昨日のRリーグバレー
私は今年度から、監督になりました。監督というかマネージャーみたい
なお世話係です。「明日はRリーグバイ」と言うと、
「何人揃ったか?」と聞く人がいます。その言葉の裏には、人間が揃って
いるなら、明日は休もうかななんて考えているのです。
そんなときは、「あた(貴方)で丁度5人タイ!!!」と言ってやります。
これは野球の世話係をしていた時からの決まり文句で、
こう言えば、だいたいの人は、渋々ながら、来てくれます。
「えー、7人かな?」なんて言ったら、だいたいそんな人は来てくれません。
昨日も、8人は来るかなと思っていたら、結局5人ギリギリでした。
ところで、試合の方は1勝2敗。今年度初勝利。残念ながら弱いのです。
来月から、東京に2年間修行に行っていたソフトバンクホークス内川似のT君が
帰ってくるので、ちょっとはよくなるかもしれないと、監督は考えています。
から揚げ
今日、昼休みに近くの銀行へ行き、用事を済ませ、さあ昼飯だと思ったら、
目の前に新しいから揚げ屋が出来ていました。
「本日、OPEN2日目です。本日から揚げをお買い上げのお客様におはぎを
プレゼントいたしま~す。」と大きな声で宣伝されていました。
から揚げも食ってみたいし、おはぎも食ってみたいし・・・。
買ってしまいました。持って帰って、から揚げは今夜のおかずにするかなと
思いましたが、今日はRリーグの試合のある日。これを昼飯にするかと思い、
から揚げとおはぎの不思議な昼飯になりました。
おはぎ2個だけでも、腹いっぱいだったかも知れません。から揚げが500円
でした。おはぎは通常300円だそうです。おいしかったです。しかし、さすがに
これだけ食ったら、なんか気分が悪くなりました。
ひとつ注文すると、から揚げはカラッと揚げて欲しかった。(元々はカラッとして
いたのかもしれませんが、ちょっと油がこってりし過ぎていたような気がします。)
やっぱり、こんな昼飯はよくありません。
昼からのから揚げのニンニクのゲップにもちょっと、アレでした。
晩柑ロール
>長男の大学野球の全校大会が「ぼっちゃん球場」であり、親ばかな
私達は、はるばる福井から応援に行きました。
というコメントをいただきました。ぼっちゃん球場とはおそらく四国松山の
坊っちゃんスタジアムのことでなないかと思うんですが、その昔、1年程松山で
研修を受けたことのある私は懐かしく松山のことを思い出しました。
道後温泉、松山城、八十八ヶ所の石手寺など、松山もとてもいい所でした。
その松山からいつもおみやげで買って帰っていたのが、一六タルトでした。
柚子の香りがほんのりとして、とてもおいしかったです。
時々、デパートで行われる「うまいもの市」みたいなやつで、販売しているので、
買って食べています。あわしま堂にも似たようなタルトがあったと思います。
そんな一六タルトに似た天草のお土産「晩柑ロール」というお菓子を頂きました。
一六タルトに比負けず劣らず、おいしかったです。
ご馳走さまでした。
後藤是山記念館
今日は、奥様を熊本市内の病院に連れて行きました。(八代の自宅から
熊本のその病院まで、ナビによりますと38kmでした。)
その病院の隣に、ひっそりと後藤是山記念館という建物がありました。
診察が2度の検査があったりでえらーい待ち長かったので、ちょっと見学に
行ってきました。
後藤是山と言っても、私はまったく知らない人で、どんな功績を残した人な
のかまったく知りませんでした。どうやら熊本市名誉市民だそうです。
九州日日新聞社の記者として明治42年に入社。国民新聞社(東京)の徳
富蘇峰に指導を受け、当時の著名な文化人たちの感化を受け、
熊本に帰り、九州日日新聞社の文化欄の拡充に努力し、東京で知り合った
与謝野鉄幹・晶子夫妻や、堅山南風などの著名人を紙面に登場させ、熊本
県民の目をみはらせる紙面を作ったそうです。その後、新聞社を追われ、
生涯を、ジャーナリストとして、あるいは歌人、俳人、更に郷土史家として活躍。
99歳まで生きたそうです。是山の心の中には終生「生涯一記者」としての気概
が沸々とわきたっていたそうです。
この記念館の土地・旧居・資料などはご遺族から熊本市に寄贈されたものだ
そうです。
中に入ってみると、与謝野晶子からの手紙やら片山南風の絵やら、貴重な資料
が展示されていました。
与謝野鉄幹・晶子夫妻が熊本に来た時にあちこちを案内されたのが、この是山さん
だそうです。東京には1年足らずしかいなかったのに、著名な文化人と親交があり、
東京の文化を熊本に紹介されていたのでしょうね。今のようにインターネットもなか
った時代ですから、是山さんの功績は大きかったと思います。
是山は熊本の出身ではなく、大分の竹田の出身で、旧制竹田中学(今の竹田高校)
の出身だそうです。
そういえば、中学と高校のとき、練習試合で竹田高校に行きました。
館長さんでしょうか?随分とご年配の方が私をつきっきりでご案内してくれました。
私のバカな質問にも丁寧に答えていただきました。この旧居が「淡成居」といわ
れているそうです。
是山さんが亡くなったのは25年ほど前だそうで、それまでこのお家に住んで
おられたそうです。その家がなんとも懐かしい昭和の匂いがプンプンする家で、
とても懐かしかったです。
押入れにはいまだに捨てきれない椅子やソファーが残されたままでした。
「なかなか捨てきれないんですよ」とおっしゃってました。
「落葉焚く凡庸の山眺めつつ(おちばたくぼんようのやまながめつつ)」
今は周囲にマンションやビルが建ち並び、阿蘇の山々などはまったく見られません
が、当時はここから阿蘇の山々、金峰山、立田山、水前寺成趣園を展望するこ
とができ、それらを眺めながら、落葉を焚いてるよという意味でしょうかと、おじい
さんは教えてくれました。
後藤是山記念館は熊本では熊本城につぐ名所水前寺公園の程近くに
あります。水前寺公園にお越しの節はぜひ、お立ち寄り下さい。
子どもの日
今日は5月5日、子どもの日。
今日はイオン八代店にベッキーが来るというので、楽しみにしていました。
ところが、ベッキーのイベントは11時30分から。息子の水泳の練習が12時から
で、時間がかぶってしまいました。息子を送って、イオン八代店に急行しましたが、
到着したのは12時5分。しかし、
この状態。おそるおそる2階まで降りてみましたが、ベッキーの頭され見えません。
残念。聞けば、開店前から並んで、ダッシュで席を確保していたそうです。
歌だけでも聞けたからヨシとします。
息子を迎えに行った後、草むしりと畑仕事をしました。頑張りました。
畝を作って、ナス・ピーマン・ゴーヤを植えました。キュウリは奥様の実家の庭に
植えようかと思っています。たくさん収穫できれば嬉しいですけどね。
腰が痛かったです。気がついたら、こんな時間に・・・。
夜はまたイオン八代へ。何かおいしいものはないかなと物色していたら、
こんなに入って、半額の
690円。うまかったです。
みどりの日
今日はみどりの日だったんですね。私は国民の祝日かと思っていました。
みどりの日は以前は4月29日だったような・・・。まあどうでもよかです。休みなら。
昼過ぎ、息子が昨日、うちのばあさんから、こづかいをもらったとかで、
DSiLLを買うというので、イオン八代店に行ってきました。
朝から、「何時にイオンは始まると?」ともうそれはそれは・・・。
道理で、息子が阿蘇に行きたいと言うわけがわかりました。
そして、息子にエナメルバッグを買ってやりました。水泳やテニスでどうも必要な
ようで。私たちの頃も、誰もがもっているスポーツバッグがありましたね。
マジソンスクエアガーデンバッグ。なつかしいです。
はあっ!よかなー・・・。俺もこんなんが欲しいなあ。
そしたら、館内からあまり聴きなれない音楽が聴こえてきました。
安武玄晃さん という福岡在住のサックス奏者の演奏でした。
まったく音楽に縁のない私ですが、生のサックス演奏にちょっと感激しました。
やっぱり、生の演奏はテレビやCDでは味わえないものがあるなと思いました。
明日は5/5、こどもの日です。
明日はイオン八代店にベッキーがやってきます。
黄砂
今日の黄砂は尋常じゃなかったと思います。
ホント真っ白というか、ちょっと黄色みたいな感じでくすんでいたような。
私も50年近く生きてきましたが、こんな黄砂は初めてだったような気が
します。ちょっとオーバーでしょうか?
ずっと向こうの山が見えないというのは、あることですが、すぐそこのビルが
白っぽく見えるのって、やっぱりそうなかったことと思います。
せっかく、新緑のいい季節だというのに、それもGWでそんな新緑の季節を
楽しもうという人がたくさんいるというのに・・・。明日、私は阿蘇に里帰りして
きますが、やっぱり、くすんでいるんでしょうね。
昼過ぎ、職場の先輩が、「これ珍しかろ?」と見せてくれました。
ふむ?お金といえば、10円玉と100円玉くらいにしか縁のない私は、
何が珍しいのか、とっさにわかりませんでした。
そういえば、今は、こちらでした。いつ頃、変わったんでしたかね?