地震の恐怖と被災者になって
業務課Tです。
この地震で被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます共に、
亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
また、本当にたくさんの皆様からお見舞いのお言葉
や支援物資を頂きまして本当にありがとうございます。
皆様のお心遣いがとても有難く感謝の気持ちで
いっぱいです。
ただ、きれいごとはいいません。
本当に恐怖!それ以外ありませんでした。
一度ならずも二度も大きな地震で、まして
2度目は大きな揺れと共に停電してしまい
暗闇の中の揺れと恐怖と言ったら言葉では
伝えられません。
その瞬間は家にいたほうがいいとか外にでた方が
いいとか、考える余裕なんてありません。
揺れが一瞬収まった瞬間に怖くて外に飛び出しました。
家の隣が学校です。瞬時に学校へ向かう車で長蛇の
列が出来ました。学校にきたものの揺れが続くため
広場に大勢で固まってうずくまり体育館が開くのを
待ちました。体育館の鍵を持っている校長先生と
連絡が取れないので、徒歩で避難した人は外で
待つしかなく、寒さと恐怖で皆、震えが止まりません
でした。その間にも震度4や3位の揺れが何度も
あり、其々の携帯の緊急アラームがあちこちで
鳴り響き、それが更に恐怖を掻き立てました。
今まで、阪神や東北で地震があった時、大変だなと
思っていた何十倍も何百倍も怖いです。
恐怖は被災しないとわからないんだと思いました。
母も「今回ばかりは駄目かと思った」と震えながら
つぶやきました。どこにも行けなくて寒さに震えて
いましたが、揺れが収まったので、取り敢えず自宅は
鉄骨のアパートの1階なので中を見に行ったら電気が
ついていて、車にいるべきか学校にいるべきか
迷ったけど、部屋は庭にすぐ出られるので窓を
開けたまま、とりあえず部屋に待機し、
揺れを感じたら外に出る事にしました。
幸い、何度も震度3や4、5の揺れはありましたが
本震のような激震はなかったので部屋で過ごしました。
1日が長かったです。夜が明けたら今度はライフライン
である水が出なくなっていたので、水を確保する為に
給水ポイントへ給水に行ったら、既にすごい列
それも「整理券を持っている人から優先的に給水します。
今、東区の1か所しかない給水ポイントに水を取りに
行っています。
普通にいけば1時間半位で戻ってきますが
渋滞なのでいつ届くかわかりません。
整理券がある人から給水しますので、
無い方は並んで下さい。
並んでも給水できるかはわかりません。
その次はいつかわかりませんが取り敢えず
並んでください。」と言われ整理券が無いけど
折角きたので並んで待ちました。1時間並び
ましたが、その時点でも給水車は来ていないので
整理券を持っている人さえ水を貰えていません
でした。「これ以上並んで頂くのも申し訳ないので
持ってない方にも整理券を配布しますが
何時間後になるかわかりません。」と言われ
整理券を貰い一旦自宅へ戻り3時間後
位にきてみる事にしました。3時間後にきた
時は誰も並んでいなくて係りの人に聞いたら
給水車は帰ってしまって今日の給水は終わり
ました。と言われたのですが諦められず係りの
人に整理券を持っているけど無いんですか?
と聞いたら、こちらに来て下さい。と横の方に
つれていかれて、整理券を持っていた方用に
少しだけ残してあります。ただ一人一袋だけで
お願いします。と辛うじて10Lの水を分けてもらい
ました。
また、最初に並んだ時にはおにぎりが
配布されていたのですが、こちらも長蛇の列
私が水の方に並んでいたので、妹が並びました。
並んでいた妹が水の所に並んでいた私の所に
戻ってきて、「おにぎり1個だけ貰えた、本当は
私の前で無くなってしまったけど、並んでいる
時にお話しして仲良くなったおばちゃんが
5人家族で5個貰ったから、あなた1時間も
並んで貰えないのが気の毒だから、1個あげる」
と分けてくれたそうです。家も誰も食べていないで
本当は貴重だけど4個はあるから分け合って
食べるよと分けてくれたそうです。
我が家も4人いますが手に入った食料は
おにぎり1個だけ。あとは非常用の
カンパンでした。「カンパンはかなり固いです。」
と言われたけど、そんな贅沢は言ってられません。
「今日の食糧配給は終了です。
水が無いからご飯が炊けないので」と
係りの人の説明、午後2時に今日の食料配給終了
お店も開いていないし。貰えていない人もいます。
独り暮らしのお年寄りなんて途方にくれて
お気の毒でした。食料をどこで手に入れたら
良いのか、市役所に行こうかと言われてましたが
公共交通機関は通ってなくタクシーも無理
本当に大変そうでした。私の家もおにぎりは
並んだ妹に食べていいよ。と食べさせて他の
私達はカンパンを食べました。おなかがすいて
いるのかどうかもわからなくなっていて
カンパン1枚でも十分でした。テレビでは物資は
充分に届いているはずと専門家が言っていましたが
お店も開いていなくどこで何を手に入れたらいいのか
2時間だけ開くスーパーに200人位の人が並んで
いました。入場出来るのは100人位らしく入場
できても必要なものは数が少なく
また車中泊する人も多く、物資を求めたり
して車を利用する為ガソリンが必要だけど
スタンドが点々としか開いていなく開いていても
直ぐに閉店する為、給油に長蛇の列、道路を
給油待ちの車で1車線動かなかったり何をするにも
充分な物資って
正直「どこが!どこに?」と皆口々に言っていました。
でも、家があって電気が通ってるだけマシだよね・・・
こういう事態なので自分より大変な思いをしている
人々を思って皆我慢していました。。。
日本人の偉い所は順番に礼儀正しく待つ所
災害時や緊急時の食料や水がいきわたる制度は
まだまだ、全然確立されていなくて
他の大災害の教訓は生かされて
いなかったのだと痛感しました。
被災しないとわからない事ですね。
独り暮らしの方や身体の不自由な方への
対応なども普段から考えておいて頂きたい
と思いました。私自身も自分達が被災する
とは正直考えていませんでした。
各地方自治体の方々も今度こそは教訓にして
緊急時のライフラインの確保をお願いしたいと
思います。
個人でもやれる事はあります。
私は地震以降、外出する時は500㎜の水
薬・懐中電灯・携帯用バッテリー・カンパン
を重いけど常にカバンに入れて出かけています。
車のトランクには水・紙・毛布・非常食を
常備する事にしました。
困った事のもう一つ、衛生面です。
入浴やトイレなど断水したら本当に大変です。
月曜日から仕事の人も多かったのでお風呂に
入る為に夜中まで並んで入浴しました。
3時間待ちとの事で名前を記入して一旦帰宅して
順番待ちして私達が入浴出来たのは0時でした。
でも、後にはまだまだ並んでいる人が50人位
いらっしゃって、その方たちが入浴できたのは
2時過ぎとかでしょうか!その後帰宅して就寝
して出社するので、睡眠時間は3、4時間の方
も多いはず。。。でも3、4時間でも眠れるのは
マシです。本震が深夜にあった事もあり夜中は
起きて日中眠ると言う話を避難所とかで
皆さん話していました。
深夜に眠るのが怖いのです。
2度も激震に見まわれると次また。。。
とトラウマになってしまいます。毎日揺れるので
震度1~4位までは慣れてしまって
今、少し揺れたかな・・・と思う日々です。
皆様も地震に限らず、災害にみまわれた時の
為に数日間過ごせるような備蓄をして下さい。
避難場所や家族との連絡方法なども日頃から
決めておいてください。
私達が住んでいる所はこれでも熊本では被害が
少ない方です。益城町や阿蘇方面は建物全壊
など被害が多数で同じ県民として本当に心が
はりさけそうです。何でこんな地震が何度も何度も
起こるの!怒りと悲しみをどこにぶつければいいのか
けれど、阪神の時も東北の時も皆さん前を向くしか
なく頑張って来ました。だから私達熊本の人間も
くじけず、支えあって、力を合わせて前を向くしか
ありません。
たくさんの人からの暖かいお言葉やお心遣い
お互いに譲り合う優しい気持ちに触れることが
出来たのも、また被災したからです。
本当にたくさんの方々からのご支援ありがとうございます。
くじけず頑張っていきますね。
熊本の人間は明るく前向きな人達が多いので
きっと復興していくと信じています。
どうか、地震が早く収束するよう皆様も祈って
下さいね。
次回の私のブログの時には、以前のように元気で
楽しいブログにします。
波乱万丈ソウル旅の続編をご期待下さい。
コメント
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岩手県人2016/04/21 11:32本当に心中お察しいたします。何も言葉が出ませんが、また、何を言っても嘘っぽく軽くて何も言えませんが必ず朝は来ることを信じて過ごしてきました。私は岩手県人です。大丈夫です。朝は来ます。
[Res]㈱タケウチ2016/04/22 11:44励ましのお言葉ありがとうございます。
以前、東北の方が被災された時に思っていたより
実際に経験すると凄まじいのもでした。そして今回
たくさんの方に励まして頂いてとても感謝すると同時に
以前に被災された、阪神の方や東北の方に何故もっと
支援したり、応援したり出来なかったのかと悔やむばかりです。
朝は来ます。のお言葉に感謝して安堵を覚えました。
今後は災害が起こらないことを願うばかりですが
万一、災害が起きた時は日本であれ、海外であれ今回
皆さんに助けて頂いたご恩を忘れず私に出来る事を必ず
お返ししていきたいと思います。本当にコメント頂きありがとう
ございました。
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