生きる
予定では近江八幡のお話でしたが とても悲しい事が起こり、楽しかった関西も、名古屋で久々に顔を見て安心したボンクラ~ズ1号のことも、すべてが吹っ飛んでしまいました。
庭に目をやると 咲いている秋のバラたちさえ悲しげに見えてしまいます。
転勤して郡山へやってきたころボーイスカウトで知り合い、以後 我が家の子供たちの数学をみてもらっていた 20年来の付き合いになる方の奥様が亡くなられました。
陽子さん・・・といいました。お名前のとおりの明るくあたたかい芯の強い私の尊敬する女性のひとりでありました。
二人の子供を医師に育てあげ、自らも勉強を続け、教会では相談員を務め、ぐうたらな私には近寄りがたい程の人でした。
それでも気さくでユーモアに溢れ、誰にでも同じ態度で接した陽子さん。我が家の子供たちも彼女が大好きでした。
それなのに・・・
こんなにやりきれない気持ち・・・深い悲しみの淵に突き落とされたような、悲しい悲しいお葬式。泣き崩れる御主人が可哀そうでたまりませんでした。
五年前、命を絶ってしまった義姉と、偶然にも同じ年齢でした。
毎日毎日、彼女のことを考えます。
考えても考えても、答えはみつかりません。
一生懸命生きていたはずが、いつの間にか頑張り過ぎてしまったのでしょうか。
先日関西の帰りに義父母のお見舞いに沼津へ寄りました。
人工呼吸器に栄養チューブ、話も出来ず自分の手足を動かす力も もう残っていない。それでも生きている義母。意識ははっきりとあるのです。それが余計に残酷です。
自分がそうなったらどうだろう・・・?何一つ気持ちを伝えられずに生きている。
生きる・・・生きているってなんだろう。震災ではたくさんの命が消えたのに・・・。
今、まだ健康で 生かされている事に感謝をしつつ、陽子さんのご冥福をお祈りいたします。
暗い話題になってしまいました。
読んで下さった皆さん、ごめんなさい