こだまでしょうか ~被災された方へ~

テーマ:ブログ

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと

「馬鹿」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとで

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

 

あの震災以降、何度となく流れている

ACのTVCMですが、

この詩の作者 金子みすゞさんの

「ことばの花束 金子みすゞのこころ」

という本を、嫁が図書館で借りてきて

あのCMの「こだまでしょうか?」って

「こんなメッセージがあったんや!」

と、その本を読み聞かせてくれました。

 

それを聞いて、ようやくこのブログを

書こうかと思いました。

震災直後、この庭ブロで活躍されている

東北方面の方のブログをチェックし、

ご無事でいらっしゃる様子を確認できて

コメント欄に、メッセージを送ろうかと

考えたのですが、いざメッセージを

書こうとしたら、なんと書いたら良いものか

迷うばかりで、言葉が見つかりませんでした。

 

また、この庭ブロでは被災地域で活躍されている

他にも多くの方がいらっしゃるのに、

その方たちには・・・

と考えると、益々ことばが見つかりませんでした。

 

その本の中では、この詩の後に、

「こだまし合うこころ」

として、次のように書かれていました。

 

こだまとは、〝丸ごと受け入れる″ことです。

かつて、私たちのまわりにいてくれた、すてきな

大人の人たちは、こだましてくれる人たちでした。

ころんで「痛い」といった時、両親は

「痛いね」と、私の痛さを丸ごと受け入れて

くれて、返してくれました。

 こだまは、「ヤッホー」といったら、

「ヤッホー」と半分の大きさになって返って

くるわけですから、「痛いね」と返してくれた時、

私の痛さは半分になることができたのです。

     (中略)

私が子どもだった頃、大人という人たちは、

人の喜びを自分のように喜べる人たちでした、

人の悲しみを自分のことのように

悲しめる人たちでした

今、私たちは自分は自分、他人は他人と

分離してしまいました。

だから、みすゞさんは、今、

甦ったといってもいいでしょう。

私たちのまわりはすべて、

光と影のように

昼と夜のように、

見えるものと見えないものに、

二つで一つなのです。

二十一世紀はみすゞのまなざしの世紀です。

 

そして、次にはこんな詩が

 

さびしいとき

私がさびしい時に、

よその人は知らないの。

 

私がさびしい時に、

お友だちは笑うの。

 

私がさびしい時に、

お母さんはやさしいの。

 

私がさびしい時に、

仏さまはさびしいの。

 

同様に、仏さまはさびしいの として以下に

「私がさびしい時に、仏さまはさびしいの。」

「さびしいとき」というみすゞさんの作品に

出会うまで、仏さまや神さまは祈ったり、

願ったりすれば、私のさびしさを取り除いて

くれたり、さびしさを代わってくれる存在だと

思っていました。

でも、みすゞさんが

「私がさびしい時に、仏さまはさびしいの。」と

歌ってくれたおかげで、仏さまや神さまは、

けしてわたしのさびしさを取り除いてくれないし、

変わってはくれないことに気付きました。

最良最善の存在である、仏さまや神さまは、

こだましてくれるのです。

さびしいときに、「さびしいね」と。

わたしのさびしさを

「さびしいね」とこだましてくれ

さびしさを半分に、半分に、半分にしてくれるから

さびしさは消えていくのです・・・

 

ACのCMには、

コンなメッセージが込められていたんですね。

 

震災から1カ月が経ちましたが、

日本全国で、いや世界各国でも

今、こだましはじめているように思います。

 

被災された方は本当に辛い思いを

されているでしょうね。

でも、今、たくさんの人たちがこだましている

ように思います。

1日も早く、皆様の辛さが消えていくのを

願っています。

 

 


 

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プロフィール

スキットマン

日桂造園
(にっけいぞうえん)

杉岡 靖元

1971年4月 
奈良県生まれ

これからの暮らしに
スタンダードとなっていく
ような、1つの流れを
造り出していきたいという
大きな夢を持った
小さな植木屋です。


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