後藤是山記念館
今日は、奥様を熊本市内の病院に連れて行きました。(八代の自宅から
熊本のその病院まで、ナビによりますと38kmでした。)
その病院の隣に、ひっそりと後藤是山記念館という建物がありました。
診察が2度の検査があったりでえらーい待ち長かったので、ちょっと見学に
行ってきました。
後藤是山と言っても、私はまったく知らない人で、どんな功績を残した人な
のかまったく知りませんでした。どうやら熊本市名誉市民だそうです。
九州日日新聞社の記者として明治42年に入社。国民新聞社(東京)の徳
富蘇峰に指導を受け、当時の著名な文化人たちの感化を受け、
熊本に帰り、九州日日新聞社の文化欄の拡充に努力し、東京で知り合った
与謝野鉄幹・晶子夫妻や、堅山南風などの著名人を紙面に登場させ、熊本
県民の目をみはらせる紙面を作ったそうです。その後、新聞社を追われ、
生涯を、ジャーナリストとして、あるいは歌人、俳人、更に郷土史家として活躍。
99歳まで生きたそうです。是山の心の中には終生「生涯一記者」としての気概
が沸々とわきたっていたそうです。
この記念館の土地・旧居・資料などはご遺族から熊本市に寄贈されたものだ
そうです。
中に入ってみると、与謝野晶子からの手紙やら片山南風の絵やら、貴重な資料
が展示されていました。
与謝野鉄幹・晶子夫妻が熊本に来た時にあちこちを案内されたのが、この是山さん
だそうです。東京には1年足らずしかいなかったのに、著名な文化人と親交があり、
東京の文化を熊本に紹介されていたのでしょうね。今のようにインターネットもなか
った時代ですから、是山さんの功績は大きかったと思います。
是山は熊本の出身ではなく、大分の竹田の出身で、旧制竹田中学(今の竹田高校)
の出身だそうです。
そういえば、中学と高校のとき、練習試合で竹田高校に行きました。
館長さんでしょうか?随分とご年配の方が私をつきっきりでご案内してくれました。
私のバカな質問にも丁寧に答えていただきました。この旧居が「淡成居」といわ
れているそうです。
是山さんが亡くなったのは25年ほど前だそうで、それまでこのお家に住んで
おられたそうです。その家がなんとも懐かしい昭和の匂いがプンプンする家で、
とても懐かしかったです。
押入れにはいまだに捨てきれない椅子やソファーが残されたままでした。
「なかなか捨てきれないんですよ」とおっしゃってました。
「落葉焚く凡庸の山眺めつつ(おちばたくぼんようのやまながめつつ)」
今は周囲にマンションやビルが建ち並び、阿蘇の山々などはまったく見られません
が、当時はここから阿蘇の山々、金峰山、立田山、水前寺成趣園を展望するこ
とができ、それらを眺めながら、落葉を焚いてるよという意味でしょうかと、おじい
さんは教えてくれました。
後藤是山記念館は熊本では熊本城につぐ名所水前寺公園の程近くに
あります。水前寺公園にお越しの節はぜひ、お立ち寄り下さい。