ニームの木とご対面//キューバ ハバナ市内の有機栽培農場
3月3日快晴 ひな祭り
波の高いキューバの沖合をクルージング、時差調整もあり。
12時現在、ハバナ港から1068キロ。 日の出7時16分、日の入は18時50分予定です。
アフリカのセネガル迄5930キロを航行中。
外気温32度、海水温27度。
明日は「魔のトライアングル」と言われているバーミューダトライアングルにさしかかります。
緊張感が走ります
セネガルには3月12日に到着予定。その間はひたすらクルージング・・・。
写真はニームの葉です
ハバナ市内の有機栽培農場の責任者に案内頂き、外周に植え込まれたニームの大木とご対面。
枝を折ってブレゼント下さいました。
デジカメで沢山写真を撮りました。葉っぱを少し乾燥させてサンプルとして持ち帰る予定です。
ニームの木、全ての部分が有機栽培には必需品である事も解りました。
残念ながら北海道での栽培は気温の関係で不向きです・・・・寒すぎる
昨日の夕方には小型のイルカが群れをなして飛び跳ねながら船と並走。皆、大喜び
グローバル被爆者フォーラム
今回は急遽ピースボートの乗客が特別に招待された。
通常では考えられない事です。事前に各々で観光などを予定していたが、短縮して時間を捻出しての参加。
会場には日本大使館、共同通信、日本の新聞社、地元紙、その他のメディアやキューバの支援団体、行政機関の関係者等およそ1000名の参加者。
それぞれバスで会場へ向かうが、バスには白バイが先導し信号機も交差点もノンストップで会場入りした。 帰りも一緒で驚く 会場周辺は私服警察が厳重警備で、何もかもが初めての経験です。
カストロ元キューバ国家元首も85歳。キューバ革命1962年からはすでに50年が経過
仲間が市内観光の途中、年輩にその事を話すと近くの人達が涙を流して喜んだとの事です。
演壇にはカストロ元キューバ国家元首の他に長崎広島の被爆体験者、タヒチ島の代表、福島大学の教授、チェルノブイリの原発事故で被爆した子供の治療に当たっているキューバの医師やピースボートの代表者、核被害の恐ろしさを体験談をもとにお話いただき、いかに危険な物であるかをそれぞれの立場で話し、核のない世界を いろいろな国が理解し協力し合って作り上げよう!
カストロ氏の年齢を考慮して壇上には午後3時から2時間の予定だったが、途中からご本人に熱が入り5時から30分ほど休憩を取り再開するとのことだった。
その後、6時30まで延長し参加者の方がバテバテ・・・何しろ予定より1時間30分も延長。
おかげで観光にも、お土産物も買えない人が続出。
会場では最前列から3番目の席に座り、同時通訳のイヤホンから生の声も聴く事が出来感激する。
滞在期間は1日間だけでしたが、午前中は有機農法を実践している施設や畑の見学をし、昨年から調べ続けていたニームの木も実物を見る事も出来、有機栽培農法には必需品である事も解り今迄持ち続けていた問題点の解明も出来た。
最高の日だった。
キューバ流有機農業を体験
3月1日6時にキューバのハバナ港に入港。
7時30分過ぎに税関検査を終え、貸切バスにてハバナ市内の熱帯農林研究所を訪問し、施設の見学とキューバの有機農業に関するレクチャーを受ける。
その後バスに乗り45分ほど走行し、オルガノポニコ農園を訪問
(写真奥は施設 手前は我々だが奥の人は市民達)
有機農業についてレクチュアーを受ける。
1962年キューバ革命後、アメリカによる経済封鎖によりあらゆる物資が輸入出来なくなり、農薬や化学肥料などの農業資材も入手出来なくなり、国民はたちまち食糧難に陥った。
都市内の有休地は市民に貸し出し、畑作りを推奨している。ただ土地は石灰岩が多く耕作には不適地。そこで枠を作り、その中に有機肥料入りの土を入れる。そこで植物を育てる為に、ありとあらゆる使える物を堆肥化しなければならなかった。化学肥料を使わない有機農業、農薬を使わず害虫の駆除にはコンバニオンプランツや有益昆虫類の増殖を考えてきた。
都市住民との共生には農薬は絶対使えない!
この考え方がいつの間にか世界最先端の持続可能な有機農業国になった。
何と、そこで大活躍しているのが「ニームの木」
まさかここで出会うとは夢にも思いませんでした! 沢山写真も撮りました。
昨年はバングラデシュまでニームの木を見に行く段取りまで考えた・・・・あこがれの木に会えて夢の様な一日でした。
本日23時過ぎにはアフリカのセネガルのダカールへ向けて出航。
10日間のクルージングです。