嘉島の足手荒神さん
とかで、最後の修正をしなくてはならないそうで、熊本市内の娘の
通う大学まで行ってきました。その帰りに、上益城郡嘉島町という
ところに、「足手荒神さん」と呼ばれる甲斐神社にお参りに行って
きました。八代にも足手荒神さんはありますが、この甲斐神社が、
熊本を中心とした九州各地にある足手荒神さんの総本社だそうです。
そんなに大きな神社ではないのですが、足や手を患われた方がお参り
される神社です。
足や手の模型がたくさんあります。
この足型、手形に自分の名前と住所を書いて、奉納されます。
私も、今ちょっと痛めている膝と足の裏の痛みが取れるようにと、
無事に熊本城マラソンが完走できるように祈願してきました。
甲斐神社の由緒は、どんなものかといいますと、
「今から四百年程前の1587年(天正15年)戦国時代末期、九州
を平定した豊臣秀吉の命にて、肥後を治める事となった佐々成政
の太閤検地に反発し国衆、民衆が一揆(肥後国人一揆)を起こす。
御船城城主の甲斐宗立と隈部親永等は三万五千の国人を率い
佐々成政が居城する隈本城を攻める。一揆勢は果敢に隈本城を
攻めるも、攻め落とすまであともう少しという所で、豊臣秀吉
応援の大部隊が九州、四国から駆けつけ一揆は失敗に終わって
しまう。一揆に失敗し手足に致命的な傷を負いながらも何とか
嘉島町上六嘉に逃れた甲斐宗立はその地にて地域住人に手当を
受ける。その地域住人の献身的な思いやりに感激した甲斐宗立は
「わが亡き後はこのお礼にこの地にて手足の守り神となろう」と
言い残し息を引き取った。それ以来、この神社を信仰する者その数
を知らず、御利益を受け全快し諸人の寄進による手型、足型、
ギプス、コルセット、松葉杖と正に社殿を埋め、遠くは外国、
九州一円さては遠県よりの参詣者が後を絶たず、今も尚、足手荒神
さんと慕われながら、参拝する諸人の手足を守り続ける。」
また、甲斐宗立の父親である甲斐宗運は、戦にかけては生涯無敗だったため、
勝負事、厄除け、魔除けの神様として祀られているそうです。
お守りもいただいて来ました。
先週、27km走って以来、また左ヒザと右足の足の裏を痛めてしまい、この
4日走っていませんでした。今日は痛みも引いたので、少しだけ走ってきました。
このなでお守りで痛いところをなでて、治したいと思います。あと3週間
無理せずに頑張ります。