとても素直で前向きなものでした。
すぐにでも被災地に行ってボランティアの手伝いをしたい、今は行けないけれど大きくなったらきっと行く、被災地には行けないけれど今この場で自分にできることを考えてしたい…
それぞれ姿勢は微妙に違っているけれど、そのどれもがとても正しいと思いました。
われわれの仕事にも興味を持ってくれていて、「花の持つ力」も正確に理解してくれていたと思います。
機会があればその一部だけでも、ここで紹介していきたいと思ってます。
山元町ではいま、武内比登美さんをはじめとするプロジェクトのメンバーが、地元の皆さんと一緒になってモミの木の飾り付けをしていることでしょう。
11日にはわたしもまた山元町を訪ねます。
今回は娘のほかに中学生の親子2組も同行してくれます。
中学生たちの中に芽生えたいろいろな思いが、この先のいつか、被災地のみなさんの元に具体的な形になって届くと良いですよね。
HANA sakaso プロジェクトの活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
娘の通う中学校のが毎年この時期に開催する「ふれあい講演会」に講師として招かれ、生徒たちの前で話をさせていただく機会に恵まれました。
もともと地元で起業している人間がその職業について話して、子供たちの進路教育、生き方学習の一環とすることが趣旨のひとつらしいので、今回は自分の職業である「ガーデンデザイナー」、「ガーデナー」という仕事について、加えて(というよりそれがメインとなりましたが)今回のHANA sakaso プロジェクトの活動内容について話をさせてもらいました。

当日は朝からとても寒く、体育館の中はとても冷えていましたし、期末テストの初日の午後ということもあって早々に切り上げようと、最初は1時間は越えようかと思われる原稿をかなり頑張って切り詰めたのですが。それでも40分の持ち時間をはるかにオーバーしてしまいました。
見てのとおり、少し着込んでいます。
少し風邪気味だったし…

内容はこれまでこのブログで報告してきたことがほとんどなので改めて繰り返しませんが、その一部だけ…
手元のプリントに書いてある「ガーデンデザイナー」とか「ガーデナー」とかいう職業は、残念ながらタウンページには載っていません。「ガーデニング」というくくりのなかでかろうじて「園芸店」と「造園業」というのはありますが、それとは少し違うのでまだまだ世間では認めてもらっていない職業なのかも知れません。
ガーデンデザイナーは、その名の通り庭のデザインをする仕事です。
世間でなかなか認めてもらっていない証拠に、この仕事はあまりお金になりません。いつもたいてい無料で庭の図面を書いています。今回の講演の、進路の勉強ということでは、これはあまりみなさんにお勧めすることができません。
だから設計するだけでなく実際に庭を作らないとお金をもらえませんので、わたしは普段土を動かしたり、レンガやブロックを積んだり、左官仕事をしたり、ウッドデッキを作ったり、木や草花を植えたりして働いています。それがまあ、造園屋さんとか外構屋さんとか呼ばれる職業なのですが、私の場合は植物を中心に据えてやっていますのでガーデナーと自称しています。日本語で言うと「庭師」といったところです。
この仕事はとても面白いです。
やればやるほど庭がきれいになっていく。お客さんがとても喜んでくれる。
かっこの良い言い方をするとガーデンのデザインは、お客さんの暮らしまでデザインする訳ですから、自然とお客さんのご家族とのお付き合いも深くなっていきます。感謝されてお金ももらえる仕事というのは、とてもやりがいがあります。
そして、われわれが扱う植物にはとても不思議な力があります。
見る人の気持ちを明るくしてくれる。元気にしてくれる。気持に張りや潤いを与えてくれます。
だから花は、これまでもいろいろなボランティアの活動の中で、いっぱい使ってきました。
ボランティアという仕事もね、お金をもらえない訳ですからあまり進路の学習にはふさわしくないですね。でも今回はその話をしたいと思います。
なぜならそこから学べることや得られることがたくさんあるからです。

プリントにも書きましたが、「情けは人の為ならず」ということわざがあります。
誰かのために何かをすれば、まわりまわって自分の身にいいことが起こる。自分のためになる。別にそれを目的にして自分のためだと思ってやらなくてもいいし、そう考えてばかりだとそれはそれでダメなのだと思いますが、心から人の役に立ちたいと思えば思うほど、自分が得るものも大きいのでしょう。
ボランティアの意味はじつはそういうところにもあるのだと、今回はつくづく思いました。
だから、「してあげる」ではなく、「させていただく」ということなのだと考えます。
そして、ボランティアにはする権利と資格が存在するのだと思います。
もうひとつ、今年のPTA研修旅行では都内をまわって、その中で東京フォーラムにある相田みつをさんの美術館を訪ねました。相田さんのさまざまな作品に触れてきましたが、その中にあそぶという漢字ひと文字を大きく描いた「遊」という作品があってそれがとても気になりました。
その隣に相田さんのメッセージが添えられていました。
「遊於娑婆世界」
観音経の言葉ですね。娑婆世界とは人間の住むこの世界のことで、観音様はそこですべての人々を救って仏の世界に導こうと誓いを立てます。それを観音行というのですが、そのことを「娑婆世界に於いて遊ぶ」というわけです。相田さんは言います。
「遊びだから、それによって何らかの報酬を得ようとか、人からよく思われたいとかいう意識はまったくありません。損得の勘定が一切まじらない純粋な行為、それが観音様の仕事であり遊びなんですね」
わたしはそれを読んで感心して、あ、ボランティアって、そういう意味では遊びなのかもしれないな、と思いました。

最後には生徒会のみなさんからお礼の言葉と花束までいただき、話している時よりもその後のほうがガチガチに緊張してしまいました。
そして昨日、学校からその時の写真と校長先生のお礼の手紙と、さらに丁寧につづられた生徒300人からの感想文が届けられました!

後で届けられると聞いていたし楽しみにもしていましたが、まさかこんなにひとりひとりがしっかり書いてくれているとは思わず、とても感動しました。
どの子もあのつたないわたしの話をしっかり聞いていてくれたらしく、わたしの伝えたかったことはみんなしっかり伝わっていた事が分かりましたし、その感想もとても素直で前向きなものでした。
すぐにでも被災地に行ってボランティアの手伝いをしたい、今は行けないけれど大きくなったらきっと行く、被災地には行けないけれど今この場で自分にできることを考えてしたい…
それぞれ姿勢は微妙に違っているけれど、そのどれもがとても正しいと思いました。
われわれの仕事にも興味を持ってくれていて、「花の持つ力」も正確に理解してくれていたと思います。
機会があればその一部だけでも、ここで紹介していきたいと思ってます。
山元町ではいま、武内比登美さんをはじめとするプロジェクトのメンバーが、地元の皆さんと一緒になってモミの木の飾り付けをしていることでしょう。
11日にはわたしもまた山元町を訪ねます。
今回は娘のほかに中学生の親子2組も同行してくれます。
中学生たちの中に芽生えたいろいろな思いが、この先のいつか、被災地のみなさんの元に具体的な形になって届くと良いですよね。
HANA sakaso プロジェクトの活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
HANA sakaso プロジェクト with mother Love ~ 被災地に種をまく
テーマ:HANAsakasoプロジェクト
2011/11/15 01:10
つい先ほど、山元町から7時間弱かけて戻ったところです。
かなりバテバテですが、明日から再開する本業を思うと最後の報告はどうも今のうちにアップロードしておいた方が良さそうですね。今日の夜からまた、設計も再開しなければなりませんから。
11月14日。
われわれは蔵王の宿をチェックアウトすると、今回最後の活動場所である坂元駅に向かいました。
朝からメンバー1人をさらに加えてHANA sakaso プロジェクトのメンバーが5名。
それに地元「山下花ボランティア」のメンバー9名。
総勢14名で坂元駅前に土を入れ、がれきを取り除き、水仙とクロッカスの球根を植え付け、寒咲き菜の花の種をまく! というのがこの日の活動でした。
山元町被災の象徴的な場所であるここに花を咲かせ、復興と復幸の基点としたい、来る3月11日にここに集う人々の目に暖かい希望の光を灯したい…
そんな願いをこめた活動でした。
睡魔に襲われ始めているので以下はフォトギャラリー風に。









気が遠くなるほど有った黒土の山もボランティアのみなさんのパワーで一気に片付き、被災したお宅の跡地も見る見る黒い花畑となりました。
メンバーの指導で球根を植え、種をまき…
本当に多くの方たちの思いのこもった今回の活動も、無事に終了しました。
あとは花たちが元気に育ってくれて、山元町の次の春を明るく彩ってくれることを祈るばかりです。


最後に山下中学に戻って資材を撤収し、校長室で次回の活動計画を練ったり、校長先生のねぎらいの言葉を頂いたりしたのですが…
その時の渡辺先生の、
「でも、あそこにはもう行きたくないな」
という言葉が強く心に響きました。
われわれにとってさえとても強烈な印象の坂元駅ですが、地元のみなさんの気持ちにとってそれはさらに複雑な思いのする、残酷で過酷で重々しい場所なのでしょう。
そこで失われた多くの命を思えばそれは当然のこと。
今更のようにそのことを思い知りました。
いつも元気でパワフルな渡辺先生の言葉であれば、それもなおさらです。
武内リーダーによれば12月11日の復幸祈願祭に向けて、次回は大きなモミの木を植えにきて、それに地元の皆さんといっしょに祈りを込めたデコレーションをしたいとのこと。
再会を約束してメンバーや山下中学の皆さんに別れを告げたのでした。
活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。
HANA sakaso プロジェクト with mother Love
かなりバテバテですが、明日から再開する本業を思うと最後の報告はどうも今のうちにアップロードしておいた方が良さそうですね。今日の夜からまた、設計も再開しなければなりませんから。
11月14日。
われわれは蔵王の宿をチェックアウトすると、今回最後の活動場所である坂元駅に向かいました。
朝からメンバー1人をさらに加えてHANA sakaso プロジェクトのメンバーが5名。
それに地元「山下花ボランティア」のメンバー9名。
総勢14名で坂元駅前に土を入れ、がれきを取り除き、水仙とクロッカスの球根を植え付け、寒咲き菜の花の種をまく! というのがこの日の活動でした。
山元町被災の象徴的な場所であるここに花を咲かせ、復興と復幸の基点としたい、来る3月11日にここに集う人々の目に暖かい希望の光を灯したい…
そんな願いをこめた活動でした。
睡魔に襲われ始めているので以下はフォトギャラリー風に。









気が遠くなるほど有った黒土の山もボランティアのみなさんのパワーで一気に片付き、被災したお宅の跡地も見る見る黒い花畑となりました。
メンバーの指導で球根を植え、種をまき…
本当に多くの方たちの思いのこもった今回の活動も、無事に終了しました。
あとは花たちが元気に育ってくれて、山元町の次の春を明るく彩ってくれることを祈るばかりです。


最後に山下中学に戻って資材を撤収し、校長室で次回の活動計画を練ったり、校長先生のねぎらいの言葉を頂いたりしたのですが…
その時の渡辺先生の、
「でも、あそこにはもう行きたくないな」
という言葉が強く心に響きました。
われわれにとってさえとても強烈な印象の坂元駅ですが、地元のみなさんの気持ちにとってそれはさらに複雑な思いのする、残酷で過酷で重々しい場所なのでしょう。
そこで失われた多くの命を思えばそれは当然のこと。
今更のようにそのことを思い知りました。
いつも元気でパワフルな渡辺先生の言葉であれば、それもなおさらです。
武内リーダーによれば12月11日の復幸祈願祭に向けて、次回は大きなモミの木を植えにきて、それに地元の皆さんといっしょに祈りを込めたデコレーションをしたいとのこと。
再会を約束してメンバーや山下中学の皆さんに別れを告げたのでした。
活動はさらに続きます。
みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。
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HANA sakaso プロジェクト with mother Love