廓然無聖☆
「暑さ寒さも彼岸まで」。。。。なのにさぶ~い日が続いてたのでヒガンでた「わたす」です(汗!)
でも今日の仙台はきりっとした朝の寒さはあったものの快晴になりましたよん
ブローロのアジトのすぐ脇には小川が流れているんですが、水の流れに春を感じる陽気になってきましたぁ~
流れをしばし見ているとぉ~!下流の方からカモちゃんペアが泳いで来ましたよぉ~(カモ~ンって呼んでないのに~・笑!)
途中で止まって、どちらに行こうか思案中のよう。
やがてまた下流の方へ戻って行きましたぁ~(ネギは背負ってなかったなぁ~・爆!)
そういえば去年も現場の帰り道でカモの親子が道路を横断しててブログにも紹介しましたねぇ~。
この夫婦もやがて子ガモ達が生まれ家族ができるのかなぁ~?
そして、見上げれば雲ひとつない快晴!!!
「廓然無聖」・・・かくねんむしょう と読むそうです
「廓然」とはカラッと晴れた雲一ない空のこと。何もないことをもっと強調して、ついには「聖」も無いんだよと念を押している言葉が「廓然無聖」だそうです。
「聖」という字は宗教的に価値があることを指すそうですよ。
煩悩や自慢や悩みのない心境に この空を眺めながら たまにはそう在りたいものだと。。。。。
「まちゃむね号」に乗り込み今日も「おすごと」です!!!
「同治」と「対治」☆
久し振りに「ちょっといい言葉」のテーマで
以前読んだ五木寛之さんの本に書いてあった言葉です
五木さんの本とは高校生の時に「青春の門」とか「さらばモスクワ愚連隊」などを読んだのがきっかけで、とっても好きな小説家の一人です。
昨今、五木さんは仏教関連の出版物が多いような気がします(近づいてきたかなぁ~?!・笑) たしかそんな一連の本の一冊の中で出逢った言葉。
「同治」と「対治」(どうじ たいじ)
やはり、仏教語らしいのですが「同治」とは漢字のとおり「同じくして治す」。「対治」とは「対して治す」ということで、解りやすく言えば風邪を引いて熱が出た時に冷やして熱を下げようとするのが「対治」。反対に体を温かくして汗を出して熱を下げることを「同治」という感じでしょうか。つまり、人間が本来持っている回復する力、治癒力を信じて治すことのようです。
現代の医学における西洋医学は正に「対治」で、漢方薬や針灸などの東洋医学は「同治」の観点からの医学のように思います。
きっと「心」も同じで、疲れきった人や悩んでいる人に「もっと頑張れ!」と言うのか「辛かったねぇ、大変だったねぇ」と相手の気持ちに寄り添ってあげるか。
どちらが良いというより相手や治そうとするものの状況や状態を良く見てあげることが大事なことでもありますが。
なかなか、難しいことだと思いますが便利なようで大変な時代、「対治」が主力になっているように感じるのは「わたす」の稚拙な感覚かもしれませんが心を同じくして寄り添ってあげることで相手の治癒力を引き出せてあげれたら素敵なことかなと思ったりするわけです
なんか最近バタバタが続いていたのですが出勤途中に朝焼け見ながらこんなことをちょっと思った「わたす」で~す
(お~っ、ギャグナシで終われた。。。。。。。笑♪)
看脚下(きゃつかをみよ)☆
ブログを始めて1年が経ちましたが日常的に外の風景、特に空や雲を見上げることが多くなりましたぁ(に~のさんの影響かな?!・笑♪)
物事を以前よりちょっとだけしっかり見ようとしてるのか、否 たぶんブログのネタ探しの要因が多いんでしょうがネ。。。。。あはっ
それも大事なことだとは思いますがたまには自分の足元に注意してみることも大事かなぁ~・・・なんて節目を迎えて思ったり☆
「看脚下」・・・きゃつかをみよ と読むそうです。
同じ意味で「脚下照顧」・・・きゃつかしょうこ ともいうそうです。よく、お寺さんの廊下などに立て札あったりしますよネ。
「足元に気をつけなさい」「靴を揃えなさい」という日常の言葉として使われていますが、実はこの言葉 自分自身のことを顧みるのを忘れないように、という標語でもあるそうですよ。
「履物を揃えると心も揃う」なんていうのもありますよネ☆
急いで前へ進もうとして躓いたり、上へ登ろうとして足元の岩を踏み外したり。
さ~て、新たな一歩を踏み出そうとする前に自分自身の足元をしっかり見てみましょうか
一歩一歩、自分の足で丁寧にゆっくり歩き出せばいいんですよネ
あわてないあわてない。履物を揃えるのは次なる「行動」のためでもあるんだと。
ちょっと忙しいと感じてる今日この頃!そう思う心も「わたす」の心。
たま~に、足元看ながら一服するのも必要かな・・・・・・と!
御打合せのお客様を待つ間 こんなことを思ってましたぁ~
(お金とか落ちてないかなぁ~~・・・・・)
でも! 空を見上げるのもやっぱり 良いなぁ~~♪
煩悩の多い「わたす」ですたぁ~~~~!
啐啄の機☆
雨の朝の仙台です
もう今週で今年も終わり週末には新年を迎えるんですねぇ~
ブローロは明日が仕事納めで30日から2010年の1月3日まで年末年始のお休みをいただきま~す
今年一年、皆さんはどんな年だったでしょうか?
以前ブログの「ちょっといい言葉」でも紹介させて頂いた「我逢人」(がほうじん)は「人との出逢いからすべてがはじまる」という意味で、ブローロにとっては特に「庭ブロ」を始めてからその言葉が大きく、深く、強く感じた年でしたぁ!
実はその引用させてもらった「ほっとする禅語 」の本の中に「我逢人」に並んで書いてあった言葉なんですが「わたす」自身も未熟な経験を振り返って「そうだよなぁ」と思ったのでご紹介させてもらいますネ
<「啐啄の機」(そくたくのき と読みます)・・・・師弟の出逢いの絶妙なタイミング>
才能の花開こうとする弟子と、それを見抜いて引き上げる師。上司と部下、母と子。両者の意識の高まりがあった時に出逢ってこそすべてがうまくいきます。
この絶妙のタイミングを得ることを「啐啄の機」といいます。
何ごともここがグットタイミングという瞬間があるもの。早すぎず、遅すぎず、その機を逃さず出逢う好機。それにはこれを見逃さない目と行動力がなければなりません。
相手がいての「啐啄の機」ですから、自分の都合だけではなく、相手の動きや成長の真実を見抜く目を持つことが大切です。両者の「呼応」が奇蹟を呼びます。「我逢人」は人と人が出逢うことの尊さを表現した言葉ですが、その時期が来なければ成立しない人間関係もあるものです。
人は「啐啄の機」に出逢ってこそ花を咲かせます。 (原文から抜粋)
「庭ブロ」からの出逢い、お客様との出逢い、「おすごと」との出逢い・・・すべて意味とタイミングがあってなのだと思うと不思議な気持ちと同時になんか納得する自分がいます。
出逢うべくして出逢う☆
今年は本当に素晴らしい「出逢い」がいっぱいありました!!!感謝ですネ
来年はどんな素敵な「出逢い」があるのでしょう。
そんなことを思いながら。。。。現場行ってきま~す
忙中閑あり☆
年内にやらなければならないことがどんどん見えてきます(目をそらしたいのですが。。。。汗!)
そんな忙しい師走が始まっちゃいましたがそんな中でもちょっと空いた時間があるはずです。(こうしてブログ書いてますもんね・笑!)
「忙中閑あり」ですかネ☆
そんな時に思い出したのが2年ぐらい前だったかなぁ~、地元情報誌の連載コラムに「わたす」の大学の先輩のH氏が書いてたことを☆
たしか仏教用語だとかと書いてましたが「内観」(ないかん)という言葉。
言葉の通り「内を観る」こと。
そのコラムもたしか年末か年初めの記事だったと記憶してます。
要は区切りや節目の時期に(人によっては1日単位、1週間単位 e.t.c・・・)
① 人からしてもらったことを思い出してみる。
② 人にしてあげたことを思い出してみる。
③ 人に迷惑をかけたことを思い出してみる。
日常の「おすごと」や「生活」の中でこうやって時々振り返って思い出してみるだけでけっこう自分の今のポジションが確認でき気持ちが落ち着く気がします
忙しいなぁ~と感じる季節! ちょっとお茶を飲みながらでも眠る前の数分間でもちょっとした「閑」でリフレッシュできると良いですネ☆
先日の朝靄の通勤途中に撮った写真です