秋山兄弟生誕地
坂之上の雲
司馬遼太郎が40代の殆どを掛けて完成させたと言われる
小説 (坂の上の雲」
物語は、正岡子規、秋山好古・真之兄弟の三人の人生を辿りながら
近代国家 の仲間入りをしようとした明治の日本を描いてます。
下級武士の家に生まれた兄弟は軍人の道を選び
好古は草創期の日本騎兵を育て、真之は日本海軍における近代戦術の
立役者としてそれぞれの道を歩む。
子規は新聞記者となり、近代俳句、短歌、文章の革新に力を注いでます。
それぞれの道で坂の上の雲を目指した主人公の地 松山に行ってきました。
松山市歩行町にその秋山兄弟の生誕地がありました
兄 好古
人間は苦労せんと できあがらんのじゃ
陸軍大将まで栄進して退役
松山の中学校の校長に赴任し 青年時代に教員を志していて
陸軍教育総監になった時が一番嬉しかったと言われるほど
生涯を通して教育に情熱を注いでます。
真之 海軍中将
正岡子規と中学校以来の無二の親友で 子供の頃は暴れん坊でしかも
人に優しく、家族思いで、海軍では部下を一番いたわってたらしい。
日本海海戦の勝利は英雄の力では無く、全員がその責務を存分に
発揮したからである・・・・と言った言葉は有名ですね。
又 真之の電文で 「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
ロシアバルチック艦隊発見の電報は あまりにも有名です。
互いに見詰め合っていました・・・
兄弟は今 何を語り合ってる事でしょうか・・・