合同会社の始まりです
テーマ:行け! グリーンマン
2010/12/31 20:13
暮れのごあいさつをすべきところですが、
なぜかわしの経歴から話が始まります。
2000年、広島市のタウン情報誌「月刊ぴーぷる」の取材記者を辞め、 (有) 猪尻造園で働くことになりました。
実の父親 (ブログ内では、せっかちMAXの親方と呼んでいます) の会社です。
造園業に限らず、会社の持つ技術力・営業力・設備・人脈 ( お客様や取引先の方々など ) ・組織力などなど、
一朝一夕では手に入れることのできない「財産」を積み上げていくことが、仕事、だと思っています。
果たして、わしは「仕事」をできとるんじゃろうか・・・。
と、心のどこかに引っかかるモノを感じながら
2007年3月、社員はわし一人ですが
「合同会社グリーンマン」を立ち上げました。
ここまでのところ活動実績はゼロ、です。
毎年、税務署では
「活動休止中ですので、金銭の出入りはありません・・・」と申告するたび、
署の方には「会社を整理しますか ( つぶしますか ) 」と一種の肩たたきにも聞こえる言葉をかけられてきました ( 当然ですね〜 ) 。
それでもいつか、芽を出す時が来る、と信じてきました。
そして、今年 ( 2010年 ) 、広島のトーコー資材さんより「庭創作倶楽部 広島版」のお話をいただき、「庭ブロ」と出会い、ホームページ開設へと進んでいくわけです。
今はまだ、「合同会社グリーンマン」は「有限会社猪尻造園」からの小さな芽生えという存在にしかすぎません。
親の会社の実績をわが実績のように宣伝している「いいとこ取り」の会社と言われても文句は言えません。
が、
せっかくの芽生えです。人脈や技術力といった小さな「根」を大地に伸ばして、
大空に「枝」を広げ、笑顔の「花」を咲かせられるように励んでいきたいと考えています。
いつも、つたないブログ「わしゃあ、植木屋じゃけえ」にお付き合いいただきありがとうございます。
2011年も、健やかなる一年になりますように。
合同会社グリーンマン 代表社員
猪尻悦生(己斐の猿飛えっちゃん)
なぜかわしの経歴から話が始まります。
2000年、広島市のタウン情報誌「月刊ぴーぷる」の取材記者を辞め、 (有) 猪尻造園で働くことになりました。
実の父親 (ブログ内では、せっかちMAXの親方と呼んでいます) の会社です。
造園業に限らず、会社の持つ技術力・営業力・設備・人脈 ( お客様や取引先の方々など ) ・組織力などなど、
一朝一夕では手に入れることのできない「財産」を積み上げていくことが、仕事、だと思っています。
果たして、わしは「仕事」をできとるんじゃろうか・・・。
と、心のどこかに引っかかるモノを感じながら
2007年3月、社員はわし一人ですが
「合同会社グリーンマン」を立ち上げました。
ここまでのところ活動実績はゼロ、です。
毎年、税務署では
「活動休止中ですので、金銭の出入りはありません・・・」と申告するたび、
署の方には「会社を整理しますか ( つぶしますか ) 」と一種の肩たたきにも聞こえる言葉をかけられてきました ( 当然ですね〜 ) 。
それでもいつか、芽を出す時が来る、と信じてきました。
そして、今年 ( 2010年 ) 、広島のトーコー資材さんより「庭創作倶楽部 広島版」のお話をいただき、「庭ブロ」と出会い、ホームページ開設へと進んでいくわけです。
今はまだ、「合同会社グリーンマン」は「有限会社猪尻造園」からの小さな芽生えという存在にしかすぎません。
親の会社の実績をわが実績のように宣伝している「いいとこ取り」の会社と言われても文句は言えません。
が、
せっかくの芽生えです。人脈や技術力といった小さな「根」を大地に伸ばして、
大空に「枝」を広げ、笑顔の「花」を咲かせられるように励んでいきたいと考えています。
いつも、つたないブログ「わしゃあ、植木屋じゃけえ」にお付き合いいただきありがとうございます。
2011年も、健やかなる一年になりますように。
合同会社グリーンマン 代表社員
猪尻悦生(己斐の猿飛えっちゃん)