紅枝垂
…あのお水取りの済む頃から、花の咲くのを待ち設け、その時に着て行く羽織や帯や長襦袢の末にまで、それとなく心づもりをして…
谷崎潤一郎の名作『細雪』の一節です。
主人公達は、京都の桜を見に行く一泊の行事を数年来欠かさず楽しみにし、祇園の夜桜、嵐山など桜の名所をまわり、最後にまさに春の日の暮れかかろうとする、最も名残の惜しまれる黄昏の一時を選んで洛中における最も美しい平安神宮の花を見ます。
平安神宮は、明治28年平安遷都千百年を記念して創建され、神殿は平安京の朝堂院を模して建てられています。
神苑は、南神苑、西神苑、中神苑、東神苑に分かれ、派手な石組は少ないですが、小川治兵衛『植治』によりつくられた名園です。
五条大橋や三条大橋の橋脚(橋杭)を用いた、中神苑の沢渡(臥龍橋)もいいですね。
有名な枝垂桜は、朱塗の西の回廊から入った所、南神苑に多く植えられています。
平安神宮の紅枝垂桜は、『八重紅枝垂』でエドヒガンの園芸品種です。
明治28年神社の創建に際して、時の仙台市長遠藤氏により、献上されたといわれます。(八重紅枝垂の別名を遠藤桜と呼びます)
4月8日は、花まつり、お釈迦様の誕生日です。
お寺では『潅仏会』が行われます。(この前の日曜日に行われたところも多いようですが)
ルンビニーの様子を模した花御堂の中に誕生仏を安置し、甘茶をそそぎます。
お釈迦様は、生まれてすぐ、右手は天を左手は地を指し、7歩歩んで『天上天下唯我独尊』といわれたとのことです。
誕生の時、龍王が天から清らかな水をそそぎ、産湯にしたとの伝えから甘茶をかけるそうです。
アマチャは(別名コアマチャ)ユキノシタ科アジサイ属の落葉小低木で、6月から8月にかけてヤマアジサイに似た薄紫の花を咲かせます。
少し大きいオオアマチャ(花、青紫)、白花のアマギアマチャもあります。
アマチャは、葉をかわかすと甘くなるので、これで潅仏会の甘茶をつくります。
高さもアジサイほど大きくならず、花も小形で、茶席の花にも良く、お庭に人株入れたいものです。
細雪の一行は、西の回廊を入り…夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に「あー」と感歎の声を放った。…
桜、染井吉野は盛りになりつつありますが、平安神宮の紅枝垂の盛りはもう少しあとのことでしょう。
山桜、里桜、爛漫の花を訪ね、静かに眺める至福の一時、いいですね。
わたぬきさん
いよいよ京の春、4月1日から都をどりがはじまります。
都をどりは明治5年からつづき、祇園の舞妓さんによる、井上流の舞が華やかで見事です。
また立礼のお茶もあって、あでやかな舞妓さんの点前や、お運びが楽しみです。
都をどりがおこなわれる、歌舞練場のすぐ近くに、建仁寺があります。中国から、お茶の種と喫茶を伝えた栄西が開山した、臨済宗建仁寺派の大本山です。
有名な国宝、『風神雷神図屏風』が所蔵され、当地(広島)出身僧侶で戦国武将の安国寺エケイにより、安芸安国寺(現不動院)から、移建された、方丈があります。
関ヶ原の戦いに敗れ、刑死したエケイの墓もあります。
庭垣に建仁寺の名をもつ、建仁寺垣があありますが、その由来は不明です。私共も、何度か作らせていただきました。
『4月1日』と書く名字があるとか、『わたぬき』と読むそうです。
旧暦で4月1日は、衣更えの日、綿入れを脱ぎあわせに着換えたところから、この字をあてるそうです。
『エイプリールフール』外国のならわしから、うそが春風にのり、広まるのが恐く、今年は自粛します。
ぢ
ぢ になりました
雪の中、3日間冷たい所に座り、作業をした為。
皆様、気をつけてください。
小指の爪ぐらいのイボです。
なにかと仕事に支障がでます。 ぢ 主の皆様いい治療法教えてください。
プライドをかなぐりすてて、肛門科に、行こうと思いましたが、仕事、時間、あいません。
現在、温めたらいいとの情報を、聞きましたので、はるカイロを割れ目に張っています。
情報、お待ちしてます。
ps あんまり人に言わないでね
菜の花
ひつさぐる わが得具足の一太刀 今此時ぞ天になげうつ
有名な、千利休居士の辞世です。
侘茶道大成者、利休居士は、天正十九年(1591)二月二十八日、秀吉の命により自刃され、例年、三月二十七日、三月二十八日に三千家【表千家、裏千家、武者小路千家】の利休忌が、一月遅れで営まれます。
利休忌には、昔から菜の花(油菜)が供えられます。
今、菜の花といえばハナ菜ですが、昔はナタネ油を採る、菜種の花でした。今は見る機会が少なくなりました。
お茶人さんの中には、利休忌が終わるまで菜の花を用いない方があるとか、奥床しいことです。
天下一の宗匠、利休居士にあやかり、後世種種のものに、利休(利久)の名が冠されています。
茶の湯にかかわるものだけでなく、多岐にわたり、利休色、利休鼠など、名色だけで二十色余り、庭に関してみれば、植木では利休椿(極淡桃色、一重盃状咲、小輪)、利休庵椿(桃色、一重筒咲、中輪)、利休梅(別名、利久梅、梅花下野、丸葉柳桜、明治末中国から渡来、五月ごろ白色梅花形の小さい花が咲く)など、利休垣や利休木戸、石燈籠に利休形、宗易形があります。
また、利休遺愛の伝承をもつ石燈籠や、利休好きといわれる石燈籠はあちこちにあります。(南宗寺、高桐院、薮内流家元、修学院離宮、三渓園など。)
因みに、茶庭(露地)に石燈籠を取り入れた最初は、利休居士だと伝わります。
《 樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の道のさびしさ 》
利休居士が露地のつくり方を尋ねられたとき、西行法師の和歌で露地のありようを答えています。
茶の湯のための庭、露地は古く、坪の内と呼ばれ、茶室への通り道として狭い空間であったようですが、居士のころから次第にに広くなり露地(路地)と呼ばれるようになったと聞きます。
今日、庭に石燈籠、飛石は、約束事のように使われますが、江戸時代、茶道の隆盛とともに、茶の庭から普及したものです。
花をのみ まつらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや
春の息吹
そして、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りします。
未曾有の大地震、大津波、それに伴う原子力発電所の事故、思いもよらぬ事が次々に起き、茫然自失……。
連日テレビ、新聞で、知る、事の重大さ、甚大な被害、写真で知る原爆直後の広島の街と重なり、足がすくむ思いでした。
この上は、一日も早い復興を……、被災された人達が、その日まで不自由な中にも、安心して暮らせるようにと、願うばかりです。
3月25日は『電気の日』でした。日本に初めて電気のついた日です。
電気がつくのは当たり前と、気にすることもなく暮らしていましたが、今度のことで、電気が停まると、街が停まる、暗い街並み、電気に頼る生活を改めて知り、無視できない原子力発電の比重を知り、あ然としました……。
大地震にも、大津波にも、山河は残りました。
あと少しで、木々は芽吹き、春の息吹を伝えます。そして野山は一斉に萌え、郷土は緑につつまれます。
それは、復興へむけての息吹です。被災者の皆さん、元気を出してください、一緒に頑張りましょう。
応援します。