我が家のアンディさん
M・ダックスの男の子です。
元々はこうだったんですが、
あまりに暑いので、2mmでカットしてもらいました。とっても涼しげです。
これまでは、暑かったんで、おち●ち●を、うっぴろげてねていましたが、
ちょっと涼しくなったんでしょうか、丸くなって寝るようになりました。
島原旅行2日目
10時すぎに休暇村雲仙を出発。
まずは、娘がリサーチした小浜温泉にある「ケーキとパンの店Pack」へ
おんせんあんぱんを買いました。
嫁さんたちが店を見ている間に、ぶらっとしてみました。
おもしろい観光案内を発見。小学生が卒業記念に観光案内を作成していました。
これはいいアイディアです。じっくり読んでみました。
次に向かったのは千々石海水浴場近くにある千々石ロールがおいしいという「ビアリッツ」。
その前に、地元のスーパーに寄って見ることにしました。昨日、青い理髪館で
福岡から来たというお客さんが、「●●というスーパーはどこですか?」と奥さんに
尋ねていました。奥さんも「さあー、どこでしょう?そこに何しにいかれるんですか?」と
逆に尋ねていました。「私は地元のスーパーでそこにしかないものを買うのが楽しみ
なんですよ!」と言っていたので、よし真似してみようと通り道の「フーズピープル」に
入ってみました。
「龍馬のとうふ」148円。
「チャンポンの具」126円。他にも八代では見かけないような商品がいくつかありました。
結構、そういう商品あるもんですね。もっと時間かけて回って見れば、もっと楽しい
かもです。
甘いもの好きな我が家は、ケーキ屋さん、パン屋さん、和菓子屋さんめぐりが大好きです。
次に向かったのは、仁田峠。第一展望台からの眺めです。
島原といえば、雲仙普賢岳。その雲仙普賢岳を間近にみることが出来ました。
絶景でした。ちょっと霞んでいて、阿蘇は残念ながら見ることができませんでした。
「雲仙で阿蘇の煙も見てかえり」
仁田峠からの眺めです。ロープウエイが見えます。
ここの標高は1080m(?と言われたと思います。じゃないかも)で気温が26℃という
ことで、とても涼しかったです。
次に向かったのは、旧大野木場小学校。その隣には大野木場砂防みらい館があります。
現在も、水無川では復興の作業が行われており、この大野木場砂防みらい館で、監視
カメラの映像、地震計、雨量計の観測データを集中的に管理し、危険な場合には
非難の指示をするそうです。
火砕流が発生したとき、5年生と6年生は授業中だったそうで、写真では見難いですが、
右の先生の左手の右下あたりの○のところに、走って逃げる子どもが写っています。
カメラを操作することができます。
最後に向かったのは、雲仙災害記念館がまだすドーム。
平成大噴火シアターで噴火による恐ろしい火砕流や土石流を、直径14mの
ドーム型スクリーンで、災害を疑似体験することができます。なかなかの迫力
でした。
16:25のフェリーの時間が迫っていて、まだまだ見たかったとこもありましたが・・・。
楽しかった島原旅行も無事終了。現実の世界へと帰って行きました。(おしまい)
島原旅行1日目
金〜土曜日で島原へ家族旅行に出かけました。
熊本新港から九商フェリーで島原港へ。実は熊本新港が出来てもう何年にもなりますが、
初めて熊本新港へ行きました。
ちょうどお昼頃、島原港へ到着。お昼ご飯は島原城近くの「青い理髪館 工房モモ」へ。
前日、どこに行くか、ネットで調べていて、ここだと思い行くことにしました。
関東大震災の復興の為、東京に行った大工さんが、勉強して来て建てたものらしいです。
10年ほど前改築し、カフェになりました。お店の中はほとんど当時のままで、
とってもおしゃれです。
「TAKARA」と書いてありました。今のタカラスタンダードのことでしょうか。
昔はこの森岳商店街はとても賑やかだったらしいです。この森岳商店街で
買い物をして、ここで散髪して帰るというのが、おしゃれだったんでしょうね。
こちらが、改築される前の写真です。
私が食べたのは、夏カレー。それと、島原名物の「寒ざらし」です。
お店の奥さんとも、色々とお話ができました。とてもよかったです。
娘も嫁さんもとても良かったと喜んでくれました。
次に向かったのは、島原城。街にお城があると、何が何でも行きたくなります。
それにしても、お城の中は暑かった。
ちょっと高校野球が気になりましたが・・・
次に向かったのは、土石流被災家屋保存公園道の駅「みずなし本陣ふかえ」
「雲仙普賢岳は、平成2年11月17日 198年ぶりに噴火、まもなく活動は低下
しましたが、平成3年2月12日再び噴火が始まり、5月15日には水無川で最初の
土石流が発生しました。 溶岩ドームは5月20に出現し、5月26日、6月3日には
火砕流により死傷者、行方不明者が発生しました。」
その土石流で被害を受けた家屋が、ここに保存されています。
もう、20年ほど前になるんですね。娘が生まれたのが平成元年なんで、1歳の
頃の出来事でした。八代からも普賢岳のもくもくと上がる煙がよく見えました。
火山灰もかなり降りました。
自分の建てた家がこんなことになったら、たまらんでしょうね。
息子は何を覗いているんでしょうか?
被災された方は本当につらかっただろうと思います。
そして、旅館へ。泊まったのは、「休暇村雲仙」。風呂に入って、夕食。
これは島原名物「具雑煮」です。
満腹状態で、もう終わりと思っていたそのとき、
「遅くなりました。長崎天ぷらです。長崎天ぷらは、衣に味がついているので、
つゆをつけずに食べて下さい。」と仲居さん。
いやいや、もう食べれません状態でしたが、頑張って食べました。
旅館自体はかなり古い建物でしたが、夕食はとてもご馳走でした。
そして、ご飯のあと、卓球をしに行きました。やっぱり、旅館に来たら卓球でしょう。
2日目へつづく・・・