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関ヶ原合戦祭り
こんにちは。みなです。
先日10月15日・16日とお休みをいただきまして、ちょっと足を伸ばしてお祭りに行ってきました。
場所は岐阜県関ケ原町。
お目当てのお祭りは、関ヶ原合戦祭りです。
日本各地に武将に扮した人たちが「おもてなし武将隊」として、観光客を楽しませていますが、この関ヶ原にも「関ヶ原東西武将隊」がいます。
東軍には、徳川家康、本多忠勝、井伊直政の三人。
西軍には、石田三成、大谷吉継、島左近の三人。
石田三成は兜をかぶるとこんな感じです。
暑苦しいですね。
10月16日は26℃まで上がり、日なたは10月とは思えない暑さでした。
お目当ての武将は、大谷吉継です。友人である石田三成と共に西軍として関ヶ原の戦いに参戦。その時すでに病のため足が萎え、輿に乗って参戦したと伝えられています。頭には兜ではなく、頭巾です。
武将や槍や足軽も入り乱れての「合戦絵巻」もありました。今年の絵巻主役は島左近。ですが、大谷吉継の見せ場もありました。
豊臣秀吉の血縁者で、秀吉の養子だったこともある小早川秀秋が、よりによって西軍(豊臣勢)を裏切りました。大谷吉継はそれを予測し、小早川秀秋の隣に布陣。小早川側に彼が寝返った時用の対策もしていたと伝えられています。が、裏切りが裏切りを呼び、小早川だけではなく他の武将も次々に東軍へと寝返り、西軍へ攻撃をしかけ、己の最後を悟った大谷吉継は自害。湯浅五助が介錯を務めたそうです。
病に崩れた首を敵に晒すなと申しつけられた五助は、密かに首を埋め、その後東軍の藤堂に発見され、自分の首の代わりに大谷吉継の首だけは秘密にしてほしいと約束を交わしたとされます。その約束を守り、藤堂は湯浅五助の首を持ち帰りましたが、「大谷吉継の首は知らない」と通したそうです。
現在関ヶ原にある大谷吉継の墓は、この藤堂が建てたものだそうで、その墓の隣に湯浅五助の墓も建てられています。
さて、絵巻は絵巻の見栄えで、最後は島左近と本多忠勝の一騎打ちでした。
石田三成が布陣した笹尾山の陣地後に登ったり、ヤギ乳アイスを食べたり、関ヶ原を楽しんできました。
関ヶ原合戦祭りのため、笹尾山のふもとと、関ヶ原ふれあいホールしか見ていませんが、次回は大谷吉継のお墓と陣跡巡りと、関ヶ原ウォーランドに行きたいと思います。
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