震災後、ジャイアント馬場さんがとった行動とは
東日本大震災後、被災地で活動する、
芸能人やスポーツ選手がたくさん紹介されました。
自分が、思い出すのが、
ジャイアント馬場さんのことです。
本名 馬場正平
世界の巨人 のキャッチフレーズにふさわしい
2㍍9㌢の大きな体で世界に名を知られた名レスラーでした。
馬場さんが転移性ガンによる肝不全で亡くなったのは
平成11年のこと。
享年61才。その年の4月に日本武道館で行われたお別れの会には
2万8千人ものファンがお別れに駆けつけました。
1995年 1月17日の阪神大震災。
その2日後の1月19日、全日本プロレスは大阪大会を控えていました。
未曾有の大災害に、交通が分断され、テレビ局も取材クルーを派遣しないことが決定。
開催も危ぶまれる中、馬場会長は『こんな時だからこそやろう』と決断。
当日のメインイベントは王者 河田利明 に小橋建太が挑戦する
三冠ヘビー級戦。
当時の全日本のドル箱カードでした。
試合は一進一退の激しい攻防。60分間戦い抜いてのドロー。
試合後、立ち上がることさえできない二人に客席から万雷の拍手!
『全日本! 全日本!』大合唱。
馬場さんは、テレビ放送のないこの試合の模様をすべてビデオに収め、
当日来場できなかったファンにチケット代の払い戻しのかわりに
無料で進呈したと言うことです。
もっと凄いのは震災後、
全日本プロレスのファンクラブの名簿を取り寄せると、
登録している関西在住の会員の家に片っ端から電話をかけて、
『もしもし、大丈夫か、何か必要なモノは?』
電話をもらった方がビックリです。
あの馬場さんからいきなり電話がかかってくるのですから
昼間は車両の規制があり、夜まで待って
会員の家や、避難先をたずねて、食べ物や薬など支援物資をくばったそうです。
感激した会員と家族は、避難先の人たちにも紹介したいと
必死で引き止めますが、馬場さんは笑顔で断ります。
『きみが元気かどうか、顔を見に来ただけだから』
と次ぎの会員の元へ向かったそうです。
当時は今のようにテレビカメラを引き連れてなんてことはありません。
馬場さんの人柄が伝わるあったかいエピソードです。
ガーデンに関係ない話にお付き合いありがとうございます。
【参考文献】 扶桑社 『母ちゃんダンプ』
by しーさー
町田市高ヶ坂T様邸進捗状況!!
みなさん、こんにちわ
天気が良ければなんでも出来る
で毎度お馴染みのレジェンズ・YUTAです
今回はT様邸の進捗状況を手短にお伝えしたいと思います
今日はウッドデッキの下の土間を打ってきました
マスター(HIRO)不在だったため、チームヤングのDAIKIくんと2人で作業をしてきました
BEFORE

AFTER

こんな感じに仕上がりました
あとはデッキを組めば、完成です
仕上がり次第また写真を載せていきますので
みなさん、楽しみにしといて下さい
では、この辺で失礼します
光と水のショー @東京ミッドタウン♪


東京六本木のミッドタウン前には
広~い芝のお庭が広がっています

ここではいろいろなイベントが行われるのですが
訪れたその日は光
と水
のショーが開催 
とっても幻想的だったのでご紹介しますねっ



霧の様な水の打ち上げからスタート


た~くさんの人たちが鑑賞していますねぇ


霧の水に光を当てているので~
オーロラの様にゆらゆらして見えるのですよっ



この夜も暑かったので冷たい水しぶきが涼しげでした




15分のショーですっかりうっとり


この日満月だった東京の夜空をしばし、ボーっと眺めていました

By シャナセナまま














